喫茶厨房本能寺編 第一章:漆黒のスタートアップ 第三話:「認められたい坊主が店を出した。」
第一章:漆黒のスタートアップ
第三話:「認められたい坊主が店を出した。」
「……俺たちのモーニング、全国チェーンになりましたね」
「利益は?」
「ゼロです」
「……胃薬」
ポイ、と放り投げられた錠剤を、店長の明智光秀は水も飲まずに空中でキャッチし、そのまま喉の奥へと放り込んだ。
秋風が吹き抜けるオフィス街。喫茶『本能寺』の店内には、葬式のような重苦しい静寂が漂っていた。
それもそのはずである。つい先週、万能バイトリーダーの羽柴秀吉が血反吐を吐いて完成させた『三十秒提供・超極厚フレンチトースト』の完璧なオペレーションは、オーナーである織田信長の幼馴染、徳川家康によって権利ごと根こそぎ買い叩かれたのだ。
今や『江戸屋モーニング』と名を変えたそのメニューはメディアで大絶賛されているが、本家本元である喫茶本能寺には一銭も入ってこない。
「……まあ、いいさ。あれはあれで終わったことだ」
光秀は手元のタブレット端末に目を落とし、深くため息をついた。画面には、秀吉の現在のステータスが表示されている。
「今日は客足も落ち着いているし、君の【怒りゲージ】も安定の30%だ。ワンオペの負担も少ない。これで平穏な純喫茶として営業できれば、僕の胃潰瘍も少しはマシに――」
ガガガガガッ!! ドッカン、ドッカン!! ギュイィィィン!!
光秀のささやかな願いは、隣の空きテナントから突如響き渡った、鼓膜を破るような凄まじい重機とドリルの音によって粉砕された。
「な、なんだ!? 地震か!? それともオーナーが店を爆破しに来たんですか!?」
「いや、お館様は爆破する前に必ず宣戦布告のLINEをしてくる! とにかく外へ!」
二人が慌てて店の外へ飛び出すと、隣のビルの一階で数十人の職人たちが恐るべきスピードで内装工事を進めていた。
黒漆塗りの重厚な柱に、本物の竹林を模した風情ある庭園。そして店の上部にドドン! と掲げられた、燦然と輝く巨大な看板。
『和モダン極楽和菓子喫茶 本願寺カフェ』
「ほんがんじ……カフェ……!?」
「やあ、お隣さん。騒がしくして申し訳ありませんね」
振り返ると、工事現場の前に一人の男が立っていた。
真っ白な法衣を現代風にアレンジした洗練されたエプロン姿。整った目鼻立ちに気品を漂わせる美男子だ。
「今日からこちらで営業させていただくことになりました、本願寺顕如と申します。以後、お見知りおきを」
男は完璧な所作で一礼し、優雅な笑みを浮かべた。
「き、顕如様!? なぜ超大手のトップがこのようなオフィス街の片隅に!?」
光秀の動揺をよそに、顕如はふっと目を細め、本能寺の看板――特に「オーナー・織田信長」の文字を強すぎる眼光で見つめた。
「……信長殿が、ここで喫茶店を始めたと聞いたからです」
「は……? オーナーにご用で?」
「私は、あの男に『勝つ』ためにここへ来ました」
「はあ」
「私は、あの方の常識を破壊するビジネス手法、圧倒的なカリスマ性に、長年深く、深く魅了されてきました」
「あー……」
「ですが! あの方はいつも私を『生真面目なだけのつまらん坊主』と鼻で笑う! それが許せない……!」
顕如は天を仰ぎ、まるで舞台役者のように声を張り上げた。
「私があの方以上の革新と洗練を見せつけ、信長殿の口から直接『顕如、お前こそが最高のライバルだ』と認めさせてみせる! そのためだけに、この店を作りました!!」
(め、面倒くさい巨大感情を抱えた奴が隣に来たァァァ!!)
光秀は心の中で絶叫し、胃のあたりを強く押さえた。
「信長殿が『怒りの炎上ホットサンド』などという野蛮な品を出しているなら、私は極上の『静寂と癒やしの精進パフェ』で対抗します。言い訳はさせませんよ……フフフ」
顕如は自信に満ちた笑みを残し、竹林の庭園へと消えていった。
数時間後。
その日のランチタイム、『本願寺カフェ』はグランドオープンを迎えた。
超大手グループの資本力を結集したその店の破壊力は凄まじかった。看板メニューである『特製・黒ごまと高級抹茶の豆腐精進パフェ』は、砂糖を極力使わず最高級素材の甘みだけで仕上げた芸術品のような逸品。
さらに、作務衣を着こなしたイケメン僧侶たちによる、洗練を極めた丁寧すぎる神接客。「心が洗われる」「推し僧侶が見つかる」とSNSで一瞬にして情報が拡散され、本願寺カフェの前には長蛇の列ができ上がった。
そして――喫茶『本能寺』の客足は、完全に途絶えた。
「明智殿ぉぉぉ! 客が! 客が一人も来ません!!」
「マズい……! 客が来ないとクレームも起きない! クレームが起きないと秀吉の【怒りゲージ】が上がらない!」
「怒りが上がらないと、鉄板が冷え切って、万が一オーダーが来てもホットサンドが焼けないという悪循環です!」
本能寺の厨房設備は、ガスや電気ではなく従業員の『怒り』を熱源とする特殊仕様だ。客からの理不尽な要求や過酷な労働によるストレスこそが、この店の動力源なのである。
「ブラック企業なのに、ブラック労働が発生しないと店が機能停止するなんて……!」
光秀が絶望した、まさにその時。
カランコロン!
