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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
序章 本能寺の日常

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第3話「秀吉のワンオペと迫る足音」


第三話「秀吉のワンオペと迫る足音」


「……これ、ちょっと客が増えすぎとらんか?」


早朝の喫茶『本能寺』の厨房。


カウンターの端でコーヒー豆の袋を抱えたまま、バイトリーダー・羽柴秀吉は半目になって呟いた。


昨日の昼休み、ポルトガル人会社員のルイス・フロイスが、店内で起きたボヤ騒ぎと真っ赤な火柱を撮影した。


写真と動画は瞬く間に拡散。


『清須の火柱喫茶』『狂気の爆発ホットサンド』が、スマートフォンのトレンド欄を埋め尽くしていた。


「開店前だというのに、もう表に三十人以上並んどりますよ……」


秀吉が窓の外を見る。


「明智殿。俺たちの命は、今日までかもしれません」


「縁起でもないことを言うな、秀吉」


店長の明智光秀は、青ざめた顔で仕込みの手を動かしていた。


胸ポケットから胃薬を取り出し、三錠まとめて口に放り込む。


「確かに客は増えた。だが問題はそこだけじゃない」


「え?」


「信長様が、客が増えたからと――より多くの人間に食わせるための新メニュー開発に手を出してしまったんだ」


光秀は厨房の奥をちらりと見る。


そこには、巨大な第一世代本能寺オーブンが鈍い黒光りを放ち、異様な気配で鎮座していた。


「自分の料理を、もっと多くの人間に食わせられると目を輝かせてな」


「……ああ」


秀吉が深いため息をつく。


「そういう人でしたな、あの人は」


◆


「おい秀吉!」


厨房の作業台には、分厚く切られた食パンが並んでいた。


その隣には、卵、牛乳、砂糖、そしてバター。


「これを見ろ!」


「はいはい。いつものフレンチトーストですな」


「違う!」


厨房の奥から信長が怒鳴った。


「『いつもの』ではない!」


黒いエプロン姿の信長が、焼き上がった一枚を持ち上げる。


「パンは特注品だ。五センチ厚の食パンを、卵と牛乳と三温糖を黄金比で合わせた特製液に丸一日沈めてある。表面は砂糖を焦がして薄い飴状の殻を作る!」


「朝からまた始まった……」


光秀が頭を抱える。


信長はそんな光秀など完全に無視して、フレンチトーストを真剣な目で見つめていた。


「外はパリッと。中は、舌で押せば崩れるほど柔らかく」


包丁を入れる。


サクッ。


その内部から、湯気とともに卵液の甘い香りが立ち上った。信長の口元がわずかに緩む。


「……これだ」


「信長様、朝から試作を何枚食べたんです?」

「十三枚だ」


「食べすぎです!」


「まだ完成していない!」


信長は真顔だった。


「あと二秒、焼きが足りん」


「そこなんですか!?」


信長はフレンチトーストを睨みつける。


「この一秒、この一秒が味を変える。表面の飴は香ばしく、中の卵液は熱を保ったまま――」


完全に料理の世界へ入り込んでいる。


秀吉は呆れたように息を吐き、腕を組んだ。


「ほんじゃ、その『信長様渾身のフレンチトースト』を、どうやって長蛇の列を成している客に食わせるんです? 具体的に、焼く前までどうやって作っとるんですか」


信長は作業台の端へ秀吉を引き寄せると、並べられた食材と道具を乱暴に指差した。


「よく見ろ。五センチ厚の食パンは、特製液に丸一日沈めてある。パンの芯まで卵液を吸わせねばならん」


信長がバットから、ふるふると崩れそうな極厚パンをトングで慎重に持ち上げる。


「取り出したら、余分な液を三秒だけ切る。あらかじめバターを敷いた専用耐熱皿にパンを置く。そして――ここが肝だ。焼く直前、表面全体へ細粒のグラニュー糖を一筋の隙間もなく均一に撒く。厚すぎれば焦げ、薄ければ飴の殻にならん。この状態に仕上げて初めて、オーブンに放り込める!」


