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今日も元気だ怪異が美味い  作者: 所 花紅
海ぜりぃと迷子

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ヴィリス

「――()()()()


 遅ればせながら駆けつけてきた蛇番に男達を引き渡し、やり過ぎだとお叱りを受け。さあ果物飴屋に突撃だと、お雛がヴィーを抱き上げた時。

 声が、鼓膜を叩いた。喧騒を鋭く切り裂いたそれが、お雛達の足をその場に縫い付ける。腕の中にいたヴィーが、頬をふよんと揺らして勢いよく声の方向に首を向ける。頭巾上のひよこが一拍遅れて、お雛の頬を叩いた。


「にぃーに!」


 嬉しくて嬉しくて仕方ない、と言うような声が、ヴィーの口から飛び出た。

 お雛達を「にーに」と呼ぶ時とは、込められた感情があまりに違う。親愛と信頼の情が、みっちりと詰まった声だった。


「にーに!」


 もう一度、ヴィーが叫んだ。お雛も、ヴィーと同じ方向を見る。

 やけに目を引く男がいた。お雛や藤野より背が高いギグよりも、更に背が高い。

 ヴィーと同じ、頭頂部から毛先にかけて色が薄くなっている青髪を(たてがみ)のようになびかせ、お雛達に向かってゆっくり歩いてきている。真っすぐにこちらを見据える瞳もヴィーと同じく赤紫色だが、無邪気さや懐っこさは欠片も無い。宝玉をはめ込んだような無機質な瞳だ。

 厚みのある身体にまとった西極大陸独特の着物と相まって、近寄りがたい威圧感を周囲に与えていた。


 動線にいる人が慌てて道を開け、揃って口を閉じて通り過ぎる男を見送る。蛇ノ巣独特の賑わしい空気すら、男に怯えたように凍り付いていた。

 それが当然だとでも言わんばかりの態度で、男は周囲に一瞥もくれずお雛達を――いやヴィーのみを見て近づいてきている。

 一目見ただけで、お雛は察した。

 あの男が、ヴィーの兄に間違いない、と。

 雰囲気や顔立ちは全く違うものの、髪と目の色が写し取ったように全く同じだ。肌の色だって、ヴィリス同様に真っ白い。


「にぃーにー! にーにー!」

「ヴィーちゃん、ヴィーちゃんちょっと待って、危ないからね! 今下ろすから、落ち着いて!」


 うごうごと暴れて腕から下りようとするので、お雛は慌ててヴィーを床に下ろした。


「にぃーに! にーにぃー!」


 ぽてぽてぽてっ、と小さな足を一生懸命に動かし、両手もぶんぶん振りながらヴィーが男に向かって走っていく。


「……あんなに、ぼくのことにーにって言ってたのに……! 一緒にご飯も食べたしいっぱい抱っこもしたじゃん! 実の兄に会えたからって、そんな簡単にぼくを捨てるの!?」


