第四章:大増員と縦割り組織の誕生 第11話「【足利義昭】没落金融と将軍の融資条件」
**第四章:大増員と縦割り組織の誕生**
**第11話「【足利義昭】没落金融と将軍の融資条件」**
昨日、第一回・本能寺経営会議を終えた明智光秀は、冷たい秋風の吹きすさぶオフィス街を、分厚いブリーフケースを抱えて歩いていた。
ケースの中に入っているのは、財務担当・丹羽長秀が徹夜で数字を叩き出して作り上げた融資申請書。
そして、光秀自身が各部署の暴走する要求を叩き直してまとめた『第二世代・本能寺システム』の事業計画書である。
融資希望額――三千万円。
目的――限界を迎えた厨房処理能力の抜本的改善。
営業、購買、物流、接客。
昨日まで好き勝手に吠えまくっていた武将たちの身勝手な要求を、光秀は「利益を残す」という一つの明確な事業計画にまとめ上げた。
客数を増やす。仕入れを圧縮する。物流を高速化する。そして、限界を迎えている厨房を『第二世代システム』へと完全移行する。すべては、会社を成長させ、確実に利益を生み出し、返すためだ。
「……我ながら、随分と経営者らしいことを考えるようになったものです」
光秀は自嘲気味に小さく苦笑した。
だが。
手元のスマートフォンに表示された目的地――『株式会社 足利金融』という名前を見た瞬間、光秀の顔から一切の表情が消え失せた。
「…………足利、か」
光秀は、知っている。
この金融機関のことを。
いや、知りすぎている。
かつて光秀が、この足利金融に勤めていた頃。
まだ会社が「天下の足利」を名乗ることをギリギリ許されていた時代の話だ。
当時の光秀の肩書は、法人営業部の融資担当だった。
顧客の事業計画を読み込み、返済能力を精査し、未来ある事業へ融資を実行する。それが金融マンとしての誇りであり、正しい仕事だと信じていた。
しかし、足利金融自体の業績と資金繰りが悪化してから、すべてが狂い始めた。
『明智君。この案件、すべて回収してくれ』
ある日、上司から机に投げ出されたのは、新規融資の決裁書ではなかった。
長年付き合いのある、既存顧客の一覧表だった。
『返済期限の延長を希望している企業ばかりです』
『ダメだ』
『ですが、先方は次の入金まで待ってくれれば――』
『会社が金を必要としているんだ』
上司は、生気を失った目で淡々と言い放った。
『貸した金を、強引にでも回収しろ』
それが、地獄の始まりだった。
業績の悪化した会社。あと少しのつなぎ資金があれば立て直せる老舗の店。家族経営の小さな町工場。
これまで笑顔で「融資先」と呼んでいた相手が、ある日突然、無慈悲に刈り取るべき「回収先」へと変わった。
『明智さん……今月だけ、今月だけ待ってください』
『無理です』
『従業員の給料だけでも払わせて――』
『当行の規定です。全額返済をお願いします』
『ここで回収されたら、本当に会社が潰れちまうんだよ!』
『……知りません』
言わなければならなかった。
貸すための金がない。だから、かつて貸していた金を容赦なく回収する。
回収すれば、当然ながら相手の会社は死ぬ。
だが、その顧客の会社を潰してでも、足利金融自身が今日明日を生き残らなければならないのだ。
――自分たちが生き残るために、顧客を殺す。
いつしか社内では、その吐き気のするような貸しはがし業務を「正常化」と呼ぶようになっていた。
ある日。光秀は、長年取引していた小さな工場の社長に、最後通牒を突きつけた。
『明智さん……本当に、今月中ですか?』
『……はい』
『あと三か月あれば、受注した大口の仕事が入金されるんです。そうすれば――』
『……規定です』
『あなたも分かってるでしょう。ここで回収されたら、うちは潰れる。従業員も路頭に迷うんだ』
分かっていた。痛いほど分かっていた。
だからこそ、息ができないほど苦しかった。
その日の帰宅後。光秀は暗い部屋で、机の上に置かれた『次期回収予定表』を見つめながら、初めて心から思った。
――こんな仕事を続けて、一体何になる。誰が幸せになるんだ。
翌朝。光秀は退職届を叩きつけ、足利金融を去った。
