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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
第四章 黄金の輝きと復興

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第36話「佐々成政、仕入れを制す」


第36話「佐々成政、仕入れを制す」



前田利家がホールを制し、本能寺がさらなる大盛況となってから数日後。


「料理狂」と化した織田信長が繰り出す料理へのこだわりは、日に日に熱を帯び、とどまるところを知らなかった。


「成政ッ! 明日の特製モーニングで使う燻製用ハーブ鶏と極上ジャージー牛乳、それから朝倉ファームの小麦粉の仕入れ価格はどうなっているッ!?」


厨房で腕を組む信長の大声に、調理補佐兼仕入れ担当として採用された佐々成政が、背筋をピシッと伸ばして立ち上がった。


「ハッ、織田社長! 現在、食材の標高(仕入れ価格)は非常に危険な高水準にあります!」


「なんだと……!?」


成政は懐から手帳を取り出し、真顔で語り始めた。


「信長社長の料理に対する情熱は、まさにエベレスト級の超高峰。妥協なき最高級食材をご所望されるお気持ちは理解できますが、現在の提示価格で仕入れ続ければ、我が本能寺は登頂(経営)前に原価率の崖から転落死いたします!」


「誰が転落死ですか成政殿ッ!?」


カウンターで電卓を叩いていた光秀が、胃を押さえながら悲鳴をあげる。


「ですが社長、成政殿の言う通りです! 利家殿のおかげで客数は増えましたが、社長の食材へのこだわりがあまりに強すぎて、売上が伸びても原価率が圧迫されているのです……ッ!」


「フン、料理の味を落とすようなケチな真似ができるか!」


信長が鼻を鳴らす。


「だが……無駄なコストを払うつもりもねえ。成政、お前の交渉力を見せてみろ!」


「お任せください!」


成政は胸を叩いた。


「俺の仕事は、業者との交渉という名の岩壁にハーケンを打ち込み、相手の防衛線を四合目から一歩ずつ切り崩し、適正な仕入れ価格という名の『山頂』へ到達することです!」


「相変わらず何でも山に例えるんやな、佐々さんは……」


秀吉が苦笑いする中、成政は大きな登山リュックを背負い、軽バンの鍵を握りしめて店を飛び出していった。


⸻


成政が最初に向かったのは、特製モーニングのトーストの命である高品質な小麦を生産している『朝倉ファーム』であった。


トラクターの上で休んでいた農園主・朝倉義景は、登山リュックを背負って目の前に仁王立ちした成政に目を丸くした。


「おお、本能寺の新しいお方か。先日の『本能寺煙上』の大騒動、SNSで拝見しましたぞ。本願寺カフェさんのボイラーでお湯を沸かして蒸気で解決したとか……相変わらず奇想天外な店ですな」


