喫茶厨房本能寺編 第二章:サプライチェーン防衛戦 第5話「佐々成政、血みどろの購買交渉」
♯喫茶厨房本能寺編
## 第二章:サプライチェーン防衛戦
### 第5話「佐々成政、血みどろの購買交渉」
「狂っている! 正気の沙汰じゃありませんよ佐々殿!!」
郊外の農園地帯へと向かう軽バンの車内に、店長・明智光秀の悲痛な叫びが響き渡った。
ハンドルを握る光秀の隣、助手席に座る男――たった数十分前に織田信長によって『購買部長』に任命されたばかりの佐々成政は、膝の上のアタッシュケースに手を置いたまま、瞬き一つしなかった。
黒のスーツに身を包んでいるものの、なぜか足元は本格的な登山靴。
腰にはカラビナ。
さらには、いつの間に用意したのか、助手席の足元にはピッケルまで転がっている。
「本願寺は、浅井農園にも朝倉ファームにも武田茶園にも『倍額での全量買い取り』を提示しているんですよ!?」
光秀が叫ぶ。
「向こうが札束で殴ってきているのに、こっちは『さらに値切る』なんて、物理的に不可能に決まってるでしょう!」
「落ち着け、明智殿」
佐々は前方に視線を固定したまま、抑揚のない声で言った。
「巨大な資本という名の雪山を前にして、足がすくむ気持ちはわかる」
「雪山じゃありません。仕入先です」
「だが、どんな険しい山にも必ずルートはある」
「だから相手は農家ですって!」
「俺の仕事は、そのルートを見つけることだ」
佐々は腰のカラビナを指先で弄んだ。
「ピッケルで相手の退路を断ち、逃げ場をなくし、『これ以上は無理だ』と血の涙を流させてから、さらに一円むしり取る」
「だからそれが『安く買う』ってことでしょうが!」
光秀は頭を抱えた。
「というか、なんでさっきからやたらと登山に例えるんですか!? 相手は長年の取引先ですよ!」
「案ずるな」
佐々は真顔で答えた。
「すでに交渉は一合目を越えている」
「まだ相手の顔すら見てないのに!?」
「行くぞ」
「何を根拠に!?」
光秀は片手でハンドルを握りながら、もう片方の手で胸ポケットの胃薬を水なしで飲み込んだ。
巨大資本『本願寺カフェ』による、サプライチェーン――仕入れ網の完全包囲。
これに対抗する本能寺の武器は、資金力でもブランド力でもない。
感情が完全に欠落した狂気のネゴシエーター・佐々成政の交渉術。
いや、交渉術という名のゴリ押しだけである。
絶望的な予測を抱えたまま、軽バンは最初の目的地へと到着した。
◆【第一の防衛戦:浅井農園】
美しく手入れされたコーヒーの木々が並ぶ『浅井農園』。
先ほど光秀が訪れたばかりの応接室に、再び重苦しい空気が漂っていた。
「……明智殿。先ほど『対案を持ってくる』と仰って帰られましたが……まさか、この方が?」
農園主の浅井長政は、光秀の隣に座る黒スーツの男を警戒に満ちた目で見つめた。
「はい……」
光秀は力なく頷いた。
「本能寺購買部長、佐々成政殿です」
佐々は挨拶も名刺交換もすっ飛ばし、ドンッ! とアタッシュケースをテーブルに叩きつけた。
「浅井殿」
「はい」
「単刀直入に言う」
佐々は腕時計を確認した。
「我々の現在地は三合目だ」
「……はい?」
「ここから一気に頂上へアタックをかける」
「はあ……」
「豆、一袋につき十円下げていただきたい」
「…………はい?」
長政の端正な顔が完全に硬直した。
「十円、ですって?」
「そうだ」
「佐々さんと言いましたね。冗談はおやめください。うちの豆はすべて手摘みで選別しており、現状の価格でもギリギリなんです」
「承知している」
「それに、先ほども明智殿にお伝えした通り、本願寺さんは『倍額で買う』と仰っているんですよ!?」
「承知している」
「だったら、なぜ値下げを要求するんですか!」
「社長命令だからだ」
「…………」
長政の顔から笑顔が消えた。
「無理か」
佐々は淡々と続ける。
「では五円だ」
