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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
第五章 明智光秀の謀反と本能寺の躍進

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第44話「神社の麓と煙の安全装置」

第44話「神社の麓と煙の安全装置」



【東暦一五七三年 四月上旬・犬山祭当日】


春風が桜の花びらを舞い散らせる中、犬山城の麓に鎮座する『針綱(はりつな)神社』周辺は、早朝から観光客と地元住民の熱気でごった返していた。


その鳥居のすぐ前にある一等地。祭りの喧騒のど真ん中に、場違いな陣幕が堂々と張られている。


『喫茶 厨房 本能寺・犬山出張所』


「……な、なんだここは……ッ!?」


現地に到着した光秀は、目の前の光景に顎が外れんばかりに口を開けた。


「おい丹羽殿! 針綱神社のすぐ目の前じゃないですか! 伝統ある犬山祭の、しかも初回出店の一介の喫茶店が、どうしてこんな神がかり的な超優良スポットの出店枠を押さえられたんですか!?」


「米の収穫期に例えれば、一番実りの多い田んぼの真ん中に店を出したようなものですな」


長秀はメガネを指先でクイと押し上げ、何食わぬ顔で答えた。


「単独では不可能です。ですから――巨大資本の力をお借りいたしました」


「きょ、巨大資本……!?」


光秀の背筋を、嫌な汗がつうっと伝った。


「ええ。顕如会長にお願いしました」


「……あの道路向かいのライバル企業に!?」


「はい」


「なんで!?」


「顔が利くそうなので」


「理由が雑すぎるでしょうがァァァッ!!」


光秀の絶叫が城下町に木霊した。しかし、長秀は眉一つ動かさない。


「ですが店長。昨年の西枇杷島まつりの際、暴走した楽市楽座を鎮めるために本願寺カフェからお借りした安全装置――あの蒸気ボイラーを、我が店は今でも定期的に借り受けているではないですか」


「そ、それは……ッ!」


光秀は顔を真っ赤にして額を押さえた。


「それはうちが朝のモーニングで『楽市楽座』をまともに制御できていないからでしょうが! 放置すれば街中が燻製になってしまうから、顕如会長が地域の安全と防災のために貸してくれてるんです!」


「ですが、今では『清須の朝霧』として風物詩になっております」


「客観的に見れば単なる怪奇現象ですよォォォッ!!」


「観光客の収穫高も増えております」


「米に換算するなァァァッ!!」


せっかく宿泊費や衣装代で現金を減らせると思っていたのに、長秀の独断によるライバル企業コネクションによって、犬山祭で最も客が集まる場所を押さえられてしまったのだ。


「ガハハハハ! 素晴らしいぞ長秀! これなら城下町中の客の胃袋を鷲掴みにできるわッ!」


信長が腕まくりをして鉄板の前に仁王立ちした。


しかし、光秀の動揺はそれだけでは終わらなかった。ワゴン車から荷下ろしされた調理機器を見た光秀は、目を丸くして立ち止まった。


そこに鎮座していたのは、本能寺の厨房を占拠しているあの巨大な『楽市楽座』ではない。ふた回りほどコンパクトに凝縮された、黒光りする鉄の燻製炉だった。


「……あれ? 丹羽殿、この設備……いつもの楽市楽座と形が違いませんか?」


「お気づきになりましたか」


長秀が淡々と書類をめくる。


「本店の『楽市楽座』はあまりに大型かつ重量級で、二日間限定の祭り会場へ持ち出すのは物理的に不可能でした。そこで技術顧問の松永久秀殿に依頼し、この遠征のために急遽組み上げていただいたのが――『楽市楽座マークII』でございます」


「マークII!? ま、また私の知らないところで設備投資してるんですか!?」


光秀が青ざめて叫ぶと、長秀は冷静に首を横に振った。


「ご安心ください。このマークII、性能が向上したわけではありません。むしろ大幅に出力が低下しております」


「……は? 出力低下?」


「ええ。久秀殿曰く、『本来、感情エネルギーは単一の感情に特化させれば凄まじい出力を叩き出すが、その代償として極めて暴走しやすい。特に祭り会場のような強い【楽しい】感情が充満する場所では危険極まりない。そこで今回は、あえて他の感情エネルギーを追加して特化させないことで、出力を意図的に落とした』とのことです」


長秀は指先で黒い筐体を軽く叩いた。


「特化させなければ出力は安定しなくなり、かつて感情エネルギー技術が世間から廃れていった最大の要因でもありますが……『織田社長なら上手く使いこなすでしょう。どうせ社長は出力の低下に不満を漏らすでしょうから、その不満を宥める代わりに何とか限界までの小型化を実現させました』と久秀殿が申し添えておりました」


その説明を聞いた瞬間――光秀の瞳に、歓喜の光が宿った。


(な、なんだって……!? 本能寺オーブンや平蜘蛛のような凶悪な危険兵器ではなく、あの暴走燻製マシーンの『出力低下版』……!? しかも、私の知らないところで余剰利益が『小型化と出力ダウン』という超安全方面の設備投資に消えていたのかッ!!)


