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今日も元気だ怪異が美味い  作者: 所 花紅
怨獣の出汁入り味噌汁

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8/31

悪夢の終わり

 ごろりと転がった首から、胴体から、赤い光がぽつぽつ消えていく。終わったのだ、と陸生は直感的に思った。半月近く陸生を苦しめていた、あの夢も。家にいつの間にか落ちていた獣の毛も、全て。

 ぽっ……と線香花火よりも儚く、顔の中心に残っていた赤い目が消えた。

 固めた砂の山が崩れるように、輪郭が揺れた。あれほど大きかった身体がさらさらと消えていく。ほんの瞬き三つほどの間に、全て散って消えて行った。


「ええー!? うっそ、消えた……あの肉絶対食べ応えありそうだったのにい! 骨しか残ってない! さいっあく!」


 だん、と地面を踏んで悔しがるお雛の足元に、小型の犬ほどの骨が残っていた。

 犬のような頭蓋と、猫のように細い骨の胴体、鼠のような小さな手足の、異形の獣の骨。まるで皮と肉を脱ぎ捨てた後で横になったかのように、綺麗な形で地面に横たわっている。

 紀平が、へなへなと座り込んだ。陸生達を包んでいた薄緑色の壁が音も無く消え、ぐずぐずと鼻をすする音がその場に響く。


「ごわ゛がっだ……」

「よしよし、お前相変わらず後ろに人がいると強えなー。頑張った頑張った」


 大股で近づいてきた藤野が、泣きじゃくる紀平の頭をがしがし撫で回す。撫でながら、顔を陸生に向けた。


「紀平が守ってたから、怪我はねーな。よし」

「いま、今の、は……?」


 何日かぶりに出したかのように、声はかすかすに掠れていた。まだ、心臓が激しく脈打っている。


「なんだ、知らねーのか。怨獣(おんじゅう)だよ」

「えっ、『けもどき』でしょ?」


 おんじゅう、と耳慣れない言葉を藤野が口にした瞬間。その背後から、素っ頓狂な声がぶつかった。藤野が呆れたような表情を浮かべ、背後を振り返る。


「お弁当にあった爪さあ、あれ怨霊のだったよ。間違いないよ。けもどきって確か、獣のふりした怨霊でしょ。完璧に獣になりきっても、どっかに人間の一部が残ってる奴。爪があったから、けもどきだよ」


 地面にしゃがみ込んだお雛が獣の骨を拾い上げ、広げた風呂敷包みの中に置いている。手をせっせと動かしながら、首をきょとんとかしげていた。


「お前なあ、あれがけもどきなわけねーだろ。怨獣は黒くて不定形な身体と無数の目の妖。けもどきは不定形じゃねーよ。祓い屋名乗るならこんくらい覚えとけ。祓い屋の免状(めんじょう)もらってんだから、もう少し知識付けろよ。腹減り過ぎて脳味噌まで食っちまったのか、あぁ?」

