賑やか亀之矢家
自室で目鬘を外す。黒漆の箱にそれを丁寧に入れてから、鏡を見て前髪を整える。
藤色の垂れ目は、外側から中心にいくに従い、段々と色が濃くなっている。三色の藤が瞳の中に咲いているようだと父は笑い、己の三男に、三藤と名を付けた。
部屋を出て、廊下を歩く。廊下の片側は全面が硝子張りになっていて、三の庭の見事な様が見下ろせた。幾何学的に描かれた川の合間に、浮島のようにぽつぽつとある縁台や東屋が、玻璃竹に照らされている。
三藤が暮らすのは赤灼城の奥御殿。国主の他、正室や側室、その子ども達が住まう場所である。
奥御殿と一口に言っても、建物は複数。まず国主の住まう主殿、その奥に正室及び側室、その子ども達の住まう奥宮、そして主殿の東側に国守神を祀る社。これらは国主が執政を行う本殿の奥にある為、総称して奥御殿と呼ぶ。
主殿と奥宮は渡り廊下で繋がっているものの、御殿の前にはそれぞれ門番が控え、出入りは細かく記録される。誰に会うか、用件は、持ち物は。女中や小姓に限らず、国主や正室であってもだ。
夜伽の時はもっと煩雑な手続きが必要となり、閨の監視役までいたと言うから恐れ入る。
「んな面倒な時に生まれなくて良かったよなあ、俺は」
玻璃竹の白光の奥に、夜闇に輪郭を溶かした奥宮の影を見て、三藤はひとりごちた。かつては正室、側室が寵を競う場だったそこは、今や物置程度にしか使われておらず、薄暗がりの中から恨めしそうに三藤を見つめている。
家族と離れ離れに暮らすのは嫌だと子どものような駄々をこね、先代に倣うべきだという家臣を「うるさいんぞ」の一言で黙らせ、今代の国主は奥宮を閉めた。
今、三藤を始めとした国主の家族は全員、主殿にて暮らしている。
目当ての場所に近づくにつれて、静かだった廊下に活気が満ちてきた。女中達が忙しなく、しかし見苦しくない程度に歩き回り、椀や皿を運んでいる。
年若い女中の一人が、三藤を見つけて声を上げた。
「あらっ、三藤様。遅かったですね。最後ですよ」
「俺が遅いんじゃなくて、父上達が早いんだよ。いつもはもうちょい遅いだろ」
「明日、朝早くから緋和様達が山遊びに行くから、今日は早くに夕食をとるってお話でしたよ?」
緋和は三藤の母で、父の正室である。そういえば、三人いる側室達と遊びに行くような話をしていたのは聞いた覚えがある、が。
「明日だって話は聞いてねえが?」
「あら、そうでしたっけ。でもまあ急いでくださいね」
そう言って、女中は笑いながら去って行く。身分を考えればあまりにも気安い態度だが、三藤は気にしない。それを許しているのは、父だ。ちなみに奥御殿で働くのは父自らが厳選した者達であり、それ以外の者は許可無く立ち入る事を固く禁じられている。
挨拶をしてくる女中達に片手を挙げながら進み、三藤は襖の前に立った。中からは明るく、賑やかな声が絶えず響き、廊下の空気を震わせている。
一呼吸おいてから、三藤はそこを開けた。
「あっ、みーにぃ! おそぉーい!」「みー兄様、お土産はありますか?」「これお前達、まずはお帰りなさいの挨拶をしなさい」「あら、遅かったわね三藤」
開けた瞬間に、やんやと様々な声が叩きつけられる。三藤は軽く片手を挙げた。
「おう、ただいま」
城内は堅苦しくて嫌いだが、この場だけは好きだ。家族が笑顔でいる光景は、いつ見てもほっとする。
家族が集まる座敷は広く、白壁には弟妹達の拙い絵、美しい景色の描かれた包み紙などが無造作に貼られ、やや不格好な藤細工の亀が、いくつか吊るされている。窓は大きいが今は閉められ、障子紙にはいくつか指で突いた痕がある。
床の間には「仲直りはその日のうちに」と、力強い字で書かれた掛け軸。
座敷の中心には、長い座卓が向かい合っている。市井の入れ込み座敷と同じ構造だが、そこに座っているのは、仕事帰りに一杯ひっかけにきた人々ではない。
「おお、三藤。遅かったのう」
座卓の真ん中辺りに座っていた父、世一郎が笑顔を向けた。口元に刻まれた笑い皺が、更に深くなる。
座敷には父、叔父、父の正室、側室達。兄二人に、異母弟妹達。そしてその伴侶達。総勢二十五人。
