第二話「メイク&クック」
撮影練習から一夜明けた翌日。
芸能科A棟2階、201号室には、昨日と同じように長机とキャスター付きの椅子が並んでいた。
ただ、昨日と違うことがひとつある。
天門愛希は、その扉の前で深呼吸をしていた。
昨日は、撮影モデルの応募者としてここへ来た。
けれど今日は違う。
三色修人が、自分をプロデュースしてくれることになった。
まだその実感は薄い。
夢のようでもあった。
けれど昨日の夜、寮に戻ってから何度も思い出した。
――君の夢を、俺も見てみたくなった。
――だから、引き受ける。君をプロデュースするよ。
その言葉を思い出すたびに、胸の奥が熱くなる。
愛希は両手で頬を軽く押さえた。
「……よし」
小さく気合いを入れて、扉をノックする。
「どうぞー」
中から聞こえたのは、昨日と同じ気の抜けた声だった。
愛希は扉を開ける。
「お疲れ様です。今日もよろしくお願いします!」
部屋の中には、すでに九郎と加奈子がいた。
九郎は椅子に深く腰かけ、机の上に置いたカメラを弄っている。加奈子は書類を広げて、何かを確認していた。
「ういー、お疲れ」
九郎が片手を上げる。
「愛希ちゃん、お疲れさま!」
加奈子が明るく笑った。
その声を聞いて、愛希の緊張が少しだけほぐれる。
「三色先輩は、まだですかね」
愛希は室内を見回した。
「あー」
九郎がカメラから目を離さずに言った。
「なんか、芸能科の事務方のところ行くの見たぞ」
「ん? 事務方?」
加奈子が顔を上げる。
「そう、事務方。なんか申請でもあるんじゃないか」
「申請……」
愛希が首を傾げたところで、廊下から足音が近づいてきた。
次の瞬間、扉が開く。
「悪い、遅れた」
修人だった。
昨日と同じように落ち着いた表情をしているが、その手にはクリアファイルが握られている。
中には数枚の書類が入っていた。
「三色先輩、お疲れ様です!」
愛希が立ち上がる。
修人は小さく頷き、扉を閉めた。
「天門さん、ちょっと」
「は、はい」
修人が手招きする。
愛希は少し緊張しながら、ちょこちょこと修人の横に並んだ。
修人は軽く咳払いをする。
「えー……私事ですが」
その言葉に、九郎がわずかに口の端を上げた。
加奈子も目を瞬かせている。
「本日付で、芸能科アイドルコース高等部1年、天門愛希さんを担当プロデュースすることになりました」
一瞬、部屋の空気が止まった。
次に声を上げたのは、加奈子だった。
「えっ、マジですか!」
「おー」
九郎が気の抜けた声で拍手する。
愛希は慌てて両手を握った。
「ま、マジです!」
「いやー、よかったね、愛希ちゃん!」
加奈子が勢いよく愛希の両手を取った。
「修人先輩みたいな敏腕プロデューサーがついてくれたら、もうアイドル街道爆走間違いなしだよ!」
「そ、それは言い過ぎでは」
愛希は照れながらも、顔がにやけてしまうのを止められなかった。
修人は苦笑しながら、加奈子を見る。
「加奈子」
「はい?」
「お前も手伝ってくれ」
今度は加奈子が固まった。
「え、えー!? いいんですか!」
「ああ。頼れる奴が必要だからな」
修人の言葉は短かった。
けれど、軽くはなかった。
加奈子は一瞬だけ目を丸くして、それからぱっと笑った。
「愛希ちゃん!」
加奈子が愛希に視線を向ける。
愛希は、迷わず頷いた。
「私も、加奈子先輩が一緒にいてくれたら心強いです!」
「きゃーー! うれしー!」
加奈子がその場で跳ねるように喜んだ。
九郎が椅子にもたれたまま、にやりと笑う。
「ま、撮影が必要だったら、オレに声かけてくれや」
そう言って、親指と人差し指をこすり合わせる。
お金のジェスチャーだった。
「わかりやすいですね……」
愛希が思わず呟く。
修人は淡々と頷いた。
「ああ、そうだな。必要な時は頼む」
「お、いい返事」
「ただし、相応の成果物は出してもらう」
「はいはい。プロの仕事しますよ」
九郎は軽く肩をすくめた。
修人は書類を机の上に広げる。
「といっても、本格的な活動はこの広報素材撮影が終わってからだ。並行して、色々申請やら登録やら必要だしな」
「なるほど……!」
加奈子が両拳を握る。