「あーそうだよごめんねー。だから代わりに藤野の脳味噌貰おうかな?」


 立ち上がり、火花を散らしてやり合っていた二人は唐突に、紀平の方をぐるっと向いた。


「よし多数決だ。紀平」

「ねえ紀平、ぼくの言う通り、けもどきだよねー?」

「う、え、と……」


 紀平は迷うように榛の目を泳がせた後、ちらりと藤野の方を見た。


「怨獣で、間違いないと、思う。怨獣は、真っ黒で顔が無くて、決まった姿が無くて色んな姿に見える奴だし、祓った後にあんな感じの骨が残るって本に書いてた」

「ほらな」

「えぇー、けもどきだと思ったのになあ」


 がっくりと肩を落としたお雛に、勝ち誇ったように藤野が鼻を鳴らす。へたり込んだまま、紀平が陸生の方を振り返った。


「あ、えと……そういうわけで、あれは怨獣です」

「はあ……」


 なにが「と、いうわけで」なのかは分からなかったが、陸生は曖昧に頷くしかなかった。

 依頼人の前で、倒した怪異が何であるかひそひそやり始め、あまつさえ喧嘩を始めようとするのは失礼だろう、と本当なら怒ってもいい所だ。

 しかし命の危機を脱した今は、どんな言動行動であろうとも許せる寛容な気持ちになっていた。



「ええと、怨獣というのは、恨みを呑んで死んだ獣達が寄り集まって、一つになった妖です」


 室内に戻り、陸生は改めて三人から説明を受けた。

 自室は濡れ縁の破片や土埃が室内中に飛び散り、とても落ち着けるものではない。なので、両親の部屋だった一室に場所を移している。

 ちなみに、あれだけの大騒ぎをしても隣近所が駆けつけてくることは無かった。何かあってもいいように、紀平が家に入る前に音を遮断する結界を張っていたのだそうだ。

 おかげで近所から口さがないことを言われることは無さそうで、陸生はほっとした。

 代表して説明してくれているのは紀平で、中心に座ったお雛は「お茶無いの、お茶。お弁当食べたらお茶欲しくなっちゃった」と小声で文句を言い、右隣の藤野がその脇腹をつねって黙らせている。


「恨みを抱いたまま死んだ後に、同じ思いを持ったもの達と魂がくっついて、生まれる妖なんです。そう珍しいものじゃありません」

「獣が、恨みを抱いて死ぬ? そんなことがあるのかい?」


 陸生は尋ねる。命を助けられたこともあって、彼らへの不信感はだいぶ薄れていた。知らない事を年下の子どもに聞くことに、拒否反応が出ない。


「そりゃそうだろ。動物だって生きてんだ。自然の理で死ぬならともかく、わっるーい人間に(いじ)め殺されりゃ、そら恨むぜ」


 胡坐(あぐら)に頬杖をついた藤野が、皮肉気に唇の片方を吊り上げた。紀平がこくこくと頷いて、また口を開く。


「獣だって感情はあります。だから、怨獣はさっきのように、犬や猫や鼠に見えるんです。人間に虐められるのは大体、町中で見る動物ですから」

「待て! き、君は私が、獣を虐めていたとでも!?」


 思わず、立ち上がって叫ぶ。とんでもない侮辱だ。自分は動物が好きなのだ。誰が、そんな事をするものか。

 拳を震わせいきり立つ陸生に、あの、と紀平が焦った様子で続けた。


「違うんです、あの、怨獣は自分を虐めた人間みんなが憎いんです。野辺さんだけじゃありません」

「あとさー、野辺さんって、動物が好きなんじゃない? さっき厨房に案内してくれた時見たけど、水皿と餌皿あったよね」


 お雛の言葉に、陸生は首肯(しゅこう)した。


「あ、ああ……飼うつもりはないけど、犬や猫は好きだからね」


 ああー、とお雛と紀平が納得した声を上げた。


「怨獣って、獣の気配が強いとこには来やすいらしいよ。思い出した思い出した」

「そうです。お雛の言う通りです。多分、たまたま目についたんだと思います。な、藤野」

「んー? ま、そんなとこだな」

「そ、そうか……すまないね、大声を出してしまって。まるで私のせいで、あれが来たと疑われたみたいな気がしてね」


 三人の言葉に、自分の早とちりに気づいた。急に恥ずかしくなり、口の中でもごもご言い訳をしながら座り直す。


「……しかし、私にもあの姿が視えたのは、どういうわけなんだい? 私は、怪異なんて生まれてこの方視たことが無いんだが」

「あ、それはきっと、怨獣が自分の姿をわざと見せてたんだと思います」

「きっと野辺さんを怖がらせようとしたんだよ。なんかー、恐怖の感情に染まった魂は美味しいとか聞いたことあるし。……ん? ってことはいつも怖がってる紀平の魂は凄く美味しい……?」