 こちらを振り返りもしない小さな姿に、お雛は懐から取り出した手拭をくうっと噛みしめた。紀平がお雛を見上げ、にこにこと笑う。


「お前とは所詮遊びだったんだってさ」

「もちもちほっぺの分際で何を言うかあぁ……!」


 紀平の頬を引っ張っていると、男の元にヴィーが辿り着いた。勢いのまま、右足にむんぎゅっと抱き着く。


「にーに!」

「ヴィリス」


 ヴィーの本名らしき名を舌に乗せた男が、しゃがんでヴィー……ヴィリスを抱き上げる。表情は淡々としたままだが、抱き上げる手つきは丁寧だった。

 抱き上げられたヴィリスは、間近にある兄の顔を見上げて何やらぷやぷや喋り始めた。兄の方は、それに一つ一つ頷いている。


「……あのちびが、俺達を『にーに』と呼んだ訳が分かったな」


 顎を指でこすりながら、藤野はひとりごちた。

 お雛や藤野以上の背の高さ。肩を覆うくらいの髪は、藤野のように毛先が暴れた癖っ毛。紀平のように精悍な顔立ち。

 兄に似た箇所が少しずつあるから、人見知りせず「にーに」と呼んで懐いていたのか。


 ヴィリスに視線を向けていた兄が、顔を上げた。

 す、と足が前に出る。足が進むごとに、カッ、カッ、と履物の踵が硬音を鳴らす。下駄とも違う、硬い音だった。

 三歩ほどの距離を空けて、兄が立ち止まった。お雛達の顔を、視線が貫く。鋭いそれに、お雛は思わず片足を後ろに引いた。

 西人特有の彫りの深い精悍な顔立ちには、なんの表情も浮かんでいない。……珍しい虫を見つけて観察しているような色だけが、小さな瞳にある。居心地が悪い。

 隣の藤野の身体が、僅かに強張る。紀平は逆に、挑みかかるようにきっと睨みつけて視線に耐えていた。


「貴様ら」


 眼前の反応など気にもせず、兄が静かに言葉を発した。怒鳴っているわけでも、大声でもなかったが、お雛達の喉から言葉を奪うだけの圧が、そこにあった。


「ヴィリスが世話になったな」


 感情の籠っていない、ただ事実のみを認めた声音。綺麗な発音の陽之戸語だった。

 片手で抱かれたヴィリスは、厚い胸板にすっかり頭を預けていた。安心したのか指をちぷちぷしゃぶりながら、目をとろんとさせている。

 もう片方の腕が持ち上がる。きらりと光るものがつままれていた。長い指が、それを弾き飛ばす。放物線を描いて飛んできたものを、お雛は反射的に受け取った。


「へっ?」


 銀の縁取りの中心に、花の形に削られた桃色の宝玉。帯留めだ。作りからして、かなり高価なものだろう。

 ヴィリスを世話した対価か? それにしては、お釣りが多すぎるようだが。


「あの、これ……!」


 顔を上げる。

 兄とヴィリスがいない。慌てて周囲を見渡す。階段へ向かう青い頭が見えた。待って、と制止の声も虚しく、ヴィリスを連れた兄の姿が雑踏に紛れて行く。

 兄の肩の辺りで、ひよこが小さく揺れた。隣に見える小さな指が、ふりふりと振られる。


「ぷややーい……」


 眠りに落ちる寸前の声だけがかろうじて、お雛達の耳に届いた。


「……はぁ?」


 お雛の手の中にある花と、階段とを何度も見比べた紀平が、低い声を漏らした。


〇 ● 〇


「なんだあいつ! 元々自分がちび見失った癖に、偉そうにしやがって!」


 白蜘蛛庵への道中で、紀平が鬱憤をぶちまける。


「ありがとうくらい言えねえのかよ! お前が迷子にしたちびの面倒見てたんだぞ、こっちは!」


 ぎぃー、と怒鳴る紀平が、足をばたばたとさせながら大きく腕を振るう。それに当たりそうになった棒手振(ぼてふり)が、迷惑そうな顔で紀平を睨む。……が、怒りに歪んだ顔を見るや否や、そそくさと逃げていった。

 さっきの兄とはまた別の意味で、通行人に避けられている。


「そうだな。腹立つな。だからそろそろ歩けー」


 紀平の襟首を引っ掴んでずるずる引きずりながら、藤野は息を吐いた。

 藤野やお雛より体格の良い紀平は、だいぶ重い。しかも今は、自分で歩こうとせず藤野に引きずられるがままだから、なおさらだ。


「別にお礼目当てで見てたわけじゃねえってのに、なんだあの『礼を言う筋合いはないが一応言ってやるか』みたいな態度! 何様のつもりなんだよ、ぁあ!?」

「そうだなそうだな。でも、あそこでそれ言って喧嘩に持ちこまなかったのは偉いぞー。だから自分の足で大地を踏みしめろー」


 あの兄は、(たたず)まいが只者ではなかった。藤野も武術を(たしな)んでいるから分かる。あれは、こちらがどんな動きを――それこそ急に殴り掛かるとかしても、即座に対応できるような重心の取り方をしていた。

 万一あそこで喧嘩になっていたら、紀平を医者に担ぎ込む羽目になっていただろう。

 幼馴染を右手で引っ張りながら、藤野は左側に目を向けた。


「お前もそろそろ自分の足で歩け、いつまで泣いてんだ」

「ぼくのこと、にーにって言ったじゃんよおぉ……! 黄麺一緒に食べたじゃんかぁー……! あんなあっさり別れるなんてあんまりだよ、ぼくだってにーにだよ、にーにって言ったじゃあぁん……!」


 足を動かすことより落ち込むことを優先したお雛が、だばだばと涙を流している。こちらは紀平より軽いものの、襟首を掴む藤野の腕を掴んで振り回そうとするので、引きずるのが大変に面倒臭い。


「お前、そんなに兄代わりが嬉しかったのかよ」

「だって、ぼく一人っ子だもん! 隣の誠一(せいいち)には妹がいるし、向かいの鹿之介(かのすけ)も弟と妹がいるんだよ! 長屋の中でぼくだけ一人っ子! 他はみんな弟妹いるのに! ぼくだって、にーにって呼ばれたいんだもん、懐かれたいんだもん! うぅぅぅ……!」


 なんでぼくじゃ駄目なのさー! とお雛が叫んで暴れる。呼応するように紀平も怒声を上げて暴れるものだから、それを押さえる藤野の腕には力を込めすぎて血管が浮いている。


「分かったからそろそろ歩けっつの。腕が疲れたんだよ俺は!」


 道行く人が興味深そうに、あるいは鬱陶しそうに藤野達を見やる。


「あいつほんっと腹立つ。嫌い」

「ぼくだって君のにーにだったはずでしょ! あんな簡単に捨てるなんてひどいよ!」


 藤野の苦労を丸無視し、お雛と紀平はぎゃあすか叫び続けていた。



 炎というのは、燃えさしが無くなれば自然と消える。

 不満を叫び散らかしている内にだいぶ落ち着いたので、お雛は自分の足で歩いていた。叫び疲れた紀平も、己の足で歩いている。歩きながら、吊り上がった目でお雛の胸元を鋭く睨んだ。


