海ぜりぃ実食
白蜘蛛庵に戻ると、さざれを腕の中に抱え込んだギグがちまちまと、座敷で空豆を剥いていた。
戸の開く音に気付いたギグが、薄氷色の瞳をお雛達に向ける。
「む、戻ったか。すまなかったな、急に使いを頼んで」
「いや、大丈夫です」
「俺も久しぶりに蛇ノ巣に行けたし、お好み焼き食べれたからいいですー」
「っていうか、さざれさんどしたの? なんでギグさんの膝の上にいるの? 座り心地良いの?」
見た事が無い珍妙な光景に、お雛は身を乗り出して問いかける。自分の前に回っている太い腕をぺしりと叩いたさざれが、うんざりと溜息を吐いた。
「この、でかい図体の癖に乳離れできておらん阿呆がなあ。一人きりで座るのは寂しいと訴えおってなあ。この有様よ」
「お前が腕の中におさまってくれるなら、乳離れできていない幼子と言われても構わんが」
生身と絡繰の指で器用に剥いた空豆を笊に、さやを籐籠に入れながら、ギグが淡々とさざれの嫌味に返答する。さざれの表情がますます、うんざりとしたものになった。
「あー、やかましやかまし。重いわ、のけ。犬かお主は」
邪険に扱われても、ギグは素知らぬふりで指を動かしている。さざれは顔をしかめ、その腕をぎりぎりと抓っている。
お雛は、隣の紀平にひそひそと話しかけた。
「さざれさんって、ギグさん相手にはめっちゃ態度悪いよね。きっぺーはなんでか知ってる?」
「なんかな、調子が狂うって言ってた。やり辛いって」
「ふーん」
さざれにも苦手なものはあるのか。確かに、いつもの嫣然とした態度はすっかり鳴りを潜めて、鬱陶しいと顔にきっぱりはっきりくっきり書いてある。先ほど、当たり屋二人をころころ笑いながらあしらっていた時とは、雲泥の差だ。
対するギグは、表情が乏しいままだが目元が少し緩んでいる。
暗緑色の髪をかいて、藤野が風呂敷包みをギグに見せるように掲げた。
「あー……とりあえず、これ。頼まれてた海ぜりぃです」
「助かった。ありがとう」
「ほれ、目当てが来たのだから早う行けい。邪魔よ。暑い。鬱陶しい」
胡坐の上に座っていたさざれが、するりと立ち上がって逃げる。次いで、ギグがゆっくりと立ち上がった。袴の下から、絡繰が動く音が聞こえる。
「そうだな、怒られるからな。さざれ、また明日」
「来んでよい来んでよい」
藤野から風呂敷包みを受け取ったギグの為に、お雛は紀平と共に横にどけて道を開ける。紀平が、土間で草履を履くギグを見た。
「ギグさん、怒られるのか?」
「ああ」
「なんで?」
「俺に使いを頼んだのは、甘味が好きな人なんだがな。届けるのはいつでもいいと言う癖に、あまり遅いと痺れを切らして暴れるんだ」
へー、とお雛は相槌を打った。
「暴れるんだー」
「ああ、暴れる」
「子ども?」
「大人だ」
いつでもいいと自分で言っておきながら、甘味の到着が遅れると暴れる大人。
それはとっても困った人だ。ギグとどんな関係か分からないが、大変そうだ。ギグにそっと同情しながら、雑踏に混じってもなお目立つ広い背中を見送る。
よし、では自分達も海ぜりぃを、と視線を土間に戻すと、藤野が変な顔をしていた。
「どしたの藤野、そんな胡瓜だと思って齧ったら麩菓子だった時みたいな顔して」
「や、俺の知り合いに似たような人がいてな……まさかな……」
ぽくっ、と紀平が拳を手のひらに打ち付けた。
「あー、藤野のおじさん。確かに」
「藤野のおじさんも甘味好きなの?」
「おう。三食全部甘味にしたいとかよく言って、親父にしばかれてる」
「え、飽きるよそれ。ぼくだったら色んな奴を日替わりで食べたいけどなあ」
「飽きねえんだと。おじさんは」
「ふーん。まあいーや、それよりぼく達も早く食べよー!」
可愛くて仕方ない迷子に心臓を奪われて悶え苦しんだり、その兄に腹が立ったりと色々あったが、本日の目玉はまだ残っている。うっきうきで、お雛は座敷に上がり込んだ。