素晴らしい。いや――恐ろしい最終兵器の買い戻し資金が、あろうことか「危険性を下げるための技術開発」へと分散消費されていたのだ。


(勝った……! 久秀さん、なんて素晴らしい仕事をしてくれたんだ! 少なくとも、本能寺オーブンや平蜘蛛よりは遥かにマシだ!)


内心で快哉を叫ぶ光秀の横で、信長は苦々しそうにマークIIの燻製バルブを睨みつけていた。


「チッ……久秀のヤツめ、余計な小細工をしおって! 燻しの勢いが鈍くて、いつもの暴れ馬のようなキレがねえ! だが、それでも並のスモーカーよりは遥かに深い燻香が出る!」


「さらに、念には念を入れております」


一益が無骨な金属製円筒――本願寺のボイラー技術を応用した簡易冷却排煙器、通称『煙抜き』をマークIIの排気ダクトへガチリと接続した。


「顕如会長よりお預かりした煙抜きです。内部の水冷タンクで排気を一時的に冷却し、煙を薄めて上空へ逃がします」


長秀が淡々と付け加える。


「顕如会長からも直々に伝言を預かっております。『出力が弱くなったと言ったところで、どうせ織田社長のことだ、現場で無理に煽って暴走させるに決まっている。祭りの会場を火事騒ぎでパニックに陥らせぬよう、この安全装置を必ず使え』……とのことです」


「あの仏頂面の坊主め、相変わらず余計なお節介を焼きおって」


信長は鼻を鳴らしつつも、煙抜きの接続を拒みはしなかった。


「……待て一益。それは完全無欠の装置なのか?」


光秀が念のため確認する。


「いえ。煙を消す装置ではありません。使用に伴い大量の水を消費するため、定期的な注水が必要です。また、連続稼働すれば冷却能力の限界を超えて煙が漏れ出します。あくまで祭りの間、周辺への直接的な煙害を抑え、上空へ薄めて逃がすための応急装備です」


「つまり、燻製器を好きなだけ回せるわけではない、と?」


「その通りです」


「……素晴らしい!」


光秀が拳を握りしめた。出力は落ちている。煙抜きにも限界がある。会社の現金も設備投資に消えている。


「上等だッ!」


信長が横に設置された鉄板をヘラで叩いた。


「限られた水と時間の中で、出力を絞られたマークIIで食材を極限まで燻し上げ、この並の鉄板で完璧に焼き上げる! それが料理人の腕の見せ所だろうがッ!」


そう、鉄板そのものは他の屋台と何ら変わらない市販の既製品。だが、その上で踊るのは『楽市楽座マークII』の深い燻煙を纏った、規格外の食材たちだった。


「よしッ! 焼き上げろォォォッ!!」


ジュワァァァァァッ!!


信長が鉄板の上で肉と米を躍らせた瞬間、マークIIから移された暴力的なまでに香ばしい燻香が立ち上った!


小型化され、出力が落ちているとはいえ、腐っても感情エネルギー調理器。立ち上る煙を『煙抜き』がゴォォォと吸い込み、水蒸気と混ぜ合わせて勢いを削ぎながら、周囲へ撒き散らすことなく上空へと逃がしていく。


完全に消えたわけではない。白い蒸気に混ざった煙は、春風に乗ってゆっくりと空へ流れていった。


「うわっ、なんだこのいい匂い!?」


「神社の前ですごい行列ができてるぞ!」


針綱神社へ向かう群衆が、磁石のように吸い寄せられていく。そこへ、陣幕の前から地響きのような野太い怒号が轟き渡った。


「ッシャオラァァァッ!! 本能寺の極上肉が焼き上がったぞォッ! 食わねえヤツは漢(おとこ)じゃねえッ!! 喰って魂を滾らせやがれぇぇぇッ!!」


ねじり鉢巻きに腕まくり姿の柴田勝家である。丸太のような腕っぷしを誇示し、目力を全開にして吼えると、通りを歩く観光客たちがビクッと足を止め、その圧倒的な熱量に呑まれるように列へ吸い込まれていく。


「ちょ、ちょっと勝家殿! 呼び込みの圧が強すぎて脅迫になってますよ!?」


「ガハハ! 何を言うか明智殿! 祭りは気合と筋肉だッ! ほら兄ちゃん、迷ってねえで並べッ! 腹の底から温まるぞッ!」


利家が「いらっしゃいませぇッ!」と爽やかにフォローし、成政が手際よく盛り付け、一益が注文から十五秒で手渡す。長秀の計算通り、黄金焼きおにぎりも驚異的な完売ペースを維持していた。


勝家の暴れ馬のような体育会系呼び込みが凄まじい集客力を生み、屋台のレジには恐ろしい速度で小銭と紙幣が吸い込まれていく。


「増えた……ッ! 出力低下版でも、犬山の一等地と勝家殿の筋肉にかかれば、こんなに現金が集まってしまうのか……!?」


レジ前で光秀は再び冷や汗を流し始めた。


(ダメだ……! このままでは昨日の宿泊費や衣装代、マークIIの開発費をすべて回収した上で、さらなる黒字が生まれてしまう! そうなればローンの繰り上げ完済が一気に近づき、あの危険設備が買い戻されてしまう……ッ!!)