「やめろ! 舌なめずりして俺を見んな! 頭カチ割るぞ!」

「おーい。依頼人の前で喧嘩すんな」


 陸生の問いに答える途中で取っ組み合いを始めようとした二人を、藤野がすかさず止める。まるで出来の悪い弟達に、手を焼いているような雰囲気だ。


「ああー……成程、そうなんだね。教えてくれてありがとう」


 拳骨をお見舞いされ、しゅんと座り直した二人に、陸生はたじろぎながらも礼を言う。

 ふ、と話題が途切れた。

 沈黙を縫うように、歩き三味線の歌が障子の隙間から入ってくる。


「では……」


 重い言葉が、ごろりと口から漏れた。


「さやかは……私の妻は、あいつに食われてしまったんだろうか」


 さやかが失踪してすぐあの夢が始まり、獣の毛が落ちているようになった。さやかは怨獣に食われ、ずっと助けを求めていたのだろうか。思えば夢にはいつも、無数の赤い目があった。答えは最初から夢にあったのだ。

 もう、さやかはいない。会えない。声も聞けない。きっと、あれに骨も残さず食われてしまった。

 胸が詰まった。目の奥が熱くなる。


「あ、あの!」


 紀平が、不意に大声を上げた。


「まだ、分からないですから。もしかしたら、怨獣か他の怪異が奥さんの姿を借りて、それで野辺さんを怖がらせようとしてただけかも、です。前にも、似たような事件があって、その時は無事に奥さんが戻ってきました! だから、野辺さんも諦めちゃ駄目、です!」

「そうだよー。もしかしたらさあ、なんか野辺さんに腹立つことがあって、ちょっと家出してるだけかもしんないし。怪異に殺されたって考えるのはまだ早いって!」

「そうそう。ひょっこり帰ってくるかもしんねーから、希望は持っといた方がいいぜー」


 紀平に続いてお雛、藤野が言葉を重ねた。


「……」


 悪い子達ではないのかもしれない、と思った。彼らなりの言葉で、陸生を元気づけようとしてくれている。

 ……張り詰めていた気が、ふと緩んだ。


「……ありがとう。謝礼をお支払いします」


 濡れた目頭を親指でぐいと拭って、陸生は初めて彼ら三人に向かい、笑みを浮かべた。


〇 ● 〇


 荒れた室内の片付けをしてから帰っていくお雛達を見送り、戸を閉める。目線を上げると、戸の上部に真新しい札が貼られているのが見えた。怪異除けの札だという。

 普通、玄関や勝手口は結界になっていて、家主が許可しない限り、余所者は入れない。だが、犬や猫の為に少しでも開けていると、家主が侵入を許可した事になっているので、良くないものが入って来やすいのだと、お雛達は説明してくれた。

 これがあれば戸を開けていても、怪異が入ってくることはないらしい。

 怨獣の骨は、お雛が持って帰った。どうするのかは聞いていないが、嬉しそうにしているお雛と、呆れた様子の紀平と藤野が対照的だった。


「さて、少し休もうか……」


 そろそろ八つ時。本当なら店を開ける時間だが、今日は休みにしよう。とても店を開ける心境ではない。身体は鉛のように重いし、先ほどの事を思い返すと心臓が握られたように痛くなり、震えがくる。

 両親の部屋に布団を敷き、横になる。

 少し寝よう。起きたら銭湯に行って熱いお湯でたっぷり身体を温めて、美味いものでも食べよう。そうだ、さやかと前に食べに行った、あの釜飯屋がいい。あそこの兎肉の釜飯は美味かった。さやかとまた行こうと約束していたのに。それから、それから……もう少しさやかを探してみよう。あの子達の言うように、もう少し希望を持って……。

 色々と考えている内に、陸生の意識は沈んでいく。

 半月ぶりに、夢は見なかった。

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