「忙しくなりそーですねー!」
愛希は机に並べられた書類を見つめた。
担当プロデュース申請。
活動登録。
施設利用関連などエトセトラ。
昨日まで、自分には何もなかった。
でも今、こうして書類が並んでいる。
自分の名前と、三色修人の名前が、同じ紙の上に書かれている。
それだけで、何かが始まったのだと感じられた。
「天門さん」
修人が言った。
「はい」
「ここからは、夢だけじゃなくて手続きも必要になる。面倒だけど、これも活動の一部だ」
「はい!」
愛希は背筋を伸ばす。
「よろしくお願いします!」
*
そこからの数日は、目まぐるしく過ぎていった。
担当プロデュースを受けるための正式な申請。
設備利用の登録。
広報素材撮影の確認。
撮影に向けた練習。
愛希は授業とレッスンの合間に、修人たちと何度も集まった。
九郎は撮影の構図や立ち位置を教えてくれた。
加奈子は香盤表や現場での動き方を噛み砕いて説明してくれた。
修人は多くを語らないが、必要なところだけ的確に口を挟んだ。
あの日の案内板の写真以来、愛希は少しだけカメラの前に立つことが怖くなくなっていた。
自分がどう見えるか。
何を見せたいのか。
その場所で、どんな表情をするべきなのか。
まだうまくはできない。
けれど、考えることはできるようになってきた。
そして、ついに本番の日が来た。
*
「お疲れ様です!」
いつもの201号室に入ると、愛希は元気よく挨拶した。
「お疲れさま」
修人が返す。
「いよいよ本番だな。天気よくてなによりだ」
九郎は窓の外を見ながら言った。
春らしい柔らかな光が差し込んでいる。
屋外の撮影にも向いた天気だった。
加奈子が愛希の手を引く。
「愛希ちゃん、こっち座って待ってて!」
「はい?」
昨日まで部屋になかった化粧台が、窓際に置かれていた。
ライト付きの鏡と、背もたれのある椅子。
その前に座るよう、加奈子が促す。
「今日は先輩が、メイク兼スタイリストさんを呼んでくれてるから。超!可愛くしてもらおう!」
「は、はい!」
愛希は椅子に座り、鏡の中の自分を見る。
いつもの自分だ。
けれど、今日はこれから撮影本番。
自分が広報素材として使われるかもしれない。
そして、アイドルとしての最初の一歩にもなるかもしれない。
そう思うと、背筋が自然と伸びた。
その時、扉が開いた。
「おまたせ」
入ってきたのは、黒いロングストレートの髪を綺麗に整えた女性だった。
手入れの行き届いた髪。
大人っぽいメイク。
右耳に髪をかけた先には、いくつものピアスが光っている。
片手にはジェラルミンのメイクボックス。もう一方の肩には、ガーメントバッグを担いでいた。
その立ち姿だけで、部屋の空気が少し変わった。
「急に頼んで悪かったな、株」
修人が言う。
株と呼ばれた女性は、軽く肩をすくめた。
「いいよ。三色先輩には、資格取ったばかりの私に仕事くれたことあるし」
加奈子が愛希の横に立つ。
「こちら、芸術科のメイク兼スタイリストの株さん」
愛希は慌てて立ち上がろうとした。
「天門愛希、アイドルコース高等部1年です!」
「天門さんね。よろしく」
株は短く頷く。
「じゃ、早速仕事にかかろうかな」
ガーメントバッグをテーブルに置き、メイクボックスを開く。
中にはブラシやパレット、スポンジ、細かな道具が綺麗に収められていた。
愛希は再び椅子に座る。
株は鏡越しに愛希の顔を見て、ふっと目を細めた。
「髪、つやつや。ちゃんと手入れしてるね」
「あ、ありがとうございます」
「私ほどじゃないけど」
「え? あ、はぁ……」
愛希は返答に困った。
九郎が少し離れた場所で小さく吹き出す。
株は気にする様子もなく、愛希の髪を軽く整え、顔立ちを確認する。
「初々しさを意識してナチュラル寄り。屋内も屋外あって、灯体はあまり意識しすぎない感じでしたっけ」
鏡越しに、後ろに立つ修人へ尋ねる。
「そうだ」
「了解です」
株は迷いなく手を動かし始めた。
下地、ファンデーション、眉、目元、頬、唇。
手際がよかった。
まるで愛希の顔の上に、必要なものだけを置いていくようだった。
「天門さん、乗りがいいわ。肌つやもいい」
