第43話「桜の下の前撮りと同胞たち」
第43話「桜の下の前撮りと同胞たち」
【東暦一五七三年 四月上旬】
春のやわらかな陽光が、満開の桜を咲き誇らせる尾張・犬山。
翌日に控えた伝統の大祭『犬山祭』を前に、城下町は祭り特有の浮き立つような熱気に包まれ始めていた。
「いいか貴様らッ! 犬山祭前日の前撮りミッションだ! 妥協は一切許さんぞ!」
犬山城の麓、三光稲荷神社の鳥居前に陣取った信長が、カメラの三脚を立てながら吼えた。
その後ろには、本能寺の総力を結集したメンバーが勢揃いしている。
「新郎新婦の着付け、髪の乱れ、コンマ一秒の目線合わせ……すべて完璧にシミュレーション済みだ」
神速の料理補佐・一益が手際よくレフ板を構え、
「日差しと桜の散り具合、背景の城と鳥居の比率……収穫高に換算して米四十俵分の絶景アングルを算出いたしました」
経理・長秀が電卓片手にベストポジションを指示する。
「よしッ! 観光客の誘導と動線確保は俺に任せてくれッス!」
利家が体育会系の気合で周囲のギャラリーを気持ちよくさばき、成政は「五合目からの風情が一番美しい」とブツブツ呟きながら画角の傾きを測っていた。
そんな完璧すぎるサポート体制の中央に立つのは――白無垢に身を包んだ寧々と、黒紋付羽織袴でビシッと決めた秀吉であった。
「わあ……秀吉くん、袴姿すごく似合っとるよ。かっこええわ」
寧々が頬を染めて微笑むと、秀吉は顔を真っ赤にして鼻の下を伸ばした。
「ほ、ほんまかいな寧々ちゃん! 寧々ちゃんの白無垢姿こそ、天女かと思うくらい綺麗やで……!」
「デレデレするな秀吉ッ! 歯茎をしまえ!」
信長がファインダーを覗き込みながらシャッターを切る。
朱塗りの連なる鳥居、頭上に舞い散る淡い桜の花びら、そして二人が手にするピンク色のハート絵馬。信長の恐るべき芸術的こだわりと、一益・長秀の超精密な段取りにより、息を呑むほど美しく晴れやかな前撮り写真が次々と記録されていった。
その様子を少し離れた場所から見守っていた光秀は、領収書の束を抱えながら、満足げに口元を歪ませていた。
(素晴らしい……! 移動用の大型特注ワゴン車のチャーター代、老舗呉服店から取り寄せた最高級の婚礼衣装レンタル代、専属メイクアップ費用……! 前撮りだけで想定以上の大出費だ! これぞ正当な福利厚生費を使った、完璧な現金の消滅作戦……!!)
「よし、前撮りは完了だッ!」
信長が満足そうにカメラを下ろすと、獰猛な笑みを浮かべて全員を見渡した。
「次は本日の第二任務――秀吉の同胞たちが待つ、あの場所へ突撃するぞッ!!」
「だから同胞やない言うとるでしょうがッ!!」
秀吉の悲鳴を春風が優しくかき消していった。
一行が大型ワゴン車で移動したのは、世界の霊長類が集まる名所『日本モンキーセンター』。
春休みということもあり家族連れで賑わう園内へ、エプロンこそ外しているものの、どこからどう見ても異様な圧を放つ本能寺軍団が足を踏み入れた。
「……社長、本当に全員で来る必要があったんですか?」
胃を押さえながら歩く光秀に、信長は目を輝かせて即答した。
「当然だ! 昨年末に秀吉が見せたあの写真……焚き火を囲み、煙の中で焼き芋を貪り食っていたあの猿どもの姿! あれこそが火と食材への原初の敬意! 我ら料理人たるもの、その魂を肌で感じ取らずして何が食の天下統一かッ!」
「相手はモンキーセンターの猿ですってば……!」
一行が放し飼いエリアの広場に差し掛かった、その瞬間であった。
ピタリ。
広場の木の上、ロープ、岩山にいた数十匹の猿たちが、一斉に動きを止めた。
ざわざわざわ……ッ!
「……ん?」
利家が足を止める。
猿たちの無数の瞳が、一点へと注がれていた。
紋付袴から私服に着替えたものの、独特の愛敬ある顔立ちをした男――秀吉である。
「キキッ!」「ウキャッ!」「ウキィィィッ!」
次の瞬間、まるで生き別れのボスの帰還を祝うかのような、凄まじい歓声が広場に木霊した!
木々が激しく揺れ、ロープを伝い、岩を飛び越え、視界を埋め尽くす大量の猿たちが、一目散に秀吉めがけて雪崩を打って押し寄せてきたのだ!
