第42話「犬山土産と前撮り計画」
第42話「犬山土産と前撮り計画」
【東暦一五七二年 十二月下旬】
犬山への婚礼挨拶とロケハンから戻った秀吉と寧々は、さっそく喫茶『本能寺』の休憩スペースで、信長、光秀、そしてスタッフたちへの報告会を開いていた。
テーブルの上には、有楽斎から託された『如庵特製の婚礼記念ブレンド』の珈琲豆、そして三光稲荷神社で授与されたピンク色の『特注ハート絵馬』が丁寧に並べられている。
「ほう……! これが長益の淹れた豆か」
信長が袋の封をわずかに開き、深々と香りを吸い込んだ。
「甘みと苦味の調和、そして奥に潜むかすかな酸味……相変わらず鼻につくほど繊細な仕事をしやがる。だが、婚礼の引き出物としては一級品だ。合格だッ!」
「ありがとうございます! それと社長、このハートの絵馬を大きな額縁の真ん中に据えて、参列者のみんなにお祝いのメッセージを書いてもらう『ウェルカムボード』にしたいと思っとるんです」
秀吉が誇らしげに絵馬を示すと、カウンターの奥から長秀が眼鏡のブリッジを押し上げながら身を乗り出した。
「素晴らしい。ピンク色のハート絵馬、視覚的なインパクトは米三十俵分の収穫祭にも匹敵する華やかさです。これなら参列者の記憶に深く残るでしょう」
「米三十俵の基準はサッパリ分かりませんが、縁起物としてもデザインとしても実に素晴らしいアイデアですね」
光秀も穏やかに頷いた。手元の現金を減らすための婚礼プロジェクトとはいえ、身内の温かい門出の準備そのものは、常識人である光秀の荒んだ胃袋をじんわりと癒やしていた。
「ロケハンの場所もバッチリ決まりました! 三光稲荷神社の鮮やかな赤い鳥居と、風情ある古い城下町を背景にして前撮りを撮ろうと思っとります」
「うむ! 風情があって本能寺の公式PRにも映えそうだな」
信長が満足そうに頷く。そこへ、寧々が楽しそうにスマートフォンを取り出した。
「あ、あのね、社長、明智さん。観光でモンキーセンターにも寄ってきたんやけど……すごく面白い写真が撮れたの。見てくれる?」
「ほう、どれどれ」
信長と光秀、そして利家たちがスマートフォンの画面を覗き込んだ。
次の瞬間――店内がシンと静まり返った。
画面に映っていたのは、満面の笑みを浮かべる可憐な寧々の隣で、引きつった顔の秀吉。そしてその周囲を、肩に乗り、足元にしがみつき、背後で異様な存在感を放ちながらカメラを見つめる――画面の八割を埋め尽くす大量の猿たちであった。
「……ん?」
利家が眉をひそめ、画面を目線の高さまで持ち上げた。
「おい秀吉。寧々ちゃんの隣にいるの、お前か? それとも左下でカメラ睨んでるやつか?」
「右端で木からぶら下がってるのが秀吉殿では……?」
成政が真顔で指をさし、長秀も眼鏡を直しながら首を傾げる。
「骨格の収穫高が酷似しておりますね。どれが秀吉殿で、どれが猿なのか判別がつきません」
「どこ見て言うとんねん全員ッ!!」
秀吉が真っ赤になって飛び上がった。
「真ん中で寧々ちゃんの隣におるのが俺や! なんで俺の顔と野生の猿の見分けがつかんのや! 寧々ちゃんには一匹も寄らんのに、なぜか俺の周りだけに大集結してきたんですわ!」
「ぎゃはははは! やっぱりお前か!」利家が腹を抱えて大爆笑する。「お前、完全に群れの長として歓迎されてんじゃねえか!」
「秀吉殿、これ本当に観光の写真ですか!?」光秀も胃を押さえながらツッコむ。「動物園の檻に間違えて放り込まれた事故現場にしか見えませんよ!」
一同が腹を抱えて笑い転げる中、信長だけは腕を組み、画面の隅をギラリと凝視していた。
「……おい、秀吉」
「は、はい社長!?」
