第22話「秀吉、散る」
第22話「秀吉、散る」
『ヒートモット』による本願寺カフェの全自動大量供給システムと、手作業の限界に挑む喫茶『本能寺』。
二つの店舗が歪な共存関係を保ったまま、激しい客の奪い合いを繰り広げてから――数ヶ月が経過していた。
「……プロポーズ、してきたですわ」
営業終了後の深夜。
清掃作業の手を止め、秀吉がポツリと呟いた。
カウンターで土地買収の書類の山と格闘していた光秀が、ガバッと顔を上げる。
「えっ、寧々さんにですか!? 秀吉殿、ついに決めたのですか!」
「……ああ。だが、振られた」
「撃沈かーーーっ!!」
秀吉は力なくカウンターへ突っ伏した。
信長が缶ビールを片手に奥から顔を出し、呆れたように鼻を鳴らす。
「なんだ秀吉、だらしねえな。お前がこの店でどれだけ稼いでいるか、ちゃんと教えてやったのか?」
「そこじゃないんですわ、社長……」
秀吉は遠い目をして、絞り出すように声を漏らした。
「寧々ちゃんに言われたんです。『秀吉くん、あなたは織田社長の言われるがままに動いているだけで、自分自身で何をしたいのかが全然見えない。そんな人に、私の人生は預けられない』って……」
店内が一瞬、静まり返った。
秀吉の胸を刺したのは、単なる振られたショックではなかった。
「俺は……俺はただ、より多くのお客さんに社長の料理を知ってもらって、喜んでもらいたくて……! それだけで夢中で突っ走ってきたのに……っ」
ぽろぽろと涙を零す秀吉。
その胸の奥から、暗く、重く、底知れない【哀しみ】の波動が立ち上り始めた。
「フン……」
缶ビールを飲み干した信長が、カウンターをドカンと叩く。
「お前が何をしたいのか、今、自分の言葉で言えたじゃねえか」
「え……?」
「なら、それを形にしてみろ」
信長はニヤリと不敵に口角を上げた。
「お前がやりたいのは、俺の料理を広めることじゃねえ」
信長は一度否定して、秀吉を見据えて言った。
「その料理で、もっと多くの人間を喜ばせることだろう?」
「……はい」
「なら、その【喜び】を生み出すための設備を、お前自身が設計してみろ」
「え……?」
秀吉が濡れた目を丸くする。
「幸いにも、今日は『平蜘蛛』の定期点検で久秀が来ている。久秀と一緒に考えろ。お前のやりたいことを実現するための設備をな」
「で、ですが社長! 俺は料理なんて考案できないですけど……!」
戸惑う秀吉に対し、信長は堂々と腕を組み、ギラギラとした熾火の瞳で力強く言い放った。
「料理にこだわる必要はねえ」
一拍。
「料理は俺の役割だ」
信長は秀吉を真っ直ぐ見据える。
「お前には、お前の役割があるだろう?」
そして――。
「その役割を果たせる設備を考えろ!」
「社長……ッ!!」
胸を打たれ、感極まる秀吉。
……しかし、その感動のキャパシティすら超えて湧き上がってきたのは、やはり寧々に拒絶された圧倒的な【悲恋の哀しみ】だった。
ブワッ!!
バックヤードの奥に鎮座する『平蜘蛛』が、見たこともない漆黒の光を放って脈打ち始めた。
「な、なんだ!? 炉心の出力が……急上昇している!?」
定期点検の工具を手にしていた久秀が、モニターに飛びつき、狂ったように数値を叩く。
「バカな……! 明智殿の【哀しみ】とは桁が違う! 一個人が抱える絶望の質量としては、完全に測定不能領域だッ!!」
「ひぇっ!? 光秀のネチネチした胃痛より強いのか!?」
信長が目を見張る。
『平蜘蛛』の圧力ゲージは、すでに制限解除の限界値を振り切り、針がへし折れんばかりに右端へ叩きつけられていた。
不気味な重低音が『ゴゴゴゴゴゴ……』と地鳴りのように店内へ響き渡る。
八本の鉄脚が床のコンクリートを削り、炉心からは赤黒い蒸気が噴出し始めた。
「久秀殿! 圧力を下げてください! 破裂します!」
光秀が悲鳴を上げる。
「できん! できませんな!」
久秀が汗を噴き出しながら叫び返した。
「第一世代の『本能寺オーブン』と違い、この『平蜘蛛』は制御を失って暴走しているのではない!」
久秀がモニターを睨みつける。
「秀吉殿の放つ【哀しみ】があまりにも純粋で、かつ安定しているがゆえに……平蜘蛛はその巨大なエネルギーをすべて『正常に』受け止め、過剰な圧力として溜め込み続けているのだッ!!」
「暴走してないから止められないって、どういうことですかァァァッ!?」
「安定しているからこそ、逃げ場がないということですなッ!!」
人生の根幹を揺るがす、秀吉の特級の失恋。
『平蜘蛛』は破滅的な高圧を炉心に充填したまま、寸分もブレることなく過熱を続けていた。
「秀吉ッ! おい、しっかりしろ秀吉ッ!」
信長が秀吉の肩を揺さぶる。
だが、秀吉は虚ろな目で涙を流し続けるばかりだった。
「ええい、鬱陶しい! 明日はもう休め! 部屋で寝ていろッ!」
信長が怒鳴りつける。
その瞬間、久秀が青ざめた顔でモニターを指差した。
「ま、待ちなされ信長殿! 秀吉殿の【哀しみ】が平蜘蛛の安全上限を超えて飽和しています! このまま彼を厨房に置き続ければ、そう遠くないうちに――」
久秀は唾を飲み込み、重々しく言葉を紡いだ。
「平蜘蛛の構造そのものが耐えきれず、圧力破裂を起こしますぞ」
一瞬の沈黙。
ギチギチと軋む鋳鉄の悲鳴の中、信長はギラギラとした熾火の瞳で、不気味に赤く輝く『平蜘蛛』と、泣き崩れる秀吉を交互に見据えた。
「……面白い」
「面白がってる場合ですかァァァッ!!」
光秀の絶叫が響く中――。
本能寺の運命を狂わせる「圧力の限界点」は、刻一刻と迫っていた。