秀吉は信長の手元を凝視した。


液から上げる、余分な液を切る、皿に移す、砂糖を振る。


頭の中で工程を組み替えていく。


「なるほどな……。液から上げて皿に乗せ、砂糖を振る。要は、信長様がオーブンに放り込む直前の状態までを誰かが作って渡しさえすればいいわけですな」


「そうだ。だが、俺が下ごしらえから皿への移し替えまで一人でやっていては、到底客の波には追いつかん」


「……それを考えるのがお前の仕事だろう」


「ですよねぇ!」


秀吉はニヤリと笑い、腕まくりをした。


「信長様はオーブンの前に張り付いて、最高の火入れだけに集中してくだされ。焼く直前までの段取りを俺が完璧に整えます!」


「ほう?」


「料理を考えるのも、最後に命を吹き込むのも信長様。俺は、そのバトンを一秒でも早く繋ぐ道を作るだけです」


「頼んだぞ」


信長は真剣な顔で頷いた。


「ただし、味は絶対に落とすな」


「そこは任せてくだされ!」


◆


そして――開店直前。


「完成ですわ!」


秀吉が作業台をパンと叩いた。


「名付けて、『十五秒・本能寺直通リレー』!」


「……どういう仕組みだ?」


光秀が眉根を寄せて尋ねる。秀吉は整然と並べられたバットと器具を指差した。


「注文が入ったら、仕込み済みのパンを専用トレイから取り出し、あらかじめバターを敷いた角皿に乗せる。最後に表面へグラニュー糖を均一に散布――一皿十五秒で、焼成直前の状態に仕上げて信長様へ渡します!」


「焼くまでの時間を十五秒に縮めたのか」


「違いますわ。信長様が焼く直前までの段取りを、一皿につき十五秒で完結させるんです!」


秀吉はオーブン前の作業台を指差した。


「本能寺オーブンなら、五センチの極厚パンだろうと内部まで数秒で一気に熱を通せます。問題はオーブンに届くまでの段取りでした。だからこそ、仕込み台の角度を変えて歩数をゼロにしました。信長様には、仕込みも移動もさせません。最高の火入れだけに集中してもらいます!」


秀吉はさらに光秀を振り返り、淀みなく指示を飛ばした。


「俺が厨房で仕込み台からパンを流し続けます。明智殿は店長としてホールを統括し、注文の整理と配膳を。厨房が破綻しそうになったら、そのときだけ補助に入ってくだされ!」


「わ、分かった……!」


圧倒的なバイトリーダーの気迫に、店長が思わず頷く。


信長が腕を組んで言った。


「十五秒で届けるか。良いだろう。俺は最高に美味い火を入れる。お前たちは、それを最高の状態で俺の手元へ届けろ」


「任せてくだされ!」


秀吉が力強く請け負う。


その横で、光秀だけが窓の外を指差して青ざめていた。


「……いや、二人とも待て。表を見ろ」


秀吉と信長が窓を見る。


開店前だというのに、店の前には長蛇の列。


三十人。


五十人。


八十人。


そして――百人。


「……」


秀吉の頬が引きつった。


「多すぎません?」


光秀がポケットの胃薬を握り締める。


「だから言っただろう……」


『カァァァァァァン!!』


八時を告げる時計の鐘が店内に響き渡った。


「いらっしゃいませェェェッ! 本能寺開店です!!」


バターン!


扉が押し開けられ、怒涛の客集団がなだれ込んでくる。


「すいませーん! ネットで見たフレンチトースト!」


「こっちモーニング三つ!」


「コーヒーまだ取れないの!?」


怒号のような注文がフロアを埋め尽くす。


「明智殿、ホールを頼みます!」


「了解した、頼むぞ秀吉!」


光秀がフロアへ飛び出し、秀吉は厨房の仕込み台へ滑り込んだ。


配置換えの効果は絶大だった。


秀吉は仕込み済みのパンをトレイから取り出し、バターを敷いた角皿へ移す。


左手で砂糖を均一に散布しながら、すでに次の皿へと手を伸ばしていた。


一歩も移動せず、流れるような連続動作だけで次々とパンを処理していく。


――ジャスト十五秒。


「信長様、次入ります!」


バトンを渡すように、焼成直前の皿をオーブン前の信長へ差し出す。


「よし!」


信長がそれを受け取り、真っ赤に口を開けた第一世代本能寺オーブンへと滑り込ませた。


ゴォッ!


