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第五話「uni-Burs(t)」

 ユニットが結成された翌日から、愛希たち三人の日常は少しだけ変わった。


 朝、いつもより早く起きる。

 まだ眠気の残る身体を起こし、レッスン着に着替え、芸能科棟の前に集まる。


 そこから始まるのは、学園内を回るランニングだった。


 アイドルに必要なのは、歌とダンスだけではない。


 ステージ上で歌い続けるための呼吸。

 踊りながら表情を崩さないための体幹。

 何曲も続けてパフォーマンスを行えるだけの持久力。


 そのすべての土台になるのが、基礎体力だった。


「はぁ、はぁ……っ」


 愛希は息を切らしながら、並木道を走っていた。


 春の朝の空気はまだ少し冷たい。

 けれど一時間近く走り続けていると、身体の内側から熱が上がってくる。額には汗が滲み、首筋を伝ってレッスン着の襟元へ落ちた。


 隣では、美苑乃もゆるい表情を浮かべながら、しかし明らかに疲れた様子で走っている。


「愛希ちゃ~ん……足が、足がふわふわするよ~……」


「わ、私もです……っ」


 ふたりの足取りは、最初の頃よりずいぶん重くなっていた。


 しかし、その少し前を走る蒼だけは違った。


 青みがかった長い髪を後ろでまとめ、淡々としたリズムで走っている。呼吸は乱れていない。足音も一定。視線は前へ向いたままで、表情もほとんど変わらなかった。


 ランニングが終わる頃には、愛希と美苑乃は近くのベンチに沈み込むように腰を下ろした。


「つ、疲れました……」


「朝から一時間走るのって、すごいねぇ……」


 一方、蒼はベンチには座らず、ゆっくりとストレッチを始めていた。


 脚を伸ばし、肩を回し、呼吸を整える。

 その動きは静かで、無駄がない。


 同じランニングをしたはずなのに、まるで別のメニューをこなしているようだった。


「みんなお疲れ様~!」


 そこへ、加奈子が駆け寄ってきた。


 小柄な身体に、大きめのスポーツバッグを抱えている。その中からタオルとスポーツドリンクを取り出し、三人へ順番に渡していく。


「まだ春だけど、水分補給は忘れずにね!」


「ありがとうございます!」


 愛希は両手でスポーツドリンクを受け取り、すぐに口をつけた。冷たい液体が喉を通るだけで、少し生き返る気がする。


「加奈子先輩、ありがと~」


 美苑乃もタオルで汗を押さえながら、ふにゃりと笑った。


 最後に、加奈子は蒼へタオルとドリンクを差し出す。


「蒼さん、すごいね。全然ペース変わらなかったよ」


「いえ……毎日してることなので」


 蒼は短く答え、タオルを受け取った。


「毎日……」


 愛希は思わず呟いた。


 自分は今日一日だけでこの有様だ。

 それを毎日続けているという事実に、改めて蒼のストイックさを思い知らされる。


 美苑乃がタオルを首にかけながら、のんびり尋ねた。


「三色先輩は~?」


「ユニットの色々、頑張って考えるのに忙しいんだよ」


 加奈子は少しだけ誇らしげに言った。


「ユニット名とか、コンセプトとか。すぐに考えないといけないものだからね」


「どんな名前になるんでしょう」


 愛希は目を輝かせる。


 まだ名前のない三人のユニット。


 昨日までは、集まったばかりだった。

 でも、こうして朝から一緒に走っていると、少しずつ本当にチームになっていくような気がする。


「楽しみですね!」


 愛希が言うと、美苑乃も頷いた。


「かわいい名前だといいなぁ~」


 蒼は何も言わなかった。


 けれど、ドリンクを飲みながら少しだけ視線を落とす。

 その表情はいつも通り静かだったが、完全に無関心というわけでもなさそうだった。


     *


 その日の昼休み。


 愛希、美苑乃、蒼の三人は、芸能科A棟の近くで昼食を取っていた。


 この数日で、三人で一緒に食べることは自然な流れになりつつあった。


 最初は戸惑いがちだった蒼も、今では愛希と美苑乃の隣に座ることに、以前ほど抵抗を見せなくなっている。


 愛希は持参した小さな弁当箱を開け、美苑乃は購買で買ったサンドイッチを手にしていた。蒼はいつものようにパンと飲み物だけだったが、今日は愛希にすすめられて、甘いクリームパンも一つ買っている。


