第33話「本能寺煙上」
第33話「本能寺煙上」
【東暦一五七二年 六月二日・朝】
『楽市楽座』による燻製卵モーニングの爆発的ヒットから一週間、喫茶『本能寺』は歴史的な一日を迎えていた。
「いらっしゃいませですわーッ! 12番テーブル様、燻製卵モーニング四つと金色ソフトクリーム追加ですわッ!」
「秀吉、テイクアウト用の『金色ゆで卵』の在庫が切れます! 追加の燻製を急いでください!」
ホールを残像とともに駆け回る秀吉と、電卓を叩きながら悲鳴をあげる光秀。厨房の奥では、信長が制御レバーを握りしめていた。
「ガハハハハ! 客の【楽しい】が広がれば広がるほど、楽市楽座の香気拡散機能はさらに出力を増す! 久秀、出力を限界まで解放しろッ!」
「クックック……了解いたしました、織田社長。正のフィードバック回路、フルドライブでございます!」
「ちょっと待ってください久秀さん!?」
光秀が顔を青くして叫ぶ。
「いくら【楽しい】感情の循環だからといって、出力を上げすぎたら――」
直後、事故は起きた。
客たちが料理を楽しみ、その【楽しい】という感情が楽市楽座を活性化させる。
さらに広がった香りが新たな客を呼び、その客たちの【楽しい】もまた設備へ流れ込んでいく。
正のフィードバックが過熱しすぎた結果、『楽市楽座』の制御レバーがガチリと焼き付き、暴走を始めたのだ!
「なっ……!? レバーが固定されて戻らんッ! 制御不能だッ!」
「社長! 【楽しい】の循環が止まりませんわッ!?」
「モクモクモクモクモクッ!!」
楽市楽座のスモーカーから、凄まじい量の芳しい燻煙が噴出し始めた!
排気ダクトと煙突を通じ、本能寺の屋根から溢れ出た圧倒的な煙は、朝の清須の街全体へとなだれ込むように拡散していった。
清須の市街地は、瞬く間に「白い香り豊かな煙」で覆い尽くされた。
「……ん? なんだこの煙は!?」
「火事か!? いや待て、めちゃくちゃいい匂いがするぞ!?」
「本能寺だ! 本能寺から煙が出てるぞーッ!!」
折り悪く、この東暦1572年6月2日は、『尾張西枇杷島まつり』の人出がちょうどピークを迎える日であった。
街道に溢れかえっていた数万人の観光客や山車の引き手たちが一斉に本能寺の煙に巻き込まれ、清須市のSNSは瞬く間に『大煙上』を果たした!
『【速報】西枇杷島まつりの会場が本能寺の煙で包まれるwww』
『本能寺がまた変を起こしてるwwww』
『名物「本能寺の変(煙)」発生中』
「本能寺の変」というキーワードがトレンド1位を独走し、煙の源泉である本能寺へ、そのうち数千人もの人々がなだれ込む。
さらに『本能寺がまた燃えている』という誤報通報が殺到し、祭り警戒中だった清須市消防局の消防車と警察が出動する大騒ぎとなった。
「織田社長! 祭りのピーク時に街中に煙を充満させて大混乱を起こすなんて、営業妨害どころの大騒ぎじゃありませんよ! 今すぐ煙を止めなさい!」
踏み込んできた消防隊長に、信長が胸を張って言い返した。
「ハッ! 煙を出して食欲をそそるなんざ、老舗の鰻屋も同じことをやっておるだろうがッ!」
「街中を煙まみれにして流石にその理論は通じませんよォォォッ!!」
光秀が頭を抱えて悲鳴のようなツッコミを入れる。
「だ、ダメです! 正のフィードバックが止まらず、流れ込み続ける【楽しい】のエネルギーを消費し切らないと、煙を止められません……ッ!」
そこへ、騒ぎを聞きつけた『本願寺カフェ』の顕如が、人混みを掻き分けて堂々と姿を現した。
「……やれやれ、織田社長。相変わらず極端なやり方ですね」
顕如は苦笑しながらも、静かに手札を提示した。
「我がカフェの安全装置……『蒸気発電ボイラー』へ直接バイパスラインを繋ぎなさい」
「なに? 蒸気発電……だと?」
「暴走した過剰な感情エネルギーを直接使うのは危険ですが、あえて熱に変換して湯を沸かし、その蒸気でタービンを回して電力へ変換すれば安全に消費できます。変換効率は極めて落ちますが、過剰エネルギーを安全に相殺させるにはそれが最適な方法です。我が本業であるエネルギー事業のノウハウで作った安全装置ですよ。発電した電力は、我が店の巨大調理設備『ヒートクック』の稼働電力として一気に使って消費してあげましょう」
「……ライバルの設備にうちのエネルギーを喰わせて湯を沸かさせ、電気に変えてクッキングさせろだと?」
信長は顕如を見つめ、やがてニヤリと不敵に笑った。
「面白い……! 久秀、本願寺の『ボイラーライン』へ感情バイパスを繋げッ!」
「クックック……本願寺の変換器への接続、お任せあれ!」
パイプラインが緊急接続された瞬間、楽市楽座へ流れ込み続けていた過剰な【楽しい】感情エネルギーが、本願寺カフェの感情電力変換ボイラーへと雪崩れ込んだ!
