第39話「安全の皮肉と米の計算」
第39話「安全の皮肉と米の計算」
【東暦一五七二年 七月中旬】
「明智殿、朗報でございますよ。研究が実を結びました」
技術顧問の松永久秀から電話が入った瞬間、光秀の手からペンが滑り落ちた。
「ひ、久秀さん……! 本当ですか!? ということは、『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』の安全性が、ついに確保できる目処が立ったと……!?」
「ええ、確保できますとも。私の開発した超高耐久フレームのおかげで、もはや過剰な感情エネルギーが流れ込もうとも、爆発や炎上を起こす心配は一切ございません」
光秀は受話器を握りしめたまま、ほうっと安堵の深い息を吐き出した。
(よかった……! あんな危険設備、安全性が確保されるならそれに越したことはない。これで爆発騒ぎの恐怖からは解放されるんだ……)
胸を撫で下ろす光秀に、電話口の久秀はクックックと妖しく喉を鳴らした。
「ええ、爆発も炎上もしません。――ただ、その代わりと言っては何ですがね」
「……え?」
「過剰なエネルギーを爆発として外部へ逃がせなくなった分、すべてのエネルギーが内部圧力として極限まで凝縮される構造になりましてね」
久秀の声が、心なしか楽しそうに弾む。
「爆発や炎上を起こしてくれた方が、まだ被害が小さかったと言えるレベルの、超絶的な高出力が出せるようになりました」
光秀の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「は……? い、言っている意味が……」
「クックック。単純な話ですよ。旧型の数倍のパワーで料理を過酷に焼き上げ、一瞬で仕上げる『超高出力・絶対不壊仕様』への進化でございます」
久秀は誇らしげに告げた。
「まさに、食による天下統一の最終兵器と言えましょう」
「結局『天下布武』を目指す構造になってるじゃねえかァァァッ!!」
光秀の悲鳴が事務室に虚しく響き渡った。
爆発しない代わりに、料理狂の信長が泣いて喜ぶような「超高出力の最終兵器」へと化けてしまったのだ。
「ダ、ダメだ……! このままでは本当に、あの恐ろしい二大設備がお店に帰ってきてしまう……ッ!」
絶望の淵に立たされた光秀だったが、まだ諦めてはいなかった。
(こうなったら、調理もホールも一切関係のない『純粋な事務職・経理』として人を雇う! 現場の売上には一円も貢献しない余剰人員を抱え込み、今度こそ人件費で利益を削り取ってやる……!!)
光秀はすぐさま求人広告を打ち、経理専門スタッフとして丹羽長秀を採用した。
「丹羽長秀と申します。帳簿の管理と業務改善はお任せください」
メガネをかけた知的で穏やかな男・長秀。
光秀は手帳を開き、内心で不敵な笑みを浮かべた。
(勝った……! 事務職なら直接的な売上は生まない! これで丹羽殿の人件費が丸々固定費となり、利益は確実に目減りする……!)
だが、長秀はただの経理ではなかった。
彼はあらゆる数字を「米の石高」へ換算して思考する、根っからの『米狂い』だったのである。
「明智殿、さっそく店舗の無駄を精査いたしました」
長秀は淡々と書類をめくった。
「電気代は米三俵分のロス。仕込みの廃棄ロスは米五斗。食材の在庫回転にも改善の余地があります」
「……どうして全部、米で換算するんですか?」
「金額では、米が増えませんので」
「そこにこだわるんですか!?」
長秀は本気だった。
彼は徹底的な業務改善を行い、本能寺の細かな無駄を次々と削ぎ落としていった。
もっとも、所詮は個人経営の喫茶店が一店舗。大企業のような大規模なスケールメリットが出るわけでもない。
結果として、削減できたコストは長秀の人件費には届かず、利益はほんのわずかに減少した。
(よし……! わずかとはいえ、人件費で利益が減ったぞ……!)
