第11話「隣に、白いカフェ」
第11話「隣に、白いカフェ」
「……な、なんですかアレはぁぁぁッ!?」
翌朝。喫茶『本能寺』のガラス窓越しに道路の向かいを指さし、光秀が悲鳴を上げた。
そこには、巨大な白い工事用フェンスで囲まれた広大な敷地と、目も眩むような洗練されたデザインの建築骨組みが立ち上がっていた。
フェンスに大きく掲げられた看板には、美しくスタイリッシュなフォントでこう書かれている。
『本願寺エネルギーホールディングス直営――本願寺カフェ 清須店』
『コンセプト:だれにでも、いつでも、変わらぬ至福と安心を。』
「ほんの数日前まで、ただの空き地でしたよね!? なんですかあの工事スピードは! トラックが何十台も次から次へと入っていきますよ!?」
「まあまあ明智殿、落ち着いてくださいですわ」
ホールでモップをかけながら、秀吉が能天気な声をかけた。
「相手はあのメガソーラーの本願寺さんですわ。でっかい店を作って自慢したいだけと違いますか? ワシらには社長の極上フレンチトーストとナポリタンがあります! 味で負ける気は一切しませんわ!」
光秀はタブレットの画面を凝視したまま、ぶるぶると肩を震わせた。
「そう……味なら負けない。うちのナポリタンは原価率38%まで攻め込んだ至高の一皿! お客様の満足度も絶大です! たとえ向かいにカフェができようと、個人店の強みである『本物の味』で返り討ちにしてみせますよ!」
「ふん、騒々しいぞ光秀」
厨房のカウンターで、いつものように缶ビールをプシュッと開けた織田信長が、冷ややかな笑みを浮かべた。
「相手が本願寺顕如だろうが関係ない。俺の料理を食えば、客など一発でこちらへなだれ込んでくる。巨大な店を作ろうが、中身が伴わねばただのハリボテだ。勝手に作らせておけ」
信長の言葉に、光秀も「確かに……」と胸を撫で下ろした。
(そうだ。第一部のような怪しげな感情エネルギーを使った暴走店ではない。今の本能寺は、信長様の天才的な技術と、私の徹底的な経営管理が噛み合った完成形だ。普通の喫茶店として真っ向勝負すれば、負ける要素などどこにもない……!)
だが――。
その楽観が打ち砕かれる日は、そう遠くなかった。
◇
「……え?」
オープン初日の早朝。
光秀は店の看板を掛けに外へ出て、向かいの『本願寺カフェ』の光景に言葉を失った。
白い磁器とガラス、そして温かみのある木目を融合させた二階建ての巨大な店舗。その前には、朝七時の開店前から五十人を下らない行列が出来上がっていた。
第一部のような、SNSの炎上バズに群がる異様な客層ではない。
並んでいるのは、ベビーカーを押した若い夫婦、散歩途中の老夫婦、パソコンを抱えたビジネスマン、そして制服姿の学生たち。
あらゆる世代の人間が、ごく自然に、楽しそうに開店を待っているのだ。
「な、なぜ……!? まだ広告チラシすら近隣に配られていないはずなのに……!?」
光秀が震える手でタブレットを開き、本願寺エネルギーホールディングスの公式アプリを確認した瞬間、息が止まった。
『本願寺グループ共通会員、全国500万人突破。アプリ会員限定・清須店オープン記念モーニング無料クーポン配信中』
「か、会員数五百万人ぁぁぁッ!?」
光秀の絶叫が商店街に響き渡った。
「アプリで一斉配信!? 資本力が違いすぎます!! うちが地道に商店街でチラシを配っている間に、スマホ一つで何千人もの客にダイレクトアタックを仕掛けていたなんて!!」
「あ、明智殿! ちょっとこれを見てくださいですわ!」
秀吉が本願寺カフェの前に設置されたスタンド看板を指さした。そこに書かれていたメニュー表を見た光秀の顔が、さらに蒼白になる。
『本願寺ブレンドコーヒー(おかわり自由):350円』
『朝の焼き立てクロワッサンモーニングセット:480円』
『キッズプレート(おもちゃ付き):380円』
『全席Wi-Fi・コンセント完備 / 駐車場40台完備 / 完全バリアフリー』
「あ、安すぎる……! それでいて設備が充実しすぎている!!」
光秀は頭を抱えて崩れ落ちた。
「うちのブレンドは450円、モーニングセットは780円です! 原価率38%まで削り込んだうちの価格を、根本から破壊するような価格設定……! なぜこんなマネができるんですか!?」
「……セントラルキッチンと大量一括仕入れだな」
不意に背後から声がした。
振り返ると、腕を組んだ信長が、ギラギラとした鋭い眼光で向かいの白いカフェを見つめていた。
「本願寺エネルギーの全国物流網をそのまま流用しているのだ。食材を巨大倉庫で一括購入し、一次加工を済ませて各店へ配送する。だから品質を保ったまま、原価を極限まで押し下げられる」
信長は鼻で笑ったが、その瞳には深い警戒の色が宿っていた。
「さらに、自社発電の電力をグループ店舗へ回して、光熱費まで抑えておる。……フン、相変わらず嫌みなくらい合理的な男だ、あの顕如は」
「ワシらが毎日手作業で仕込みして、一皿一皿の利益を積み上げて胃を痛めとる横で、企業パワーで殴りかかってくるなんて反則ですわ!!」
秀吉が悲鳴を上げる。
その時。
本願寺カフェの自動ドアが静かに開き、大勢の客たちが吸い込まれるように店内に案内されていった。
店内は混雑している。それなのに、誰も慌てていない。自動注文システムとPOSレジがスムーズに連動し、研修を受け抜いたスタッフたちが笑顔で流れるように客を捌いていく。
客たちは口々に言っていた。
「わあ、広くて綺麗な店内! ベビーカーでも移動しやすいね!」
「コーヒー美味しいし、おかわり自由なのが嬉しいわ」
「コンロも火も使ってないから煙くさくないし、安心して子供を連れて来られるね」
「……っ」
光秀はレジ横の自分のタブレットを見つめた。
今日の喫茶『本能寺』の来客数は、いつもの半分以下。
静まり返った店内に、ジャズの音色だけが虚しく響いている。
料理の味では負けていない。信長の作ったナポリタンは間違いなく極上だ。
光秀の経営管理も間違っていない。原価率も回転率も、完璧に計算されていた。
それなのに――。
「料理では……負けていないのに……」
光秀の膝がガクガクと震えた。
立地、資本、宣伝、設備、快適性、ターゲット層の広さ、そして組織力。
『個人の名店』として完成したはずの本能寺の前に立ち塞がったのは、味の優劣など遥かに超えた、巨大な『システムの壁』だった。
「……光秀」
信長が静かに缶ビールを握りつぶした。
「……はい、社長」
「あの白い店から、料理を一つ買ってこい」
信長は不敵な笑みを浮かべていた。その瞳には、「料理狂」の熾火が宿っていた。
「あいつらが『至福と安心』と呼ぶものがどんな味か、確かめてやる」
完成された本能寺の前に現れた、完璧すぎるライバル。
本能寺の本当の戦いが、今、静かに幕を開けた。




