喫茶厨房本能寺編 第二章:サプライチェーン防衛戦 第6話「滝川一益、爆走物流」
# 第一部:喫茶厨房本能寺編
## 第二章:サプライチェーン防衛戦
### 第6話「滝川一益、爆走物流」
「――お呼びでしょうかァァァッ!!」
ドガァァァン!!
喫茶『本能寺』の厨房の裏口が、物理的な爆発音とともに吹き飛んだ。
蝶番から外れた鉄製のドアが宙を舞い、床にガシャーンとけたたましい音を立てて転がる。
「なっ……!?」
店長の明智光秀は、胃薬のパッケージを握りしめたまま、その場から数メートル飛び退いた。
もうもうと立ち込める土煙の中から、一人の男がヌッと姿を現す。
頭には某大手宅配業者のようなキャップを深く被り、首元には黒いネックウォーマー。そして足元には、最新鋭のスポーツシューズというより、もはや忍者の地下足袋を思わせる特注のシューズ。
その両肩には、成人男性の背丈ほどもある巨大な段ボール箱が、まるで羽のように軽々と担ぎ上げられていた。
「物流なら、お任せくだされぇぇぇ!!」
男は厨房のど真ん中に着地すると、ニカッと白い歯を見せて笑った。
光秀が絶叫する。
「そこじゃない!! なんでドアを壊すんですか!! ただでさえ経営難で資金繰りがカツカツなのに、修繕費が!!」
「ドアを開けるコンマ三秒が惜しかったので! ショートカットです!」
「忍者かあなたは!!」
光秀の必死のツッコミを意に介さず、カウンターの奥でコーヒーを啜っていたオーナー・織田信長は、満足げに頷いた。
「よく来たな、一益。紹介しよう、光秀。今日から我が社の『物流部長』に就任した、滝川一益だ」
「物流部長……」
光秀は、ひん曲がった裏口の残骸を見つめ、遠い目をした。
「あの、お館様。うちはただの個人経営の喫茶店ですよね? 購買部(佐々成政)ができただけでも異常だというのに、物流部まで作るんですか? いつの間にか、世界的な大手配送企業にでも転職したつもりですか?」
「当たり前だ。仕入れた商品を店まで運べぬのなら、それは最初から無いも同然」
信長はカップを置いた。
「浅井の豆、朝倉の小麦、武田の茶。成政が血みどろの交渉で確保した命綱だ。それを確実に、かつ一秒でも早く、この本能寺へ届けさせる。それが一益の仕事だ」
「承知いたしましたァァ!」
滝川一益は、その場でビシッと直立不動の敬礼をした。
すると、部屋の隅で静かにピッケルを手入れしていた購買部長・佐々成政が、冷ややかな視線を一益に向けた。
「……おい、新入り」
「ん? なんだい、購買の」
「俺は一円でも安く仕入れるために、己の命を削って交渉の雪山を越えてきた。貴様の無駄な動きやドアの破壊で『輸送コスト』が膨らめば、俺の苦労が水の泡だ。物流コストも極限まで削れ」
佐々のトゲのある言葉に、滝川は鼻で笑った。
「コストだと? 甘いな、成政とやら。ビジネスにおいて最も尊いものは『金』ではない。『時間』だ!」
「……ほう?」
「お前が『安く買う』なら、俺は『早く運ぶ』! 鮮度の落ちた豆や小麦など、お客様に出せるか! 物流を制する者こそが、現代の商売を制するのだ!」
購買VS物流。
コスト主義とスピード主義。
早くも社内でバチバチと火花が散り始めた。
光秀は胃の辺りを押さえながら、バイトリーダーの羽柴秀吉に小声で耳打ちした。
「……なんか、うちの店、急速に『ブラック企業』としての背骨が形成されてきてないか?」
「はい、明智殿。ただの喫茶店なのに、部署間のセクショナリズムと大企業病だけは一人前に発症してますね」
◆【立ちはだかる巨大資本の壁】
「で、物流のプロフェッショナルである滝川殿にお尋ねしますが」
光秀は気を取り直し、タブレット端末を開いた。
「現在、我が店は危機的状況にあります。浅井農園、朝倉ファーム、武田茶園の三社から商品は確保したものの……本願寺カフェが地元の運送業者をすべて金で囲い込んでしまい、トラックが一台も手配できないのです」
目の前には、巨大資本の圧倒的な現実が立ちはだかっていた。
本願寺顕如は、単に仕入先へ高額な買い取りを提示しただけではない。
彼らは莫大な資本力に物を言わせ、
・県内の主要なトラック輸送会社との『専属運送契約』
・主要道路沿いにある『冷凍・冷蔵倉庫の完全借り切り』
・さらには、農園から街へと続く幹線道路沿いの『中継拠点(ガソリンスタンド等)の独占スポンサー契約』
これらすべてを、たった数日で完了させていたのだ。