「ひぃぃぃぃぃっ!? やっぱり来たァァァッ!!」
秀吉が逃げ出そうとするが、すでに遅い。
足にしがみつく小猿、背中に飛び乗る中型の猿、肩に乗って秀吉の耳を毛づくろいし始めるベテランの猿。あっという間に秀吉は茶色い毛玉の山に埋もれ、身動きが取れなくなってしまった。
「ぎゃはははは! 見ろよ、完全に群れの頭領じゃねえか!」利家が腹を抱えて爆笑する。
「秀吉殿を中心に、米俵五十俵分の密度で猿が密集しております」長秀が冷静にカウントし、
「……敵の包囲速度、極めて迅速」一益が感心したように頷く。
「助けてぇな皆ッ! なんで俺ばっかりこんな目に遭うんやッ!!」
必死にもがく秀吉の前に、信長がドシドシと大股で歩み寄った。
信長は秀吉の頭の上に乗っているボスクラスの大猿と、真正面から視線を交錯させた。
「……ほう」
信長の覇気あふれる眼光。普通なら動物が怯えて逃げ出すほどの威圧感である。
しかし大猿は逃げるどころか、器用に右手をスッと差し出し、秀吉の頭をポンポンと叩いて見せた。まるで「この仲間は俺たちが預かっている、安心しろ」とでも言いたげな堂々たる態度である。
それを見た信長は、カッと目を見開き
――腹の底から大笑いした。
「ガハハハハハ! 気骨があるじゃねえか! 秀吉、貴様は本当に良い仲間に恵まれたなッ!」
「だから仲間やないですって社長ォォォッ!!」
寧々が可笑しそうにスマートフォンを構える。
「秀吉くん、ほら、みんなで記念写真撮るよ! はい、笑って!」
「笑えるかァァァッ!!」
パシャリ。
春の日差しの下、満面の笑みの本能寺メンバーと寧々、そして秀吉の全身に隙間なく群がり、誇らしげにカメラを見つめる大量の猿たち――前代未聞の「社員旅行記念写真」が見事に撮影されたのであった。
モンキーセンターを存分に堪能(?)した一行は、光秀の手配した木曽川沿いの格式高い高級老舗旅館へとチェックインを果たした。
宿の宴会場には、尾張の旬の幸をふんだんに使った豪華な料理が並んでいる。
「社長! 本日の宿代、そしてこの大宴会費用! 惜しみなく最高ランクのプランにいたしましたので、手元の現金は綺麗に消し飛んでおります!」
光秀が帳簿を見せながら、勝利を確信した笑みで信長にビールを注いだ。
(勝った……! 移動費、前撮り衣装代、入園料、最高級旅館の宿泊費に宴会代! 今日一日だけで恐ろしい額の現金が吹き飛んだ! これで危険設備の買い戻しは大幅に遠のいたはず……!)
「おう、大義であった光秀! 豪勢な宿で英気も養えたわ!」
信長は杯を一気に干すと、満足そうに喉を鳴らした。
「さて……明日はいよいよ『犬山祭』本番だ。成政、現地の屋台や食材のリサーチ準備は抜かりないな?」
「ハッ! 昼の祭りで繰り出される伝統の五平餅、串カツ、田楽……すべて一合目から頂上まで喰い尽くすルートを構築済みです!」
成政が胸を叩く。信長はニヤリと口角を吊り上げ、何気ない調子で光秀へと視線を向けた。
「ところで光秀。明日の祭りで、我が本能寺が屋台を出す許可は当然取れているんだろうな?」
「…………」
光秀の手から、ビール瓶が滑り落ちそうになった。
「……は? や、屋台……ですか?」
「当たり前だろ。これだけの人出がある伝統の大祭に、ただ客として指をくわえて見ていろとでも言うのか? 本能寺の味を犬山祭に集まった客どもへ叩き込んでやる!」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください! 私はそんな許可申請など一切出していませんよ!?」
真っ青になる光秀の横から、長秀がメガネを押し上げ、懐から一枚の公的書類を静かに差し出した。
「明智店長。店長は前撮りや旅館の手配で非常にお忙しそうでしたので、私が独断で犬山祭の実行委員会および保健所へ赴き、屋台の臨時出店許可を取得しておきました」
「……は?」光秀の目が点になる。「ど、独断……!?」
「はい。犬山祭における本能寺のプレゼンス向上は、収穫高にして米八十俵分以上の価値を生み出します。店長の手を煩わせるまでもないと判断いたしました」
「お、お前……! だからワゴン車に前撮りと関係ない大型寸胴鍋やら鉄板やらが積み込まれていたのかッ!?」
光秀が絶叫すると、隣で一益が腕時計に目を落としながら淡々と告げた。
「……明朝の資材搬入および厨房機器のセッティング、すでに最短動線で準備完了しております」
「うおおおっ! さすが我が本能寺の精鋭たちだッ!」
信長が豪快に膝を叩いて大笑いする。
「よし貴様ら! 明日の犬山祭、本能寺の屋台で大暴れしてドカンと稼ぐぞッ!!」
「「「おーッ!!」」」
「う、嘘だろぉぉぉぉぉっ!?」
宴会場の片隅で、光秀は畳に突っ伏して頭を抱えた。
(今日使った莫大な経費を……明日の屋台の売上で、全部回収してさらに利益を上乗せする気かァァァッ!?)
光秀が密かに企てた「現金を消し飛ばすための豪華社員旅行」という名の謀反は、有能すぎる部下たちの手によって、あっという間に「犬山祭への殴り込み出店ビジネス」へと塗り替えられていた。
本能寺の暴走する躍進劇を止められぬまま、翌朝――巨大な車山が城下町を揺るがす「犬山祭・昼の部」の幕が開けようとしていた。