「あ、ありがとうございます」
「私ほどじゃないけど」
「え、えぇ?」
愛希は今度こそ困惑した。
九郎が修人の方へ顔を寄せる。
「アイツ、相変わらず変だな」
「お前には言われたくないだろうけどな」
「俺より変だろ」
「種類が違う」
修人は静かに言った。
「それに、株は飲み込みも早いし、現場での動きもいい。高等部の中ならトップクラスの実力者だぞ」
「えぇ? マジかよ」
九郎が笑う。
しばらくして、株が手を止めた。
「よし、メイクはこんなところかな」
愛希は鏡の中の自分を見て、思わず息を止めた。
大きく変えられたわけではない。
濃いメイクでもない。
けれど、目元はいつもより少しだけ明るく見え、肌は柔らかく、髪は光を受けて自然に艶めいていた。
自分のままなのに、自分より少しだけ前に出られるような顔だった。
株はメイクボックスを閉じると、ガーメントバッグに手を伸ばした。
「今回は、このパリッパリの新品でいいんだよね?」
バッグの中から取り出されたのは、高等部の制服だった。
新品らしく、ブレザーの布地にはまだ固さが残っている。折り目も美しく、リボンもスカートも、まるで広報写真のために用意されたように整っていた。
「バッチリ」
九郎が頷く。
株は制服を椅子の背に掛けると、男二人の方へ顔だけ向けた。
「じゃ、着せちゃうから、男連中は出てって~」
「はいはい」
九郎がカメラを持って立ち上がる。
修人も黙って部屋の外へ向かう。
「じゃあ、加奈子。頼む」
「はい!」
加奈子が元気よく返事をする。
扉が閉まると、部屋の中には愛希と加奈子、そして株だけが残った。
愛希は制服を見つめて、少し緊張する。
「これ、私が着るんですよね」
「そうだよ~。愛希ちゃん、絶対似合うよ」
加奈子が笑う。
株は手際よく制服を整えながら言った。
「広報素材だからね。清潔感と新入生らしさは大事。制服の皺ひとつで印象変わるから」
「は、はい」
「大丈夫。ちゃんと可愛くする」
株はそこで一拍置き、当然のように続けた。
「私ほどじゃないけど」
「そこは変わらないんですね……」
愛希は小さく笑った。
スタイリングはすぐに終わった。
新品のブレザーに袖を通し、リボンを整え、スカートの位置を合わせる。髪の流れをもう一度整え、最後に全体のバランスを見る。
株は一歩下がって、愛希を上から下まで確認した。
「うん。良い感じ。可愛くなった」
「あ、ありがとうございます……」
「私ほどじゃないけど」
「え、え、はい……」
愛希はもう、そう返すしかなかった。
廊下から九郎の声がする。
「終わったかー?」
「いいよー」
加奈子が扉を開ける。
九郎と修人が戻ってきた。
九郎は愛希を見るなり、腕を組んだ。
「おお」
「どう、ですか?」
愛希は少しだけ恥ずかしそうに尋ねる。
「いいじゃん。新品制服、広報っぽい」
九郎は軽く頷く。
続いて修人も愛希を見る。
「うん。いいと思う。初々しさがちゃんと出てる」
「ありがとうございます!」
愛希の顔が明るくなる。
*
撮影は、予定通りに始まった。
レッスン室。
スタジオ。
廊下。
打ち合わせ室。
コンサートホールの客席。
九郎は淡々と、しかし確実にシャッターを切っていく。
数日前とは違い、愛希の表情にはほどよい緊張感があった。
固すぎず、崩れすぎず、指示に合わせて少しずつ表情を変えることができている。
加奈子は香盤表を確認しながら、タイミングを見て声をかけた。
「愛希ちゃん、次は資料抱えて移動するカット!」
「はい!」
「今の表情いいよ。ちょっとだけ目線上げよっか」
「はい!」
修人は少し離れた場所で、全体の流れを見ていた。
株は必要に応じて髪やリボンを直し、メイクの崩れを確認する。
「汗、ほとんど出てないね。優秀」
「あ、ありがとうございます」
「私ほどじゃないけど」
「はい……!」
愛希はだんだん返し方を覚えてきた。
九郎はカメラを下ろして、ふっと笑う。
「慣れてきたな」
「えぇ、まぁ...」
「緊張はしても、緊張に飲まれてないね」
「あ、撮影の方でしたか…!」
撮影は順調に進んだ。