「いや、そういう問題ではなく……!」
「三円」
「ですから、無理ですって!」
「……ならば一円だ」
佐々成政の目は、本気だった。
吹雪の雪山を歩くような冷たい瞳が、長政の心臓を直接睨みつけている。
たまらず光秀が立ち上がり、佐々の肩を掴んだ。
「成政殿! やめなさい!」
「なぜだ」
「これ以上心証を悪くしたら、本当に本願寺に寝返られてしまいます!」
「一円でも安く買えと言われた。俺は命令に忠実なだけだ」
「そういう問題じゃない!」
佐々は長政を見つめた。
「さあ、一円下げてくれ」
「断ります!」
「そうか」
佐々は頷いた。
「では、ここはガレ場だな」
「何の話ですか!?」
温厚な長政が、ついにバンッと机を叩いて立ち上がった。
「本能寺さん! おたくの経営状況が苦しいのは知っていますが、いくらなんでも礼儀というものがあるでしょう!」
「浅井殿! 申し訳ありません!」
光秀が慌てて頭を下げる。
「私は明智さんの淹れるコーヒーが好きだから、本願寺さんのお誘いをお断りしようか迷っていたんですが……」
長政は怒りに震えながら言った。
「今日の佐々さんの態度を見て、考えが変わりましたよ!」
完全に逆効果だった。
光秀が頭を抱え、土下座の準備に入ろうとした、その時。
佐々成政は、全く動じていなかった。
「……なるほど」
佐々は小さく呟いた。
「本願寺が倍額で全量買い取りか」
「ええ」
「雪庇を踏み抜いたかと思ったが……」
佐々はテーブルの上の契約書へ手を伸ばした。
「まだ道はつながっている」
「何を言って――」
「本願寺が買い取る前に、我々が契約書にサインをしてしまえば問題ない」
「は?」
カチャッ。
アタッシュケースが開く。
中から出てきたのは、すでに浅井の署名欄以外がすべて記入済みの『専属取引継続契約書』だった。
「さあ、サインをしろ」
「いやいやいや!」
「一円の値引きは諦めてやる」
佐々は堂々と言った。
「現状維持の価格で手を打とう」
「だから、本願寺さんの方が条件が良いと言っているんです!」
「条件など関係ない」
佐々は長政を真っ直ぐ見つめた。
「我々は昔からの付き合いだ」
「…………」
「絆という名のザイルで繋がっている」
「絆を盾にしてゴリ押しする気ですか!?」
佐々の異常なプレッシャー。
それは交渉というより、もはや精神的な脅迫に近い。
光秀は半泣きになりながら、長政の手を両手で握りしめた。
「浅井殿! 申し訳ありません!」
「明智殿……」
「この男は頭がおかしいんです!」
「本人を目の前にして言いますか、それ!?」
「でも、どうか! どうか本能寺を見捨てないでください!」
光秀は必死だった。
「あなたの誠実な豆がないと、うちのモーニングは終わりなんです!!」
長政は黙って光秀を見つめた。
常識人である光秀の悲痛な叫び。
その隣で無言の圧力を放つ佐々。
圧倒的な板挟みになった長政は、深い深いため息をついた。
「……今回だけですよ」
「!」
「価格は据え置きです。一円も下げませんからね」
「ありがとうございます!」
「あと……」
長政は佐々を見る。
「佐々さんは二度とうちに出入りさせないでください」
「なぜだ」
「怖いからです」
「そうか」
佐々はあっさり頷いた。
「交渉成立だ」
長政が署名を終えた瞬間。
佐々成政は「見事な登頂だった」と頷いた。
そして懐から、一枚の小さなメモ用紙を取り出した。
「そうだ。これを」
「これは……?」
長政が不思議そうにメモを受け取る。
そこには女性らしい丸文字で電話番号が書かれていた。
「うちの社長の妹だ」
「……は?」
長政が目を丸くする。
横から覗き込んだ光秀が、凄まじい勢いでツッコミを入れた。
「なっ……!? なんで購買交渉の成功報酬みたいに、社長の妹・お市さんの電話番号を渡してるんですか!!」
「社長からの『契約への誠意』だ」
「そんな誠意あります!?」
「連絡してみるといい」
