亀之矢三藤
そんな風にぜりぃを食べながら雑談をしていると、話題は自然と先ほどのヴィリスと兄の話題に移っていった。
鯨の尻尾をぱくっと食べながら、お雛は溜息を吐く。ちなみに鯨は桃だった。
「はぁー……ほんっと、ヴィーちゃん可愛かったあー……また会えないかなあー……会いたいなあー……またにーにって呼んでほしいなー……」
「俺、あの兄貴嫌いだから二度と会いたくない」
「あっ、それで思い出した。ねえ藤野、なんであんなに帯留めのこと気にしてたのさ。やっぱり欲しかったの?」
「違えっつの」
ぜりぃを食べる手を止め、藤野がしかめ面をした。
「……あの兄貴とちびが、余所からの間諜かもしれねえだろ」
「間諜ぅー?」
お雛は首をかしげた。
間諜。つまりは諜報活動を行う人。あるいは忍とも言う。
あのちびちゃくて可愛いヴィリスと、兄が忍。いまいち結びつかない。
胡坐の上に頬杖をついた藤野が、眉を寄せた。
「赤津は攻め込み辛い地形だし、戦上手な大将軍がいるから大きな戦は起こってねえ。だからこそ国の内情やら、地形の調査、国主の動向や軍の弱点なんかを、余所の国が調べに来るんだよ」
こく、と紀平が小首をかたむけた。
「それは分かるけど、なんで藤野はあの兄貴とちびが間諜かもしれないって思ったんだ?」
「兄貴の方は陽之戸語がやけに綺麗で雰囲気が只者じゃなかったってのはあるが、あのちびやけに賢かったろ。余所の国で忍としての教育を受けてから、ここに送り込まれたかもしれねえ。誰も、西人が諜報やってるなんて思わねえしな」
言っていることは分かる。分かるのだが。
藤野の言葉に、お雛は咥えた匙を上下に揺らした。
「でもさー。だったら、もっといい人狙うんじゃなーい? ぼく達みたいなおこちゃまが、そんな国の重要な秘密なんて持ってるわけないじゃん」
ころころ、と楽しそうな笑声が座敷に上がって来た。
「ま、お主らはともかく、藤野は亀之矢家の三男坊だものなあ。忍が接触するのは当然よ」
「んっぐ!?」
藤野が噴き出した。
身体を丸め、げっほごっほと思い切り咳込む。紀平が震える背中をさすった。
「だいじょぶかー。変なとこ入ったかー」
「……っ! …………っ!」
「だいじょぶじゃないかー」
のんびりした声を上げる紀平が可愛い。いやそれはともかく。
赤津国の現国主の名は、亀之矢世一郎。国主を憚り、市井の者が同じ苗字を名乗ることは無い。
お雛は、がばりとさざれを振り返った。
「さざれさん、それ本当!? 藤野って、赤津国の若様なの!?」
盆に三人分の茶を持ってきたさざれは、艶のある唇に笑みを浮かべて頷いた。
「うむ。上の兄らと違って、これは市井をふらふらしておるからなあ。他国の忍からすれば、鴨が葱と牛蒡と共に出汁風呂に浸かっているのを見つけたようなものよ」
「へえー……へえー……!」
そういえば優秀な兄二人と違って、国主の三男坊は毎日遊び惚けていると、瓦版に書かれていた。目の前で饅頭みたいに丸くなって咳込んでいるのが、その三男坊。……成程。
お雛は、そばかすの散った頬ににんまりと笑みを浮かべた。
ようやく震えが収まった藤野に、飛び掛かって上から押し潰す。
「おぐっ」
「ねえ藤野、今度お城に遊びに行かせてよ! お城のご飯食べたーい! いいでしょ!? ぼくが食べたことない料理たーくさんあるんでしょ!? いいなーいいなー食べさせてよ! 美味しいの食べたいなー!」
「うるせえー! だからお前には言いたくなかったんだよ!」
抜け出そうともがく藤野を全身で押さえ込みながら、お雛は藤野の後頭部にごんごん頭突きした。
「ねーねー藤野、髪の毛ちょーだい! 爪でも血でもいいよ! 殿様の息子ってことは、絶対普通の人と味違うよね! 一口、一口! 大丈夫だよ、味付けしないで生で食べるから! ちゃんと味わうから! ねえねえ、ねえったらー! 若様お願い!」
「若様呼びやめろ! あと人を食材扱いすんな! 味付けとか生で食べるとか、言う事が一々生々しいんだよ! もっと餅に包むように言え!」
「怖がらないでぼくの口の中においでー」
「怖いわ!」