「業者だけではありません」
秀吉が青ざめた顔で報告する。
「幹線道路は、本願寺のロゴが入った大型トラックが隊列を組んで走っており、常に大渋滞を引き起こしています。仮にうちが軽トラを一台チャーターできたとしても、店に着く頃には夕方……モーニングの営業には絶対に間に合いません」
「……」
佐々成政が舌打ちをした。
「完全にルートが塞がれているな。本願寺め……物流の山道に、とんでもねえ雪庇を作りやがったか」
圧倒的なインフラの暴力。
これこそが、巨大企業『本願寺』の真の恐ろしさだった。
商品はある。
だが、それを運ぶための『道』そのものを私物化されている。
血液はあるのに、血管をすべて縛られているような状態だ。
「どうするんですか、滝川殿」
光秀がすがるような目で一益を見た。
「このままでは、明日の朝にはコーヒー一杯お出しできません。本願寺の包囲網を突破する方法なんて……」
「クハハハハハッ!!」
突然、滝川一益が高笑いを上げた。
「明智殿、貴方は真面目すぎる! 表の道が塞がれているなら、答えは一つしかないだろう!」
「え?」
「『獣道』を走ればいいのだ!」
「は?」
「本願寺が幹線道路を塞ぐなら、我々は裏道を、山を、谷を、そして空き地のフェンスを越えて最短距離を突っ走る! それが我が滝川物流の真骨頂よ!」
滝川は懐から一枚の巨大な地図を取り出し、テーブルの上にバサァッ!と広げた。
そこには、三つの農園から喫茶『本能寺』までのルートが、赤や青のペンでびっしりと書き込まれていた。
「見よ! これが俺の構築した『本能寺・超機動物流ネットワーク』だ!」
滝川が自信満々に地図を指差す。
「まずは浅井農園(コーヒー豆)。ここは北の山間部にある。業者のトラックは麓の国道を使うが、我々はここを通らない。山の尾根を越え、廃道となった旧トンネルを抜け、そのまま隣町の工業地帯を直線で突っ切る!」
「えっ、ちょっと待って」
「次に朝倉ファーム(小麦)。東の平野部だが、ここは本願寺のトラックが多い。ゆえに、並行して流れる一級河川の『河川敷』をフルスピードで駆け抜け、渋滞を完全に無視する!」
「河川敷!?」
「最後に武田茶園(茶葉)。南の台地からは、住宅街の路地裏という名の『迷路』を縫うように走り抜け、交差点の信号に一切引っかかることなく本能寺へと到達する!」
滝川は、バンッ!と地図を叩いた。
「各ルートの交差点には『中継拠点』を設置! 荷物をリレー形式で受け渡し、一切のロスなく店まで商品を届ける! これぞ、大企業の鈍重な物流を凌駕する、ベンチャーならではのゲリラ物流ネットワークだ!!」
「おおおおおっ!」
その場にいた光秀、秀吉、そして佐々成政までもが、思わず息を呑んだ。
「す、素晴らしい……!」
光秀の目が輝く。
「完璧なロジスティクスです! これなら、業者のトラックを使えなくても、本願寺の渋滞に巻き込まれることもなく、最速で新鮮な食材が届きます!」
「そうだ! 俺にかかれば、発注から納品まで最速三十分で完了させてみせる!」
「滝川殿! あなたこそ本能寺の救世主だ!」
光秀は感動のあまり、滝川の手を固く握りしめた。
これで勝てる。
本願寺のインフラ独占という暴力に対し、本能寺は『機動力』と『ゲリラルート』で対抗するのだ。
「さっそく、明日の早朝からこのネットワークを稼働させましょう! 頼みますよ、滝川殿!」
「おう! 任せておけェェ!」
滝川一益は再び巨大な段ボールを担ぎ上げると、
「では、配置についてくる!」
と叫び、壊れた裏口から凄まじいダッシュで夜の街へと消えていった。
光秀は安堵の息を吐き、冷めかけたお茶を飲んだ。
「……ふぅ。お館様が連れてくる人材にしては、珍しくまともで優秀な人でしたね」
「うむ。一益の足は速いぞ」
信長は意味深にニヤリと笑った。
だが、光秀はその真意に気づく余裕などなかった。
◆【滝川一益、爆走】
翌朝。午前六時。
喫茶『本能寺』、開店の一時間前。
厨房では、光秀と秀吉が緊張した面持ちで壁掛け時計を見つめていた。
「……現在、六時五分。滝川殿のネットワークが機能していれば、そろそろ第一便のコーヒー豆が届くはずですが……」
「明智殿、本当に大丈夫なんですかね? 河川敷を突っ走るとか言ってましたけど、不審者として通報されませんか?」
その時だった。
「――お届け物でェェェす!!」
ズッダァァァン!!!