「いやいやいや!」
佐々は平然としている。
「顔は良い」
「そこは知ってます!」
「それに、社長によれば、すこぶる男運が悪いらしいぞ」
「余計な個人情報まで添えないでください!!」
長政は困惑したまま、メモを見つめる。
「……本当に、電話していいんですか?」
「構わん」
「いや、だから何のために……」
「人脈は大切だ」
「便利な言葉みたいに使わないでください!」
佐々は立ち上がった。
「次の山へ向かうぞ」
光秀が頭を抱える。
「この先、何人の人生を巻き込むつもりなんだ……」
こうして、どうにか浅井農園との契約は、奇跡的な防衛を果たした。
◆【第二の防衛戦:朝倉ファーム】
次に向かったのは、特製ホットサンドのパン生地の命である小麦を生産している『朝倉ファーム』。
広大な麦畑の真ん中で、トラクターの上で麦わら帽子をかぶり、弁当を食べているのんびりした初老の男。
それが朝倉義景だった。
「おお、明智殿。先ほどはどうなされた? 急に走り去ってしまって……」
光秀が挨拶をする間もなく、佐々成政が前へ出た。
「朝倉殿」
「はい?」
「単刀直入に言う」
佐々は麦畑を見渡した。
「今年の小麦、一キロあたり五円下げていただきたい」
「ほお、五円」
「ここは一気に稜線を駆け抜けるぞ」
「……?」
朝倉は首を傾げた。
「しかし佐々殿とやら」
「なんだ」
「値下げの前に……去年の分の小麦のお支払い、まだでしたかな?」
「…………」
光秀の動きが止まった。
「本願寺殿なら、未払い分も全部肩代わりしてくれると仰っておったんですがのう」
「…………へっ?」
「去年の秋の納品分、まだお振込みが確認できとらんのですわ」
はっはっは、と朝倉は笑った。
はっはっは、じゃない。
光秀はサァァァッと顔から血の気を引かせた。
「あ、あれ!? 経理には絶対振り込めって言っておいたのに!?」
慌ててスマホを取り出す。
「秀吉! お前、振込処理どうした!」
『すいません明智殿ォォ!』
電話口で秀吉が泣き叫んだ。
『先月、お館様が「その金で南蛮の珍しい皿を買う」って言って、口座から全額引き出しちゃったんですぅぅ!』
「終わった……」
値切り交渉どころではない。
本能寺はすでに、取引先への支払いすら滞っているブラック店舗だった。
佐々も、さすがに眉をひそめた。
「……想定外のクレバスだ」
「クレバスで済ませないでください!」
光秀が「もうこの麦畑で腹を切るしかない」と覚悟を決めた、その時。
佐々成政が静かに口を開いた。
「朝倉殿」
「はい」
「去年の支払いが遅れている件については、遺憾に思う」
「おお、分かってくれますかな」
「だが、我々は『払わない』とは一言も言っていない」
「……へ?」
「払う意思はある」
「ほう」
「ただ、時期が未定なだけだ」
「…………」
「つまり、我々の間には、依然として強固な『信用取引』が成立しているということだ!」
「いや、それは世間一般ではただの滞納と言うのでは……」
佐々は一歩前へ出た。
「本願寺は金をチラつかせて、あなたを金縛りにしようとしている!」
「はあ……」
「我々の『支払いを待ってもらえるほどの信頼関係』こそが、真のビジネスパートナーの証ではないか!」
「……そういうもんかのう?」
「さあ、この雪壁を共に越えよう!」
圧倒的な詭弁。
もはや詐欺師のロジックである。
しかし佐々のあまりにも堂々とした態度と、異様な眼力に押され、人の良い朝倉は首を傾げながら考え込んだ。
「……わかった、朝倉殿」
佐々が頷く。
「今年の値下げは諦めよう」
「えっ」
「今の価格のままで契約更新だ」
「えっ、ああ……現状維持ならまあ……」
「よし!」
佐々が立ち上がった。
「この峠は越えたな!」
光秀が叫ぶ。
「越えてません! 支払いが残ってます!!」
佐々は聞こえないふりをした。
「行くぞ、明智殿!」
