喫茶厨房本能寺編 第一章:漆黒のスタートアップ 第一話:「狂気と労働とバイトリーダー」
第一章:漆黒のスタートアップ
第一話:「狂気と労働とバイトリーダー」
「本日の死者は、まだゼロである」
店長の明智光秀は、胸ポケットから取り出した胃薬を水なしで呑み込みながら、静かにそう確信した。
「いらっしゃいませ……喫茶『本能寺』へ、ようこそ……」
オフィス街の片隅に佇む『喫茶本能寺』。
一見レトロな純喫茶だが、この店の厨房にはガスも電気も通っていない。名物「特製本能寺ホットサンド」を焼き上げる熱源は、従業員たちが過酷な労働で溜め込んだ純度百パーセントの【怒り】である。
怒りが高まるほど鉄板は極上の火加減になるが、限界の100%を超えると店が物理的に燃え上がる、狂気のチキンレース。
「すいませーん! 注文した小倉トーストまだ!?」
「あ、こっちお冷やのおかわり!」
ランチタイムのピーク。店内には容赦ないオーダーとクレームが飛び交っていた。
「ただいまお持ちしますゥゥゥ!」
凄まじい残像を残しながらホールを疾走しているのは、万能バイトリーダーの羽柴秀吉だ。
有能すぎるがゆえにすべての穴埋めをさせられ、常にワンオペ限界状態で店内を回されている。理不尽な労働環境へのストレスで、秀吉の額に青筋が浮かんだ。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
その瞬間、厨房の鉄板から地鳴りのような音とともに、激しい炎と熱気が吹き出した。
「明智殿ォォォ! もう無理! なんで俺ばっかりこんな理不尽な目にぃぃっ!?」
「耐えろ秀吉! 今お前の怒りゲージは90%だ! ホットサンドにとって最高の火加減になっている!」
光秀は手元のタブレット数値を睨みつけながら、的確な指示を飛ばす。
「あと3セット焼けるまで、その怒りをキープしろ! 鉄板の温度を下げるな!」
「鬼ですかアンタはぁぁぁ!」
悲痛な叫びとともに、極上のホットサンドが次々と見事な手際で焼き上がっていく。
「よし、オーダー消化! 秀吉、今すぐ厨房の休憩スペースへ下がって深呼吸しろ! これ以上怒りが溜まって100%を超えたら、店が物理的に全焼する!」
「は、はいぃぃっ! 助かったぁぁ!」
光秀の完璧なシフト管理と、ミリ単位のヘイトコントロール。
秀吉が裏に下がって息を整えると、鉄板の恐ろしい火力も徐々に落ち着きを取り戻していった。
「ふぅ……なんとか今日のランチタイムも乗り切ったか……」
光秀は手元の時計に目を落とした。予定より二分早い、見事な采配である。
(今日もなんとか、この店は生き延びた……)
確かな手応え。静けさを取り戻した店内に訪れた、束の間の平和。
光秀が深く安堵の息を吐き出した、まさにその時だった。
『ピンポンパンポーン。本日のオーナー来店確率、0.2%』
店内の防災スピーカーから、無機質なアナウンスが流れた。
バックヤードで休んでいた秀吉が、すさまず両手を合わせて拝み始める。
「今日だけは……今日だけは来ませんように……!」
「フラグを立てるな秀吉」
カランコロン!
「光秀ぇ」
「「「来たぁぁぁぁぁ!!!」」」
絶望の叫びが店内に響く。
黒いコックコートに身を包んだ絶対的オーナー・織田信長が、大股で厨房へ踏み込んできた。
「光秀! なんだこの生温い火加減は! 鉄板が冷え切っておるではないか!」
「は、はい! 秀吉殿のワンオペのおかげで、本日のピークは無事に……」
「ぬるい! 怒りはエネルギーだ! 従業員を限界まで追い込み、100%ギリギリの熱量で焼き上げてこそ客の魂を揺さぶるのだ!」
(また始まった……。この人はいつもそうだ。現場の苦労も知らずに……!)
