第10話「本能寺、新メニュー開発!」
第10話「本能寺、新メニュー開発!」
「……光秀。新メニューの開発を許可する」
翌朝、開店前の喫茶『本能寺』。
カウンターで缶ビールを開けた織田信長が、不敵な笑みを浮かべながら宣言した。
光秀は即座に警戒の表情を浮かべ、手元のタブレットを胸に抱きかかえた。
「勘違いしないでください社長。『開発を許可する』ではありません。リピーターを獲得し、店舗の売上を安定させるための必然的な経営施策です! 条件は三つです――原価率30%以下、誰でも作れるオペレーション、そして調理時間五分以内です!」
「だーまーれー!! 料理を作る前から原価と時間の話をする奴があるか!!」
信長はパイプ椅子を蹴倒して立ち上がると、厨房のカウンターへドカッと大皿を叩きつけた。
「フレンチトーストの次は、喫茶店の王道……ナポリタンだッ!」
「ナポリタン……!」
光秀と、ホールで掃除をしていた羽柴秀吉が思わず息を呑む。
日本の喫茶店文化における象徴にして、老若男女に愛される定番中の定番メニュー。
「いいでしょう! ナポリタンなら麺、ケチャップ、玉ねぎ、ピーマン、ウインナーというシンプルな構成です! 大量仕入れで原価率も抑えやすく、提供スピードも早い! これぞ『普通の喫茶店』の鏡のようなメニューですわ!」
秀吉もパッと表情を輝かせた。
「ワシも麺を茹でて炒めるくらいなら手伝える気がしますわ! これならワシの【怒り】も絞り取られずに済みます!」
だが――。
ふふん、と鼻で笑った信長が取り出したのは、スーパーで売っているような市販のケチャップでも、袋入りのソフト麺でもなかった。
「……社長、その木箱に入った謎の野菜と、怪しげな瓶詰めの塊は何ですか?」
光秀の額から冷や汗が流れる。
「ハッ! ナポリタンの味の決め手はトマトの酸味とコクだ! 故に、本場イタリアから直輸入した完熟サンマルツァーノトマトを煮詰めた自家製ソースに、三年熟成のパルミジャーノ・レッジャーノを惜しみなく削り出す!」
「直輸入の自家製ソースに熟成チーズぁぁぁッ!?」
光秀が悲痛な悲鳴を上げる。
「さらに! 具材のウインナーなど生ぬるい! 自社で豚肉を塩漬けし、桜のチップで燻製にした自家製パンチェッタを使用する! 麺は注文を受けてから生パスタ生地を打ち、最高の茹で加減で提供するぞ!!」
「注文を受けてから生地を打つ喫茶店がどこにありますかぁぁぁッ!!」
光秀の絶叫が店内にこだまする。
「一人前の仕込みと調理に何十分かける気ですか! 『提供時間五分』と言ったでしょうが! それに自家製パンチェッタに熟成チーズなんて使ったら、原価率が余裕で80%を超えて一皿千五百円でも赤字になります!!」
「だーまーれー!! 美味いナポリタンを食わせるためなら、生地から打つのは当然だろ!!」
「ナポリタンはそういう料理じゃありません!! 市販のケチャップを少し焦がして、太麺でモチモチ炒めるから美味いんじゃないですかぁぁぁッ!!」
「黙れ! 俺のナポリタンに妥協など一切許さん!!」
こうして、信長による狂気の「試作と失敗」の地獄が幕を開けた。
◇
「……違う! 火力が足りん! 麺の表面の香ばしさとケチャップの甘みが絡み合わん!」
ボッ、ボボッ!
信長は普通のガスコンロの上で、重い鉄のフライパンを狂ったように振り回していた。
「くそっ……! 弱火で時間をかければ、ケチャップの水分が飛びすぎてベタつく! かといって強火で一気に炒めれば、生パスタは火が入りすぎて食感が崩れる……!」
信長は焼き上がったナポリタンを一口食べ、即座にゴミ箱へ捨てた。
「やり直しだ! 秀吉、新しい生地を捏ねろ!」
「ひぇぇぇッ!? もう二時間も生地を捏ね続けて腕の筋肉が千切れそうですわ社長ぉぉぉッ!!」
汗だくでボウルと向き合う秀吉が悲鳴を上げる。
異能の設備に命を削られることはなくなった。だが、普通の厨房には普通の肉体労働という地獄が待っていた。
信長はビールを煽り、目を血走らせながら呟く。
(強火で一気に仕上げる『縦』の熱量……だが、この厨房のコンロでは限界がある。ならば……あらかじめソースを弱火でじっくり煮込み、コクを極限まで凝縮させる『横』のプロセスと……炒めの瞬間の『縦』を……どこで交差させる……!?)
