楽しいお昼と当たり屋
黄麺もお好み焼きもあっつあつで食べるのが美味しいので、ほどほどでやり取りを終えて食事に戻る。
「んんー! 脂で野菜が甘くなってるー! 美味しいー! 麺どこー!?」
さっと炒められた野菜はしゃきしゃき感が残っていて、上にかかった脂の甘さが野菜の味を引き立てている。これだけでも十分美味い。美味いのだが、掘っても掘っても麺が見つからない。
箸を思い切り突き立てると麺に触ったものの、それを引っ張り出そうとすると野菜の山が崩れた。お盆の上に野菜をぼろぼろ崩しつつ、苦労して引っ張り出した黄麺をはふはふ食べる。
「そいえば紀平、ヴィーちゃんのお兄ちゃんのこと聞いた?」
「聞いたけど……」
むぅ、と紀平は難しい顔をした。
「そもそも、こいつの兄ちゃんってどんな奴なんだよ。西人なのか、陽之戸の民なのかも分かんねえし、年も分かんないだろ。だから上手く伝えられなかったんだよな」
藤野がこめかみを指でかいた。
「ああ、兄が西人じゃねえ可能性もあったな。失念してた」
「そっか。ねえヴィーちゃん、ヴィーちゃんのお兄ちゃんってさあ」
言いながら、お雛は隣のヴィーを見下ろす。ヴィーは箸を高々と掲げていた。
「うーうあーす!」
小さな手が長い箸を、きちんと握っている。藤野がそれを見て「お」と言葉を零した。
「まだちびなのに、箸ちゃんと持てて偉いな」
「う!」
当然でしょ、と言いたげにむふんと鼻息を吐いたヴィーが、えいやっと箸を野菜の山に突き立てた。上手にきゃべつともやしを掴み、口に運ぶ。
ふっくふくの頬を上下させて口を動かし、野菜を噛んで飲み込む。
「うー!」
満面の笑みを浮かべて、ヴィーは自分の前にある野菜ましまし脂たっぷり大盛太麺醤油黄麺を、ずずーっとお雛の方に押しやった。
「にーに、あーち!」
そうして、果物飴の幟を指さした。早く買って、あれ買ってと言わんばかりに、お雛に向かって「にーに、にーに!」と急かす。
「ええー?」
いくらなんでも一口でやめるとは思わなかった。流石にきゃべつともやし一口では、お腹が空くだろう。現にヴィーのぽんぽこお腹は、くうくう鳴き続けている。
「もうちょっと食べない? お腹空くよ? ほらー」
つまんだ麺をヴィーの口元に近づけると、ぷいぷいと首を横に振られた。
「やーの」
「嫌なの? でもヴィーちゃん、あんなに黄麺食べたがってたじゃん」
「むいっ」
首がぷいぷい横に振られ続ける。
「にーに……ゃいの……?」
こてっと小首をかしげ、うるうる瞳でお雛を見上げる。お雛の心臓に矢がぶっ刺さった。
「……しょうがないなー、もう。そうだよね、ヴィーちゃんも好きなの食べたいもんね」
「ちー!」
「……馬鹿雛」
でれでれと顔を笑み崩すお雛を冷めた目で見ながら、紀平がお好み焼きをばくんと口に運んだ。
「生意気な奴だなー、あのちび。かわいこぶれば何でも買ってくれるって思ってんだ」
「お前も昔、俺にとびっきり可愛い笑顔で『みーちゃん、俺あの着物欲しい』って、五十両くらいの着物ねだったろうが」
「知らね」
ぷい、とそっぽを向く紀平に苦笑して、藤野がヴィーに向き直った。あらかじめ分けていた蕎麦と天婦羅の皿を、ヴィーの前に置く。そうして腕を伸ばし、蕎麦を箸でつまんだ。
「そうだよなー、果物飴食べたいよなー。でもな、こっちも打ち立ての蕎麦だから、美味しいぞぉー?」
いつもの冷静な口調と打って変わった柔らかい猫撫で声に、お雛は噴き出した。
「んっぐ……!」
げふごふと咳込むお雛と対照的に、紀平は平然とした顔でお好み焼きをぱくぱく食べている。
笑い崩れるお雛を完全に無視した藤野は、つまんだ蕎麦を蛇のようにゆらゆらと右に左に揺らす。そっぽを向いていたヴィーが、それをちらと見た。
「ほぉーら、お蕎麦が行くからお口開けようなー お蕎麦もヴィーに食べてほしいって言ってるぞぉー? ほら、『食べて食べてー、ぼく美味しいよー』」