それからしばらくして、なぜか縁あって喫茶『本能寺』で働くことになった。
あの会社とは、文字通り正反対の職場だった。
計画性など皆無。効率は最悪。社長は度を越して狂っているし、従業員たちも全員どこかネジが飛んでいる。
それでも。
少なくとも、本能寺では決して客を「回収先」などとは呼ばなかった。
だから光秀は、ボロボロになりながらも、ここに残ったのだ。
そして今。
その因縁の足利金融へ、自分から三千万円の融資を申し込みに行こうとしている。
「……皮肉なものですね」
光秀は小さく呟き、ネクタイを締め直した。
かつては、あの会社から死神のように金を回収する側だった。
今度は、自分が頭を下げて金を借りる側だ。
そして。足利金融の腐りきった内情と現在を知っているからこそ、光秀には一つだけ、絶対的な確信があった。
――あの会社は、もう「まともな金融機関」ではない。
「……さて」
光秀はブリーフケースの持ち手を、力を込めて握り直した。
「今度は、私が経営者として、どこまで腹を括れるかです」
光秀は迷いを振り切り、まっすぐに足利金融本店へと向かった。
* * *
国内有数のビジネス街。ガラス張りのピカピカな超高層ビルが林立するその一角に、その建物はあった。
仰々しい極太の明朝体で書かれた金看板――『株式会社 足利金融 本店』。
築五十年は下らないであろう、薄汚れた三階建ての細長い雑居ビル。外壁のタイルは剥がれ落ち、入り口の自動ドアは電源が切られており、ガムテープで無残に貼られた手書きの張り紙があった。
『故障中。手で開けてください』
光秀はその光景を見上げ、静かに息を吐いた。
「……まだ、このビルを使っているのか」
退職したあの日から、何一つ変わっていない。いや、劣化が進行している分、さらに酷くなっている。
手動で重たいドアを開けて中に入る。
薄暗いロビー。大理石の受付カウンターには誰もいない。
「……いらっしゃいませ。融資の、ご相談ですか?」
奥から、サイズの合っていないくたびれた制服を着た、神経質そうな細身の行員が現れた。名札には「細川」とある。光秀が在籍していた頃からいる、かつての同僚だ。
「……お久しぶりです、細川さん。本能寺の明智です。十三時から頭取とのお約束をいただいております」
細川は光秀の顔を見て一瞬だけ目を見開いたが、すぐに生気を失ったいつもの瞳に戻り、力なく頷いた。
「……明智さんでしたか。よく戻ってこられましたね、こんな泥舟に。頭取室は三階です。エレベーターは五年前に壊れたままなので、階段でどうぞ」
光秀は黙って一礼し、カビの匂いが漂う薄暗い階段を上った。
三階の突き当たり。『頭取室』のプレート。
光秀は一度だけ深呼吸をして、扉を三回ノックした。
「どうぞ」
中から聞こえた、無駄に威張った甲高い声。
「……失礼いたします」
扉を開けると、そこは一階の惨状が嘘のように、悪趣味なまでの豪華絢爛な空間が広がっていた。
そして部屋の奥、巨大なマホガニーのデスクの後ろで、高級ブランドのスーツを着崩した男が、革張りのボスチェアにふんぞり返っていた。
足利金融頭取――足利義昭である。
「おお」
義昭は手にした金色の扇子をパチリと開き、鷹揚に頷いた。
「誰かと思えば……我が社を逃げ出した負け犬、明智光秀ではないか」
「お久しぶりです、足利頭取」
「まさか貴様が、この天下の足利の門を叩き、余のもとへ頭を下げに来る日が来ようとはな。世も末よ」
光秀は無言で、完璧な営業スマイルを作った。
昨日までなら、ここで胃が痛み、逃げ出したくなっていただろう。
だが、今日は違う。自分は経営者として、ここに来ているのだ。
「本日は、融資のお願いに参りました」
「融資?」
「はい」
光秀はブリーフケースを開き、分厚い事業計画書と融資申請書を机の上に置いた。
「喫茶『本能寺』は現在、想定を大幅に上回る客数を獲得しております。しかし厨房の処理能力が限界に達しており、第二世代システムへの移行が急務です。融資希望額は三千万円」
義昭は資料を一枚だけめくり、鼻で笑った。