光秀が小さくガッツポーズをした、まさにその時だった。
長秀が一枚の書類を手に、信長と光秀の前へ進み出た。
「織田社長、明智殿。経理の視点から、もう一つ提案がございます」
「なんだ?」
「現在のモーニングはパンや燻製卵などの洋食が中心ですが、仕入れルートと米の在庫を活用し、通常メニューに『和食モーニング』を追加すべきです」
「なに……? 和食モーニングだと?」
信長が眉を動かす。
「はい。極上の炊き立て銀シャリと燻製鮭のセットです。米の回転率を高めつつ、和食を求める年配層や観光客も取り込めます」
長秀の目が、ほんの少しだけ怪しく輝いた。
「何より――米が減れば、新しい米を仕入れられます」
「そこが目的かァァァッ!?」
光秀が絶叫した。
数日後、試験的に導入された和食モーニングは、長秀の米への異常なこだわりが功を奏し、近隣の年配客や観光客の間でじわじわと人気を獲得していった。
「朝はやっぱり米だな」
「この鮭、うまいねぇ」
「この店、洋食だけじゃなかったのか」
「また売上が増えたぁぁぁぁっ!?」
長秀の人件費で削ったわずかな利益など一瞬で吹き飛び、新規顧客の開拓によって、店舗の利益はまたしても過去最高を更新してしまった。
その後も長秀の業務改善と和食モーニングの効果は続き、季節は夏を越え、秋へと移り変わっていった。
そして――数カ月後。
【東暦一五七二年 十一月下旬】
「……あ、あ、あああ……」
事務室で電卓を握りしめたまま、光秀は完全に魂が抜けた顔で天井を仰いでいた。
人を増やせば売上が伸びる。
仕入れを見直せば原価が下がる。
研究費を渡せば設備が強化される。
経理を雇えば新メニューで儲かる。
光秀が仕掛けた防衛策のすべてが、本能寺を「無敵の超優良企業」へと押し上げていた。
そこへ、信長が帳簿を手に、満面の笑みでやってきた。
「ガハハハハ! 見ろ光秀ッ! 繰り上げ返済も順調に進み、ついに開設ローンの完済が目前だッ!」
信長の目がギラリと輝く。
「久秀の安全(?)研究もとっくに完了している! このままいけば、来年の初夏にはあの『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』の買い戻し資金に余裕で手が届くぞッ!!」
「ヒッ……!」
光秀の背筋に冷たいものが走った。
(マジで設備が帰ってくる……! 完済した瞬間に、あの恐ろしい最終兵器が導入されてしまう……ッ!!)
利益が出過ぎてローン完済が迫り、手元の現金が危険設備へと姿を変えようとしている。
極限の恐怖と焦燥で光秀の胃がキリキリと悲鳴を上げていた、その時だった。
ガラガラッ!
厨房の引き戸が開き、ホール業務を終えた秀吉が、柄にもなく緊張した面持ちで入ってきた。
「あ、あの……社長、明智殿。お二人に、ちょっと大事なご報告がありまして……」
「ぬ? なんだ秀吉、改まって」
信長が缶コーヒー有楽斎を片手に振り返る。
秀吉はエプロンの端をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしながら深々と頭を下げた。
「俺……寧々ちゃんと、正式に結婚することになりましたッ!!」
「おおっ!?」
信長が目を丸くする。
「あの寧々とか! ついに腹を括ったか!」
「はい! 色々ありましたけど、やっぱり俺の人生には寧々ちゃんが必要やと確信しました。半年後くらいを目処に、小さな式でも挙げようかと思っとりまして……」
照れくさそうに笑う秀吉。
その瞬間――!
放心していた光秀の脳細胞に、天啓のような稲妻が走った。
(……え? 結婚式……? 秀吉殿が……結婚……!?)
電卓の数字、積み上がった純利益、目前に迫るローンの完済、そして手元に溢れかえる余剰資金。
それらすべてが、光秀の頭の中でパズルのピースのようにガチリと噛み合った。
(……わ、渡りに船だァァァァァッ!!)
光秀はガタッと椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。 ふと事務室の小窓に目をやると、十一月の冷え込む曇天から、しとしとと静かに雨が降り注いでいた。曇り硝子を濡らす雨粒を視界の端に捉えながら、光秀は目を血走らせ、虚空を見上げて高らかに詠み上げた。
「――時は今、天(あめ)が下しる、慶事かな……ッ!」
「えっ? な、なんですか明智殿、外の雨見て急に発句なんて……?」
「秀吉殿ォォォッ!! なんという素晴らしい慶事ですかッ!!」
光秀は秀吉の両肩をがっしりと掴み、そのまま信長へと向き直って凄まじい熱量で捲し立てた!