熱風が信長の黒エプロンを揺らす。


超常的な熱量が、わずか数秒で五センチ厚のパンの芯まで一気に熱を通していく。


信長は鋭い眼光で、オーブンの炎とトーストの表面を見据えた。


「……あと二秒、いや、一秒……今だ!」


引き出されたトーストは、表面が黄金色の飴の殻に覆われ、内部からは熱い湯気が立ち上っていた。


外側はパリッと香ばしく、内側は卵液を含んでとろけるように柔らかい。


完璧な焼き上がりだった。


「十五秒。見事だ、秀吉」


信長が皿を上げながら言った。


「へへっ! これなら百人でも――」


「ただし、砂糖が薄い」


「……はい?」


信長はオーブンの火を見つめたまま、鋭く言い放った。


「コンマ一ミリだ。飴の殻の強度が落ちる」


「褒めた直後に追加条件を出すなァァァッ!!」


「コンマ一ミリのズレで食感が死ぬ! 死んだ料理を客に出す気か!」


「客が百人並んどるんですわァァァッ!!」


信長はオーブンの熱気のなかから怒鳴り返した。


「だからこそだ! 百人全員に、極上のものを食わせるんだろうが!」


「……!」


秀吉が一瞬、息を詰まらせる。


「……チクショウ分かりましたわ!」


砂糖の匙を握り直す。


「コンマ一ミリ、完璧に合わせます!」


「よし!」


秀吉が正確無比に砂糖を振る。


信長がオーブンの熱を操り、極限の火入れを行う。


二人の動きが完全に噛み合っていく。


「焼き色、完璧!」


「よし!」


「次!」


「任せろ!」


凄まじい回転率でフレンチトーストが焼き上がり、フロアへ運ばれていく。


しかし――。


客の列は減らない。むしろ、さらに伸びている。


「……おい」


秀吉が窓の外を盗み見る。


「なんで列が増えとるんですか?」


配膳から戻った光秀が、震える声で答えた。


「美味すぎるフレンチトーストの画像がSNSにリアルタイムで流れて……さらに人が集まっているんだ……」


「…………」


秀吉の額に冷や汗が吹き出す。


「俺の十五秒リレーでも……追いつかん」


だが、そのときだった。


厨房の奥から、


『ゴォォォォォォォォッ!!』


地鳴りのような轟音が響き渡る。


第一世代本能寺オーブンが、秀吉の怒りに呼応して唸りを上げた。


炎が赤々と燃え上がり、温度計の針が一気に跳ねる。


暴れ馬のような熱量。


だが、信長は怯まなかった。

獰猛な笑みを浮かべ、荒れ狂う炎の中でトーストの位置を瞬時に調整する。


数秒後、引き出されたトーストは、表面の飴の殻まで均一な黄金色に染まっていた。


「……火力が桁違いに上がったのに、焼きムラが一切ない……!?」


光秀が絶句する。


秀吉の怒りで暴れ出した熱を、信長は料理人の技量だけでねじ伏せていた。


信長が振り返る。


「秀吉」


「はい?」


「お前、怒っているな?」


「……そりゃ怒りますわ!」


秀吉が叫ぶ。


「俺が必死こいて十五秒で完璧なパンを渡しても、客が次から次へと押し寄せてくるんですよ!? 俺は一人しかおらんのですぞ!」


『ゴォォォォォォッ!!』


さらに猛るオーブン。


供給される熱量を信長が次々と完璧な火入れへと変換し、焼き上がりの速度が異次元の領域へ突入していく。


「……俺の、怒りですわ」


秀吉が呆然と呟く。


「俺が必死に現場を回して、信長様の無茶なこだわりに腹を立てれば立てるほど……こいつが元気になって、信長様がさらに美味く焼き上げる」


「最悪の地獄循環じゃないか!!」


光秀の悲痛なツッコミが厨房に響き渡った。


しかし。


「違うぞ」


信長が言った。


「地獄ではない」


二人が振り返る。


信長は、燃え盛るオーブンを見つめていた。


その顔には、料理人としての純粋な喜びが浮かんでいる。


「最高の仕込みを受け取り、この滾る熱をねじ伏せて最高の火を入れ、客に食わせる」


信長はニヤリと笑った。


「これほど面白いことがあるか?」


秀吉の顔が引きつった。


「……明智殿」


「なんだ」


「この人、やっぱり狂っとりますわ」


「今さら気づいたのか……」


秀吉は、厨房の壁掛け時計をちらりと見た。


開店から四十分。


処理した注文数は、すでに想定を遥かに超えていた。


それでも、仕込み台は整然と保たれ、焼成直前のパンは途切れることなく信長の手元へ流れていた。


――オペレーションは、まだ崩れていない。


崩れているのは、店の常識と、店長の胃と、そして店主の理性だけだった。


秀吉が現場を支えれば支えるほど、信長は料理にこだわる。


料理が美味くなれば客が増え、忙しさが秀吉の怒りを呼ぶ。


そして、その怒りがオーブンをさらに熱くする。


止める者は、誰もいない。


狂気の喫茶『本能寺』が、再び限界へ向かって走り始めた瞬間だった。




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