第15話「爆弾と科学者」
第15話「爆弾と科学者」
「……で? その『第二世代の炉』とやらは、一体いくらかかるおつもりですか、社長?」
翌朝。開店直前の喫茶『本能寺』。
光秀は腕を組み、冷ややかな視線を信長へ向けた。
カウンターで缶ビールを開けていた信長は、フッと鼻で笑う。
「知らん。作らせる男に聞けばよかろう」
「知らん、ではありませんよォォォッ!!」
光秀の怒号が店内に響き渡った。
「昨日は勢いで『松永久秀を呼べ』などとおっしゃいましたがね! うちの今月の赤字は三万六千円です! 開発費用どころか来月の仕入れ代すら怪しいんですよ!? 予算はゼロ、マイナスです!!」
「ハッ! 案ずるな! 俺の『強火』をさらに尖らせた超・限定メニューを出し、富裕層から一気に金を稼ぎ出せば――」
「駄目ですッ!!」
光秀が即座に言葉を遮り、タブレットをカウンターに叩きつけた。
「第14話で申し上げたでしょう! 料理を尖らせて無理に稼ごうとすれば、新規のお客様が遠のいて店が死にます! 料理の腕で解決しようとするのは、もうやめてください!!」
「……チッ」
信長が忌々しそうに舌を打った。
その時だった。
引き戸が静かに開いた。
そこに立っていたのは、ボサボサの白髪に丸メガネ、白衣を羽織り、どこか胡散臭い笑みを浮かべた男――松永久秀だった。
「やあ、お久しぶりですね、織田社長、明智店長。……なに、噂を聞いたのですよ。『信長がごく普通の厨房設備に限界を感じて苦しんでいる』とな」
久秀は勝手にカウンターのパイプ椅子に腰掛け、メガネの奥の目を怪しく光らせた。
「向かいの本願寺カフェは、あの手この手で莫大な設備投資をしているというのに、貴方はまだごく普通のガスコンロで対抗するつもりですか? 第一世代本能寺オーブンを作った者として、その無謀さは見ていられない」
久秀は白衣のポケットから一枚の設計図と見積書を取り出し、カウンターへ滑らせた。
光秀がおそるおそるその紙を拾い上げ、記載された金額を目にした瞬間――顔面が蒼白になった。
「ひ、ひえぇぇぇッ!? 千、千五百万円ぇぇぇッ!?」
「爆弾じゃないですかぁぁぁッ!!」
悲鳴を上げる光秀に、久秀はくくくと笑った。
「これは私が提示した『定価』だ。……ですが、三〇〇万円まで値引きすることはできますよ」
「三百万でも無理です!! マイナス三万六千円なんですよ、うちは!!」
光秀の悲鳴に、久秀は肩をすくめた。
「まあ、そうでしょうな。ですが、ご安心ください。安くできる理由はちゃんとあります」
「理由?」
久秀は眼鏡を押し上げ、ニヤリと笑った。
「私はつい最近まで、本願寺さんのところで『ヒートクック』の研究をしていましてね」
「……ヒートクック?」
「感情エネルギーを一定の範囲内に制御し、料理へ安全に利用するための研究です」
久秀は設計図を指先で軽く叩いた。
「その研究費を、それなりにいただいていましてね。おかげで研究設備も知識も、かなり充実しました」
「…………」
「ですから、今回の設備には、その研究で得た知見を大いに活かせます。わざわざ私が利益まで乗せる必要もないでしょう。実費だけなら――三〇〇万円で十分です」
「ちょ、ちょっと待ってください」
光秀の顔が引きつった。
「それって……」
久秀は楽しそうに笑った。
「ええ。あの本願寺カフェの技術的基盤にも、私の研究成果が使われています」
「本願寺カフェがあんな化け物みたいな店になったのは、お前のせいかぁぁぁぁぁッ!!」
光秀の絶叫が店内を揺らした。
「ほう。今さら気付きましたか」
「今さらじゃありませんよ!! おかげでこっちは向かいに巨大店舗を建てられて苦しんでるんでしょうがぁぁぁッ!!」
「いやあ、あれは素晴らしい研究でしたよ」
「褒めてる場合かぁぁぁッ!!」
久秀は愉快そうに笑った。
「とはいえ、その研究のおかげで私自身も感情エネルギーの制御について、かなりの知見を得ました。今回の『平蜘蛛』にも、その成果は大いに活かせるでしょう」
「……敵を強くした張本人が、今度は味方としてこっちの設備を作るって……」
光秀は頭を抱えた。
「世の中、何がどう繋がるか分かりませんねぇ」
「分かりたくありませんよ!!」
その時だった。
ガラガラ――。
引き戸が開いた。
「……失礼する」
疲れ切った顔の徳川家康が、静かに店内へ入ってきた。