昨日修繕したばかりの裏口のドアが、再び木っ端微塵に吹き飛んだ。
「だからドアを開けろって言ってるだろうがァァァ!!」
光秀が絶叫する中、滝川一益が土煙とともに厨房へ滑り込んできた。
その背中には、浅井農園のロゴが入った麻袋が山のように積まれている。
「ハッ、ハッ、ハッ……! 浅井農園より、特選焙煎コーヒー豆、到着ッ!」
「お、おおっ! 本当に来た!」
秀吉が麻袋を受け取る。
「すげえ! まだ焙煎したばかりの温かさが残ってますよ! しかも、予定時刻より十分も早い!」
光秀は感動に打ち震えた。
「素晴らしいです、滝川殿! まさか本当に本願寺の包囲網を抜けてくるとは!」
「当然だ! 山の尾根を越え、野犬を振り切り、崖を滑り降りてきたからな!」
「道交法どうなってんの!?」
光秀は一瞬叫んだが、すぐに我に返った。
「……あ、いや、とにかく。てっきり遅れるかと思っていました。中継拠点での荷物の受け渡しはスムーズにいきましたか?」
光秀が尋ねると、滝川は親指を立てて爽やかに笑った。
「完璧だったぞ! 第一中継地点で水を飲み、第二中継地点で靴紐を結び直したからな!」
「……え?」
光秀の動きが、ピタッと止まった。
「……今、なんと?」
「だから、第一中継地点で給水して、第二中継地点で……」
「いや、そうじゃなくて」
光秀は、嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、恐る恐る滝川の顔を見た。
「滝川殿。……あの、あなたが構築したという『超機動物流ネットワーク』って、何人くらいのスタッフで回しているんですか?」
滝川一益は、きょとんとした顔で首を傾げた。
「何人? 俺一人だが?」
…………は?
「……い、一人?」
「そうだ!」
「えっ、じゃあ、あの地図に書いてあった『リレー形式で受け渡し』っていうのは……」
「俺が俺に心の中でバトンを渡している!」
「ワンオペじゃね-かァァァッ!!」
光秀の絶叫が、早朝の店内に響き渡った。
「ネットワークでも何でもない! ただお前が一人で死ぬほど走ってるだけだろうが!!」
「そうだぞ! 俺は足が速いからな!」
「自慢気に言うな! 浅井農園ってここから山越えで二十キロはあるぞ!? それを一人で往復してきたっていうのか!」
「一往復ではない。次は朝倉ファームの小麦だ。行ってくる!!」
「っちょ、待てい!」
光秀が止める間もなく、滝川一益は風のように厨房から飛び出していった。
「う、嘘だろ……」
秀吉が震える声で呟く。
「あの人、これから東の河川敷まで走って小麦を受け取って、また店まで走ってきて、そのあと南の茶畑まで走るつもりですか……? トライアスロンの選手だって死にますよ……」
だが、滝川一益の真の恐ろしさはここからだった。
それからわずか二十分後。
「――朝倉の小麦、到着ゥゥッ!!」
ズザァァァッ!
靴底を焦がしながら滝川が帰還。
両手には数十キロの小麦粉の袋。
さらに十五分後。
「――武田の高級茶葉、納品完了ォォッ!!」
今度は窓からバク宙で飛び込んできた滝川が、桐箱に入った茶葉をカウンターへ鎮座させた。
全身から尋常ではない滝のような汗を流し、息を荒くしている滝川一益。
しかし、その瞳は爛々と輝き、予定時刻までにすべての仕入れを完璧に完了させていた。
「ど、どうだ明智殿……! これが、俺の……爆走物流だ……!」
「滝川殿……っ!」
光秀は、思わず滝川の手を両手で握りしめた。
「あなたはバカだ! 圧倒的な脳筋だ! しかし……あなたのおかげで、本能寺は今日、営業することができます!」
「へへっ……! 言っただろう、スピードが命だと……!」
滝川はそのままガクッと膝から崩れ落ち、白目を剥いて床に突っ伏した。
「滝川殿ォォォ!? 誰か! 至急この人にスポーツドリンクと塩分タブレットを!!」
秀吉が慌てて介抱に走る。
◆【そして、残酷な現実】
午前七時。
喫茶『本能寺』、開店時間。
「よし!」
光秀は厨房に立ち、気合を入れるようにパンッと両手で自分の頬を叩いた。
「浅井殿の極上コーヒー豆は、完璧な温度で抽出準備完了! 朝倉殿の小麦で作ったパン生地は、最高の発酵具合! 武田殿の茶葉もセットOK!」