広報素材としても使いやすく、同時に天門愛希というアイドルコース生徒の魅力も少しずつ映り込んだ写真が、いくつも撮れた。
最後のカットを撮り終えた時、九郎が大きく息を吐いた。
「ふー。終わった。お疲れ様、天門さん」
「お疲れ様~!」
加奈子が拍手する。
「かなり良かったんじゃないかな」
「ありがとうございます。みなさんのおかげです!」
愛希は深く頭を下げた。
それから、少し緊張した面持ちで修人を見る。
「あの、三色先輩。どうでしたか」
修人は一瞬、カメラから伝送されている画像を手元のモニターで確認してから言った。
「すごくよかったよ。この前教えたことが、よくできてる」
「ほ、本当ですか!」
「ああ」
その一言だけで、愛希の顔がぱっと明るくなった。
「うれしいです!」
修人は小さく笑う。
「よし。無事撮影を終えたことだし、打ち上げでもするか」
「お、マジで?」
九郎が反応する。
「本当ですか、うれしー!」
加奈子も目を輝かせた。
「本格的なプロデュースも始まるからな。今後の話の場も兼ねてる」
修人は株の方へ視線を向けた。
「株、よかったら一緒にどうだ?」
「いえ、私はこれで。お疲れ様でした」
株はすでに荷物をまとめ始めていた。
そそくさとメイクボックスを閉め、ガーメントバッグを担ぐ。
「早いですね!?」
愛希が思わず言う。
「仕事終わったから」
株はそれだけ言って、軽く手を振る。
「また必要なら呼んで。私ほど使える人、あんまりいないから」
そして、振り向きもせず歩いていった。
残された四人は、しばらくその背中を見つめていた。
「……ドライだ」
加奈子がぽつりと言う。
「まぁ...予想通りだけどな」
九郎は肩をすくめる。
「で、打ち上げどこでやるんだ?」
修人はクリアファイルを鞄にしまいながら言った。
「まあ、ついてきな」
*
修人に連れられて、三人は芸能科の施設が並ぶエリアから少し離れた場所へ向かった。
歩くにつれて、景色が変わっていく。
ガラス張りのスタジオやレッスン棟が少なくなり、代わりに低層の建物や農園のような区画が増えてきた。土の匂いがわずかに混じる。遠くにはビニールハウスのような建物も見えた。
「この辺、来るの初めてです」
愛希が周囲を見回す。
加奈子が得意げに頷いた。
「そうなんだ。この辺りはね、調理学科とか農業科のエリアだよ。食べ物関係!」
「食べ物関係……!」
「生徒がやってるレストランなんかもあるし、あれ見て!」
加奈子が指差した先には、数台のキッチンカーが並んでいた。
それぞれの車体には、個性的なロゴやメニュー表が描かれている。
「キッチンカーまであるんだよ!」
「すごい……この学園、本当になんでもあるんですね」
「千の才能を育てるってのは伊達じゃねぇな」
九郎が感心したように言う。
修人は歩きながら、愛希の方を見た。
「さて。歩きながらで申し訳ないけど、天門さんにこの学園のシステムについて説明しなくちゃいけない」
「はい」
「この学園には、全学科共通で活動実績に応じて“活動実績点”が与えられる仕組みがある」
「あ、軽く説明は受けてます……!」
愛希は思い出しながら言った。
「その活動実績点を使って、学内の施設利用とか、活動費用の申請ができるんですよね」
「そう。さらに累計取得点によっては、ある程度の優遇も受けられる」
修人は続ける。
「たとえば、プロへの楽曲制作依頼。振り付けの依頼。外部講師のレッスン。大型施設の優先利用。そういうものにも活動実績点が絡んでくる」
「なるほど……」
「あればあるほど、活動を効率的に運べる。素晴らしい制度なんだが」
そこで修人は、少しだけ肩をすくめた。
「当たり前だけど、今の天門さんの活動実績点はゼロだ」
「ゼロ……」
「今回の撮影で、一点つくかどうかってところかな」
「一点……!」
愛希は数字の重みを感じた。
自分は本当に、何も持っていないところから始まるのだ。
加奈子がふと顔を上げる。
「でも、修人先輩の実績点は相当ありますよね。なんてったって凛子さんのプロデュースしてたんですから!」
愛希も思わず修人を見る。
確かにそうだ。
神仙凛子をプロデュースしていた修人なら、相当な活動実績点を持っているのではないか。