「ですがオーナー! 限界を超えれば店が物理的に全焼します!」
「燃えたらまた建て直せばよかろう!」
……。
光秀は黙った。
秀吉も黙った。
客席の蘭丸すら黙った。
「いや無理です。建て直すのは私です!」
「俺です!」
間髪入れずに、客席から過激派常連(自称・特別スタッフ)の森蘭丸が飛び出してきた。
「私も燃えます!」
「「お前は燃えるな!」」
光秀と秀吉のツッコミがハモる。しかし信長は意に介さず、疲労困憊の秀吉へ無情にも指を突きつけた。
「秀吉ぇ! 全テーブルの水のおかわりを、ピッチャーなしで一回ずつ注いで回れ!」
「えぇぇぇっ!? お館様、それただの嫌がらせじゃないですかぁぁ! なんで俺ばっかりこんな目にーーーっ!?」
秀吉の悲痛な叫びとともに、厨房の鉄板から再び禍々しい炎が吹き出した。
ミシッ……!
鉄板が限界を訴えるような、嫌な軋み音を立てる。
「光秀! 見ろ、いい火が出てきたぞ! ガハハハハ!」
「笑い事ではありません! 秀吉殿が爆発します!」
「お館様ぁぁぁ! 叱られないこの状況が腹立たしい! うおおお、私も怒りを溜めます!」
「蘭丸! 貴様は余計な油を注ぐな!」
ピキ……ピキキッ……!
爆発的な理不尽と、理不尽を求める狂気。
極限に達した『本能寺オーブン』から、ついに崩壊の音が響き渡った。
「ひぃぃぃ! 明智殿! 俺もう無理! 限界! 限界ですってぇぇ!!」
「ダメだ、抑えきれん! 秀吉、伏せろーッ!!」
次の瞬間――ドカンッ!! と凄まじい爆破音が炸裂した。
火柱とともに焼き上がった大量のホットサンドが、まるで弾丸のように客席へ飛翔する。
「熱ぁぁぁっ!? なんじゃこの焼き加減は! 美味いが熱い、熱いが凄まじく美味いぞ!!」
パニックと大歓声が入り交じる中、いつもの窓際席に座る外国人常連客――ルイス・フロイスは、飛来した炎上寸前のホットサンドを涼しい顔で紙ナプキン越しにキャッチした。
「オーウ、今日は右から飛んできましたネ」
フロイスは一口かじり、深く頷く。
「ワンダフル。前回より焼き加減がエクセレントです。また来マス。レビュー★5ですネ」
「ガハハハ! 見ろ光秀! フロイスも大喜びではないか! 大繁盛よ!」
「消防車が来ますオーナー! どうするんですか!?」
「ハハハ、最高の宣伝になったな! おい消防士! ホットサンド食べていくか!?」
「勧誘するなーーーッ!!」
火災報知器のけたたましい音とサイレンが鳴り響く中、炎を背に高笑いしながら去っていく信長。
黒こげの厨房で、光秀は膝から崩れ落ちた。
空になった胃薬の箱をギリ……と握りつぶしながら、光秀は固く誓った。
(この店は……遠くない未来、確実に僕の手で燃やすことになる……!)
翌朝。
『喫茶本能寺、炎上寸前のホットサンドが話題。★5レビュー殺到』
新聞のローカル紙面とSNSのトレンドを、静かに見つめる男がいた。
路地を挟んだ向かい側にオープンしたばかりのシックなカフェ『喫茶 本願寺』のオーナー・本願寺顕如である。
「……また派手にやりましたね、信長」
背後に立つ秘書が、タブレットを操作しながら声をかける。
「マスター、あちらはボヤ騒ぎを起こしておきながら『パフォーマンスが凄すぎる』と大バズりです。まともに張り合わず、別の市場や客層で勝負されては?」
「違う」
顕如の手が止まった。
新聞記事の写真には、炎の中で高笑いする信長のシルエットが映し出されている。
メリ、と嫌な音が響いた。顕如の手の中で、紙面が硬く握りつぶされていく。
「信長がいない一位など……二位以下と同じです」
美しかった顕如の表情が、一瞬で歪んだ嫉妬と熱量に塗れた。
「……まただ。またあの男だけが、人々の視線を独占する……!」
顕如は握りつぶした記事をゴミ箱へ捨てると、冷徹な笑みを浮かべて向かいの店を見つめた。
「次こそは……私があなたを、あの高みから引きずり下ろして見せますよ」
静かなる宿敵の視線が注がれていることなど知る由もなく、向かいの店からは今朝も明智光秀の胃の痛むような悲鳴が響き渡っていた。