碁を打つ老人がいる以外は誰もいない座敷のど真ん中に、車座になって座る。さざれは「やれやれようやく面倒なのがいなくなった」と言いたげに腰に拳を当ててぐっと伸びをすると、藤籠と笊を重ねて持ち上げ厨房に去って行った。
今日は空豆を使うのか。空豆ご飯だろうか。絶対注文しよう。
そんな決意をして、お雛は車座の中心に置かれた風呂敷包みに手を伸ばした。結び目をほどく。
風呂敷の中から現れたのは、上等な桐箱。箱の横に『瑠璃虎屋』と店名が焼き付けられ、蓋には丸くなっている虎が描かれている。
虎といえば黒と黄色の縞模様だが、描かれた虎の毛並みは桃色がかった金で、縞模様はこげ茶色だ。とろりと開いた片目は、綺麗な瑠璃色。
上から箱を覗き込んだ紀平が、虎の横に書かれた文字に榛色の目を丸くした。
「創業三百年。……凄いなー、巫女姫とおんなじかー」
「そういや、瑠璃虎屋の本家は貴墨にあるらしいぜ。幟に書いてあった」
「へえー、なんか今日は貴墨に縁があるね。よーし開けるよ!」
お雛は箱に興味は無い。とにかく海ぜりぃ、海ぜりぃだ。
興奮で心臓をどきどき高鳴らせ、蓋を勢いよく開ける。「情緒が無い」と藤野がぼやいたが、情緒など食べられないものは今必要無い。
「うっわあー!」
桐箱の中に並んだそれを見て、お雛は感嘆の叫びを上げた。
箱に並んでいたのは、三つの玻璃竹。陽之戸の夜を照らす透明な竹が、一節丸ごと入っていた。
「すっごい、みっちりたっぷり入ってる! やったぁー!」
昼に太陽を浴び、夜にその身を光らせる玻璃竹は、親株から切り離されると半年から一年ほどで光らなくなる。その後は玻璃の原料として使われる他、こうして器として使われることも多い。
その玻璃竹の内部に、青いぜりぃがみっちりと詰まっていた。窓から入る午後の光が、海面を照らすかのようにぜりぃを光らせる。
節の長さは三寸|(約九センチ)と控えめだが、太さは女性の手首くらいある。玻璃竹の太さは様々あるが、これは小さい方だ。
お雛と一緒に覗き込んだ紀平も、榛色の吊り目を輝かせた。
「おー、本当に海みたいに青いな」
「ね、凄いねー! きらっきらだし、中にちゃんと魚とか入ってるよ! ほらこれ鯨!」
「あっ、こっちにいるの蟹か? 上にある丸っこいのなんだ? どうやって青色出してるんだろ。三百年前から変わってないんだったら、アマツユクサとか使ってんのかな。あれ確か、昔から青色出すのに使われてるはずだし」
「そんなんどーでもいいでしょ! はー、どれ食べよっかなあ。中に入ってるの全部違うから、迷うなあー」
箱を覗き込んで幼い子どものようにはしゃぐお雛と紀平を、藤野は微笑まし気に眺めていた。
ちなみに藤野自身は買う時に海ぜりぃがどんなものか見ていたので、そこまで驚きは無い。さっと手を伸ばし、一番左側の海ぜりぃを取る。
「俺はこの何も入ってない奴にするから、お前ら鯨か蟹か好きな方にしろよー」
「ぼく鯨にしようかなー。おっきくて可愛いし。紀平は?」
「俺、蟹食べたかったからそれでいい」
「あとで蟹一口ちょーだいね!」
「やだ。お前の一口でかいもん」
すげない答えの紀平の頬を一度もちってから、お雛は自分の分を箱から取る。
玻璃竹と箱の間には砕いた氷冷石――常に冷気を帯びた石だ――がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、触ると竹はひんやりと冷たかった。これは嬉しい。冷たいままぜりぃが食べられる。
「ぜりぃは冷たいうちが一番美味しいって、幸左おじさんが前に言ってたっけー」
んふふ、と含み笑いをして、お雛は海ぜりぃを目の前にかざす。
本当に海を閉じ込めたような、透き通った青を横切るように、銀色の魚の群れが泳いでいた。その後ろでは、大きな鯨が口を開けていた。竹の表面に絵が描かれているのではなく、魚の形に切った羊羹か何かがぜりぃの中に入っているようだ。