信長が指差したのは、群がる猿たちの奥――広場の片隅でパチパチと燃え盛るドラム缶の焚き火と、その周りに陣取る猿たちだった。
「この猿ども……焚き火で暖を取りながら、煙の立ち上るホクホクの焼き芋を器用に頬張っているじゃねえかッ!?」
「え? あ、はい! モンキーセンターの冬の名物らしくて、焚き火に当たって焼き芋を食べる猿として有名らしいですわ」
その瞬間、信長の瞳に熱い料理狂の炎がメラメラと灯った。
「面白い……ッ! 己の温もりを保つために火を囲み、その熾火で甘みを極限まで引き出した芋を無我夢中で喰らう……! これぞ生きとし生けるものの原初にして至高の『食の悦び』ではないかッ!!」
「社長、相手は猿ですよ!? なんで焼き芋を食べる猿にそこまで哲学的な感銘を受けてるんですか!?」
光秀の悲鳴めいたツッコミを豪快に笑い飛ばし、信長はフロアの中央に仁王立ちした。
「決めたぞ」
「……は? 何をですか?」嫌な予感を察知した光秀の眉間がピクピクと跳ねる。
「前撮りの日程だ。秀吉、寧々、前撮りはいつ頃やるつもりだ?」
「あ、ええと……暖かくなってきた春先、四月上旬あたりが桜も咲いてええかなと思っとりまして」
「四月上旬だと? ならばちょうどいい! 前撮りは『犬山祭』に合わせて執り行うッ!」
「「ええっ!?」」
秀吉と寧々が揃って声を上げた。
「犬山祭って……あの、城下町を巨大な車山が練り歩く、伝統の大祭ですか!?」
「そうだ! 祭前日に犬山へ乗り込み、昼間のうちに三光稲荷神社と城下町で前撮りをビシッと終わらせる! そしてせっかく行くんだ、前撮りが終わったら本能寺メンバー全員でモンキーセンターへ観光に繰り出すぞッ!」
「ええっ!? モンキーセンターに全員で!?」
秀吉が目を丸くする。信長はニカッと歯を見せて笑った。
「当然だ! こんな最高の食い方を見せつけられて、素通りできるか! 秀吉の同胞たちに、本能寺一同で挨拶をしに行くぞッ!」
「だから猿は俺の同胞やない言うとるでしょうがッ!!」
秀吉の絶叫を涼しい顔で受け流し、信長はさらに胸を張った。
「そしてそのまま全員で一泊だ! 翌日は犬山祭の熱気と料理を、本能寺総出で体感するのだッ!」
「ぜ、全員で一泊……!?」
光秀の目がカッと見開かれた。
「社長! スタッフ全員で宿泊して観光まで回るなんてしたら、貸切宿の費用やら宴会代やら移動費やらで、莫大な経費がかかってしまいますよ!?」
(……って、あれ!?)
光秀はハッと息を呑んだ。
(莫大な経費がかかる……!?)
(そうだ……! 全員で犬山へ遠征して一泊旅行なんてしたら、手元の余剰資金がドカンと吹き飛ぶじゃないか! 危険設備の買い戻しを遠ざけるための、絶好の浪費チャンス……ッ!)
光秀はサッと表情を切り替え、揉み手をしながら咳払いを一つした。
「……ゴホン! いや、失礼いたしました社長! 実に素晴らしいご英断です! 婚礼の前撮りという慶事、そして本能寺の結束を高める社員旅行を兼ねるとなれば、これは正当な福利厚生費および研修費! 費用は惜しまず、犬山で一番格式の高い宿を押さえましょうッ!!」
「おう、話が早くて助かるぞ光秀ッ!」
信長は豪快に笑い、手元の『缶コーヒー有楽斎』を一気に飲み干した。
「成政、一益! 四月の祭りに向け、現地の屋台や食材のリサーチを進めておけ! 利家、長秀! 遠征の移動計画と米の段取りを抜かりなくなッ!」
「「「「ハッ!!」」」」
こうして、秀吉と寧々の前撮りは、喫茶本能寺のメンバー全員を巻き込んだ「春の犬山祭遠征ツアー」へと一気にスケールアップしたのだった。
そして――季節は巡り、桜舞う春の犬山で、信長たちは昼間とはまったく異なる、犬山のもう一つの顔と巡り合うことになる。




