喫茶厨房本能寺編 第三章:組織拡大と営業狂騒曲 第9話「【丹羽長秀】絶望の財務・第二世代本能寺システム」
### 第一部:喫茶厨房本能寺編
### 第三章:組織拡大と営業狂騒曲
### 第9話「【丹羽長秀】絶望の財務・第二世代本能寺システム」
「米がない」
喫茶『本能寺』のフロア中央。
財務担当として着任したばかりの丹羽長秀は、自身の弁当箱に詰まった艶やかな白米を愛おしそうに見つめた後、冷徹な声でその事実を突きつけた。
「そこですかぁぁぁッ!?」
店長である明智光秀の絶叫が、金屏風と提灯で飾られた異様な店内に虚しく響き渡った。
「そこ、とは心外ですね」
丹羽は銀縁の眼鏡を中指でクイッと押し上げ、静かに光秀を見据えた。
「飲食業において、主食の選定は経営の根幹を成す最重要課題です。明智店長、あなたはなぜ、この店に米を導入しないのですか」
「うちは喫茶店だからですよ! ホットサンドがメインなんです!」
「非効率極まりない。パンなど腹持ちが悪く、日本人には適していません。米です。白米、味噌汁、そして漬物。これこそが至高にして最強の定食。米を炊きなさい、今すぐに」
「絶対に嫌です! ただでさえカオスなのに定食屋にまでしてたまるか!」
光秀が必死に抵抗する傍らで、丹羽はバインダーに何かを書き込みながら深々とため息をついた。
「……まあいいでしょう。米問題はいずれ必ず解決するとして、今はそれ以上に深刻な会社存続の危機があります」
丹羽が視線を向けた先。
厨房では、羽柴秀吉が凄まじい残像を残しながら、狂ったようなスピードでホットサンドを焼き続けていた。
「ゴォォォォォォッ!!」
秀吉の過酷な労働による【怒り】を燃料とする『本能寺オーブン』から、激しい炎が噴き出す。
極上の火加減で焼かれたホットサンドが次々と飛び出し、それを滝川一益が爆速で各テーブルへと運んでいく。
「いける……いけますよ明智殿ぉぉ!」
全身を煤だらけにした秀吉が、血走った目で叫ぶ。
「このペースなら、客をいくら入れても捌ききれます!」
その言葉の通り、店内は満席。
店の外には、柴田勝家と前田利家の強引な営業活動によって集められた客たちが、長蛇の列を作っていた。
売上メーターはかつてない勢いで跳ね上がり、光秀の目には一瞬、希望の光が宿ったかに見えた。
「素晴らしい……! ついに我が本能寺も、安定した黒字経営の軌道に乗ったんだ!」
「甘いですね。現実は『売上絶好調・現金絶不調』です」
光秀の希望を、丹羽の冷酷な声が一刀両断した。
「え?」
「たしかに売上は伸びています。客も来ている。しかし、手元に現金が残っていないのです」
丹羽は分厚いバインダーを開き、光秀の目の前に突きつけた。
そこには、売上だけなら過去最高を更新しているにもかかわらず、手元資金が猛烈な勢いで減少している、絶望的な資金繰り表が並んでいた。
「各部署の現状を見てみなさい」
丹羽は冷ややかに電卓を叩きながら、一つずつ事実を読み上げていく。
「営業部、柴田・前田」
丹羽がページをめくる。
「『客を呼べ』という命に忠実すぎるあまり、勝手に『超高級・松阪牛入りホットサンド原価提供キャンペーン』を乱発。さらに他店の客を物理的に引き抜くための拡声器、のぼり旗、謎のチンドン屋まで経費で大量発注している」
「俺たちは客を呼んだだけだぞ!」
「ええ。だから売上は増えました。しかし、粗利がほとんど残っていません」
「ぐっ……!」
「次に購買部、佐々成政」
「俺か?」
「『仕入れ網を死守しろ』という命を守るため、朝倉ファームから小麦を三年分一括購入」
「安かったんだからいいだろう!」
「単価は確かに下がりました。しかし、使う前に莫大な保管料が発生しています。しかも、この店の倉庫に三年分の小麦を置くスペースなどありません」
「……」
「最後に物流部、滝川一益」
「俺は爆速で運んだだけだ!」
「ええ。そこに問題があります」
丹羽は一枚の伝票を掲げた。
「徒歩数分の距離でも車を使い、一般道で十分間に合う配送でも『高速を使えば七分縮まる!』と高速道路を使用。結果、一件の配送で得られる利益より、高速料金の方が高くなっています」
「七分だぞ!? 七分も短縮できるんだぞ!」
「会社は七分を買うために数千円払っているのですよ」
「……」
丹羽は三人を見渡した。
「皆さん、自分の部署としては百パーセント正しい。しかし、会社全体として見ると、全員が猛烈な勢いで現金を燃やしています」
電卓を叩く音が、店内に響く。
「このままでは、近日中に間違いなく資金ショートを起こします」
「なんですかその地獄の縦割り組織はァァァッ!?」
光秀が頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「そして何より、致命的なのが『厨房』です。外の行列を見てみなさい」
光秀が窓の外を見ると、列に並んでいた客たちが次々と時計を見て、舌打ちしながら帰っていくところだった。
「なっ……! なぜ帰るんですか!?」
「提供スピードがまったく追いついていないからです。当然でしょう」
