いつもの夕飯
〇 ● 〇
きっちりきっかり一刻後。
お雛達は、へろへろになりながら白蜘蛛庵への道を歩いていた。三人が三人、背を老爺のように曲げ、腕をだらりと垂らしてよろめくように歩く姿はまさに、生ける屍。人気がほとんど無いから良いが、誰かに見られたら怪異だと騒がれそうな風体である。
「……まさか、あそこから二段階変形するとはな……」
着物をがっくりと着崩した藤野が、心ここにあらずといった様子で呟いた。
「俺……まさか人形が、回転しながら突っ込んで来るとは思わなかった……」
紀平が、ふらりふらりとよろめきながら言う。
「なんかこれ、しつこいお味になりそうー……疲れたあぁぁ……」
さしものお雛も、素直に「やったーご飯だ美味しそー早く食べたーい」と踊り上がって喜べない。と、いうか、喜ぶ気力が、もう無い。
片手に持った風呂敷包みが、ずっしりと重たい。怪異封じの呪言を書き込んだ風呂敷の中には、かの温泉宿に巣食っていた怪異が封じられている。
廊下に居並ぶ人形に少しでも触れば魅入られる、というのをお雛が身をもって示した為、藤野が術を使って人形を吹き飛ばし――怪異が用意したものだろうし、壊しても大丈夫じゃないかと、お雛達会議で結論が出た――広くなった廊下を歩いて探索しながら怪異本体を探し。
見つけたのは宿の奥にある石造りの小さな建物。社のように荘厳な雰囲気漂う扉を開け、その奥に立っていたのは、ぼろぼろの白い衣装をまとった身体の崩れた女。
どう見ても原因はあれだ。よし分かった。役目は果たした。さあ帰ろう。帰って山かけ丼だ。そう思った瞬間、勝手に閉まる扉。嫌な予感を覚えるお雛達。
刹那、窓を突き破り壁をぶち壊し、四方八方から回転しながら飛んでくる人形。一度倒したと思ったら二段階変形して巨大な口を衣装から生やし、襲ってくる女。
最終的に、紀平が縛術で人形達の動きを止め。お雛が包丁で口から伸びた舌を床に縫い留め。藤野がそこ目掛けて退魔術をぶっぱして祓ったものの。
疲れた。本当に疲れた。
ちなみに怪異の本体は女が着ていた、ぼろぼろの白い西極の衣装だった。この衣装を着ていた女が好いた男ではない者と結婚させられ、その恨みが一人歩きし、怪異と化した。……というのが、霊視した藤野の結論であった。
恨みの元である女性が、どんな女性だったかは知らない。が、あそこまで殺る気があるのだから、結婚相手を殴り倒し、好いた男と駆け落ちくらいすれば良かったのに。
「あ゛ぁ――……お腹空いたあぁー……」
「俺達、ちょっと様子見てくればいい、って言われただけなのに。なんで怪異と対決する羽目になったんだよう……」
「それはね紀平、ぼくが『あの石造りの建物が一番美味しい匂いがする』って言ったら、『そうか分かった』って言って開け放った紀平のせいだよ」
「……俺のせいか」
「そ。紀平のせい」
歩くうちに周囲に家が増えてきて、人も多くなってきた。
道の左右に立つ背高提灯の明かりだけで十分になったので、藤野が提灯を畳んだ。お雛は風呂敷包みを軽く揺らし、紀平に聞く。
「ていうか、紀平よくあそこ開けたねえ。怪異怖くなかったの?」
「んー……全然怖くなかった。人形に触ってないからかな」
首をことんとかしげた紀平が、答える。
「人形がぶっ飛んできた時も、怖いよりびっくりだったし」
「そっか。でも紀平が怖がらなくて良かったー。紀平があいつら縛ってくれなかったら、ぼく達今頃人形にボコボコにされて死んでたよ」
「いや、多分死にはしなかったと思うぜ。ただガッツリ魅了されて、俺達三人であの怪異の婿になってたとは思うけど」