「ふっ、ぐ……ぅ……!」
お雛は両手で口を押さえ、ぷるぷる震えた。
駄目だ駄目だ、笑っちゃ駄目だ。いつも冷静で落ち着いて皮肉気な笑みが似合って女の子達にモテモテの藤野が、変に甲高い声を出して蕎麦に声を当てる姿を笑っちゃ駄目だ。藤野は真剣にやっているんだ。紀平だって平然としてるじゃないか、頑張れぼくの腹筋。
「死にそう? お雛死にそう?」
「……っ」
笑い死にかけているお雛の足を、紀平が楽しそうに爪先でつっつく。
「『ぼく、ヴィー君に食べてほしいなー。今から遊びに行くから、お口を開けて待っててほしいよー』」
「んーち……」
「『食べたら一気につるつるって入って美味しいよー? 藤野お兄ちゃんも一緒にお口を開けてくれるから、ヴィー君もお口を開けようね。はい、あーん』」
「んあー」
大口を開けた藤野につられて、ぱか、とヴィーの口が開く。すかさず、そこに藤野が蕎麦を入れた。
「んま!」
ぱっ、と赤紫色の瞳が宝玉のように輝いた。
藤野が、目鬘の向こうにある目を微かに緩める。
「うんうん、美味いかー? ほら、この蕎麦と天婦羅食べていいぞ。食べ終わったら、果物飴みんなで食べようなー」
「にーに、んちゃーの!」
大きな海老の天婦羅を頬張ったヴィーが、喜色に満ちた声を上げる。
「まうまうまうまう!」
「そっかそっか、美味いか。良かったなあ」
ようやく笑いの波が収まったお雛は、柔らかい微笑を浮かべている藤野を半眼でねめつけた。
「……今日絶対、藤野と蕎麦が、うふふおほほって笑いながらお喋りする夢見る。断言してもいい。笑い死んだら藤野のせいだからね」
「俺のせいじゃねーわ。……つーかお雛、お前はもうちょい厳しくしろ。なんでもかんでも甘やかして買い与えんな」
むぐ、とお雛は麺を飲み込んで、そっぽを向く。
「……だーって、しょおーがないじゃん。可愛いんだもん」
「そうやって可愛いからって我儘ばっか聞いてると、味占めて後々苦労するんだぞ」
藤野が、隣に座る紀平の頭をぽんと叩いて大きく溜息を吐いた。紀平は、きょとんとしながらお好み焼きを齧る。
その様子に、お雛はむっと眉を寄せた。
「あー、まーたそうやって幼馴染自慢する。ていうか、藤野だって甘やかしてんじゃん。自分のお蕎麦と天婦羅分けてあげちゃってさー」
「うるせー。お前が考え無しにあんな馬鹿みたいな黄麺持ってくんのが悪いだろーが」
「ごちそうさま」
「んーちゃい!」
お雛と藤野が醜い争いを繰り広げている横で、お好み焼きを食べ終わった紀平が両手を合わせ、蕎麦と天婦羅をぺろりと平らげたヴィーが口に食べかすを付けて諸手を上げた。
騒ぎが起こったのは昼食を食べ終わって、さあ果物飴を買いに行こうと席を立った矢先だった。
「あいったたたた! いってえなあ、おい!」
あまりにわざとらしい悲鳴と共に、果物飴屋の近くにいた男がよろめいて床に膝を付く。そのまま右肩を押さえて、うーんうーん痛えよー、と大声で叫び始める。だいぶ棒読みだ。
「おいおい、大丈夫かよ……ってもしかして兄貴、腕折れてんじゃねえか!? おいこら、兄貴が怪我しちまったじゃねえかよ! どうしてくれんだ、ええ!?」
膝を付いた男を介抱しながら、仲間らしき別の男も大声を張り上げた。
なんだなんだ、と物見高い人が立ち止まり、あっという間に人垣ができていく。ちなみにどちらの男も、いかにも破落戸ですと宣言しているような風体をしていた。
「うっわあ、古典的ぃ」
お雛は、ぼそっと呟いた。
どう見ても、当たり屋だ。久しぶりに見た。しかし、逃走しやすい往来でやるならともかく、蛇番も客も大勢いて動きにくい蛇ノ巣で、堂々と当たり屋をするとは。考え無しというかなんというか。
「今時、まだいるんだなあ、ああいう当たり屋」
蛍のいない地域で蛍を見た、というようなしみじみとした口調で、紀平も呟く。
