第28話「お食い初め――徳川家康と信康」
第28話「お食い初め――徳川家康と信康」
『人生の節目を祝う特別食堂』として三度目の予約営業を迎えた喫茶『本能寺』。
「……羽柴殿、本日の予約客は、あの投資会社『三河開発』の徳川家康様とそのご家族です。失礼のないよう頼みますよ」
光秀が緊張した面持ちで秀吉に告げた。
「知ってますわ! 長年勤めた株式会社今川義元を脱サラして個人事業主になられたばかりの家康様ですな! かつて『平蜘蛛』を開発する際にも、資金面で多大なご支援をくださった大切な恩人のお客様です!」
「そうです。ですが、独立された直後とあって家康様ご自身も非常に気が張っておられます。今回はご長男である『信康ちゃん』のお食い初め……父親である広忠様も同席されるとのことですが、親子間の微妙な緊張感もあるようです」
「任せてください! 一豊様の『緊張をほぐす』、右近様の『価値観に寄り添う』を経て、今の俺はひと味違いますわ!」
秀吉が気合を入れた直後、ガラガラと引き戸が開いた。
厳格な雰囲気を纏った父親の広忠を先頭に、ピシッとしたスーツ姿の家康、その妻、そして抱かれた赤ん坊の信康が入ってきた。
「いらっしゃいませですわーッ! 家康様、本日は信康様のお食い初め、誠におめでとうございます!」
秀吉が恭しく個室『黄金茶室』へ案内したものの、室内にはピリピリとした空気が流れていた。
「家康。三河開発とやらは、順調なのか?」
広忠が硬い表情のまま問う。家康は肩を強張らせ、硬い声で返した。
「……まだ始めたばかりです。ですが、必ず軌道に乗せてみせます」
「今川義元様の会社を辞めてまで始めたのだ。簡単に失敗するわけにはいかんな」
「分かっています!」
家康の声がわずかに尖る。広忠の厳格さに『一人前の事業者として認められたい』という強い力みが空回っていた。
秀吉は思わず足を踏み出し、口を開きかけた。
(家康様、そんな固くならんと――)
だが、秀吉はハッと己の言葉を飲み込んだ。
(……いや。一豊様の時なら俺が間に入って解決しようとした。右近様なら自分の励ましを押し付けようとした。でも、今は……あかん。ここは、このご家族自身が向き合う時間なんや)
言葉を無理に挟まず、ただ温かく見守る。それが、秀吉の掴みかけた『接客の第三歩』だった。
その時、腕の中の赤ん坊・信康が「ふぇっ……ふぇぇ……」と小さな声を上げた。
「おっと、信康……お腹が空いたのか?」
「……お前も、父親らしくあやせるようになったのだな」
「え?」
家康と広忠の視線が交差する。二人の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「よう、竹千代……じゃなかった、家康。相変わらず堅苦しいツラしてんな」
信長自らが、研ぎ澄ました包丁を振るい、火加減まで一切の妥協なく手作業で仕上げた祝いの膳――『手仕込みの鯛の塩焼きと一汁三菜』を運んできた。
「……信長殿。人前で昔の名を呼ぶな」
「ガハハハ! 昔から変わらんなお前は!」
幼馴染である信長の破天荒さに、家康の肩の力が一気に抜けた。信長はニヤリと笑うと、祝い膳をテーブルに置いた。
「お前が昔、俺に言ったのを覚えているか? 『料理ってのは、食う奴の顔を思い浮かべて作るもんだ』とな。脱サラして一人で立ち上がろうとしてるお前の顔と、その親父さんの顔を思い浮かべて作った。……食ってみろ」
家康と広忠が、運ばれてきた祝い膳の出汁を一口含み、鯛の身を噛み締めた。
「……っ! なんだこの温かさは……! 手間暇をかけて作られた旨味が、体にじんわり染み渡っていく……」
広忠は赤ん坊の信康の小さな口元へ鯛の身をそっと添える『お食い初め』の儀式を優しく行いながら、ぽつりと呟いた。
「……家康。会社を辞めて一人で立ち上がると聞いた時は心配したが……お前には、こうして手作業の温もりを込めて祝ってくれる良い幼馴染がいるのだな」
「父上……」
「お前が生まれた時も、わしはこうして祈っていたのだ。健やかに育てとな。……一人で抱え込まず、たまには顔を見せろ」
父の不器用だが温かな本音を聞き、家康の目から涙が零れ落ちた。
「……はい! 父上、ありがとうございます!」
あえて口を出さず見守った秀吉の接客と、信長の料理が生んだ温かな空気の中で、家族全員の顔に溢れんばかりの純粋な【喜び】が広がっていった。
その瞬間――。
カチッ……キーーーーン……。
真鍮ランプがゆっくりと淡い輝きを放ち始め、個室全体がまるで陽だまりのような温かな光に包まれていった。
「……ほう。部屋が……黄金色に輝いているな」
家康が感極まった様子で部屋を見上げる。
「素晴らしい……。独立して不安ばかりだったが、家族の絆を祝福してくれるような部屋だ。かつて平蜘蛛の開発に投資したわしの選択に、間違いはなかったな……!」
個室の外で、光秀が目元を拭いながら電卓を叩いた。
「よし……! お食い初め特別コース代金と、皆様のお祝い酒代、無事に回収いたしました! 今回の利益で、厨房の備品購入費が賄えますよ!」
「明智さん、泣きながら電卓叩くのやめてくださいな……!」
秀吉が突っ込みつつも、その胸には温かな充足感が満ちていた。
一方、厨房へ戻った信長は、缶ビールを煽りながらしみじみと呟いた。
「……フン、あの堅物の竹千代が、父親か。なんだか奇妙な気分だな」
「信長様もいつかは父親になられるのですよ」
光秀が呆れ顔で返すと、信長は目をギラギラと輝かせた。
「そうだな! もし俺に子供が生まれたら……そうだな、名前に『奇妙』を入れて**奇妙丸**と名付けるかッ!」
「いつの時代のネーミングですかァァァッ!? とんだキラキラネームですよ!! 絶対にやめてください!!!」
光秀の悲鳴のようなツッコミが厨房に響き渡り、秀吉は大爆笑した。
言葉を無理に押し付けるのではなく、家族が互いの想いを確かめ合える時間と空気を作ること。
秀吉が『接客の第三歩』を確かに刻んだこの日、本能寺の再建資金と秀吉の「接客道」は、また一歩、着実に前へ進むのだった。