しかし修人は首を横に振った。
「残念ながら、俺も今まで貯めていた実績点はほとんどない」
「えっ」
「凛子とは契約を解消した時に、実績点を凛子に移譲したからな」
「がーん……」
加奈子がわかりやすく肩を落とした。
愛希も少し驚いたが、何も言えなかった。
修人は淡々としている。
けれど、その言葉の裏には何かがあるように感じた。
「だから、まずは活動実績点を稼ぐために動かなきゃならない」
修人は前を向く。
「夢を見るにも、場所と金と人手がいる。そこを無視すると、続かないからな」
その言葉は、妙に現実的だった。
でも、愛希には嫌な感じはしなかった。
むしろ、夢を本当に叶えるための話をしてくれているのだと思えた。
*
四人が到着したのは、少し古いが雰囲気のいいレストランのような建物だった。
木製の扉の上には、看板が掲げられている。
『調理科実習教室 エポック』
修人が少し重い扉を開けると、中から温かな空気といい匂いが流れてきた。
店内は綺麗な洋風の内装だった。
大きなテーブルがいくつも並び、そのうちの一つには、すでにいくつもの料理が用意されている。
フライドチキン、サラダ、焼き野菜、スープ、小さなパン。見ただけでお腹が鳴りそうだった。
「いらっしゃい、待ってたぞ」
奥から現れたのは、コックコートに身を包んだ高身長の女性だった。
清潔感のある佇まいで、笑顔が明るい。
「こちら、調理科の味野素子さん」
修人が紹介する。
「はーい、みんなよろしくぅ!」
味野素子は軽く手を振った。
「聞いてるよ。三色クンの新しい担当アイドルだってね。ライブとかのときはケータリングに呼んでね! ごちそう作るよー!」
愛希は慌てて頭を下げる。
「天門愛希です。よろしくお願いします!」
「うんうん、元気でよろしい。さぁ、あったかいうちに食べてねー」
九郎が小声で呟いた。
「すげぇ名前だ。かけるだけでうまみが増しそうだ」
「九郎先輩」
加奈子が低い声でたしなめる。
「すまん、心の声が漏れた」
味野は聞こえていたのかいないのか、にこにこと料理を並べている。
四人はテーブルにつき、食事を始めた。
料理はどれも美味しかった。
フライドチキンは衣が軽く、肉は柔らかい。スープは野菜の甘みがしっかり出ていて、パンにつけるとさらに美味しかった。
「おいしい!」
愛希が思わず声を上げる。
「でしょでしょ」
味野が嬉しそうに笑う。
「三色先輩、お知り合いが多いんですね」
愛希が修人を見る。
加奈子がすかさず頷いた。
「人脈もプロデュースに欠かせない要素の一つだからね!」
「まあな」
修人は短く答える。
「どんなに良い企画でも、協力してくれる人がいなきゃ形にならない。ステージに立つ人間だけで、ステージは作れないからな」
その言葉に、愛希は少しだけ背筋を伸ばした。
輝く者と、輝かせる者。
その言葉をまた思い出す。
九郎はフライドチキンを口いっぱいに頬張っていた。
「おいしい……」
妙に幸せそうな顔だった。
「九郎先輩、揚げ物ばっかり食べてませんか……?」
加奈子が呆れる。
「久しぶりなんだヨ。幸せだぁ」
「は、はぁ……」
愛希は少し笑った。
修人も小さく息を吐く。
しばらく他愛のない雑談をし、食事が一段落した頃、修人が水の入ったグラスを置いた。
「それで、今後についてだが」
空気が少しだけ変わる。
愛希は姿勢を正した。
「活動実績点と注目の機会を同時に獲得できる、絶好のチャンスがある」
「チャンス……」
修人は頷いた。
「高等部一年限定イベント――1st.fest。まずは、そのユニット部門に参加しようと思う」
「ゆ、ユニットですか」
愛希の声が少し跳ねた。
「ああ」
修人は説明を続ける。
「1st.festは、オーディションなしで参加者全員に平等なステージパフォーマンスの機会が与えられる。高等部一年生限定だから注目度も高い」
加奈子が補足するように言った。
「毎年、めちゃくちゃ盛り上がるんだよね。一年生の最初の大きな見せ場って感じ!」
「三人揃っていれば、即席ユニットで挑むことも許されている。ハードルは低いが、注目は集められる。第一歩としては好ましい」
修人はさらに続ける。
