いつもの仕事
〇 ● 〇
昨日、今日と見た慰櫃の御先に出てきた魚は、お雛が全く見たことが無い珍妙なものだった。
「ねえねえ紀平、頭にでっかい瘤がある魚ってさあ、なに?」
「は?」
なので読書家の紀平に尋ねると、「お前なにこの状況でそんな呑気なこと言ってんだ馬鹿じゃねえの」と言いたげな目で見られた。
「お前なにこの状況でそんな呑気なこと言ってんだ馬鹿じゃねえの」
「だから! 前から言ってるけど目だけじゃなく口でも言わないでよ! 二重に傷つく!」
「知らね」
「……あのなあ、紀平。ついでにお雛」
目鬘の上に微かに見える眉毛をきゅっとひそめ、藤野がうんざりしたような声を上げた。
「それ、今この状況で聞くようなことか?」
今。夜五つ|(二十時)。
この状況。男だけが魅入られるという西極風の廃温泉に、男三人雁首揃えてお仕事。
「うん」
道端に立つ背高提灯に照らされる建物を見上げて、お雛は大まじめな顔で頷いた。
目の前にある建物は、切っ先鋭い三角屋根と、灰と茶の石を組み合わせて作られた壁の三階建て。陽之戸ならではの平屋根木壁と違い、いかにも西極風といった様子だ。市中も遠く、ゆったりとした空気が流れるこの辺では異様に目立っている。
左右対称の大きな窓は、千切り絵のように色付きの玻璃がはめ込まれていたが、右側の下半分が大きく割れていた。そこに、いかにも急ごしらえといった様子で板が打ち付けられている。多分、男達はここから入ったのだろう。
両開きの戸はしっかりと閉じ、誰も通さぬと言わんばかりに太い鎖と南京錠。
「とにかく! なんで男だけがこの廃温泉に魅入られるのか、それを調査するぞ。調査だけだから原因が分かり次第、適当な奴に丸投げ。俺達は夕飯の続き。さっさと調べて帰るぞ。いいな。でないと一刻以内に帰れねえ」
「早く帰んないと、さざれさんに夕飯捨てられちゃうからね!」
夕食の途中で白蜘蛛庵から「ちょっと行っておいで」と放り出されたので、まだ手付かずの料理だってあるのだ。
「おー。あとそうだ、俺、今は怖くない」
ぴょこ、と手を軽く上げた紀平が、自己申告した。ということは今、中にいるだろう怪異は紀平を認識してはいないのか。
「あ、でもさでもさ、怪異の仕業じゃない可能性もあるよねー。めっちゃ美人のおねーさんがいて骨抜きにされるとかさ。怖いおにーさんが出て来てぼっこぼこにされるとか」
窓に近寄って、お雛はすんと匂いを嗅いでみる。……特徴的な甘い匂いが、微かにした。
「あっ、甘醤油で煮たお揚げみたいな匂いがするー。ってことは、怨霊だね! やったあ、ぼく怨霊食べるのひっさしっぶりーぃ!」
窓枠に両手を付いたまま飛び跳ね、お雛は顔中に笑みを浮かべる。
つい先日、怨霊の爪は食べたが本体は食べれていない。怨霊本体を食べるのは二ヵ月ぶりだ。嬉しい。今なら一差舞える。舞おう。
「ア、それ甘醤油のー、味思い出して我ら幾星霜ー、うまいうまいと感動した涙も甘醤油ー」
「みーちゃん、お雛が怪異に操られて変な動きしてる。なんだあれ、女房の悋気に耐えかねて家出したおけらが走ってるところ?」
「紀平、あれは正気のお雛だ」
さてそんな事がありつつも、一行は宿の中に入った。肝試しなんかで入った者と違い、こちらは正式な調査で来ているので、借りた鍵を使って南京錠を外し、堂々と玄関から。
そして意気揚々と入り込み、その場で立ち竦む羽目になった。
「……あのさあ、二人とも。あれって、元からあったものだと思う?」
「あったとしたら、ここが潰れた理由が分かったな」
「なんで廊下に人形が並んでんだよぉ……」
弱々しい声で、紀平が呟いた。「怖くないけど怖い……」と相反する言葉がその後に続く。うん、とお雛も藤野も頷いた。紀平の気持ちは痛いほど分かる。
お雛の持った玻璃竹提灯の白光の中に、白い影。玄関の先は土間も無く、板張りの広間になっている。
そこから、三方向に伸びた廊下。廊下と広間が交わる場所に、二体の人形が互いの顔を見つめるように、左右に配置されていた。
奥にも何体かいるようで、白い頭が光と闇のあわいに浮かんでいた。