「社長! お聞きになりましたね!? 秀吉殿は当店の創業メンバー! 接客の要! そして、本能寺を支え続けてきた大切な仲間です!」
「む? まあ、そりゃそうだが……」
「ですから社長! 秀吉殿の結婚式を、小さな式などで済ませてよいはずがありません!」
光秀は拳を力強く握りしめた。
「この喫茶『本能寺』を丸ごと貸切にして、盛大に執り行うべきです! そして――式の費用は、すべて本能寺が全額負担いたしますッ!!」
「ええええええっ!?」
秀吉が飛び上がった。
「い、いやいや明智殿! 申し訳なさすぎますわ! なんで店の金で俺の式を――」
「遠慮はいりません秀吉殿ッ!」
光秀は秀吉を制し、信長へ鬼気迫るプレゼンを叩きつけた!
「社長! 豪華絢爛な手作り結婚式を当店で催せば、完全予約制の高級個室『黄金茶室』の最高のPRになります!」
信長が眉を上げる。
「『人生の門出を祝う至高の空間』として、これ以上の宣伝はありません! 新郎新婦の衣装の特注、こだわりの引き出物の開発、黄金茶室での前撮り撮影、そして最高の婚礼料理……! 半年以上の準備期間をかけて徹底的に作り込めば、今後の高単価な婚礼・宴会需要を一気に取り込めます!」
光秀はさらに畳み掛ける。
「広告宣伝としてどこまで経費計上できるかは税務上の確認が必要ですが――今ある利益を大規模なPRプロモーションとして投入すること自体は、経営上なんの問題もありません! 手元の現金をこの結婚式にドカンと注ぎ込むべきですッ!!」
(そうだ……! 秀吉殿の結婚式という誰も文句の言えない大義名分で、半年かけて衣装代や引き出物、前撮り費用として手元の利益を綺麗さっぱり使い切る! 現金さえ減らせば、ローンの完済を遅らせ、危険設備の買い戻しを物理的に阻止できる……!!)
光秀の必死すぎる熱弁を聞き、信長は一瞬呆気にとられたように目を丸くした。
やがて――信長は手にした缶コーヒー有楽斎を一気に飲み干すと、腹の底から豪快に大笑いした!
「ガハハハハハ! 素晴らしいじゃねえか光秀ッ!!」
信長は拳を力強く握った。
「身内の門出をド派手に祝い、同時に黄金茶室の名を天下に轟かせる! 前撮りから料理まで、俺がすべてプロデュースしてやる! 費用なんぞ本能寺が全額持ってやるわッ!!」
「社長……ッ! 明智殿……ッ!」
秀吉の瞳に大粒の涙が溢れ出す。
「う、うちの店……最高ですわ……ッ!」
「で、では社長……式の期日は!?」
光秀が身を乗り出す。
信長はニヤリと不敵に口角を吊り上げた。
「決まっておる! 準備に半年……ならば日取りは東暦一五七三年 六月二日だ! 秀吉と寧々の結婚式を、ここ本能寺で盛大に執り行うぞッ!!」
「やった……!!」
光秀は心の中で涙を流しながら、特大のガッツポーズを決めた。
(これでいい……! 半年かけて利益を使えば、あの設備の購入資金など残らない!)
これで危険設備の復活は、しばらく阻止できる。
光秀は、そう確信していた。
しかし――光秀はまだ知る由もなかった。
客たちの【楽しい】を受け止め続けた『楽市楽座』。
そして、人間の真実の【喜び】に応える『黄金茶室』。
その二大設備が揃い踏みする本能寺で、半年間の準備を経て、大勢の参列者が一斉に放つ「人生最大級の喜び」を受け止めたとき――。
一体どれほどの感情エネルギーが生まれ、何が起こるのか――いや、どんな大爆走を引き起こすのかを。
運命の日――東暦一五七三年六月二日の「結婚式」へ向けて、本能寺は衣装合わせや前撮り、婚礼メニュー開発という、賑やかで温かい狂騒の準備期間へと突入していくのだった。