「愛希ちゃん、お菓子作れるんだ~」


 美苑乃が感心したように言った。


「はい。趣味程度ですけど。クッキーとか、パウンドケーキとか、アップルパイとか」


「いいなぁ~。今度食べてみたいよね~、蒼ちゃん」


 美苑乃が蒼の方を見る。


 蒼はクリームパンの袋を開けながら、小さく頷いた。


「うん……甘いもの、嫌いじゃない」


「本当ですか!」


 愛希の顔が明るくなる。


「じゃあ今度、作ってきますね!」


「無理はしなくていいけど」


「いえ、作りたいです!」


 愛希は胸の前で拳を握った。


 人に食べてもらう約束ができると、お菓子作りはもっと楽しくなる。

 それが友達なら、なおさらだった。


 蒼はほんの少しだけ視線を逸らした。


「……なら、食べる」


 その返事に、愛希と美苑乃は顔を見合わせて笑った。


     *


 同じ頃。


 三色修人は、九郎と共に学園内を歩いていた。


 昼休みの学園は、どこも生徒で賑わっている。学食へ向かう者、購買へ走る者、お弁当を囲みながら談笑をする者。各学科の棟を結ぶ道には、さまざまな制服や私服姿の学生が行き交っていた。


「へー、三人集まったのか。よかったナ」


 九郎が気の抜けた声で言う。


「ああ」


 修人は頷いた。


「まさか、全員天門さんが連れてきてくれるとは思わなかったけどな」


「すごいじゃん。加奈子にスカウトの特訓でもしてやれよ」


「いや、いいよ。加奈子にはスカウト以外の仕事もある」


「後輩に甘いねぇ」


「適材適所だ」


 修人は淡々と返す。

 九郎はにやにやと笑った。


「それで……ユニットの名前とコンセプトで迷ってると」


「まあな」


 修人は少しだけ視線を落とした。


 愛希、美苑乃、蒼。

 方向性は違う。

 けれど、不思議と並んだ時の空気は悪くなかった。


 愛希は、人の言葉や感情を真正面から受け止める。

 美苑乃は、張り詰めた場を柔らかくほどく。

 蒼は、静かな佇まいの奥に、圧倒的な歌の力を持っている。


 プロデュースというのは、ただ足し合わせればいいわけではない。

 三人が並んだ時に、何が生まれるのか。

 どう見せれば、それぞれの良さが一つのユニットとして機能するのか。


 そこを見つけなければならない。


「お前ならどうする?」


 修人が尋ねると、九郎は露骨に顔をしかめた。


「オレ? オレに聞くなよ」


「まあ、そう言うと思ってたよ」


「おい」


 九郎は不満げに言ったが、すぐに何かを思いついたように手を打った。


「今日の昼、ラーメンにしようぜ」


「ラーメン? 食堂か?」


「いいからついてこいよ」


 そう言って、九郎は進路を変えた。


 修人は一瞬だけため息をついたが、結局その後を追った。


     *


 九郎に連れられてたどり着いたのは、昼食時にしては妙に人気のないエリアだった。


 学園の主要な食堂やカフェからは少し離れている。

 近くにあるのは、古い倉庫のような建物と、低い植え込み。校舎の影になっているせいか、人通りもまばらだった。


 そんな場所に、ぽつんと屋台があった。


 屋台からは、白い湯気が立ち上っている。

 近づくと、鶏ガラの香りがふわりと漂ってきた。


「屋台……?」


 修人が呟く。


 九郎は得意げに暖簾を指差した。


「穴場のラーメン屋台、超銀河(ちょうぎんが)だ」


「超銀河……?」


 修人が視線を上げると、屋台の横に一本ののぼりが立っていた。


 達筆な字で、大きくこう書かれている。


『超銀河』


 勢いがありすぎて、少し暑苦しい。

 だが妙に目を引く字だった。


 九郎は慣れた様子で暖簾をくぐり、簡素な丸椅子へ腰を下ろした。


「大将、超銀河ラーメン二つ」


 屋台の内側にいた男が、低い声で返事をする。


「へい」


 年齢はよくわからない。

 調理科の生徒に見えなくもないし、学園関係者の大人に見えなくもない。無駄口はほとんどなく、手元だけが淡々と動いている。


 男はコップに水を注ぎ、修人と九郎の前へ置いた。


 修人は小声で九郎に尋ねる。


「なあ。調理科の生徒か……?」


「さぁな。自分で聞けよ」


「お前も知らないのか」


「美味けりゃいいんだよ」


 九郎は悪びれない。


 しばらくすると、二つの丼が目の前に置かれた。


 超銀河ラーメン。


 名前から想像する派手さとは違い、見た目はシンプルな醤油ラーメンだった。


 澄んだ琥珀色のスープ。

 やや縮れた細麺。

 二切れのチャーシュー。

 半熟の煮卵。

 ほうれん草。

 メンマ。


 奇をてらった具材はない。

 だが、湯気と共に立ち上る香りは深く、思わず箸を取らせる力があった。


 修人は割り箸を割り、何本もまとめられている蓮華の一本を手に取った。


 まずはスープをすくい、口に運ぶ。


 次の瞬間、目を細めた。


「うまい……!」


「だろ?」


 九郎が嬉しそうに笑う。


 スープはシンプルだった。


 けれど薄いわけではない。

 鶏ガラの旨味が土台にあり、醤油の香りがそこに重なる。脂は強すぎず、けれど物足りなさもない。細麺がスープをよく拾い、チャーシューは柔らかく、煮卵の黄身はほどよくとろける。