「後で絶対に、這ってでも払いますからぁぁ!」
光秀の叫び声が黄金色の麦畑に響き渡った。
◆【第三の防衛戦:武田茶園】
そして最後。
最大の難関である『武田茶園』。
山肌一面に広がる圧倒的な規模の茶畑。
ここは『武田』という絶対的なブランド力を持ち、生産力でも他を寄せ付けない巨大農園だった。
応接室で彼らを待っていた若き当主・武田勝頼は、腕を組み、冷ややかな視線を佐々に向けていた。
「本能寺の購買担当か」
「そうだ」
「悪いが、うちの茶葉を安く買い叩こうなどという無礼な提案なら、即座に帰ってもらう」
「承知している」
「武田の茶は俺の誇りだ。安売りするつもりは毛頭ない」
佐々成政がアタッシュケースを置く。
「勝頼殿。本願寺の提示した条件は聞いている」
「ああ」
「だが、我々も引くわけにはいかん。少しでも安く――」
「させない」
勝頼は鋭い声で言い放った。
「これが武田の交渉、その第一段だ」
「ほう」
「価格の交渉には一切応じない。お前たちの要求は、すべて跳ね返す」
佐々の目が細くなる。
「第一段は『価格の壁』か」
「そうだ」
「だが、そんなものは力で押し通る!」
佐々が身を乗り出した。
「長年の付き合いを考慮し、せめて二円の歩み寄りを――」
「無駄だ」
即答だった。
「そして、第二段」
勝頼は手元の資料をテーブルへ投げ出した。
「供給量だ」
「……!」
「今年の茶葉は天候の都合で収穫量が落ちている」
勝頼は冷静に告げた。
「だから、本能寺への卸しは去年の半分にさせてもらう」
「価格を維持した上に、供給量を半減させるというのか!」
「そうだ」
佐々の表情が初めて険しくなる。
「納品時期を分散させれば……」
「そして第三段だ」
勝頼は、決定的なとどめを刺すように一枚の分厚い契約書を取り出した。
「本願寺から、倍の価格での『完全独占契約』の申し入れが来ている」
「…………」
「俺は今日、これにサインをするつもりだ」
沈黙。
価格。供給量。そして、本願寺という名の圧倒的資本力。
勝頼は三本の指を立てた。
「これが武田の三段撃ちだ」
「……鉄砲か」
「そうだ。一段目で止め、二段目で削り、三段目で仕留める」
佐々は拳を握った。
登山家にとって、道を完全に塞ぐ冷酷な三段の壁。
「……ルートがない」
佐々が悔しげに呟く。
「この交渉……」
一度、目を閉じる。
「あの『さらさら越え』より険しい……!」
光秀が思わず目を見開いた。
血も涙もないネゴシエーター、佐々成政。
その男が、初めて明確な敗北を認めた瞬間だった。
「俺の負けだ」
これで本能寺の茶葉は尽きる。
和風喫茶の要が消滅する。
だが、その時。
ドサッ。
光秀がスーツの膝を床に擦り付け、深々と頭を下げた。
見事なまでの土下座だった。
「勝頼殿……!」
「明智殿?」
「あなたの言う通りです。我々には、本願寺のような資金力はありません」
「…………」
「ですが!」
光秀は顔を上げた。
「当店の『特製本能寺ホットサンド』を食べた後の口直しには、武田の茶が持つ、あの強烈な渋みと深いコクが絶対に必要なんです!」
勝頼の目がわずかに動いた。
「他の茶葉ではダメなんです!」
「…………」
「あなたの茶葉でなければ、本能寺の味は完成しない!」
それは、毎日胃を壊しながらも店の味を守り続けてきた、一人の店長としての嘘偽りない本心だった。
本願寺が茶葉を『商品』として見るのに対し、光秀は『作品の一部』として見ている。
勝頼は、しばらく黙っていた。
やがて、窓の外の広大な茶畑へ目を向ける。
「……ふん」
小さく息を吐いた。
「親父なら、もっと上手くお前たちを転がして、利益を絞り取っただろうな」
「勝頼殿……」
「だが、俺は俺だ」
勝頼は三本の指を立てた。
「全量は無理だ」
一本。
「本願寺との契約もすでに進んでいる」
二本。
「だが――」
三本目。
「三割」
「!」
「三割だけなら、今まで通りの価格で卸してやる」