「おい光秀ぇぇぇ!! 隣の生真面目坊主の店はなんだ!! 列が余の店の入り口まで塞いでおるではないか!!」
オーナーの織田信長が、怒髪天を衝く勢いで踏み込んできた。
「お、オーナー! お隣に本願寺カフェがオープンいたしまして……客を根こそぎ奪われております!」
「ぬううう! 顕如め、生意気な! よし、余が自ら敵情視察してきてやる! 待っておれ!」
言うが早いか、信長は猛然と隣の店へと乗り込んでいった。
「あ、オーナー!? 相手は顔見知りの顕如様ですよ!? 追い出されますって!」
光秀の制止も聞かず、信長は本願寺カフェの列に強引に割り込み(なぜか僧侶に神接客で通され)、店内へと消えていった。
数分後。
「……悔しいが、美味いぞあの抹茶パフェ」
「普通に堪能して帰ってこないでください!!」
口の周りに見事な緑色の抹茶ソースをつけ、手にテイクアウトカップを持った信長が、ものすごく不機嫌そうな顔で戻ってきた。
「豆腐の滑らかな舌触りに、宇治抹茶の深い苦味……黒ごまの香ばしさもいい。甘さ控えめなのも絶妙だ。……ええい、腹立たしい!!」
「なんでちょっと的確な食レポしてるんですか!」
信長はドンッ! とカップをカウンターに叩きつけ、逆ギレしながら壁を思い切り殴った。
「光秀! 今すぐ対抗メニューじゃ! 奴らが『癒やしと精進料理』なら、我が本能寺は『激辛ファイヤーフード』! 食べた客が全員口から火を吹くようなハバネロホットサンドを出せ!」
「無茶です! そんな劇物を出したら保健所が飛んできます!」
「黙れ! 顕如ごときに売上で負けるなど万死に値する! 秀吉ぃ! 今すぐハバネロ百個の仕込みに取りかかれ!!」
「えぇぇぇっ!?」
信長の絶対的な命令により、秀吉はまな板の前に立たされ、山盛りの凶悪な赤い果実を刻む作業を強制された。
「痛い! 痛いぃぃ! 換気扇回しても空気が辛い! 涙と鼻水が止まらねぇぇ!」
理不尽な労働環境と粘膜への強烈な刺激により、秀吉の蓄積されたストレスが爆発する。
【羽柴秀吉:怒りゲージ 80%……85%……(急上昇)】
「よし! いい怒りだ秀吉! お前の怒りで、本能寺オーブンの鉄板が赤く染まってきたぞ!」
「お館様! 秀吉殿の怒りは上がりましたが、そもそも客が一人も来ないんです! 鉄板だけ熱くしても、頼む客がいないんですよ!」
光秀がツッコミを入れた、その時。
カランコロン、と涼やかなベルの音とともに、ドアがスッと開いた。
「やあ、信長殿。お隣からご挨拶に伺いましたよ」
本願寺顕如が、優雅な足取りで入店してきた。
「顕如……! 貴様、余の庭で好き勝手やってくれたな!」
「ふふ、お互い切磋琢磨しようではありませんか。ところで信長殿……お客様が来ないようですが、よろしければ我が店から『精進和菓子』の余剰分をお分けしましょうか? 助け合いですよ。それとも、あなたのその『怒り』で焼いた黒焦げのパンの方がお好みですか?」
最高に煽り性能の高い、完璧な笑顔での挑発。
「…………っ!!」
信長の額に、バチバチッ! と青筋が浮かび上がった。
「誰が貴様などの恵みを受けるかぁぁぁ!! 光秀! ハバネロサンドの価格を半額にしろ! 利益ゼロで叩き潰してやる!!」
「やめてください! 利益ゼロどころか、ハバネロの原価が高すぎて赤字です! 店が潰れます!」
「……ほう、安売りですか」
顕如は哀れむような目で信長を見た。
「ルール無用の暴走。追い詰められると手段を選ばない……実に信長殿らしい。ですが私は、妥協なきクオリティと適正価格であなたを圧倒してみせますよ。……どちらが正当な経営者か、白黒つけようではありませんか」
顕如は勝ち誇った笑みを残し、静かにドアを閉めて自分の店へと戻っていった。
……。
チクタク、チクタク。
顕如が去った後の喫茶本能寺には、壁掛け時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いていた。
嵐の前の、不気味な静寂。
外の行列の喧騒とは裏腹に、店内には客が一人もいない。
しかし――秀吉の怒りだけは、ハバネロの刺激と理不尽な状況によって順調に蓄積し続けていた。
【羽柴秀吉:怒りゲージ 95%……97%……】
ゴゴゴゴゴ……。
誰も注文していないのに、厨房の『本能寺オーブン』から、行き場を失った熱気が地鳴りのように漏れ出し始める。
「……光秀ぇぇ!」
静寂を破り、信長が血走った目で叫んだ。
「ハバネロを追加仕入れだ! 顕如をギャフンと言わせるまで、営業を止めるなァァっ!」
「ひええええ! 明智殿、助けてぇぇぇ!! 俺の怒りが98%から下がりませんんん!! 放熱させて! 何か焼かせてぇぇ!!」
「ダメだ秀吉、耐えろ! 客がいないのに焼いたら材料の無駄だ!」
(顕如様……お願いですから、信長様を刺激しないでください……! 巻き込まれる僕たちの身にもなってくださいぃぃぃ!!)
狂気のブラック喫茶店vs超大手の洗練カフェ。
鳴り響くサイレンの幻聴を聞きながら、中間管理職・明智光秀は、シート状の胃薬を一度に三錠、水なしで飲み下した。
――明智光秀の胃は今、歴史上最大の危機を迎えていた。