藤野に乗っかり、もちゃもちゃとやっているお雛の背中が、急にずしっと重くなった。
「ごふっ!?」
「……あれ、きっぺー。どしたの?」
振り向くと、紀平がお雛に伸しかかってきていた。頬が、餅のようにぷくーっと膨らんでいる。
「お前らばっかずるい。まぜろ」
ぎゅうぅーっと体重をかけられ、お雛は楽しくなってけらけらと笑った。
「ぼくが藤野とだけ遊んでるから嫉妬したの? もー、ほんっと可愛いなー紀平は!」
「うっさい。嫉妬してない」
「お、前ら……ちょ、どけ……くるし……!」
拗ねる紀平を可愛い可愛いと愛でるお雛の下で、二人分の体重を受けた藤野が畳を平手で叩く。
「ふむ、白、茶、緑の三色餅か。今日のつまみに良さそうよなあ」
座敷の中心でもちもちとじゃれ合う三人を眺めながら、さざれはのほほんと今日の品書きを考える。
騒ぎに我関せずと碁を打っていた老人が、うるさそうに片目を眇めた。
〇 ● 〇
西の空が赤くなり始める頃に、藤野はお雛と紀平と別れて帰途についていた。
ちなみに、お雛と紀平はご近所なので、一緒に帰るのだと連れだって行った。今頃、どこかの屋台に惹かれるお雛を紀平が殴って止めているころだろうか。
そんな事を考えていると面白くなってくるが、その笑みはすぐに引っ込んだ。
「くっそ、さざれさんの馬鹿野郎……」
白蜘蛛庵の店主への悪口を、呻くように呟く。
よくも、人の隠し事をぺろっとばらしてくれやがったな。お雛に己の正体をばらす気は無かったのに。
「……髪の毛全部毟られるかと思ったぞ、あんにゃろう」
思わず、目鬘の奥で遠い目をする。
目を爛々とさせたお雛に、「髪食わせろ」「血飲ませろ」「爪寄こせ」と延々ねだられたのには参った。何とか食われるのは死守したが、明日から時々ねだられるのが待っているかと思うと、頭が痛い。
「なんで、俺は人里の味を熊に覚えさせないよう四苦八苦してる、猟師の気分になんねえといけねえんだ……」
これで万一藤野の味を覚えてしまい、会う度に舌なめずりされるようになってはたまらない。
まあとはいえ、なんだかんだでお雛がいつも通りの態度を貫いていることには、少しほっとしている藤野である。城の若君だと知られ、友人に態度を改められるのは嫌だったので。
ちなみに紀平は、最初から正体を知っている。あれと会ったのは、まだ藤野が町歩きの楽しさに目覚めていない品行方正な三男坊、「亀之矢三藤」だった時だ。親と共に登城した、小さな紀平の遊び相手を頼まれたのが、出会いである。
賑やかな友人二人の事を考えながら、藤野は懐に手を当てる。硬い感触。あの帯留めだ。同じ髪と目の色をした西人の兄弟が、脳裏をよぎる。
自分の考えすぎならいいが、あの兄弟はただ者ではなかった。
赤津国に隣接する国は三つ。南には海が広がり、北は灘神国、西は葉卜国――そして東に兎野駆国。
北西とは友好関係を築いているが、東の兎は戦好き。過去には国境付近で大きな戦が幾度も起こっている。赤津国の国主が代替わりしてからは小競り合いも無く、表向きは静観しているようにも見える――が、はたして裏では何をやっているやら。
「西人を抱え込んでてもおかしくねえからなあ、あそこ」
かの国は貴墨国の天下統一が崩れてからは、各国に次々と戦を仕掛けて併呑しており、今では赤津国が二つ入るほどの領土を持つ。
その軍は国土に見合うほどに強大で、忍組はことさらに優秀と聞く。
「戦になったらのんびり歩けねえし、面倒なんだよなあ」
生温い夕方の風が、暗緑色の髪にじゃれつく。藤野はそれを押さえながら、ひとりごちた。
通りに並ぶ玻璃竹提灯が、白く光り始める。仕事を終えた人々や、遊山客が温泉や屋台に向かい、楽し気に歩いていた。
兎野駆国の忍に国の内情を抜かれれば当然、こちらの泣き所目掛けて一気呵成に攻め込んでくる。そうなれば真っ先に消えるのは、この賑わしさだ。
「……」
逃げ惑う友人達の幻が脳裏に浮かんだ。
……心配し過ぎて悪いことはない。自分の考え過ぎだったら、良かった良かったとほっとするだけだ。
ゆるりと幻を振り払い、藤野は少しだけ早足になった。