「勝頼殿……!」
「本能寺のホットサンドの味が落ちるのは、俺も惜しいからな」
光秀は涙ぐみながら深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!!」
佐々成政は黙ってその光景を見ていた。
やがて、短く息を吐く。
「……どうやら、遭難だけは免れたようだな」
「遭難って……」
光秀が苦笑する。
「今回は本当に山から帰ってこられたんですね」
佐々は小さく頷いた。
「だが」
「はい?」
「まだ下山が残っている」
「…………」
光秀の笑顔が消えた。
「それ、嫌な予告ですよね?」
◆【そして、次なる壁】
夕刻。
ボロボロに疲弊した光秀と佐々成政は、喫茶『本能寺』へと帰還した。
「……報告します」
光秀がフラフラになりながら報告する。
「完全勝利とはいきませんでしたが、浅井殿とは契約維持。朝倉殿とは未払いを棚上げしての現状維持。武田殿からは一部の供給を確保しました」
信長は満足げに頷いた。
「本願寺の完全独占は防いだというわけだな」
「はい……」
「成政」
「ハッ」
「貴様には引き続き『購買部』を任せる」
「承知しました」
「今後も一円でも安く、奴らから仕入れをもぎ取ってこい」
「ハッ」
佐々は胸を張った。
「……次は、朝倉殿の未払いを帳消しにする交渉から始めます」
「やめて!」
光秀が即座に叫んだ。
「朝倉殿が泣いちゃうから! ちゃんと払って!」
その直後。
厨房から顔を出した秀吉が、恐る恐る手を挙げた。
「あのー、お館様。明智殿」
「なんだ、秀吉」
「仕入れの契約ができたのは素晴らしいんですが……」
秀吉の顔が引きつる。
「一つ、重大な問題があります」
「問題だと?」
「浅井農園も、朝倉ファームも、武田茶園も……」
秀吉はスマホを見ながら言った。
「本願寺が地元の運送業者を全部金で囲い込んじゃってて」
「…………」
「うちの分の荷物を運んでくれるトラックが……」
秀吉は、ゆっくり顔を上げた。
「一台もありません」
沈黙。
光秀の胃の奥で、何かがパチンと弾ける音がした。
「……は?」
「商品は農園にあるんですが、この店まで持ってこられないんです」
「…………」
「つまり、明日の朝には材料ゼロです」
買えばいいというものではなかった。
巨大企業・本願寺の包囲網は、すでに【物流】という血管までを完全に抑え込んでいたのだ。
「あ、あ、あああ……」
光秀が白目を剥いて倒れそうになる。
その横で、佐々成政がゆっくりと立ち上がった。
「……なるほど」
「何です?」
「本当の山は、ここだったか」
「お願いですから、今は山に例えないでください……」
しかし信長は、全く慌てることなくニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「運ぶ奴がいないなら――」
信長は厨房の奥へ目を向けた。
「世界で一番速く運べる奴を呼べばいいだけのことよ」
「誰か、いるんですか……? そんな都合のいい人間が……」
「いるさ」
信長がニヤリと笑った。
「……おい、来ているか?」
厨房の奥から、声が響いた。
「――お呼びでしょうかァァァッ!!」
ドガァァァン!!
店の裏口のドアが、物理的に吹き飛んだ。
「なっ!?」
光秀が飛び上がる。
そこへ――。
巨大な段ボール箱を両肩に担ぎ、異常な速度で店内へ滑り込んでくる男。
「物流なら、お任せくだされぇぇぇ!!」
佐々が男を見る。
「……速い」
「そこじゃない!!」
光秀が叫ぶ。
「なんでドアを壊したんですか!!」
こうして。
購買戦を制した本能寺に、今度は物流という新たな戦場が生まれた。
そして佐々成政は、まだ知らなかった。
この先に待つのが――
自らがこれまで越えてきたどんな峠よりも険しい、物流という名の山であることを。
(第6話「滝川一益、爆走物流」へ続く)




