ちびの謎
「……あー。あいつら、ぼちぼちキレそうだな」
「え? あー、ほんとだ」
視線を前に戻すと、顔どころか指先まで赤くなった男がさざれに詰め寄っていた。肩を押さえていた男も立ち上がり、一緒に罵声を上げているが、怒りが先行し過ぎて口が回っていない。がなり立てるばかりで、何を言っているかよく分からない。
一触即発の剣呑な雰囲気に、流石に野次馬達の顔から笑みが消えた。蛇番を呼んだ方がいいんじゃないか、という声がちらほら上がる中。
「おお、そうかそうか」
艶のある笑みを浮かべたまま、さざれが拳をぽんと手のひらに打ち付けた。
「小遣いが欲しいのではなく、構ってほしいのか。しかし困ったなあ……実はやつがれも暇ではないのだ。帰ったら仕込みをせねばならんのよ。そう長く遊んではやれんが、一回くらいは付き合ってやろうなあ。ほら、じゃーんけん」
「……ッ、ふざけんじゃねえ!」
「やっちまえ、兄貴ぃ!」
肩を押さえていた男が、いきり立った。拳を振り上げ、さざれに躍りかかる。誰かの悲鳴が響く。
「ぷやっ!?」
甲高いヴィーの悲鳴が、人垣の向こうから聞こえた。次いで、どんっ、と何かが倒れる音。
「えっ!?」
お雛は慌てて、ヴィーがいた場所を見下ろした。いない。藤野の傍にいたはずなのに、いつの間にあっちに。藤野も自分の足元を見下ろし、愕然としている。
「おい嘘だろ、いつの間にあっち行ったんだ!?」
慌てて人込みを押しのけ、ヴィーの元へ向かう。
「早く果物飴食べに行きたくて、一人でこっそり行ったのか?」
人の波を泳ぎながら、紀平が太い眉をしかめた。確かにヴィーは小さいから、足の間をすり抜ければ楽に人込みをかき分けられるだろう。
かき分けた先で、さざれが「おやまあ」と呟いている。その手前で男が床に転がり、肘を押さえて呻いていた。もう一人が、慌ててそれを助け起こそうとしている。
「あっ、ヴィーちゃんってばそんな所に!」
ヴィーは、倒れた男の近くにいた。手足をぴんと天井に向かって伸ばし、仰向けに転がっている。何が起こったかさっぱり分からない、と言いたげな顔でぱちくりしていた。
ああ、とお雛はなんとなく察した。あいつがさざれに殴りかかろうとしたら、人込みから飛び出してきたヴィーに足を取られてこけたのか。
「大丈夫か兄貴!?」
「ああ、問題ねえ……いてて」
弟分に助け起こされた男が、肘をさすりつつヴィーを睨んだ。
「こっの……邪魔なんだよ、クソガキが! どけっ!」
足を振り上げる。小さいヴィーを蹴り飛ばす気だ。お雛が飛び出すより先に、紀平が動いた。一足飛びで男に肉薄し、軸足を払って床に転ばせる。重たい音が再び響いた。
「お前が悪いのに、ちび蹴るのは違うだろ。お雛より馬鹿だな、お前」
流れるように馬乗りになり、拳を振るう。鼻筋にめり込んだ拳に鼻血が散った。弟分の方が、支離滅裂な怒声を上げる。殴りかかってきたのを認め、紀平が素早く立ち上がる。手首を掴み、肘を蹴り上げた。鈍い音と男の絶叫。
「あ、ほんとに折れたか。良かったな。嘘じゃなくなったぞ」
挑発的に笑んだ紀平が、人差し指で男達をくいくいと手招いた。
激痛に悲鳴を上げながらも、男達が紀平に襲い掛かる。たちまち始まった喧嘩に、野次馬達は逃げたり見物したり蛇番を呼びに行ったりと大わらわだ。
「ヴィーちゃん、大丈夫? 痛かったねー! ぼく達がちゃんと見てなかったからだね、ごめんね!」
「大丈夫か、ちび。怪我無いか? 立てるか?」
男達の相手を紀平に任せ、お雛達は倒れたままのヴィーを抱き起こした。
起こした拍子に、頭巾が外れた。ヴィーの髪が露わになる。綺麗な髪だ。頭頂部は濃い青だが、下に行くにつれて色が薄くなっている。後ろでくるりとひとまとめにされているが、かなり長そうだ。
「ここは痛くない? この辺は? こっちは?」
柔らかい頬や小さな手足を触りながら聞いてみるが、痛がる様子はちっとも見せない。どうやら、怪我は無いようだ。良かった。
「……」
ぱん、ぱん、とヴィーが無言で、自分の着物に付いた塵を手のひらで払う。
両腕、胸元、足。最後に、被り直した頭巾とその上で揺れるひよこから、塵を丁寧に払い落としてから。
ヴィーは赤紫の視線を、紀平が殴り飛ばしている男達にぎゅるんと向けた。
「う」
何やら納得したように、一つ頷く。
てちてちてちっと果物飴の幟へ向かい、棒の部分を両手で掴む。一度しゃがみ込み、そのまま土台から引っこ抜いた。曲げた膝を一気に伸ばし、えいやっと。
高々と幟を掲げるヴィーの姿が、窓からの明かりに照らされる。大きな目が光をたっぷりと吸い込んで、宝玉のように光っている。
妙に神々しいその姿を、お雛と藤野が無言で見守っていると。
「んぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢ!」
腰だめに幟を構えて男目がけて突っ込んで行こうとしたので、お雛は慌ててヴィーをとっ捕まえた。
「ちょっ、ちょっとヴィーちゃん!」
「んぢゃあぁぁ――――! んぢゃっぢぎゃうあ――!」
短い足を力いっぱい振りながらヴィーが叫ぶ。ちっちゃな身体から放たれるのは、紛れもない怒気と殺気。
「言いたいことは分からないけどやりたいことは分かった!」
「こらっ、良い子だから幟から手、手ぇ離せ……いや力つっよ!」
お雛が押さえている間、藤野が小さな両手から幟を引き剥がそうとする。が、指が白くなるほど強く握りしめている上、下手に力ずくで引き剥がせば怪我をさせてしまいそうで、中々上手くいかない。
「ぷや――――!」
離せ痴れ者共めと言わんばかりに、幟が力任せに振り回される。棒の先端にぶたれそうになった藤野が、慌ててそれを掴んだ。
「あっぶね!」
「さざれさん! さざれさんも手伝ってよ!」
お雛の腕から逃れようと暴れるヴィーを必死に押さえ込みながら、まだその辺にいるだろうさざれに助けを求める。ころころという笑い声だけが返ってきた。
「断る。やつがれは忙しいのよ。童は童同士で遊んでおいで」
「えっ嘘この状態を放っておくの!? ねえちょっと! 自分で蒔いた種じゃん! ねえ!」
「知らん知らん。絡んできたのは向こうよ。やつがれとて暇ではないと言ったろう」
そんな台詞を最後に、さざれは灰白色の髪を揺らして去って行ってしまった。
親の仇でも見つけたような勢いで暴れるヴィーから何とか幟を取り上げ、びっくりしたよね転ばされてむかっとしたよね分かる分かるでも危ないからねこれ振り回しちゃ駄目だからね、と二人がかりでなんとか宥めすかし、ようやくヴィーは落ち着いた。
今は大きなお尻で床にでっちんと座り込み、ふよふよのほっぺたを膨らませて拗ねている。
「お雛ー、藤野ー、ちび大丈夫か?」
男達を叩きのめして気絶させた紀平が、てこてことお雛達の方に戻って来た。
果物飴屋の近くでしゃがみ込んでいたお雛は、それを見上げて頷いた。藤野は壁にもたれて目鬘の上から目元に手を当て、「つっかれた……」と低い声で呟いている。
「さっきまで暴れてたけど、今は……あれ?」
すぐそこに座っていたのに、またいなくなっている。どこに行ったと顔を上げると、倒れた男達の傍にいた。
小さな足を、ぐおっと振り上げる。男の鼻を、ぷみっ、と踏みつけた。
「ぷきゃきゃっ」
楽しそうな笑い声が上がった。ぷみっ、ぷみっ、と潰れた鼻を踏みしめ、満足そうにふんふん息を吐いている。
満足したのか、次はもう一人の男の元に行き、今度は折れた肘の辺りをぷみぷみ踏みつけた。そうして、またぷきゃぷきゃ笑っている。
「うっわあ……イイ性格」
「あいつ俺のやったこと自分の手柄にしてないか? 見ろよ、あの『他愛無し』みたいな顔」
その様を眺めながら、お雛と紀平はひそひそと言葉を交わす。
お雛達を「にーに」と呼んで懐いてくる姿は非常に……それはもう食べちゃいたいくらい非常に可愛らしいのだが、ああいう性格の悪い面もあるのか。でも可愛い。ほっぺたを「じゅぞぞっ」としたい。
「……しかし」
乱れた髪を整えながら、藤野がぽつりと呟いた。
「あのちび、かなり賢いな」
しゃがみながら見上げると、目鬘の縁を指でなぞりながら難しい顔をしている。
「そう?」
「おう。あのちび、あいつらに突き飛ばされても泣かないで、仕返しをしようと決めて、自分でも扱える効果的な武器を見つけて、一連が終わった後にああして留飲を下げてやがる。……お雛お前、あの子くらいの時にそんくらい筋道立てて考えてたか?」
「あー……」
言われてみれば確かに。
「美味しいもの見つけて突撃しまくってたのはなんとなく覚えてるけど……多分そこまでちゃんとは考えてないかなあ」
「俺も、兄ちゃんと姉ちゃんの後ばっか着いて回ってただけで、そんな色々考えてない」
「だろ? 俺もそうだった。あの子が正確に何歳なのかは分からんが、年の割には頭が良すぎる。思えば俺達の言葉も全部正しく理解してたし、箸だってきちんと使えてただろ。……まあ、それが別に悪いとは言わんが、どういう教育を受けてたのかがちょっと、気になってな」
しかめ面のまま腕を組む藤野に、お雛と紀平は顔を見合わせた。
「えー、そんなとこまで気にする?」
「賢くて小生意気な奴ってだけじゃ駄目か?」
「にーに、ぷやーの!」
三人の前で、満足したのかヴィーが満面の笑みを浮かべ、ぴょんぴょん飛び跳ねながら果物飴屋を指さした。