「三千万円? 随分と大きく出たな」
義昭は資料をパタンと閉じ、机の端へ放り投げた。
「では、聞こう。金を借りたいのならば、貴様はこの余に何を差し出す?」
「……はい?」
「余はな、明智。金を貸す者には、『格』が必要なのだと言っているのだ」
義昭はゆっくりと立ち上がり、芝居がかった手つきで窓の外を指差した。
「かつて我が足利金融は、日本中の企業が頭を下げる巨大金融帝国だった。そのブランド力こそが、我々の力なのだ」
光秀は、義昭が指差した窓の外を見た。
そこに見えるのは、隣に建つピカピカの最新鋭のメガバンクの自社ビルだった。
「……頭取。あちらのビルは?」
「知らん」
「メガバンクのビルですよ。足利のビルではありません」
「そういうのは全部、我が足利金融の支店だ!」
「違います」
「違わん! 看板の文字が違うだけだ!」
義昭が顔を真っ赤にして叫ぶ。
光秀は内心で深く息を吐いた。
(相変わらずだ……。この男は、自分の会社がどれだけ落ちぶれているのか、本当に分かっていない。認知が完全にバグっている……)
だが、ここで呆れて帰るわけにはいかない。
「……分かりました。では、融資について前向きにご検討いただけるのでしょうか」
「もちろんだ」
義昭はニヤリと卑しい笑みを浮かべ、再びボスチェアに腰を下ろした。
「ただし、条件がある」
来た。光秀は姿勢を正した。
「喫茶『本能寺』に、この余を最高顧問として迎え入れよ。肩書きは――【将軍】だ」
「喫茶店に将軍はいりません」
光秀は即答した。
「何ぃ!?」
義昭は怒って机を叩いた。
「では、こうしよう。余のことを『将軍』と呼べ」
「……それも必要ありません」
「必要かどうかではない!」
義昭は人差し指を光秀に向けて突き立てる。
「余を将軍と呼ぶのだぞ? 未来永劫ずっとだぞ?」
「融資契約に必要な条件ですか、それ?」
「当然だ!」
「金利と何の関係があるんですか?」
「大いにある!」
「ありませんよ」
「あると言ったらあるのだ!」
光秀はたまらずこめかみを押さえた。
「……もう結構です。金融条件だけ伺います」
「ならば聞け!」
義昭は得意げに胸を張った。
「毎月の店舗利益の五十パーセントを、余へのコンサルタント料として上納せよ。さらに金利は年十五パーセント。返済期間中は追加担保を要求する可能性もある」
光秀は、無言で万年筆を取り出し、手元の手帳に数字を書き留めた。
「利益の五十パーセント……年利十五パーセント……追加担保」
「そうだ」
「それから、私たちが頭取を『将軍』と呼ぶ」
「そうだ!」
「未来永劫」
「そうだ!」
「……最後の二つだけ、融資と何の関係もありませんね」
「黙れ! 重要な条件だ!」
光秀は深いため息を吐き、机の上の契約書を見つめた。
「足利金融には、そこまでの暴利を取らなければならない、切実な理由がある」
「…………」
光秀はまっすぐに義昭を見た。
「資金が、足りないのでしょう?」
豪華な頭取室の空気が、完全に凍りついた。
「貴様……」
「私は知っています」
光秀の声は、どこまでも静かだった。
「足利金融が、今どれほど資金繰りに苦しんでいるか。かつて私は、ここで働いていましたから」
「…………」
「貸しはがしまでやっていた。自分たちが生き残るために、顧客を殺す。それでも足りないから、今度は相手の足元を見て、法外な高金利で貸し付けることで、目先のキャッシュを強引に吸い上げようとしている」
光秀は契約書を指先でトントンと叩いた。
「これは融資ではない。死にかけの金融機関の、醜い延命策です」
「黙れ」
「違いますか?」
「黙れと言っている!!」
義昭が激高し、机をバンッと叩いた。
だが、光秀は一歩も引かなかった。
昨日までの光秀なら、ここで元上司の威圧感に怯み、胃薬を飲んで逃げ出していただろう。
しかし、今の光秀は違う。
これは、感情の問題でも、過去のトラウマの問題でもない。
冷徹な『経営判断』だ。
「……頭取。私も、あなたも、今は余裕がない。それは分かっています」