「家康様?」
光秀が目を丸くする。
家康は一礼すると、信長へ視線を向けた。
「信長殿。明智殿。今日は、まず謝らねばならないことがある」
「謝る……?」
「先日の桶狭間店での食中毒事故だ」
その言葉に、光秀の表情が引き締まった。
「……あの件ですか」
「ああ。あの店では、本能寺から購入したオペレーションを使っていた。信長殿が考案し、羽柴殿が一五秒提供まで磨き上げた――あのフレンチトーストのオペレーションだ」
「そうです。あれはワシが血の滲むような努力を――」
「秀吉、今は黙っていてください」
光秀が即座に遮った。
家康は深く頭を下げる。
「今回の事故は、本能寺が直接起こしたものではない。だが、本能寺から購入したオペレーションを使っていた以上、一度、貴方たちに直接謝罪しておきたかった」
「申し訳なかった」
「家康様……」
光秀が戸惑いながら顔を上げる。
家康はゆっくりと頭を戻すと、今度は信長へ向き直った。
「そして、もう一つ伝えなければならない」
「……?」
「信長殿に頼まれていた、新しい厨房設備への出資の件だが――」
信長は悪びれもせず頷いた。
「ああ。頼んだ」
「やっぱり勝手に頼んでたんですね!?」
光秀の怒号が店内に響き渡った。
家康は苦々しそうに目を伏せる。
「本社の株式会社今川義元は、現在、桶狭間店の食中毒事故への対応に追われている。そのため、会社から本能寺へ出資することはできなくなった」
「そんな……!」
光秀がその場に崩れ落ちる。
だが――。
家康は胸ポケットから、使い古された一冊の預金通帳を取り出した。
「会社からは出せない」
静かに通帳を開く。
「……だが、私個人の金なら出せる」
「え……?」
家康は通帳をカウンターへ置いた。
「サラリーマンとして、長年コツコツ貯めてきた金だ。派手な買い物もせず、無駄遣いもせず、少しずつ積み上げてきた」
信長が通帳を覗き込む。
「ほう。結構溜め込んでいるではないか」
「貴方は本当に、人の貯金を何だと思っているんだ!!」
家康が珍しく声を荒らげた。
「全額など出せるわけがない! 私が将来のための資金から、取り崩してもいいと判断した額は――一五〇万円だ!」
「一五〇万……!」
光秀が顔を上げる。
家康は眼鏡を掛け直した。
「会社の金ではない。私自身が責任を持つ投資だ」
そして、静かに信長を見据える。
「その代わり、条件がある」
「……条件?」
「本能寺だけで抱え込まないことだ」
家康は設計図へ視線を落とした。
「今回の設備は、他の店舗とも共同で開発する。私一人が、本能寺のためだけにこんな危険な技術へ投資するつもりはない」
「共同開発……」
光秀が呟く。
家康は腕を組み、難しい顔をした。
「だが、問題はそこだ」
「問題?」
「【感情エネルギー】を利用する厨房設備など、現代ではほとんど使われていない旧式の技術だろう?」
「……まあ、そうですね」
「そんなものの共同開発に、わざわざ金を出して参加する店舗があるとは思えん。私には心当たりがない」
久秀が愉快そうに笑った。
「それは確かに。普通の経営者なら、こんな危険な技術に投資するより、本願寺カフェのような最新設備を選ぶでしょうな」
「……」
信長はしばらく黙っていた。
そして――。
「いる」
「え?」
信長が即答した。
「一人だけいる」
光秀が顔を上げる。
「誰です?」
信長はニヤリと笑った。
「俺の弟だ」
「弟……?」
「ああ」
信長は窓の外へ視線を向ける。
「織田長益。犬山で喫茶『如庵』をやっている」
そして、楽しそうに口角を吊り上げた。
「俺が料理の狂人なら――あいつは珈琲の狂人だ」
「……珈琲?」
光秀が首を傾げる。
「そうだ」
信長は立ち上がった。
「俺とは別のやり方で、あいつは一杯の珈琲に命を懸けている」
「……面白いことになってきましたね」
久秀が設計図を指先で叩く。
「料理狂、珈琲狂、そして科学者……実に愉快な共同開発になりそうだ」
光秀は三人の顔を順番に見回した。
信長。
久秀。
そして、これから会うことになる長益。
光秀は頭を抱えた。
「……また、この店に狂人が増えるのか」
信長は聞いていなかった。
その目はすでに、犬山を見据えている。
次なる舞台は――喫茶『如庵』。
珈琲に妥協しない男、織田長益が待っている。