「朝倉殿。挨拶はそこまでにしよう」


成政はアタッシュケースをトラクターのボンネットにドンッと置いた。


「単刀直入に言う。今年の小麦、一キロあたり二割下げていただきたい」


「ほお、二割」


朝倉が首を傾げる。


「しかし佐々殿、うちの小麦は手作業で厳選しておる。本願寺カフェさんなどは『通常価格の倍で全量買い取る』と仰っておるのだがね?」


本願寺カフェとの奇妙な共生・話題のセット売りが成立しているとはいえ、仕入れ市場においては今なおライバル同士。


本願寺の資金力は脅威であった。


だが、成政は一切動じない。


冷たい眼光で朝倉を見つめた。


「本願寺の提示する倍額……なるほど、魅力的な雪壁に見えるでしょう」


「む?」


「だが朝倉殿! 巨大な資本に乗っかるだけの取引は、いつ崩落するかわからん雪崩のようなもの!」


成政は身を乗り出した。


「対して我が本能寺は、前回の『煙上事故』でも本願寺のボイラーとラインを直結させ、お互いの強みを活かして大バズりを巻き起こした実績がある!」


さらに一枚の資料を取り出す。


「我が店と長期契約を結べば、西枇杷島まつりのような大イベントのたびに、朝倉ファームの小麦の名は東海全域へ『伝説の食材』として拡散される!」


「む、むむ……!? たしかに前回の合同フェアのあと、うちの小麦の問い合わせは増えたが……」


朝倉が考え込んだ瞬間、成政は契約書を突きつけた。


「長期一括購入のロープを今ここに垂らします! 二割引きの価格で、我々と一緒に食の山頂を目指しましょう!」


「あ、圧倒される……! 分かった、二割引きで契約更新だ!」


⸻


さらに成政の猛攻は続いた。


次に向かった『浅井農園』では、極上ハーブ鶏だけでなく、本能寺の珈琲ラインを支える国産珈琲豆の栽培も手がける農園主・浅井長政に対し、成政は意外なカードを切った。


「浅井殿! 以前、浅井農園の珈琲豆を試飲した有楽斎様が『浅井殿の妥協なき仕事ぶりと誠実な人柄は素晴らしい』と社長に大絶賛していた。そこでだ……」


成政は真顔で言い放った。


「我が社長の妹・お市(※すこぶる男運が悪いと評判の美女)の連絡先という名の『特大の懸垂氷柱』をプレゼントしよう!」


「な、なんですって!?」


(※もちろん、お市本人の許可など一言も取っていない。妹のあまりの男運の無さを日頃から心配しすぎた信長と有楽斎、そしてそれに忠実な成政による、暴走した勝手な好意である。)


この斜め上の熱意(?)と長期契約の提示に見事圧倒され、浅井農園からもハーブ鶏と珈琲豆の二割引き調達に成功。


そして最後に向かったのは、最大の難関である『武田茶園』。


山肌一面に広がる圧倒的な規模の茶畑。


ここは『武田』という絶対的なブランド力を持ち、生産力でも他を寄せ付けない巨大農園だった。


応接室で彼らを待っていた若き当主・武田勝頼は、資料を手に成政と光秀を見つめた。


「本能寺の購買担当か。茶葉の価格についての相談なら聞こう」


「勝頼殿。本願寺から、かなり良い条件が提示されていることは承知している。だが我々としても、できる限り本能寺への供給を維持していただきたい」


成政が切り出す。


勝頼は静かに首を振った。


「正直に言おう。今の市場状況では、価格を下げることはできない」


「む……」


「それどころか、今年は天候の影響もあり、収穫量そのものが減っている。本能寺への供給量も、去年と同じにはできない」


「価格は据え置きで、供給量まで減るのか……!」


成政が唸る。


勝頼はさらに資料をめくった。


「そして本願寺からは、一定量を優先的に買い取る契約の話が来ている。資金力だけを考えれば、そちらを優先するのが経営としては自然だ」


「……なるほど」


成政は腕を組んだ。


価格。


供給量。


そして、本願寺という巨大な取引先。


成政はしばらく資料を見つめていたが――やがて、小さく息を吐いた。


「……これは、俺の交渉だけではどうにもならんな」


「成政殿……?」


光秀が振り返った、その時だった。


ドサッ!


光秀がその場で膝をついた。


「勝頼殿……!」


「なに?」


「安くしてくれとは言いません。全量を寄越せとも言いません」


光秀は深々と頭を下げた。


「ですが……本能寺の料理に、武田の茶は必要なんです」


「……」


「当店のホットサンドを食べた後、あの茶葉の強い渋みと深いコクがあるからこそ、料理の余韻が完成する。まして本願寺カフェのコーヒーとの食べ合わせにおいても、武田の茶葉だからこそ生まれる味がある」