 気づくと、修人の箸は止まらなくなっていた。


「シンプルだけど、まとまってて」


 九郎は麺をすすりながら言った。


「基本に忠実なスープに、いつ見ても少しワクワクさせてくれる具たち」


「……」


「とっつきやすくて、ハマりやすい。最高のラーメンだ」


 屋台の男が、低く呟いた。


「ありがとうございやす……」


 修人はもう一口、スープを飲む。


 シンプル。

 まとまっている。

 けれど、一つ一つの具がちゃんと意味を持っている。

 派手ではないのに、食べ進めるほど楽しくなる。


 それは、どこかユニットにも似ていた。


 主役だけが強すぎても、味は崩れる。

 全員が同じ役割でも、印象は平坦になる。

 土台があり、香りがあり、食感があり、驚きがある。


 それぞれが違うから、一つになる。


 修人は屋台ののぼりを見た。


 超銀河。


 妙に大げさなその言葉が、なぜか頭の隅に残った。


     *


 午後。


 芸能科のトレーニングルームの一室で、愛希、美苑乃、蒼の三人はボーカルレッスンを受けていた。


 とはいっても、この日の内容はまだ基礎的なものだった。


 発声。

 呼吸。

 滑舌。

 音階の確認。


 派手な歌唱指導ではない。

 けれど、基礎ほど誤魔化しがきかない。


 修人は壁際に立ち、三人を見ていた。

 隣では加奈子がメモを取っている。


 愛希が発声する。


 以前より声が前に出ている。

 まだ安定しているとは言いがたいが、最初に見た頃より明らかに良くなっていた。


 真面目に言われたことを吸収する。

 失敗しても表情を曇らせすぎず、もう一度やり直せる。


 そこは愛希の強みだった。


 続いて、美苑乃が声を出す。


 修人は少し驚いた。


 おっとりした話し方とは違い、歌声の芯がしっかりしている。肺活量もある。力任せではなく、自分の声質と現在のパフォーマンスを自然に理解しているような響かせ方だった。


 柔らかい。

 けれど弱くない。


 聴いている側の緊張をほどくような声。


 そして、蒼。


 彼女が声を出した瞬間、部屋の空気が変わった。


 無駄のない呼吸。

 ぶれない音程。

 透明感のある響き。

 高音へ移っても、声の輪郭が崩れない。


 ただ上手いだけではない。


 その声には、静かな圧があった。


 青空の奥へ吸い込まれていくような、深く澄んだ力。


 加奈子が思わずメモの手を止めた。


「す、すごい……! 資料にあった中等部でもトップクラスの歌唱力に偽りなしですね!」


「……ああ、正直驚いた」


 修人も素直に頷いた。


 それから、美苑乃を見る。


「黄世さんも、自分の声質と肺活量が適切にわかってるね。伸びもいいし、張りもある」


「ふふ~。もっと褒めてもいいんですよ~」


 美苑乃がにこにこと笑う。


「天門さんも、この数回のレッスンとは思えないほどよくなってる」


「あ、ありがとうございます!」


 愛希はぱっと顔を明るくした。


 蒼は静かに言った。


「このくらい、当然です」


 素っ気ない言い方だったが、その横顔には少しだけ誇りが滲んでいた。


 今はまだ、基礎的なトレーニングにすぎない。

 けれど、修人は確かに感じていた。


 この三人が、本格的なレッスンを受けたら。

 この三人に合う楽曲と振り付けが与えられたら。

 それぞれの力が、一つのステージで噛み合ったら。


 どれほどのものになるのだろう。


 修人の胸の奥に、久しぶりの感覚が生まれた。


 ワクワクしている。


 誰かを輝かせることに、恐れではなく期待を感じている。


 そのことに、修人自身が少し驚いた。


 予感があった。

 何かがひらめきそうな感覚。


 修人は、部屋に備え付けられたホワイトボードへ向かった。


 ペンを手に取る。


 頭にはなぜだか、昼に食べたラーメンが浮かんだ。


 シンプルだけど、まとまっている。

 基本に忠実なスープ。

 ワクワクさせる具。

 とっつきやすく、ハマりやすい。


 そして、屋台ののぼり。


 超銀河。


 銀河。


 その言葉が、修人の中で広がっていく。


「ん? 修人先輩?」


 加奈子が顔を上げる。


 修人はホワイトボードに、思いつくまま言葉を書いた。


 銀河。

 宇宙。

 ユニット。

 universe。

 才能。

 開花。

 burst。

 birth。


 それから、ライバルとなるphoEniX(フェニックス)の名前も頭をよぎる。


