第18話「平蜘蛛起動」
第18話「平蜘蛛起動」
数日後。犬山『如庵』での珈琲修行を終え、一行は喫茶『本能寺』へと戻っていた。
営業後の店内で光秀たちを迎えたのは、仕込みの皿を洗い終えて汗を拭っていた羽柴秀吉だった。
「お帰んなさいませ、社長! 明智殿! 有楽斎様に久秀様まで……って、なんですかその禍々しい蜘蛛みたいな鉄釜は!?」
バックヤードへ運び込まれたのは、重厚な鋳鉄で造られた茶釜のような容器に、蜘蛛の脚を模した八本の支持脚が固い床を掴んでいる超高圧調理器『平蜘蛛』だった。
「ふふふ……これこそが共同開発の結晶、第二世代感情エネルギー炉『平蜘蛛』ですよ」
白衣姿の久秀が、パイプの煙をくゆらせながら不敵に笑う。その禍々しくも美しい姿を、信長、有楽斎、家康、秀吉、そして光秀が取り囲んでいた。
「……いよいよ、動かすのだな」
信長が缶ビールを握りしめたまま、ギラギラとした目を輝かせる。
「ええ。明智殿が今も抱えている【哀しみ】……それを利用して、『平蜘蛛』を稼働させます」
「今も抱えている……!?」
光秀が嫌な予感を覚えながら聞き返す。
「ええ。感情エネルギーを保存しているわけではありません」
久秀は平蜘蛛へ接続された複数のセンサーを指差した。
「『平蜘蛛』は、周囲の人間が発する感情エネルギーを常時検知している。特に、現在の明智殿が抱えている【哀しみ】に反応し、そのエネルギーを直接炉へ取り込むのです」
「……つまり」
光秀の顔が引きつる。
「私が悲しんでいる限り、この装置は動き続ける……?」
「正確には【哀しみ】が検知できる限り、ですな。もちろん、その強さによって出力は変わりますが」
久秀が満面の笑みを浮かべた。
「ちなみに、最近の明智殿は本願寺カフェとの激しい顧客争奪戦によって、非常に強い【哀しみ】を安定して抱えてくださっています!」
「嬉しくねえですよォォォッ!!」
光秀の悲鳴が厨房に響き渡る。
「素晴らしい」
有楽斎が平然と頷く。
「これほど安定した感情源は、なかなかありませんね」
「他人事だと思ってぇぇぇッ!」
家康が心配そうに光秀を見る。
「……光秀。無理をするな」
「家康殿……!」
「本能寺の売り上げを思い出せば、まだまだ哀しめるだろう?」
「あなたも敵なんですかァァァッ!!」
ここで秀吉が頭を抱えながら、思わず久秀に問いかけた。
「ちょっと待ってください久秀様! それって……当然、明智殿の感情じゃなくても【哀しみ】なら他の誰の感情でも利用できるんですよね!?」
「勿論ですよ、秀吉殿」
久秀はニヤリと笑った。
「誰の感情であれ、【哀しみ】として検知できれば炉への入力自体は可能です。ただし出力の安定性は本人の精神状態に左右される。そして、今この場で最も強い【哀しみ】を抱えているのが、明智殿というだけのことですな」
「俺の悲しみを特級燃料みたいに言わないでくださいよッ!!」
信長が豪快に笑った。
「ガハハハハ! いいぞ光秀! その調子で悲しめ!」
「社長までぇぇぇッ!」
久秀はそんな一同を尻目に、コントロールパネルの太いレバーへ手をかけた。
「では、始めましょう。現在の明智殿の【哀しみ】を検知し、平蜘蛛の炉へ直接導きます」
「……いきなり私の感情を使うんですか」
「それが一番効率的ですからな」
久秀は聞こえなかったことにした。
「理論上、【哀しみ】は【怒り】ほど急激な出力変動を起こさない。だからこそ、過剰な制御をかけずとも、比較的安定した圧力状態を維持できるはずです」
「なるほど……」
光秀は不安そうに平蜘蛛を見つめた。
「つまり、暴走はしにくい、と?」
「その予定です」
「『予定』!?」
ガコンッ!!
久秀がレバーを倒した。
ブオォォォォン……ッ!!