「そだ。お雛、さっき貰った奴、捨てろ。施されたみたいで気分悪い」

「あー、これ?」


 胸元を探って、投げ渡された帯留めを取り出す。午後の日差しを反射して、銀の縁取りがちかちかと光った。目利きではないお雛でも、高価なものだと分かる。これ一個で、上等な温泉宿に食事付きで二泊はできそうだ。

 やはりどう考えても、迷子の面倒を見た分の礼としては多すぎる。


「でもさー、捨てるの勿体無いじゃん。確かに施された感じして腹立ったけど、物に罪は無いんだよ? 売れば結構なお金になりそうだし、可愛いからそのまんま付けてても――」

「今すぐ捨てなかったら俺お前と絶交する」

「よーっし捨てるね!」


 道端に置かれている屑籠目掛け、帯留めを捨てようと腕を振りかぶる。その腕が、藤野に掴まれた。


「どしたの、藤野」

「お雛、それ捨てるんだったら俺に寄こせ」

「えー、なんでさ。藤野こういうの趣味だっけ? それとも女の子にあげるの? 貰い物あげるのは良くないんじゃなーい?」


 お雛の冗談に乗らず、藤野は真面目な顔で首を横に振った。


「違うわ。色々調べることがあるんだよ」

「なんで調べるんだ?」

「そーだよ。違う種類が欲しいの?」


 お雛の指から帯留めを取り上げ、自分の懐に入れながら藤野は首を横に振った。顔は真面目なままだ。


「誰の手によるものか、細工はどこの国由来のものか、売られている店はどこか。……これ一つで情報の塊なんだよ」

「ふーん?」


 お雛は鼻の横をかりかりと指でかく。そんな事をなぜ一々気にするんだろう。まるで、足跡一つから情報を取ろうと四苦八苦している忍みたいだ。

「そういえば」と紀平が、二人の話をぶった切るように口を開いた。


「あいつの着物、変わってたな。俺、初めて見た」

「ああ、ぼくあれ知ってるよ。すーつっていう、西極大陸の着物だよ。湯華で売ってるよ」


 兄の見た目を思い出して首をひねる紀平に、お雛は説明した。

 国都・敷基(しきもと)の北西にある湯華(ゆはな)。その一角には、西極大陸の町並みを再現した西極街がある。西の間を出た西人の他、西極かぶれの人が住んでいて、すーつやどれすといった西極の着物や装飾品、料理なんかがそこで売られているのだ。


「おじさんも一枚持ってるんだよねー、すーつ」


 大きな事件や目上の人物に取材に行く時、「俺はすーつを着ると気合が入るんだよなあ」と、ぴしりと着るのを何度も見ている。

 なので、ある程度の知識はお雛にもあった。


「白い着物がしゃつ、その上に着てたのが、じゃけっと。丸いのが付いてたでしょ。あれ、ぼたんっていうんだよ。帯じゃなくてあれで止めてるの。下に履いてるのは、すらっくすって言うんだって。首に巻いてたのが、ねくたい」


 説明しながら、兄の姿を思い出す。

 厚みのある胸板や細い腰に丁寧に添ったすーつには、皺一つ無かった。じゃけっととすらっくすは、暗い青地に白の細い縦縞模様が走ったもので、紫のねくたいが恰好良かった。……そう。こっちを見下したような態度は横に置いといても、兄の着こなしは物凄く恰好良かったのだ。思わず自分も着たくなるほどに。

 後でおじさんにねだって着せてもらおうかな、すーつ。でもおじさんは背が低いから、ぼくが着たらつんつるてんだろうなあ。体格の違いでおじさんが絶望しそうで可哀想だからやめよう。


「すーつなら、名前だけ知ってる。そっか。ああいう感じのなのか」


 へー、と紀平は感心したように何度も頷いた。


「じゃあ、あの履いてるのは?」

「んーっと、なんだろ。踵のところが高くなってたよね。あれはぼく知らないや。藤野知ってる?」


 目鬘の縁を指でなぞりながら、藤野が「知ってる」と言った。


「はいひーる、って履物だ。高い踵の履物って意味だな」

「意味そのまんまの履物なんだな。ふーん」

「よく知ってたねー、藤野」

「一番上の兄貴に、履物集めの趣味があってな」


 耳にタコができるくらい聞かされてる、とうんざりしたように藤野が続けた。その指が、目鬘の縁を神経質になぞり続けている。


「あっ、それでさ藤野。なんでその帯留め」


 気にすんの? と聞く前に、白蜘蛛の看板が視界に入って、お雛は一旦口を閉じた。

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