丹羽は厨房で白目を剥きかけている秀吉を指差した。
「明智店長。我が本能寺の厨房設備は、たしかに異常な火力を誇る強力な武器です。しかし、その設計思想は――」
丹羽は一拍置いた。
「『一人の人間が生み出す怒りを、一基の特殊炉で燃料化する』という前提で作られている」
「……!」
「つまり、これは極めて属人的な『職人芸の設備』なのです」
丹羽は厨房を見つめた。
「怒りを生み出すこと。怒りを燃料として抽出・貯蔵すること。火力を制御・維持すること。そして、その火力で調理すること。その一連の製造工程が、すべて羽柴秀吉という一人の人間の能力とストレス限界に依存している」
「ううっ……」
厨房から、秀吉の呻き声が聞こえた。
フライパンを振る腕はすでに痙攣し、限界を超えている。
「どれだけ営業が客を連れてこようと、処理能力の上限が『秀吉一人』なのです。このままでは、客を増やすほど秀吉が壊れる」
「……」
「これが、本能寺の成長限界です」
その言葉に、店内が静まり返った。
「なるほど」
突然、店の奥から低い声が響いた。
オーナーである織田信長が立ち上がり、マントを翻す。
「ならば話は早い」
信長の目が、危険な野心の炎を放った。
「一人の狂人で作った厨房なら、それをシステム化して量産すればよい!」
「量産……?」
「我が本能寺の異端の技術を次世代化するのだ!」
信長は燃え盛る『本能寺オーブン』を指差した。
「怒りを一人分しか供給できぬから限界が来る。ならば工程を分解し、複数の怒りを同時に燃料化して、複数の炉へ供給すればよい!」
「そんなことできるんですか!?」
「できるかどうかではない!」
信長が吠えた。
「やるのだ!」
「無茶苦茶だ……」
丹羽が額を押さえる。
「『本能寺式オーブン・第二世代』を開発する。怒りのエネルギーを並列処理し、厨房全体を一つの巨大な食品製造プラントへと変えるのだ!」
「第、第二世代……!?」
「そうだ!」
信長はニヤリと笑った。
「そして、その開発と新しい厨房設備を整えるための資金が必要だ!」
「……借りればよかろう」
丹羽の顔が固まった。
「社長」
「なんだ?」
「今の財務状況で銀行から追加融資を受けるというのは、完全に自殺行為です。どこの銀行も簡単には貸してくれません」
「だからこそ銀行へ行くのだ」
「意味が分かりません」
「金がなければ、金を持っているところへ行けばいい」
信長は胸を張った。
「小学生でもわかる理屈であろうが!」
「小学生の理屈です!!」
丹羽の珍しい大声も意に介さず、信長は高笑いしながら光秀を指差した。
「光秀!」
「……はい」
「銀行へ行き、融資交渉をまとめてこい!」
「やっぱり私ですかァァァァッ!?」
「財務!」
「……はい」
「金を管理しろ!」
「それが私の仕事です」
「そして光秀!」
「……はい」
「貴様が全部まとめろ!」
「なんで私が全部やらなきゃいけないんですかァァァ!」
「貴様が店長だからだ!」
「店長って何でも屋じゃないんですよぉぉぉ!」
光秀の悲鳴が店内に響き渡る。
その横で、丹羽が冷静にバインダーを閉じた。
「では明智店長。私は銀行融資に必要な、銀行が『絶対に貸さない』と即答しない程度の財務資料をまとめます」
「丹羽殿……!」
「それと、米の仕入れルートも開拓してきます」
「まだ米を諦めてなかったんですか!?」
「経営改善に不可欠ですから」
「絶対あなたの趣味でしょう!」
「では失礼」
丹羽は弁当箱を片手に、颯爽と歩き去っていく。
他の武将たちも、
「俺は営業に戻るぞ!」
「ホールを守ってくる!」
「仕入れに行ってくる!」
「爆速で走ってくる!」
と、次々と自身の持ち場――赤字製造部署へと散っていった。
後に残されたのは、
売上だけは絶好調なのに、現金残高が右肩下がりの資金繰り表。
破綻した業務フロー。
第二世代本能寺システムという無茶な開発計画。
そして、それらすべてを背負わされた明智光秀ただ一人。
「……銀行、か」
光秀は、ぽつりと呟いた。
「……嫌だなぁ」
「何がです?」
歩き去ろうとしていた丹羽が足を止める。
「いや……」
光秀は胃薬を握りしめた。
「銀行って、いくつもあるでしょう?」
「ええ」
「だったら……普通のところから回りましょう」
「そうですね」
「……たぶん、断られるでしょうけど」
「なぜ分かるのです?」
「だって、この会社の財務状況ですよ?」
「……」
「でも、できれば……あそこだけは行きたくないなぁ」
「どこです?」
光秀は遠い目をした。
「……昔の職場です」
「……」
「できれば、二度と顔を出したくなかったんですが……」
光秀は深いため息をついた。
「よりによって、今度は借金をお願いしに行くのかよぉぉぉ……!」
胃袋に、かつてないほどの激痛が走った。
喫茶『本能寺』の狂気は、ついに銀行融資という未知の領域へと突入する。
そして明智光秀は、自らの黒歴史と再会することになる。
(第10話「【明智光秀】中間管理職の憂鬱と第一回経営会議」へ続く)