「俺の接客準備も完璧です!」
ホールで待機する秀吉が親指を立てる。
「購買部・佐々殿の鬼の交渉と、物流部・滝川殿の命懸けの爆走のおかげで、我々は本願寺の兵糧攻めを完全に突破しました! さあ、いつでも来い、お客様!!」
仕入れ、OK。
物流、OK。
商品品質、最高レベル。
本能寺という個人商店は、購買と物流という「組織の歯車」を手に入れたことで、確実に一段階上のステージへと進化した。
あとは、この完璧な商品をお客様に提供し、圧倒的な売上で本願寺カフェを見返すだけだ。
カチッ、と壁の時計の針が七時を指した。
「さあ、開店だ!」
光秀は「OPEN」の木製看板を掲げ、ドアの前に立った。
――さあ、来い。押し寄せる常連客たちよ。
――怒涛のオーダーを、我々の最高のオペレーションで捌き切ってやる。
五分経過。
十分経過。
十五分経過。
「…………」
「…………」
店内には、静寂だけが響いていた。
有線放送のジャズのメロディだけが、空虚な空間を虚しく漂っている。
光秀は、ピクピクと引きつる頬を押さえながら、ゆっくりと窓の外を見た。
窓越しに見える、隣の巨大店舗『本願寺カフェ』。
そこには――早朝から数百人の大行列ができ、駐車場は満車。テラス席まで客で溢れかえり、飛ぶようにコーヒーとパンが売れている光景が広がっていた。
「……えっ?」
秀吉が、間の抜けた声を漏らした。
「お、おかしいですね……? 仕入れは完璧に守り切ったはずなのに……」
「……」
光秀は、頭の中でパズルのピースがカチリと音を立てて組み合わさり、すべてを悟った。
本願寺カフェによる『仕入れ先の買収』。
そして『物流の独占』。
あれは確かに、本能寺を潰すための致命的な攻撃だった。
佐々成政と滝川一益の命懸けの活躍で、その攻撃はなんとか防ぎ切った。
だが。
「……そもそも、第3話の時点で、うちの客は全部『本願寺カフェ』に奪われていたじゃないか」
光秀の呟きに、秀吉がハッとして頭を抱えた。
「そ、そうだったぁぁぁっ!! 『仕入れ』と『物流』を守るのに必死になりすぎて、肝心の『客が一人もいない』っていう根本的な問題を、すっかり忘れてましたァァ!!」
仕入れができても。
それを店まで運べても。
買う客がいなければ、店は一ミリも回らない。
圧倒的な資本力、清潔な店内、映えるメニュー。
そんな巨大企業・本願寺カフェに一度奪われた客は、ただ本能寺が「いつも通りの営業」に戻ったからといって、わざわざ戻ってくるわけがなかった。
「お、終わった……。結局、商品はあっても売上がゼロなら、店は潰れる……」
光秀が膝から崩れ落ちそうになった、その時。
「馬鹿めが」
カウンターの奥で、信長がふっと鼻で笑った。
「客が来ぬのなら、どうする?」
「ど、どうするって……」
「待っているだけでは客は来ん。ならば、力ずくで引っ張ってくるまでよ」
信長が指を鳴らす。
「仕入れ(購買)と運び(物流)は整った。次に必要なのは、完成した商品を客の喉元へねじ込む『営業』だ」
「っ……! 営業部まで作る気ですか!」
光秀が絶叫する。
「しかし、本願寺の圧倒的なブランド力に対抗して客を奪い返すなんて、並大抵の営業マンじゃ――」
「呼んだかァ!!」
ドォォォォン!!!
今度は、店の正面入り口のガラスドアが物理的に粉砕された。
「だからドアを壊すなァァァッ!!」
光秀の胃薬が宙を舞う。
砕け散ったガラスの破片を踏み越え、店内に入ってきたのは――
筋骨隆々の巨体に、はち切れんばかりの特注スーツを身に纏い、手にはなぜか巨大な『本能寺のぼり旗』を握りしめた、猛烈な威圧感を放つ男だった。
「本能寺営業本部長! 柴田勝家、参るッ!!」
男の咆哮が、ガラガラの店内にビリビリと響き渡る。
「おい貴様ら! 休んでいる暇はないぞ! これから隣の店(本願寺)の客を、一人残らず物理的に『営業』しに行く!!」
購買、物流、そして――営業。
戦国武将という名の異常な歯車たちが次々と噛み合い、喫茶『本能寺』は今、本格的な企業間戦争のフェーズへと突入しようとしていた。
(第7話「脳筋営業本部長の号令」へ続く)