「それって絶対平等に愛してくれなくて、ドロドロの争いが起きる奴じゃん。こないだ芝居で見たよ、ぼく。誰か一人が寵愛されてさあ、残りの二人でそれ殺すの。あーあ、可哀想なぼく」
「なんでお前が寵愛されるの確定なんだよ」
「疲れた……お腹空いた……ご飯ー……」
身体に伸しかかる疲労を誤魔化すように口を動かしながら、お雛達はよろめくような足取りで、白蜘蛛庵へと向かって行った。
白蜘蛛庵に戻ると、見計らっていたように厨房からさざれが顔を出した。
「おや」
疲れた顔のお雛達、手にした風呂敷包みと順に視線を向け、炎の瞳を三日月に細める。
「どうせ持ってくるだろうとは思っておったが、お雛ではなく紀平が動いた結果か。どれその着物を寄こせ。肉は用意してあるから、包んで蒸してやろうなあ」
言うが早いか、ひょいとお雛の手から風呂敷包みを取り上げる。その言葉に、のろのろと藤野が顔を上げた。
「あんた、絶対最初から俺達に解決させるつもりで声かけただろ……!」
「ふふ」
呻くような藤野の言葉に取り合わず、さざれは笑う。炎のように燃える瞳孔がきゅるり、と動いてお雛に据えられた。
「時にお雛。お主は暗示に弱いなあ。迂闊よ、迂闊」
「えっ、そう?」
「うむ、何もかも迂闊よ」
ころころ笑ったさざれの瞳孔が、紀平にきゅるりと向く。紀平がびくっと肩を跳ねさせた。
「この間教えた術はなんだったかな?」
「あっ……えと、纏の術……結界を、着物みたいにまとって身を守る術……」
最後に藤野にきゅるりと炎瞳が据えられた。
「言わんでも分かるな?」
「……さっき、さざれさんが言ったことを俺が現場で気づけって話っすね」
「うむ」
満足そうに頷いて、さざれが厨房に引っ込んだ。話は終わりのようなので、お雛は草履を脱いで座敷に上がり込む。
夕飯時を過ぎたとはいえ、人はまだ多い。広い座敷で思い思いの場所に座っている客の間を縫っていると、横合いから声をかけられた。
「む。……お雛、ちょっといいか」
「あっ、ギグさんこんばんはー。なあに?」
静かに食事をしていたギグが椀を置き、お雛を見上げていた。きり、と関節の歯車が動いて、絡繰の指で自分の顎をつまむ。そのまま、視線がお雛の頭から爪先まで滑った。
「いや。……うむ、背に何かついていないか?」
「背中?」
お雛は、背後にいる紀平と藤野を振り返った。
「なんかある?」
「なんも」
「埃と蜘蛛の巣なら付いてるぞ」
藤野の言葉に、首をねじって背中を確認。確かに、肩の辺りが汚れている。埃の絡まった蜘蛛の巣を、はたはたと叩き落とした。
「さっきまで廃旅館でバタバタしてたからね、それじゃない? じゃあぼく、今から西極の着物食べるからまたねー!」
「む、そうか。引き留めて悪かったな」
ばいばい、とギグに手を振って、出かける前に座っていた所に戻る。……さざれの気まぐれか、はたまた優しさか。食べていたものはそのままになっていた。厨房に向かって拝んでいると、遅れて紀平と藤野が席に着いた。
「なあお雛、背中ちょっと見せろよ」
「なになに紀平、どしたの」
「ギグさんがな、お前にまだ蜘蛛の巣付いてるかもしれないから、ちょっと見てやれって」
「ふーん?」
自分で肩や背中を叩いてみるが、蜘蛛の糸らしい感触は指に伝わらなかった。
「だいじょぶっぽいよ」
「じゃあいっか」
「お前に蜘蛛の巣付いてるぞ、紀平」
藤野が紀平の髪に絡んだ蜘蛛の巣を取ってやるのを見ていると、さざれが料理を持って座敷に上がってくるのが視界に入った。
「んふー、おいひーい! 味めっちゃくちゃ濃い! でもさっぱりしてるー!」
がぶっと布の肉包みを一口で食べ、お雛は歓声を上げた。