光秀は頭を上げた。


その目には、普段の経営者としての計算ではなく、店長としての強い意志が宿っていた。


「本願寺のような資本力はありません。ですが……本能寺の味を守るために、必要な分だけは残していただきたい」


勝頼は黙って光秀を見つめた。


やがて、小さく息を吐く。


「……親父なら、もっと上手く交渉して利益を絞り取っただろうな」


「そ、それは……」


勝頼は資料を閉じた。


「全量は無理だ。本願寺との話も進んでいる」


そして、指を三本立てる。


「だが、三割。三割だけなら、今まで通りの価格で優先して卸してやる」


「……!」


「本能寺のホットサンドの味が落ちるのは、俺も惜しいからな」


光秀は目を潤ませ、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


成政も短く息を吐いた。


「……どうやら、遭難だけは免れたようだな」


⸻


夕刻。


喫茶『本能寺』の厨房へ帰還した成政は、ズシリと重い食材の山をテーブルに並べた。


「報告いたします! 朝倉ファーム、浅井農園、武田茶園……すべてのルートを無事に登頂(攻略)いたしました!」


「おおっ! すげえや佐々さん!」


秀吉が歓声をあげる。


「小麦とハーブ鶏が、今までより二割も安く手に入ってるやんか!」


「フン、上出来だ成政」


信長が満足げにニヤリと笑う。


「これで妥協せずに、もっと良い料理を作れるぞッ!」


現場が歓喜に包まれる中――。


事務室で電卓を叩いていた光秀の動きが、ピタリと止まった。


カタカタカタ……ッ。


「……おかしい」


光秀は手帳の数字と電卓の画面を三度見した。


「利家殿がホールを回して売上を伸ばし……成政殿が仕入れ値をカットして原価率を大きく改善させた……。その結果……」


人件費が増えたはずなのに、利益のベースは明らかに底上げされていた。


二人分の人件費を軽々と上回るほどの確かな利益が、手元に残っていたのだ。


「……まずい」


光秀の背筋を、冷たい悪寒が走る。


(あ、あと少しで……あの爆発するような危険設備が買えてしまう……ッ!)


光秀は、厨房の奥をチラリと見た。


そこには、かつての本能寺を象徴した二大危険設備の設計図が保管されている。


(今は利家殿と成政殿のおかげで、ホールも厨房も十分に回り始めている)


光秀は必死に考えた。


(ならば――あえて過剰な人員をドカンと雇い入れ、人件費という名の固定費を膨らませ、利益を限界まで削ってやる……!!)


そして、その先に待つものを想像する。


(危険設備の再建予算を……遠ざけてやる……!!)


光秀は冷や汗を拭い、表情をサッとビジネス用に作り直した。


そして、絶妙な引きつり笑いを浮かべながら信長のもとへ歩み寄る。


「しゃ、社長……! 素晴らしいご報告がございます」


「なんだ?」


「成政殿の尽力で原価率が改善し、現場のオペレーションも安定いたしました」


そこで一拍置く。


「……ですが、現在の人気から見れば、まだまだ当店はお客様をお断りせざるを得ない状況です!」


「なに……? まだ客を逃していると?」


信長の眉がピクッと動いた。


光秀は内心で拳を握る。


(よし、食いついた……!)


そして朗々と畳み掛けた。


「ええ! ですから社長、さらに人員を増やせば、もっと多くのお客様を相手にできます! スタッフをさらに補強し、稼働率を上げれば、この清須の『食の天下』はさらに盤石となりますよ!!」


信長は光秀をじっと見つめた。


やがて――ニヤリと不敵に口角を吊り上げる。


「……ほう。さらに人を増やして、もっと大勢の客に俺の料理を食わせろと?」


「は、はい! 人件費は増えますが、これこそが本能寺の更なる飛躍のための攻めの経営ですッ!」


(よしッ! これで無駄な人件費が増えれば利益は吹き飛び、危険設備の復活は遠のく……!)


胸を撫で下ろす光秀。


だが――。


信長は高らかに笑い声をあげながら、光秀の肩を力強く叩いた!


「ガハハハハハ! 言うようになったじゃねえか光秀ッ!」


「え?」


「新たな仲間を迎える準備だッ! 人手を増やして、もっと大勢の客に俺の料理を食わせるぞッ!」


信長は拳を握りしめた。


「そして――元の二大設備を爆速で復活させるッ!!」


「……え?」


「おい成政! 利家! 新たな募集の準備だッ! 人手を増やしてさらに客をさばき、売上を伸ばしてオーブンと平蜘蛛を取り戻すぞッ!!」


「「おーッ!!」」


光秀は「あ……あ……」と口をぐうの音も出ないほど開けたまま硬直した。


余剰人員を抱えて人件費を増やし、利益を圧縮して危険設備を遠ざけようとしたはずが――。


信長の手によって、


「人手を増やして、さらに客数と売上を伸ばす大増員作戦」


へと変換されてしまったのだ。


人件費を増やして利益を削ろうとすればするほど、店が儲かる。


その結果、光秀が遠ざけたかった『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』は、むしろ以前より早く復活へ近づいていく――。


本能寺の「恐怖の増員スパイラル」は、さらなる加速を見せるのだった。


挿絵(By みてみん)


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