「ファン投票の結果次第では、外部の有名イベントで特別にパフォーマンスできる可能性もある」
愛希の目が輝いた。
1st.fest。
その名前は、もちろん知っている。
入学する前から、毎年映像で見ていた。
中等部の頃には、観客として見に来たこともある。
高等部一年生たちが、初めて大きな舞台で自分の輝きを見せるイベント。
自分も、いつかあそこに立ちたいと思っていた。
修人は少しだけ愛希を見る。
「……まあ、天門さんがソロのみで活動したいなら、別の方向も考えるが」
「いえ!」
愛希は勢いよく首を振った。
「ユニット、組んでみたいです!」
声に自然と力が入る。
「私、毎年1st.festは見に来てたので、すっごく嬉しいお話です!」
修人は小さく頷いた。
「ならよかった」
そして、少しだけ表情を引き締める。
「さて。肝心のユニットメンバーを集めなくちゃな」
「そうですね。どうすればいいでしょうか」
愛希が真剣に尋ねる。
加奈子が片手を上げた。
「修人先輩のネームバリューで、オーディションでもやればいいんじゃないですか?」
修人は少し沈黙した。
「……最終手段だな」
「え、そうなんですか?」
「ああ。悪いが、その子たちはイベント限りの短期契約になる可能性もあるからな。変な期待はさせられないよ」
愛希はきょとんとした。
「え、どうして短期契約になるんですか?」
素朴な疑問だった。
その時、少し離れた場所でフライドチキンを食べていた九郎が、何気なく言った。
「そら、修人が本当にプロデュースしたいのは、君だけだからだろ」
空気が一瞬止まった。
愛希の顔が一気に赤くなる。
「!! し、失礼しました!」
「いや、謝ることじゃない」
修人は少し照れくさそうに頭をかいた。
加奈子はにやにやしている。
「ほほう」
「なんだよ」
「いえいえー?」
加奈子は楽しそうに笑った。
修人は咳払いをする。
「とにかく、今回はまずこちらから声をかける。条件や目的を最初から伝えた上でな」
加奈子がぐっと拳を握った。
「となると、こっちからスカウトですね。これは私の腕が鳴りますよ~!」
「ああ。頼む」
修人は頷く。
「天門さんも、同級生で仲が良い子とかに声をかけてみてよ」
「わかりました!」
愛希は力強く頷いた。
まだ誰に声をかければいいのか、すぐには思いつかない。
けれど、胸は弾んでいた。
自分と一緒に、1st.festのステージに立つ誰か。
まだ知らないユニットメンバー。
その出会いが、どんな光を連れてくるのか。
考えるだけで、少しだけわくわくした。
「加奈子」
修人が言う。
「はい!」
「まずは中等部からの内部進学組から当たってくれ」
「即戦力ってことですね。了解です!」
「実力がある子ほど、もう声がかかっている可能性も高い。けど、全員じゃないはずだ。」
「なるほど。そこを探るわけですね」
「そういうことだ」
加奈子はメモを取り始めた。
先ほどまでの騒がしさとは違い、その表情は真剣なプロの顔になっている。
愛希はその横顔を見て、少し感動した。
自分のために、誰かが動いてくれている。
自分の夢のために、具体的な計画が立てられている。
それが、こんなにも心強いことなのだと初めて知った。
修人は三人を見回した。
「さて。今後のことも決まったし、今日のところは……みんな、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
愛希は元気よく返事をした。
食事の香りが残る調理科実習教室で、彼女は胸の奥に小さな熱を感じていた。
昨日まで、自分は一人だった。
何度も落ちて、何度も焦って、何も始まっていない気がしていた。
けれど今は違う。
三色修人がいる。
笹枝加奈子がいる。
九郎がいる。
メイクをしてくれる人がいて、料理で支えてくれる人がいて、これから出会うユニットメンバーがいる。
ステージに立つ者だけではない。
その光を見つけ、支え、形にする者たちがいる。
愛希はそっと拳を握った。
1st.fest。
最初の目標が、決まった。
まだ何者でもない天門愛希の物語は、少しずつ輪郭を持ち始めていた。