「ま、あの手合いはどこにでも湧くからなあ」
「んぷー?」
家の中で蟻の行列を見つけたような顔で、藤野が腕を組んだ。
その下で、藤野の着流しの裾を掴んだヴィーが背伸びをして、なんとか果物飴屋の方を見ようと四苦八苦している。
「ああっ、兄貴の腕、こんな紫に腫れちまって。すぐに医者にかからねえと! もちろん、医者代は出してくれんだろうな? あんたがぶつかったんだから、当たり前だよなあ?」
そうしているうちにも、当たり屋の男達は話を続けている。典型的な脅し文句だ。
しかし、当たり屋をするならもう少し演技力を身に着けるべきではないだろうか。あまりに棒読み過ぎる。芝居だったら座布団が飛びかうことだろう。もしや初心者なのか。当たり屋に、初心者という概念があるかどうかはともかくとして。
「絡まれてるのが女の子だったら、助けてあげよーっと。あんな下手糞な奴に捕まっちゃってるの可哀想だしー」
助けたついでにお茶に誘ってみようかなー、と続ける。紀平が蔑むような目で睨み上げてきた。
「あー、そうやって人の弱みに付け込むのか。お前も当たり屋だな。あ、当たり屋よりタチ悪いか。牛だもんな」
「牛と当たり屋関係無いよね?」
はーぁ、と紀平はわざとらしく溜息を吐くと、首を振った。
「そもそも、牛が女の子をお茶に誘おうとすんな。黙って草食いながらもーもー言ってろ」
「こんっのー! 紀平だってほっぺたもちもちお餅の精じゃん!」
「うぎー!」
ぶにーっ、と紀平の頬を両側から引っ張ってから勢いよく手を離し、お雛はずんずんと男達の方に近づく。
近づくと、男二人の影に隠れていた小柄な影が見えた。灰白色の髪と、炎を内包した銀瞳。
「……」
お雛は静かに紀平達の方に戻った。
少し赤くなった頬をさする紀平の頭を撫でていた藤野が、怪訝な顔をする。
「どうした?」
「さざれさんだった」
あー、と友人二人から声が漏れた。背伸びを諦めたヴィーが、頬をぷっくりさせて人垣を睨んでいる。
「んじゃいいか」
「そだな。さざれさんだもんな」
さざれなら当たり屋の一人や二人、適当にあしらうだろう。あの人、もといあの怪異は、人をからかって遊ぶのがそれはそれは大好きなのだ。白蜘蛛庵に来る客も、一度ならず何度も被害にあっている。
当たり屋の言い分を静かに聞いていたさざれが、ゆっくりと片手を持ち上げた。しなやかな白い指で唇を隠し、ころころと笑う。
「やれやれ。小遣いが欲しいなら最初からそういえばよかろうに。どれ、分かった分かった。やつがれの荷物持ちをしてくれるなら、十文ずつやろうなあ」
「はぁ!?」「ふざけてんじゃねえぞ! 兄貴に怪我させといて十文はねえだろ、十文はよお!」
いきり立つ二人に、さざれが炎色の瞳孔をちり、と揺らしてわざとらしく目を見開いた。
「何を言う。十文あれば飴と饅頭が一つずつ買えるのだぞ? お主ら童には十分な駄賃よ」
こくん、と首をかたむけ、続ける。
「もちっと駄賃が欲しいと言うなら、野菜を洗うのを手伝わせてやっても良いが……お主らのような幼い童では難しそうだからなあ。十文で我慢おし」
いかにも、やんちゃ盛りの悪戯坊主を相手にしている、と言いたげにさざれはころころ笑う。
固唾を呑んで見守っていた人々の間から、笑声が漏れた。対する男二人は、ここからでも分かるくらい屈辱と怒りで顔を真っ赤に染めていた。
小柄で穏やかそうな外見だったから、ちょっと脅せば大人しく金を出すと吞んで掛かっていたのだろう。可哀想に。
当たり屋の男達につい同情しながら、お雛はそういえば、と首をかしげた。
「なんでさざれさんがいるんだろ?」
「買い物に来たんだろ。ほら、荷物持ってるし」
「だったら海ぜりぃもついでに買ってあげればよかったのにねー」
「でもそしたら、俺達は海ぜりぃ食べれなかったぞ。だって、売られてるの知らなかったし」
「あっ、それもそっか」
紀平の言葉に、お雛は頷いた。