魚も鯨も、子どもが好みそうな丸っこい姿をしている。鯨のぽっちりとした丸い目が、なんとも可愛らしい。
本物そっくりに作られたものより、お雛はこっちの方が好みだ。
「あ、よく見たら俺の、下が砂っぽくなってる。細かいなー」
かめらで自分の海ぜりぃを撮りながら、紀平がにこにこと頬を緩めた。
紀平のものは上に白い海月が浮き、下に大小合わせて蟹が四匹、それを見上げている。玻璃竹の下部分は薄茶色になっていて、本当に海底に蟹がいるようだ。ちなみに大きな蟹の口元にはそれぞれ、髭と紅が付けられている。親子蟹だ。
玻璃竹を横向きで畳に置く。竹には、横一直線に切れ目が入っている。上部分を取ると、中のぜりぃがぷるんっと勢いよく揺れた。
付いていた匙――これも玻璃竹だったので透明だった――の背中部分で、ぜりぃをぺちっと叩くと、跳ね返ってふるふる揺れる。楽しい。
「おおー、良い感じ。いっただっきまーす!」
匙を斜めに突き刺すと、強い弾力が返ってきた。それに抗いながら、まずは魚や鯨のいない部分を掬う。匙の上で、青い塊が震えた。
大口を開けて、ぱくり。
「ん、甘い! あ、でもさっぱりしてるー、何これー! ぷるっぷる!」
ひんやり冷たいぜりぃは、甘味は強いが後味がさっぱりしていて、口の中にいつまでも残らない。餡子とはまた違う、良い甘さだ。なんだろう。砂糖の甘さの他にも、果物っぽい感じもする。
「なんだろ、ちょっと蜜柑っぽい感じ?」
ちゃんとは分からないが、とにかく美味しい。
「ぷるぷる楽しいー」
匙で掬う度、面白いくらいにぜりぃが揺れた。寒天より柔らかく、弾力がある。むちむちと咀嚼すると、すぐに口の中で溶けていって残らない。
ぜりぃを堪能し、むふー、と息を吐いていると、紀平に肩をぺしぺし叩かれた。
「お雛、お雛。鯨と魚食べてみろ。俺な、さっき蟹食べてみたけど、羊羹じゃなかった」
「え、そうなの? どれどれ」
興奮して頬を赤くしている紀平に促され、魚の群れを周囲のぜりぃごと匙で掬った。ぱくんと口に運ぶ。
「む!?」
お雛は、目を大きく見開いた。
羊羹のような、ねっとりとした食感と味を想像していたが、返ってきたのはしゃくっという硬い食感。なんだこれ。もう一つ、魚の群れを掬って食べる。やっぱり、しゃくっとしている。そして、ぜりぃと違う濃厚な甘さ。
「梨?」
「あ、お雛のは梨か。俺のは水瓜だったんだ」
「へえー、凄い! よくこんな小っちゃい魚に切ったねー! こまかーい!」
しゃくしゃくと、硬い果肉で作られた魚を食べながら、お雛は身体をぴこぴこ上下させた。鳶色のお団子髪が頭上で跳ねる。
群れを作っている魚は、小指の爪くらい。よくこんな小さく切ったものだ。凄い。
感動しながら、お雛は藤野に視線を向けた。
「そういえば藤野はそれで良かったの? つまんなくない?」
藤野が選んだものは魚も何も無く、ただただ海ぜりぃがたっぷり詰まっているだけだ。面白味が無い。あれじゃあ、味が単調で飽きるのでは。
黙々と食べていた藤野が、手を止めて顔を上げた。
「あのなお雛。俺は生魚が嫌いだ」
「うん、確か半生も嫌いだよね」
藤野がそれはそれは真剣な顔をした。
「菓子とはいえ、生魚食う気にはならねえんだよ」
「ええー、お菓子だよ。生臭くないよ、魚の味しないよ。梨だよ」
「本物じゃなくても、俺は生魚なんぞ口にしたくねえ」
「じゃあ、このぜりぃの魚が焼き魚の形だったら食べる?」
「それなら食う」
藤野の頭が大きく縦に振られる。お雛は、紀平を見た。紀平は頬を緩めながら、水瓜の蟹をちまちま食べている。
「藤野ってほんと、そゆとこ変だよね」
「藤野は昔からいっぱい変だぞ」
こういう変な所がある癖に、なぜモテるのか。やはり目鬘。目元を隠すと色気が増すのか。くそう。後で目鬘付けて女の子に声かけてみよう。