上座も下座も無く、各々好きな場所に座っている。一番小さい弟は、父の膝に乗ってご満悦。腹違いの妹達は一塊になって座り、話に花を咲かせていた。昨年、婚姻を結んだ妹は膨らんだ腹を撫で、義弟がそれを気遣っている。緋和が側室達と共に、駆け回って遊ぶ腕白小僧達を、誰の子だろうと構わず叱りつけている。
他国の者が見たら、仰天して腰を抜かすこと請け合いだ。実際、抜かした。
しかしこれが、三藤にとって常の光景である。
「みーんなお前を待っとったんぞ。ほれ、早う座れい」
ちょいちょい、と三藤を手招く世一郎は、長く伸ばした暗緑色の髪を背に流した、堂々たる偉丈夫である。穏やかな顔つきの中、髪と同色の瞳が笑み崩れている。
赤津国国主、亀之矢世一郎。
先代が、狩りの帰りに立ち寄った家の娘に手を付け生まれた子で、そもそも父親側に認知すらされていなかった。しかし跡継ぎが相次いで急死、あるいは後継争いの末に呪われ心身に障害をきたした結果。巡り巡って国主の座が回ってきた。
あれよあれよという間に故郷の村から離され、名も世一郎と改められ、当時は色々と苦労をしたらしい。
生まれが生まれ故に堅苦しいことを嫌い、家族一同で賑やかに暮らし、食事を取るのを好んでいる。外から嫁いできた妻達も最初は目を点にしていたそうだが、今ではすっかり馴染んでいた。
「へいへい」
適当に返事をして、空いている席に腰を下ろした。途端、斜め向かいに座っている長兄・暁一から、鋭い声が飛ぶ。
「三藤、なんだその着流しは。外遊びに行くのは見聞を広げる事にもなるから構わないが、帰ってきたならそれなりの恰好をしろといつも言っているだろう。お前の行動一つ一つが父上の評判にも繋がるし、弟妹達にも――」
「あーあーあー、兄貴はいっつもうるせえんだよ」
くどくどと始まる説教に、三藤はわざとらしく両耳を押さえて声を上げた。すかさず、弟達が真似をして騒ぎ出す。暁一が、困ったものだと言わんばかりに眉を寄せた。
「ほら見ろ、兄の立ち振る舞いを下は見ているものだ。それにお前は三男とはいえ、現状何の看板も背負っていない。それだけでも軽く見る輩は多くいるのだから、まず相手が付け入ることのできないよう恰好から――」
「おい暁一、食事の前にそういう堅苦しいことは言いっこ無しぞ、無し。ほれほれ、用意ができたようだから、みんな座れい」
まだまだ続きそうだった長兄の説教を、絶妙の間で世一郎が遮った。「そうよ、お説教は後でにしなさい」と緋和も穏やかに宥める。助かった。長兄の説教は長いのだ。
はぁーい、と良い子の返事をした弟妹達が、元の席に戻る。まだまだ言い足りなさそうな顔をしている暁一の腕を、次兄・桂二が掴んでまあまあと宥めた。
三藤はそんな長兄を煽るように、べ、と舌を出してみせる。
「三藤お前――」
「つか、兄貴だって昔は好き勝手に出歩いてただろーが。なのに説教垂れんのかよ」
「外を出歩くのが悪いと言っているのではなく、身なりや言動に気を付けろと私は言ってるんだ! 論点をずらすんじゃない」
「いち兄も三藤もやめないか。みんなお腹が空いてるんだぞ」
また再燃しそうになった口論を、今度は桂二が遮る。弟妹達がそれに、おなかすいたーと追従し、暁一と三藤は渋々口を閉じた。これ以上続けると、今度は叔父が出てくる。叔父に怒られるのが一番怖い。
席に着いた暁一が話は後だ、と唇の動きだけで伝えてきたので、三藤は親指で首をかっ切る真似で答えた。
そんな事をしている内に女中達がやって来て、それぞれの前に膳を置いていく。
今日は蜆と大葉の混ぜご飯と、鰹を始めとした旬の魚の刺身を主役にし、それらを引き立てる小鉢がいくつも並んでいた。
献立は家族全員同じだが、それぞれの好みに合うよう細かい部分が違う。三藤のものは刺身ではなく焼き魚になっているし、小さい弟妹達のものは野菜を細かく刻んで隠している。
全員に行き渡った所で、世一郎が家族を見渡して両手を合わせた。
「えー、それでは今日も一日、みな何事も無く何よりぞ。では、いただきます」
「「いただきます」」
家族一同、綺麗に揃った声が座敷に弾けた。