想像した通り、脂でぎっとぎとの肉を食べた時のような、しつこい感じが布にはあった。
だが、中に詰められた肉だねにたっぷり大葉が使われているから、案外しつこくない。酢醤油にちょんと付ければ、更にさっぱりだ。美味しい。
これは酒が欲しくなる。しゅわしゅわ系の。
周囲の「うわー、相変わらずおかしいよなあいつ」「よく腹壊さねえよな」「怪異喰いって初めて見たわ。あんな感じなのか」などという声を華麗に無視し、大皿に山と盛られた布包みをがっつがっつと食べるお雛に、紀平が小馬鹿にした目を向けた。
「所詮は牛か。あ、牛に失礼だったな。土竜か。あいつら一日中食ってないと死ぬもんな」
「紀平、なんか言った?」
「べーつにー」
ふい、と目を逸らす紀平を軽くねめつけ、お雛はうっすらと肉色が見える布を箸でつまんだ。埃や蜘蛛の巣で薄汚れていたが、さざれが綺麗に洗ってくれた為、元の白さを取り戻している。
「そういえばこれさあ、西極の方の婚礼衣装なんだってさ。おじさんが前に教えてくれたんだー。そんでさ、あの人形って薬指が青く塗られてたじゃん。西のお嫁さんって左の薬指に指輪……なんてったかな、えんげえじんぐ? えんげーりんぐ? だかを付けてもらうんだってさ」
「あ、じゃあもしかして、あの人形が全部左手上げてたのって……指輪を付けてもらうのを待ってたってことか?」
自分で言って怖くなったのか、紀平が顔を強張らせた。
「多分そうだよ。指輪を付けることで、婚礼の儀が完了するんだってさ」
「……万一、それしてたら魂ごと掴まれて逃げられなくなってたろうな。今までの被害者もお前も、指輪を付けるっていう発想が無かったから、魅了だけで済んだってわけか」
藤野が渋い顔をしながら、蕎麦を啜る。
まあ無事に終わったからいいじゃんと笑って、お雛はそういえばと思い出した。
旅館に入る前にしていた話の答えを、まだ聞いていなかった。
「話だいぶ戻るんだけどさ、紀平。頭に瘤のある御先に似た魚って知ってる? ぼくさあ、あれ食べたいんだよね」
米俵くらい大きかったのだから、きっと身は肉厚だろう。骨も太そうだから、骨煎餅にするのもいいかもしれない。口内に涎を溢れさせながら紀平に聞く。
紀平はお茶をずずーっと啜ってから、口を開いた。
「額に瘤がある魚だったら、瘤鯛だろ。でも、北の方の魚だからこの辺に来ないと思う」
それから、ことんと首をかしげた。
「ていうか、御先ってなんだ?」
「御先は御先だよ。昨日も今日も見てね、ずーっと気になってるんだあ」
「みーちゃん、お雛が変なこと言う。こいつまた魅了されてないか?」
「あ? あー……」
目鬘の奥から、藤野がお雛を視る。ややおいて、首を横に振った。
「いやあ? 怪異の気配はしないから、憑かれてはいないぞ」
「じゃあお雛が変なだけか?」
「ちょっと」
「そうだな。多分お雛が変なだけだろ」
「そっか。じゃあいいか」
「はあぁー?」
お雛は眉を吊り上げた。黙って聞いていれば、二人して何という言い草。
「ちょっとぉ、なにその言い草! そのもちもちほっぺに思いやりは詰まってないわけ!?」
茶を飲む紀平の頬をもちもちっと引っ張る。噛みつかれた。
「いっだああぁ!?」
「うるへー。噛むぞ」
「もう噛んで……いだだだだ骨! 骨にごりっていってる痛い!」
「自業自得だろ」
ずず、と冷たい目で茶を啜る藤野。お雛の手に齧りついたまま唸る紀平。叫んで涙目になるお雛。
三人がきゃんきゃんと賑やかにしている姿を、賑わう人々の奥からギグが凝っと見つめていた。
玻璃竹の明かりに反射し、お雛の背中からつぅと伸びた蜘蛛の糸が白く光った。