『シューーーーッ……ゴォォォォッ!!』
強大な過剰エネルギーが熱へと変換されて一気にお湯を沸かし、沸き立った湯から発生した蒸気がタービンを猛回転させ、電力を生成!
本願寺カフェの『ヒートクック』が大電力を受けて一斉に稼働し、加熱調理が開始される。
こうして、過剰エネルギーが安全に消費されていく。
「……あッ!? 消防隊長、前が見えませんよッ!?」
本願寺のシステムに繋いだ直後、ボイラーの安全弁が作動し、大量の白い蒸気が『シューーーッ!!』と周囲へ猛烈に吹き出した!
楽市楽座の燻煙に蒸気が混ざり込み、祭りでにぎわう街路は、さらに視界ゼロの白煙まみれと化してしまった!
「うわあああ! 今度は蒸気で何にも見えないぞッ!?」
「でも凄く温かくて珈琲のいい匂いだーッ!」
消防隊員や祭りの客たちが白煙の中でもみくちゃになる中、ヒートクックが発電された電力を全力で熱へ変換し続けると、楽市楽座側のフィードバック回路が急速に沈静化。
やがて、モクモクと立ち上っていた楽市楽座からの香気の煙が、嘘のように弱まっていった。
「……あ、煙が薄くなってきたぞ……!」
「ふぅ……なんとか火事じゃないって分かってよかったな」
煙が収まるとともに周囲の視界も開け、パニックになりかけていた群衆の騒ぎも徐々に収まっていったのだった。
「全客席へ通達! 本日は『本能寺×本願寺・緊急合同モーニングフェア』だッ! 本願寺のヒートクックで焼き上げた極上トーストと、我が店の燻製卵を同時に味わえッ!」
信長の大号令に、街道を埋め尽くした祭り客からは大きな歓声が上がった。
『第一の「本能寺の変」=【怒り】の炎による火災騒ぎ』
『第二の「本能寺の変」=【哀しみ】の爆発による炎上騒ぎ』
『第三の「本能寺の変」=【楽しさ】の煙による街中大騒動』
【東暦1572年6月2日】という歴史的な日に起きた三度目の「本能寺の変」は、西枇杷島まつりの観客や警察・消防をも巻き込みながら、清須市を揺るがす大騒動となった。
「……ハァ、ハァ……なんとか無事に収まりましたね……」
夕刻、大騒動を終えた本能寺の店内で光秀がへたり込んだ。
しかし、その手にある帳簿の数字は過去最高額を叩き出していた。
「社長……『本能寺の変』がSNSで拡散され、我が店の知名度は愛知どころか東海地方全域にまで広がり始めていますよ……!」
「フン、まだ東海地方か」
信長は缶ビールを煽り、窓の外の夕空を見上げた。
「客が増え、名が売れたのは良い傾向だ。楽市楽座の通常モーニングと、黄金茶室の特別食堂……この二刀流で稼ぎ、いずれは『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』の二大危険設備を取り戻すぞ!」
メラメラと野望を燃やす信長に対し、秀吉と光秀は一瞬で顔をひきつらせ、声を揃えて首を横に振った。
「嫌ですわ社長! あんな爆発するような危険設備、もういりませんって! 今の『黄金茶室』と『楽市楽座』だけで十分最高ですわ! もう、このままでええんちゃいますか!?」
「羽柴殿の言う通りです! やっと平和で安全な営業が軌道に乗ったのですから、絶対に余計な設備復活はやめてください!!」
二人の必死な制止に、信長は高らかに笑い声をあげた。
「ガハハハハ! 言わせておけ! 俺たちの食による天下統一『天下不武』の道は、まだまだここからなのだッ!」
煙の騒動を乗り越え、通常モーニングと特別な日の両輪で、着実に歩み始めた『喫茶厨房本能寺』。
その復興戦略は、またひとつ確かな成果を上げた。
だが――通常営業と特別営業の「二刀流」が大成功を収めたことで、本能寺はすぐに「深刻な人手不足」という新たな問題に直面することになるのだった。