離れた所にある等身大の人形をしげしげと眺めながら、藤野が目鬘の縁を神経質になぞる。
「女の人形、だな。芝居に使うような奴じゃなさそうだし、怪異の気配も無いが……」
つるりとした禿頭に、艶めかしい女体。目や口は無く、剥き立てのゆで卵のような顔の中心だけが、すっと高くなって鼻を形作っている。
そんな人形達がまとっているのは、肌よりも白い衣装であった。
上半身は身体の線に添うようになっており、細かな模様の入った薄布でふんだんに飾られている。強調された柳腰の下は巾着のように大きく膨らんでいた。こちらにも薄布が飾られなんとも華やかなのだが、埃と蜘蛛の巣をたっぷり溜め込んだ廃温泉の中にあるのに、薄気味悪さを覚える。しかも一体ではなく、複数。
何より不気味なのは。
「なんでこれ、全部左手を挙げてんだろ」
気味悪そうに、紀平が呟いた。言葉が床に落ちて、溜まった埃を微かに揺らす。
三つの廊下に立つ人形は全て、左腕を掲げていた。肘を軽く曲げ、手の甲を上に。まるで誰かに、手を取ってもらっているかのように。
「うーん……」
お雛は人形を見て、ついでに匂いも嗅ぐ。黴臭い空気に混ざって甘い香りは漂っているのだが、どこからのものか分からない。人形からではなさそうだ。
「ここが廃墟になったのって、いつだっけ」
「半年くらい前って言ってたな。半年間、置きっぱなしにしちゃ綺麗なまんまなんだよなあ、この人形」
「だよねー。着物にさあ、埃とか積もってないし、蜘蛛の巣も張ってないんだよね。まあ、しっかり洗わなくて良さそうでいっかな」
「は? なんで洗う必要があるんだ。持って帰んのか?」
「あの薄布でお肉包んで蒸したら綺麗だし美味しそうだと思わない?」
「……」
お雛達がそんな話をしていると、くいと羽織――今日は裾が三十股くらいに分かれている特注品だ――が引っ張られた。見ると、紀平が太い眉を眉間にぎゅっと寄せながら、人形を見ている。
「なあ。あのさ、あの人形さあ」
「うん?」
「どした、紀平」
「左手の指、一か所だけ青くなってないか?」
「えー、どれどれ?」
言われて、お雛達は玄関正面の廊下に近づいた。細い指先に提灯を向け、紀平の言葉を確かめる。
「ほんとだ。薬指の爪だけ青く塗られてるね。右の人形の爪も同じ色だ。なんだろ、なんかのおまじないかな」
言いながら何の気無しに、提灯を廊下の奥に向けた。
「ぴゃっ」「うぉっ!?」
紀平が小さな悲鳴を上げ、藤野が思わずと言った様子で一歩後退りした。
「うっわー、何これすっごい! びっくりしたあー」
お雛も驚いて、声を上げる。提灯が揺れ、光が踊った。長い廊下の壁を舞台に、無数の影がぐねぐねと蠢く。
狭い廊下の左右に並ぶのは、全く同じ衣装をまとい、全く同じ角度で左腕を上げた、無数の人形であった。
一番奥の曲がり角まで、それが続いている。所々空間が空いているのは、床に座った姿の人形もいるからだ。座った人形も同じ衣装を着せられ、薬指の爪だけ青く塗られた左腕を中空に伸ばしている。
白い細腕が宙を泳ぐ様は、死んだ珊瑚が岩にしがみついている姿によく似ていた。
「これ、もしかしてどこの廊下も同じ感じかな。ずらーって並んでる感じかな」
お雛は提灯を持ったまま、ぱたぱたと他の廊下を確認して回った。どこの廊下も同じだった。突き当たりまでずらりと、隙間無く白い影。そして青く塗られた爪。
「同じだったよ。爪の色も多分、ぜーんぶ同じ」
「そうか。……こいつらから、怪異の気配は感じねえんだよなあ」
「……俺が客だったら、絶対に入ってすぐ回れ右する。てか、なあ。あのさあ。調査するなら、ここ通んないと駄目だよな」
うー、と紀平が唸ってしかめ面で人形を見る。
そうだねえ、とお雛は頷いた。
どこを調査するとしても、この人形に溢れた廊下を通る必要がある。二人並んで通れる広さはあるが、左右から伸びた腕のせいで真ん中に僅かな隙間があるのみだ。
お雛や藤野は、まだ細身に分類される方だが、それでも指先に身体が当たる。逞しい体格の紀平は言わずもがなだ。
「うーん、よし」
何事かを考えていた紀平が、頷いた。袖をまくり、ぐるぐると腕を回す。