信長は何度も何度も試作を繰り返した。
焦がす。
失敗する。
自分で食べる。
頭を抱える。
材料を組み替える。
そしてまた、火を入れる。
特殊な設備もない。
感情エネルギーもない。
それでも信長は、ただ一皿の味だけを見つめていた。
光秀は、床に散らばった試作用の食材と、汗だくでフライパンに向かい続ける信長の後ろ姿を、言葉を失って見つめていた。
(この人は……本当に妥協しない。たかが喫茶店のナポリタン一皿に、ここまでの情熱と魂を注ぎ込めるのか……)
そして、数時間が経過した頃。
厨房から、フッと芳醇な香りが漂ってきた。
ケチャップの甘酸っぱい香りではない。
じっくりと時間をかけて煮込まれた濃密なトマトのコクと、香ばしく焦げた炒め油、そして自家製パンチェッタの豊かな脂の香りが絶妙に溶け合った、えも言われぬ香り。
「……できたぞ」
信長が静かに差し出したお皿の上には、ツヤツヤと赤く輝く、極上のナポリタンが載っていた。
光秀と秀吉はゴクリと唾を呑み込み、恐る恐るフォークを伸ばした。
一口、口へ運ぶ。
「……ッ!?」
光秀の全身に、激雷が走り抜けた。
口に入れた瞬間、モチモチとした食感。
そして次の瞬間、深く濃密なトマトの旨味とパンチェッタの塩気が、香ばしい焦げの風味とともに爆発的に広がっていく。ナポリタンという庶民的な料理でありながら、高級イタリアンの重厚さと、喫茶店特有の懐かしさが完璧に同居している。
「う……美味すぎる……! ナポリタンの概念がひっくり返るほどの味です……!」
秀吉も涙をボロボロとこぼしながら貪り食う。
「美味いですわぁぁぁッ!! 腕が千切れるほど生地を捏ねた甲斐がありましたわぁぁぁッ!!」
信長は不敵に口角を上げた。
「ハッ! 弱火で時間をかけて旨味を極限まで凝縮したソースを作り、最後にガスコンロの限界火力で一気に麺と絡める! これが……俺の作戦だ!」
光秀は感動に震えていた。
信長は第一部の異能設備を失ってもなお、自らの情熱と技術だけで、普通の厨房から「奇跡の一皿」を生み出してみせたのだ。
しかし――。
光秀は素早く電卓を叩き、我に返った。
「……で、社長。このナポリタンの仕込み時間と原価率はどうなっていますか?」
信長はフッと鼻で笑った。
「ソースの仕込みだけで六時間! だが、一度作れば数十食分になる! 材料原価だけで一皿九百円だ!」
「販売予定価格は!?」
「もちろん、九百円だ! 良いものを安く提供して何が悪い!」
「粗利ゼロでしょうがぁぁぁッ!!」
光秀の怒号が店内に響き渡った。
「原価率100%!? 売れば売るほどタダ働きです!! そんなことを毎日やったら、店も従業員も先に倒れますわ!!」
「だーまーれー!! 客が美味いと喜べば満足だろ!!」
「良くありません!! 味を落とさずに原価と工程を削るのが店長の腕の見せ所です!!」
光秀はタブレットを構え、鬼の形相で改善案を叩き込み始めた。
「生パスタが悪いのではありません! ですが、喫茶店のナポリタンとして考えれば、茹で時間も品質も安定する高品質な太麺の乾麺の方が商品として優秀なんです! 高火力の炒めにも耐えられます! これは妥協ではなく最適化です! ソースは朝一で一括大量仕込み! パンチェッタも仕入れ業者と交渉して高品質な業務用に切り替え、パルミジャーノの使用量もミリ単位で規定します!!」
「俺の味を勝手に改変するな、光秀ぇぇぇッ!!」
「改変ではありません、商品化です!!」
こうして始まった、料理狂と店長による極限の擦り合わせ。
信長が妥協なき味の「基準」を提示し、光秀がそれを壊さずにオペレーションへと落とし込む。
数日後――。
(……原価418円。販売価格1,100円。原価率38%。目標の30%には届かない。だが、これ以上削れば信長様の味が死ぬ。かといって、この味なら1,100円を払ってでも食べたいと思わせられる。――今の本能寺にとって、これが最適解だ!)
光秀の手によって『本能寺特製・極上ナポリタン(1,100円・原価率38%)』が正式メニューとして追加された。
それは、信長の「狂気の情熱」と光秀の「徹底的な経営管理」が、奇跡的なバランスで結実した、至高の一皿だった。
新メニューは着実に評判を呼び、喫茶『本能寺』には、それまで以上に客が訪れるようになった。
「勝てる……!」
光秀は、完成したナポリタンを見つめながら力強く拳を握りしめた。
「この味と、私の経営管理があれば……本能寺は、もう誰にも負けない!」
光秀が確固たる手応えと自信を深めていた、まさにその時。
店舗の向かいにある広大な空き地に、巨大な工事用ダンプカーが次々と乗り込んできた。
そこに掲げられた巨大な看板を目にした光秀の顔から、一瞬で血の気が引いた。
『本願寺エネルギーホールディングス直営――本願寺カフェ・清須店 建設予定地』
「……な、なにぃ……!」
光秀の悲鳴が、晴れ渡る秋空へと吸い込まれていった。