不気味な重低音が室内に響き渡り、平蜘蛛の八本の脚が微細に振動を始める。
圧力ゲージの針が、ゆっくりと時計回りに動き出した。
「……!」
光秀が息を呑む。
「圧力が上がっている……!」
「すごい……!」
有楽斎も平蜘蛛のノズルへ視線を向けた。
「これは……安定していますね」
だが――。
圧力ゲージの針は、ある程度のところでピタリと停止した。
「……?」
光秀が首を傾げる。
「止まった?」
有楽斎がノズルから漂う気流を確認する。
「安全域には収まっています。ですが……」
有楽斎の眉がわずかに寄った。
「抽出の『キレ』が足りない。この程度の圧力では、私の納得する珈琲の超高速抽出など不可能です」
「何だと……!?」
信長が久秀を睨みつける。
圧力ゲージは安全域に収まったまま、微動だにしない。
暴走の危険が低いのは確かだが、この程度の出力では信長の手作業による火入れを超えることも、有楽斎が望む「機械による次元を超えた珈琲抽出」も不可能だった。
「三〇〇万円もかけたのに……出力不足なんですかァァァッ!?」
光秀が膝をつきかける。
久秀は冷や汗を拭いながら、複雑な数式が並ぶモニターを覗き込んだ。
「……違う」
久秀の目が怪しく細くなった。
「これは【哀しみ】そのものが弱いのではない」
久秀は平蜘蛛の制御系を確認した。
「我々が……制御という名の『ブレーキ』を力づくで踏み続けているのだ!」
「どういう意味だ、久秀!」
信長が身を乗り出す。
久秀は制御系のメーターを指差した。
「感情エネルギーは、人間側が無理に安全枠へ抑え込もうと制御をかければかけるほど、減衰する!」
久秀の脳裏に、本願寺で研究されていた『ヒートクック』の姿が蘇る。
「私は本願寺で、それを嫌というほど思い知らされたはずだった!」
久秀は平蜘蛛を睨みつける。
「【怒り】は爆発力が高く、急激に変動する。だから強力なブレーキで押さえつける必要があった」
そして、口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「……だが【哀しみ】は違う!」
久秀は制御系の数値を確認する。
「【哀しみ】は【怒り】ほど急激に増減しない。外へ急激に放出される性質も弱い!」
久秀の手が、安全ロックへ伸びる。
「ならば――」
カチッ。
「過剰なブレーキなど、必要ない!」
「久秀殿!? 何をするんですか!?」
光秀が悲鳴を上げる。
「制御の枷を外す!」
カチッ、カチッ、カチッ――。
安全装置のうち、過度な出力抑制に関わる系統が次々と解除されていく。
「この炉は、もともと高圧運転を想定して設計してある! だからこそ、最低限の安全装置だけを残し――【哀しみ】の持つポテンシャルを解放する!!」
「それ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」
「理論上は!」
「また『理論上』ですかァァァッ!!」
ガコンッ!!
久秀が最後の解除ボタンを叩き込んだ。
ゴォォォォォォォォ……ッ!!
平蜘蛛の炉心が、深く、重く唸りを上げた。
圧力ゲージの針が一気に跳ね上がる。
「出力が……上がった……!?」
光秀が息を呑む。
「クックック……!」
久秀が歓喜の声を上げる。
「やはりだ! 感情エネルギーそのものを抑え込まなければ、【哀しみ】はこれほどの力を引き出せる!」
有楽斎がノズルから漂う気流を嗅ぎ、ゆっくりと目を見開いた。
「……素晴らしい」
その声に、初めて明確な興奮が混じった。
「これなら、極限の超高圧抽出が可能だ」
「フン……悪くない」
信長も不敵に口角を吊り上げた。
「【怒り】のような爆発的な火力は出んが、この圧なら……食材の芯を一気に撃ち抜ける」
久秀は満足そうに設計図を叩いた。
「【怒り】は高出力だが暴走しやすく、瞬間的な加熱に向いている」
感情エネルギーの特性を噛み締めるように、久秀は平蜘蛛を見つめた。
「対して【哀しみ】は、出力こそ【怒り】に劣るが、安定した高圧状態を維持できる!」
久秀の目が狂気に輝く。
「つまり――」
「感情によって、最適な料理が違う」
信長が言った。
久秀はニヤリと笑う。
「その通りです、信長殿!」
第一世代で得た教訓。
本願寺でのヒートクックの研究。
そして今も、売上不振と競争に苦しめられ続ける明智光秀の【哀しみ】。
そのすべてが噛み合い――感情エネルギーを直接受け止める『平蜘蛛』が、静かに、しかし力強くその産声を上げたのだった。




