喫茶厨房本能寺編 第一章:漆黒のスタートアップ 第二話:「努力は、徳川が全部食べました」
第一章:漆黒のスタートアップ
第二話:「努力は、徳川が全部食べました」
「秀吉、生きているか?」
「半分だけです……」
早朝の『喫茶本能寺』厨房。明智光秀の問いかけに、万能バイトリーダー・羽柴秀吉は魂が半分抜けたような顔で答えた。
昨日のボヤ騒動で秀吉のメンタルと体力は完全にすり減り、光秀の手元にあるタブレットには【秀吉HP:1】【残機:0】【有給:存在しません】と不穏な赤アイコンが点滅している。
「大丈夫です明智殿! 俺が倒れたらこの店、一瞬で回らなくなって物理的に全焼しますからね! ガハハ、俺は死ぬまで働きますよぉ……!」
「痛々しいから笑うな。だが実際、君が休むと開店前にこの店が本能寺になる……」
光秀が深く胃を痛めていたその時、カランコロンとどこか優しげな店内ベルの音が響いた。
入ってきたのは、上質なスリーピーススーツを着こなし、終始穏やかな笑みを浮かべた男だった。
「やあやあおはよう。信長殿はおるかな?」
「あ、あなたは……『徳川ホールディングス』の徳川家康社長!?」
徳川家康。オーナーである織田信長の幼馴染だ。
「これは徳川様。オーナーは本日不在でして……」
「そうかそうか。いやなに、信長殿がまた変な店を始めたと聞いてね。相変わらずあのお方には昔から振り回されてばかりだから、様子を見に来たのだよ」
家康は親しみやすい笑顔のまま、酷使されてフラフラの秀吉と、胃薬の箱を抱えた光秀の姿を目に留めると、心底同情したように溜め息をついた。
「……明智殿。相変わらず苦労しているね。信長殿の無茶振りに付き合うのは命がいくつあっても足りんよ。どうだい? 限界を感じたら、いつでも我が社に来るといい。完全週休二日制だし、胃薬代も福利厚生で全額落とせるぞ?」
「と、徳川様……っ!」
光秀の心が激しく揺れ動く。悪魔の囁きならぬ、天使の転職スカウトである。
「明智殿! 騙されちゃダメです! あの人はどんな泥沼事業でも最終的に全部黒字にして持っていく、一番計算高いお方なんですから!」
すかさず割り込んできた秀吉に、家康は「ハハハ、羽柴殿は相変わらず鋭いね」と苦笑いしながら扇子をパチンと鳴らした。
「時に明智殿。せっかく来たのだ、信長殿の『モーニング事業』の進捗を聞かせてもらえないかね?」
実は数日前、信長は「名古屋のモーニングを破壊的イノベーションする!」と言い出し、『超極厚フレンチトースト〜怒りのキャラメリゼ添え〜』というアイデアだけを放り投げて姿を消していたのだ。
光秀が青い顔でタブレットを見せる。
「【朝の売上目標:百万円】【調理時間:一分以内】という無茶苦茶な条件だけ置かれていまして……オペレーション構築が不可能です」
「うーむ、相変わらずの無茶振りだ」と家康が首を振ったその時、秀吉の目がギラリと光った。
「明智殿……俺にやらせてください! オペレーション構築なら俺の得意分野です! お館様に『使えん奴』と思われるくらいなら、寝ずにマニュアルを作ってみせますよ!」
秀吉の【社畜魂】が異常燃焼を始めた。
そこから四十八時間。
秀吉は一秒も眠らなかった。
仕込み手順を秒単位で削り、パンの仕入れルートを独自開拓する。しかし最大の難関は、火力の調整だった。
自分の【怒り】を熱源にする鉄板は少しでも感情がぶれると温度が乱れ、フレンチトーストは炭塊と化す。
「ダメだ! これじゃ表面しか焼けない……! 怒りを68%に固定しつつ、パンを3秒ごとにスライドさせるんだ……!」
厨房には、失敗して黒焦げになったフレンチトーストの山が築かれていった。血吐く思いで試行錯誤を繰り返し、50枚目の炭を産み落としたところで、ついに秀吉は完璧な『怒り熱源スライディング調理法』と寸分の狂いもないマニュアルを完成させたのである。
――三日目の朝。
『超極厚フレンチトースト』は爆発的大ヒットを記録していた。
外はカリッと香ばしく、中はとろける濃厚さ。しかも注文から三十秒で提供される驚異のオペレーションにより、レジの売上メーターは勢いよく百万円を突破した。
「や、やった……! やりましたよ明智殿ぉぉっ!」
燃え尽きた炭のようになりながら歓喜の声を上げる秀吉。
「見事だ秀吉! これでお館様にも面目が立つ……!」
二人が涙ぐんだまさにその時、カランコロンと絶妙なタイミングで家康が爽やかな笑顔で現れた。
「やあやあ大盛況だね羽柴殿! 外の行列も見せてもらったよ」
「徳川様! 見てください、俺が睡眠時間を削って作った完璧なマニュアルです!」
「いやあ素晴らしい。……実はね羽柴殿、たった今、信長殿から連絡があってね」
家康は懐から一枚の書類を取り出した。
「『モーニングのオペレーションが完成したなら、もう飽きた。枠組みごと家康に売る』……とのことだ」
「……はい?」
秀吉の動きが止まる。
家康は手にした【モーニング事業譲渡契約書】を卓上に滑らせた。
「我が『徳川ホールディングス』が、このモーニングの権利、仕入れルート、そして羽柴殿のマニュアルを完全パッケージとして丸ごと買い取らせてもらったよ」
「え……ええええぇぇぇぇっ!???」
秀吉の悲鳴が店内に響き渡った。
「僕が二日間不眠不休で作ったマニュアルですよ!? 黒焦げの山を作って血反吐吐きながら完成させたのに、丸ごと持っていくんですか!?」
「まあまあ羽柴殿。一番リスクが高い立ち上げを信長殿(と羽柴殿)にやってもらい、美味しく実ったところを我が社が回収する……これぞ最高のビジネスモデルだと思わないのかね?」
「ずるい! ずるすぎるぅぅぅ! 徳川様、アンタ悪魔だぁぁぁっ!」
号泣して地べたに転がる秀吉。家康は「いやあ苦労させたねぇ」とニコニコしながら、秀吉の頭上にポンと【徳川高級栄養ドリンク】を置いた。
「面倒な朝のオペレーションは我が社が引き取るから、君たちは少し休むといい。……では失礼するよ。モーニングの権利、美味しくいただくね」
一番美味しい『棚からボタ餅』を完璧な手際で回収し、爽やかに去っていく家康。
燃え尽きて灰になった秀吉と光秀が呆然と佇んでいると――プルルルル! と厨房の固定電話がけたたましく鳴り響いた。
光秀はビクッと肩を跳ね上げ、震える手で受話器を取る。
「は、はい……喫茶本能寺です……」
『光秀ぇ! 家康に売った金で、次は寿司屋をやるぞ!』
受話器の向こうから、信長の高らかな声が響いた。
「す、寿司屋ですか!? 喫茶店はどうするんですか!?」
『両方やるに決まっておろう! 安心しろ、回転寿司ではない。回るのは客だ!』
「意味がわかりません!!」
ガチャリ、と容赦なく切られる電話。
莫大な資金を手に入れたオーナーによる、次なる地獄の開幕。
光秀は崩れ落ちながら、新しい胃薬の箱を力任せに引きちぎった。