光秀は、自らの万年筆のキャップを外した。
「だからこそ、私はこの条件でも借ります」
義昭の顔から、勝ち誇ったような笑みがスッと消え去った。
「…………何?」
「三千万円。提示された条件で構いません」
光秀が契約書にペンを下ろそうとした瞬間。
「ちょ、ちょっと待て」
「はい?」
「……いや、待て待て待て!」
義昭が慌てて立ち上がり、両手を前に突き出した。
「貴様、本当に借りるのか?」
「はい」
「利益の五十パーセントだぞ?」
「承知しています」
「年利十五パーセントだぞ!?」
「先ほど伺いました」
「追加担保も要求するかもしれんのだぞ!?」
「それも承知しています」
「将軍と呼ぶのだぞ!?」
「……それはどうでもいいですが、承知しています」
「…………」
義昭の額に、じわりと嫌な汗が浮かんだ。
「……なぜだ?」
「何がです?」
「なぜ、そこまでして借りる!?」
「必要だからです」
光秀は即答した。
「第二世代システムがなければ、本能寺は厨房の限界で成長が止まります。今のままでは、売上が増えても現金が残らない。昨日、私はそのことを経営者として理解しました」
義昭は息を呑んで黙った。
「だから借ります。返済できるかどうかも含めて、私たちが背負うべきリスクです」
「…………」
義昭は、机の上の融資申請書を見た。
三千万円。
足利金融の延命のために、喉から手が出るほど貸し付けて、吸い上げたい金額だ。
しかし。
目の前に座る光秀の、一切の迷いがない冷徹な目を見ていると、背筋に強烈な悪寒が走った。
「……やっぱり、貸さん」
「はい?」
「今の話はなかったことにする!」
「なぜです!?」
「怖いからだ!!」
義昭は半狂乱になって叫んだ。
「貴様、条件を聞いた瞬間に迷いなく借りると言ったではないか! そんな奴に三千万円も貸して、もし本能寺が潰れたらどうする!?」
「それは……」
「利益の半分を取られても借りるということは、貴様らはそれだけ追い詰められているということだろう!?」
義昭は机をバンバン叩いた。
「そんな危険な会社に金を貸したら、儲かるどころか、最悪の場合うちの元本ごと吹き飛ぶではないか!」
光秀は目を瞬かせた。
「……頭取」
「なんだ!」
「それ、金融機関として極めて正常な判断では?」
「うるさい!!」
「先ほどまで『嫌なら帰れ』と仰っていたではありませんか!」
「貸したくないと言っているのだ!」
「いや、どっちなんですか!」
義昭は頭を抱えて唸り声を上げた。
「高金利なら儲かると思ったのだ……! だが、よく考えたら、儲かる前に元本が消し飛ぶリスクが高すぎるではないか!」
「……」
光秀は思わず黙った。
かつて足利金融で働いていた頃。融資先の返済能力を冷静に分析し、会社を守るために貸し出しを止めることが正しい仕事だと信じていた。
その仕事を捨てた自分が、今度は借り手として、貸し手にリスクを取らせようとしている。
なんという皮肉だろう。
だが――。
「……それが、貸す側の経営判断なのでしょうね」
光秀は、誰にともなく、静かに口を開いた。
「何?」
「貸す側も、借りる側も、それぞれにリスクを背負う。どちらか一方だけが安全な取引などありません」
光秀は契約書を指で叩いた。
「私は、この危険な条件でも借りる覚悟があります。本能寺を成長させるために」
そして、義昭を真っ直ぐ見据える。
「ですが、頭取が貸す覚悟を持てないのであれば――」
光秀は一度、ペンを置いた。
「この話は、ここで終わりです」
義昭の顔が引きつった。
「…………」
「ただし」
光秀は微かに微笑んだ。
「本当に三千万円を貸す覚悟があるのでしたら、私たちは必ず利益を出して返します」
その言葉に。
義昭は、まるで化け物でも見るかのような目で、再び契約書を見つめた。
「…………貴様」
「はい?」
「本当に、経営者になりおったな……」
「昨日からです」
「早すぎるわ!!」
義昭が叫び、ついに決断を下そうとした――いや、やはり恐怖に負けて契約書を引き裂こうとした、まさにその瞬間だった。
――ドゴォォォォォォンッ!!