 燃える鳥。

 強い表記。

 すでに完成された、派手なユニット。


 それに対して、愛希たちは何か。


 まだ未完成。

 でも、三人それぞれに光がある。


 愛希の笑顔。

 美苑乃の癒し。

 蒼の歌。


 それらが一つのステージで弾ける。

 三つの才能が集まり、一つの世界を作る。


 修人の中で、ユニットのコンセプトが形になっていく。


「思いついたぞ」


 修人はホワイトボードの中央に、大きく文字を書いた。


 uni-Burs(t(ユニバース))


 愛希が首を傾げる。


「ユニ……?」


「ユニットの名前は、uni-Burs(t)」


 修人は振り返る。


「読みは、ユニバースだ」


「ユニバース……」


 加奈子が小さく繰り返す。


「最後のtは読まない。けど、そこには“Burst”の意味を残してある」


 修人はホワイトボードを軽く叩いた。


「弾ける才能を、一つにまとめた銀河。そんなイメージだ」


 愛希は文字を見つめた。


「才能、ですか」


「ああ」


 修人は頷く。


「天門さんの笑顔。黄世さんの癒し。却白さんの歌。全部、違う光だ。でも同じステージで弾けた時、一つの銀河みたいに見せられると思う」


 蒼は少しだけホワイトボードを見つめた。


「いいんじゃないですか」


 短い言葉だったが、否定ではなかった。


 美苑乃はふわりと笑う。


「ちょっと強い響きですね~」


「ああ」


 修人は少しだけ口元を緩めた。


「ライバルになるphoEniXにも、負けないようにな」


 その言葉に、愛希の胸が高鳴った。


 phoEniX。


 サイカ、フブキ、テイコ。

 すでに注目を集めている強いユニット。


 その相手に、自分たちはこの名前で挑む。


 uni-Burs(t)。


 まだ慣れない響き。

 けれど、ホワイトボードに書かれたその文字は、確かに自分たちのものになろうとしていた。


「ユニバース……」


 愛希はもう一度、そっと口にした。


 その響きは、胸の中で少しずつ広がっていくようだった。


     *


 ユニットの名前とコンセプトが決まったことで、その後のレッスンはどこか空気が変わった。


 ただ基礎をこなしているだけではない。


 自分たちは、uni-Burs(t)というユニットなのだ。


 その意識が、三人の中に小さく根を張り始めていた。


 レッスンが終わる頃には、愛希の表情にも疲労と同じくらい充実感が浮かんでいた。


 修人はホワイトボードを見ながら、静かに呟く。


「さて、次は楽曲か」


 加奈子がすぐに反応した。


「1st.festでは、先輩や卒業生の曲と振り付けを使って参加するユニットが多いですよね。基本が即席ですし」


「そうなんですか?」


 愛希が尋ねる。


「うん。オリジナルの曲と振り付けを用意するのは大変だからね。時間も活動実績点もいるし」


「オリジナルの曲と振り付けを用意してる時間は、ないですもんね……」


 愛希は少しだけ残念そうに言った。


 修人は、わずかに間を置いた。


「……まあ、そうだな」


 その間に、蒼だけが小さく目を動かした。


 何か含みがある。


 そう感じた。


「どんな楽曲にしますか~?」


 美苑乃が尋ねる。


「被らなければ、私は……別に……」


 蒼がそっけなく言う。


 美苑乃はにこにこしながら身を乗り出した。


「えー、ほんとにー? 歌いたいのあるんじゃないのー?」


「……ないからっ」


 蒼は少しだけ強く言った。


 その反応に、美苑乃は楽しそうに笑い、愛希もつられて笑った。


 修人は三人を見渡す。


「これは、みんなで決めようと思う。明日からは放課後に打ち合わせをしよう」


「はい!」


「資料を集めておきますねっ!」


 加奈子がすぐにメモを取る。


 ホワイトボードには、まだ大きくユニット名が残っていた。


 uni-Burs(t)。


 弾ける才能を、一つにまとめた銀河。


 名前が決まり、コンセプトが決まり、次は楽曲。


 何もなかった場所に、少しずつ輪郭が生まれていく。


 愛希はその文字を見つめながら、胸の前でそっと拳を握った。


 自分たちは、ここから始まる。


 まだ小さな三つの光。


 けれど、それが一つになれば、きっと大きな星空になれる。


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