「しょうがない、へし折るか」
「ちょぉーっと待った! なんでそうなるの?」
「だって邪魔だし。これただの人形だし。早くしないと食いっぱぐれるし」
腕へし折ってけば通れるだろ? と、紀平はいい考えだと言わんばかりに緑の毛先を揺らし、ふにゃり笑う。
お雛は慌てて、両手を広げて破壊者から人形を守るようにした。
「待った待った、もったいないよ! だってこの人形って女の子だよ!? 女の子の人形だよ!? 腕へし折るなんて可哀想だよ! せめて折るんじゃなくてどかそうよ!」
「なんでそんなムキになってんだよお前、ただの人形だろ」
藤野が首をかしげる。紀平がぱちりと目を瞬かせて、くふりと楽しそうに笑った。
「この助平」
「きっぺー! 今なに考えてぼくを助平呼ばわりしたのかなあぁあ!?」
「人形持って帰って助平なことする気だろ。いくらモテないからって、人形相手はどうかと思うぞ俺。この変態」
「しません!! 想像だけで人を変態呼ばわりしないでくれる!? ていうか、そんな考えが出てくる紀平こそ変態じゃないのー!?」
からかうように榛色の目を緩めて笑う紀平に、お雛はがおうと食ってかかった。
「はぁ? 誰が変態だ、誰が!」
たちまち笑顔を怒り顔に変えた紀平が、どんとお雛の胸辺りを両手で突き飛ばす。思ったより強い力に、足が踏ん張り切れずよろけた。後ろにあった人形の腕部分に、背中がぶつかる。
人形のまとう衣装の、巾着のような裾がふわりと揺れた。
瞬間。
お雛は、とてつもない罪悪感に襲われた。自分が物凄く、いけない事をしたような気分になる。慌てて振り向き、人形の前に跪く。自分のぶつかった腕を取り、手の甲をさすった。
「ああっ、ごめんね! ぼくとしたことが、君みたいな可愛い子を突き飛ばしちゃうなんて! 怪我は無い? 良かったあー。君のお肌、まるで煮凝りみたいにぷるんとしてて、可愛いもんね。怪我させちゃったら、ぼくは自分への罰として、明日のご飯はお代わり五杯の所を四杯にするところだったよ!」
人形がまるで、「いいのよ、気にしないで」と言っているかのように、優しく微笑んだような気がした。お雛は掲げられた左腕を両手で握りしめ、白魚のような指先に頬ずりした。
「許してくれるの……? 本当に君は優しいね。まるでおでんの出汁みたい。知ってる? おでんってさあ、色んな食材を入れるんだけど、バラバラの味を綺麗にまとめてくれるのがお出汁なんだよ。つまり君も、そういうことなんだ」
自分がぶつかった人形の前に跪き、意味の分からない口説き文句をつらつらと喋り始めるお雛。その目はやや虚ろで、現実を見ていない。
紀平は、少し上にある藤野の顔を見上げた。
「みーちゃん。またお雛が歌い始めた」
「紀平。あれは怪異に魅了されたお雛だ。……成程なあ、ここに迷い込んだ男連中も、あんな感じになったってわけだ」
「怪異か。そっかー。でも、俺は怖くないから、お雛だけが狙われてるんだな」
「そうだな。本体は別にいて、人形を媒体にしてんのか?」
良かった怖くない、とほっとしている紀平の頭をがしがし撫でながら、藤野は目鬘の奥で目を細める。
お雛がぶつかった人形だけから、怪異特有の瘴気が零れ出ているのが視える。先ほどまで、瘴気など欠片も無かった。あの人形に触ることで、怪異が活性化するのか。
「となると、だいぶ面倒臭えな。この人形全部が怪異の釣り針って可能性があんのか」
「あぁ……なんだろう、君を見ていると思い出すものがあるんだ。白くて、細くて、するするしてて……ああ、君ってば、ぼくの大好きなしらたきに瓜二つだよ!」
紀平が小馬鹿にするような目をした。
「あいつ、あんな口説き文句でモテるって本気で思ってんだぞ。馬鹿だなあ」
「自分が言われたら嬉しいこと言ってんだろ」
まあ、とりあえず、あのお雛を正気に返そう。
藤野は、紀平を見下ろした。
「紀平、お雛一発殴ってきていいぞ。古今東西、ああいうのは殴れば治るって相場が決まってんだ」
「分かったあー」
もちもちした頬に笑みを浮かべて、紀平はぐるんと腕を回した。