「ひぃっ!?」
義昭が悲鳴を上げて机の下に潜り込む。
重厚な木製の扉が、蝶番ごと爆発したかのように吹き飛んだ。
舞い上がる粉塵の中、漆黒のコックコートをマントのように翻し、絶対的な覇気を放つ男が現れた。
「何だ、貸すのか貸さんのか、はっきりせん奴だな」
「しゃ、社長!?」
煙の向こうから現れたのは、織田信長であった。
「この男、危険すぎる!」
机の下から義昭が半泣きで叫ぶ。
「こんな奴らに三千万円も貸したら、足利金融まで道連れにされて死ぬ!」
「ならば、死なぬように儲ければいいだろうが」
信長はフンと鼻を鳴らした。
「それができる保証がないから怖いと言っているのだ!」
「保証? そんなものは知らん」
「社長、お願いですから金融機関との交渉にその狂った思想は持ち込まないでください!」
光秀が頭を抱えてツッコミを入れる。
だが、信長は光秀の抗議を無視し、大股で歩み寄ると、豪快に高笑いした。
「フハハハハ! 光秀」
「はい」
「金を借りるだけなら誰でもできる。だが、貸し手のリスクまで理解した上で、それでも自分のリスクとして引き受けたか」
信長は、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「ようやく、経営者らしい顔になったな」
信長のその言葉に、光秀は一瞬だけ言葉を失った。
かつてのトラウマを乗り越え、自らの意思でリスクを背負い、会社のために地獄の契約を結ぶ。その覚悟を、この狂った社長はしっかりと見ていたのだ。
「……誰のせいだと思っているんですか」
光秀が恨めしそうに睨むと。
「俺だ」
信長は、一切の悪びれもなく即答した。
「…………」
「ならば責任を取れ、光秀」
「どうやって!?」
「死ぬほど働いて、何百倍にもして返せ!!」
「それは経営ではなく、ただのブラック労働です!!」
光秀の悲鳴にも似たツッコミが響く中、信長の常軌を逸した気迫に完全に呑み込まれた義昭は、ガタガタと震える手で、ついに融資承認の頭取印を乱暴に押し付けた。
こうして、すべての条件を呑んだ契約は成立した。
喫茶『本能寺』は、三千万円という莫大な軍資金を手に入れた。
ただし、その代わりに。成長を止めれば即座に足利金融に骨の髄までしゃぶり尽くされる、「巨大な借金」という名の時限爆弾も、同時に抱え込んだのであった。
* * *
足利金融のボロビルを出た光秀は、冷たい秋風が吹き抜けるオフィス街のど真ん中で立ち止まった。
手元のブリーフケースの中には、三千万円の融資契約書が入っている。
これで、第二世代本能寺システムを作れる。秀吉を過労死から救える。
――そのはずだった。
ブー、ブー。
スマートフォンが無機質に震える。画面には、財務担当・丹羽長秀の名前。
光秀は重いため息を吐き、通話ボタンを押した。
「……はい、明智です」
『明智店長。足利金融を出たようですね。融資は?』
「三千万円、満額です」
『それは結構。で、条件は?』
光秀は、雲に覆われた灰色の空を見上げながら、淡々と答えた。
「利益の五十パーセント上納。年利十五パーセント。追加担保」
『……』
「それから、社長以下我々全員が、未来永劫、頭取を『将軍』と呼ぶこと。これも契約書に明記されました」
電話の向こうが、ピタリと沈黙した。
『…………』
「……丹羽殿?」
『……明智店長』
「はい」
『それは、融資ではありませんね。死にかけの金融機関の延命策と、狂人の自己顕示欲の塊だ』
「でしょうね。分かった上で借りました」
『ほう。我々はこれから、必死に働いて利益を出せば出すほど、足利金融への強制的な支払いが増加する無間地獄に落ちることになりますよ。しかも、毎回将軍と呼ぶ屈辱のおまけ付きだ』
「ええ。ですが、現実に手元へ資金は入りました。社長の言う通り、死ぬほど働いて返すしかありません」
『……覚悟は決まっているようですね。ならば、我々がやることは一つです』
「……第二世代システムの開発ですね」
『その通りです。立ち止まれば、即座に食い殺されますよ』
光秀は、スーツのポケットから胃薬を取り出し、水なしで飲み込んだ。
昨日、自分は「組織をまとめる」という経営計画を作った。
そして今日。「金を調達する」という、泥にまみれた経営のリアルを背負い込んだ。
「……結局、経営って何なんでしょうね」
光秀がぽつりとこぼす。
『明智店長』
「はい?」
『帰りに、スーパーで米を買ってきてください』
「…………」
『十キロです。私の定食事業部に必要です』
「三千万円の地獄の融資契約を、命がけで取ってきた人間に言うことですか、それ!?」
『我が社には、今日の営業を生き抜くための米も必要なのです。早く帰ってきてください』
「……分かりましたよ。買って帰ります」
光秀は電話を切り、三千万円の契約書の入ったブリーフケースを脇に抱え直した。
三千万円。それは今の本能寺にとって、単なる借金ではない。
これから始まる『第二世代』への、文字通りの命綱だ。
そして、本能寺がこれまでとは比べものにならない異常な速度で膨張し、バブルのように成長していく、その狂宴の始まりでもあった。
「……帰ったら、すぐにシステムの設計を始めないと」
借りた金は、使わなければ意味がない。
需要を利益に変えるための究極の厨房。
第二世代・本能寺システム。
その血みどろの開発が、ついに幕を開ける。
(第12話へ続く)