極限の焦燥に駆られた光秀の頭脳が、起死回生のサボタージュ策を弾き出した。目の前では、針綱神社前での「からくり奉納」と豪快な「どんでん」をやり遂げたばかりの手子衆たちが、荒い息を吐きながら汗だくで座り込んでいた。


(これだ……! 手元の食材をタダで吐き出させ、売上を強制的にゼロにしてやる……!!)


光秀は血走った目で信長へ詰め寄った!


「し、社長ッ! 見てください、あの手子衆の皆様を! 針綱神社前での壮絶などんでんを終え、精根尽き果てておられます! 伝統を守る彼らの労をねぎらうため、マークIIで燻し上げた自慢の『黄金燻製ゆで卵』を、全員に無料で無制限に振る舞うべきですッ!」


信長が眉をピクリと動かす。


「ほう? 無料で配るだと?」


「はい! 地域の祭礼への奉仕活動です! 利益など一銭も取ってはなりません! 手元の卵をすべてタダで配り尽くしましょうッ!」


(よし……! 仕入れ原価だけを垂れ流し、売上を圧迫してやる……!)


光秀が内心でほくそ笑んだ瞬間――信長がカッと目を見開き、鉄板のヘラを天高く掲げて吼えた!


「たわけがァッ!! 誰がゆで卵ごときでケチケチと出し惜しみをしろと言ったァッ!!」


「……は?」


「伝統を背負って命がけで車山を回した漢たちだぞ! そんな小弾薬で足りるわけがなかろうが! 弾薬の節約などするな、三段撃ちだッ!!」


「さ、三段撃ちィィィッ!?」


信長は鬼神の如き形相で厨房へ怒号を飛ばした!


「第一段、マークIIの燻香を纏わせた『黄金燻製ゆで卵』! 第二段、鉄板で一気に焼き上げる肉汁滴る『燻製極太フランク』! そして第三段、渇いた喉を芯から覚醒させる『如庵仕込みの特製テイクアウト珈琲』! これらを三連射で手子衆全員に無料配給しろッ!! 一銭たりとも受け取るなッ!」


「しゃ、社長ォォォッ!? そこまでやったら完全に大赤字――」


「うおおおおッ! 最高だッ!」


「おい、あそこの屋台、俺たちに極上の肉と卵と珈琲をタダで振る舞ってくれてるぞッ!」


「なんだこのフランク……燻製の香りが脳天まで突き抜ける!」


「珈琲が五臓六腑に染み渡るぞ……ッ!」


信長の豪快すぎる三段撃ちの無料弾薬に、疲弊しきっていた手子衆たちが熱狂的な歓声をあげた!


そして、手子衆の口から口へ、祭りの熱気に乗って噂が爆発的に広がっていった。


手子衆たちが頬張る極上の燻製肉と湯気を立てるおにぎりを見た家族や仲間たちが、次々と本能寺の陣幕へ押し寄せてくる。


「うちの若い衆にタダで美味いもん食わせてくれた店はどこだ!?」


「手子衆が絶賛してたフランクと焼きおにぎり、うちの親族一同で五十本買うぞ!」


「神社の前だ! あそこの行列に並べッ!」


手子衆の口コミによって、地元の顔役や親族、観光客が雪崩を打って本能寺の屋台へ殺到し始めたのだ!


「い、いやぁぁぁぁっ!? 逆に客が何倍にも膨れ上がって押し寄せてきたァァァッ!!」



挿絵(By みてみん)



「社長! 食材が完全に底をつきます! 焼きおにぎりの米も、フランクもあと三分で全滅ですッ!」


成政が叫ぶ。


普通なら、ここで店じまいだ。


だが――


ワゴン車のスライドドアが勢いよく開いた。


「……問題ない」


現れたのは一益だった。


「長秀殿が、念のため補給を手配しておりました。追加搬入の第一便、到着しております。特注フランク千本、米五俵、卵五百個。煙抜きの冷却水も満タンです」


「最初から売る気満々だったのかァァァッ!?」


光秀の絶叫を置き去りに、屋台は再びフル稼働を開始した。


「祭りですから。売れる可能性くらいは想定しておくべきでしょう」


「その可能性を想定するなァァァッ!!」


配れば配るほど、それを上回る有料の客が押し寄せてくる。レジの引き出しは、瞬く間に小銭と紙幣で埋まっていった。


「増えた……無料にしたのに、さっきの何倍も現金が増えていくぅぅぅっ!!」


レジ前で白目を剥いてへたり込む光秀。


その頭上では、冷却限界と戦いながら『煙抜き』から吐き出されたマークIIの白い蒸煙が、春風に乗って木曽川の方向へと細く長く伸びていた。


完全には消えきらない煙の行く先を、信長は鉄板の熱気越しに、しばしじっと鋭い眼光で見つめていた。




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