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今日も元気だ怪異が美味い  作者: 所 花紅
怨獣の出汁入り味噌汁

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さざれ

 ころり、と笑声がした。


「――おや、まぁ」


 土間に両手両膝を突き、息を切らす陸生。その背に、ころころと笑い混じりの声がかけられる。


「蛇に追われた小鼠が、逃げ込んで来たか。よいよい、一休みしていけばよかろ」


 ぜい、と大きく息の塊を吐く。汗にまみれた顔を上げると、厨房から出てきた人物と目が合った。

 ――ちり、と男の瞳孔が燃える。

 変わった目の色だ。切れ長の瞳は刃物を溶かし込んだような銀だが、その中心は豪と燃える炎の色を宿していた。

 肩近くまで伸ばした灰白色の髪を首の後ろで一つに結い、前に流している。ほっそりとした身体に、紺色の着流しと白の前掛けが似合っていた。


「これ、小鼠。いつまでもそこにおっては、他の客の邪魔よ。空いておるのだから、好きな所に座れい」


 白い肌の中、一際目立つ赤い唇から静かな声が流れる。

 それに促され、陸生はようやく身体を動かした。

 手足の砂を払って草履を片方脱ぎ、座敷に上がる。もう片方はここに来るまでに、どこかに落としてしまっていた。

 壁際には座布団が積まれ、『一人一枚』という貼り紙が壁に貼られていた。座布団の山はあちこち張り出していて、下手に触れば崩れそう。陸生はそぉっと座布団を取る。幸い、山崩れは起きなかった。

 どこに座ろうか迷い、先客達と少し距離がある階段側の場所を選ぶ。座布団は分厚く座り心地が良いが、落ち着かない。

 そわそわと尻を動かしながら、広い店内のあちこちに目線を向ける。


「ぅわ……っ」


 鋭い眼光と目が合って、陸生の心臓がどきりと跳ねた。

 ああ、驚いた。掛け軸か。本物かと思った。しかし随分と大きい。陸生の身長くらいありそうだ。


羅丁(らてい)様か……? 珍しいな……」


 飲み屋で、武に長けた羅丁を祀るとは。

 入口真正面の壁にかけられた掛け軸に描かれているのは、一面四臂(いちめんよんぴ)の羅丁。赤津国国守神に遣わされ、現世の災厄を祓う神使(しんし)だ。その証拠のように、四本の腕にはそれぞれ武器を持ち、足元に悪鬼を踏みしめている。

 踏みつけられた悪鬼が、掛け軸の中から恨みを込めて睨みつけている。絵でしかないその視線がやけに生々しく、ぞっとして陸生は目を反らした。


 ――……しかしなんというか、掛け軸以外は普通だな。


 硝子の入った大きな窓は明るい陽光を店内に取り入れ、防火板特有の黒ずんだ壁には品書きがずらずらとかけられている。土間のすぐ脇には厨房、その反対側には二階への階段がある。

 客が好きな場所を選んで座る形式のようで、陸生の他に客が四人、座敷に散らばって料理をつついていた。厨房からは、米の炊ける匂いと味噌の香りが漂ってくる。

 奥には派手な装いの若者が向かい合って座り、丼を食べながら益体(やくたい)も無いことを結構な声量で話している。その隣では老人が本を読みながら一人、碁を打っていた。

 厨房近くには一人。若者達より年嵩(としかさ)に見える大柄な男が座り、焼き魚をほぐして静かに口に運んでいる。


 昼間でも薄暗く壁に呪具が飾られ、影の中に得体のしれないものが(うごめ)いている怪しさも無い。怪しげな恰好の祓い屋達が顔を突き合わせ、ぶつぶつぼそぼそと、常人に理解できない会話をしているわけでもない。

 普通だ。本当に、普通の飲み屋だ。

 はあぁ、と思わず吐いた息が喉を焼く。まだ喉奥で血の味がした。


 ――ああ、『蛇』に乗ってくればよかった。


 そうすれば、こんなに疲れなかった。わざわざ自宅からここまで全力疾走した自分が、馬鹿みたいだ。

 胸板を破りそうなほど暴れていた心臓はようやく落ち着いてきたが、背筋を這う悪寒は収まらない。指がまだ震えている。触るとひどく冷たかった。


 ――本当に、ここであってるんだろうか。本当に、助けてくれるんだろうか。


 白蜘蛛庵、という店名はそうそう聞かない。だから、同じ場所に同じ名前の店が二つある、ということはないだろう。宝楽が言っていたのはこの店で間違い無いはずだ。


 ――それにしたって、なにか一言くらいあってもいいだろう。男一人、血相変えて飛び込んできたんだぞ。心配くらいするだろう、普通。


 陸生がどんな恐ろしい目に合い、どんな怪異に憑かれているか、祓い屋ならすぐ分かって声をかけてきそうなものなのに。拍子抜けだ。

 大柄な男は一度視線を向けてきたが、それだけ。老人は碁に集中している。若者二人は陸生に一瞥(いちべつ)もくれず、相変わらず喋りながら飯を食べていた。銀瞳(ぎんどう)の男が、持っていた皿をその前に置いている。


 ――もしや、担がれた?


 お喋りに付き合おうとしない陸生を(うと)み、宝楽が一つ困らせてやろうと嘘を吐いたのか。あの人の良い老絵師が? しかし、人は思いもよらぬ一面を持っている。誰だって、腹の底で何を考えているのか分からない。


「これ、小鼠」


 目の前の木目を睨み、悶々と考え込んでいると、また声をかけられた。

 ぱっと顔を上げると、銀瞳の男がすぐ近くに端座している。

 近くで見ると、その顔立ちは人形のように整っていた。それがあるかなしかの笑みを浮かべ、小首を傾けているものだから、少し不気味だ。


「そろそろ注文は決まったか? 小鼠」

「あの」

「ん?」


 陸生は、男に向けて思いきり眉を寄せて渋面を作った。

 さっきから、小鼠、小鼠と。それが客への態度か。


「その、小鼠というのを止めていただきたいのですが」

「おや、気に入らなんだか」


 わざとらしく目を見開いて尋ねる男をねめつけ、陸生は吐き捨てた。


「当たり前です」

「ならば小雀と」


 指先で口元を隠し、ころころと艶やかに男が笑う。

 人を馬鹿にしたような態度に、苛々が湧き上がる。今まで身体を支配していた恐怖が、少しまぎれた。

 怒りに助けられ、陸生は男の顔をしっかりと見据える。


「ここは、白蜘蛛庵で間違いないんですよね」


 自分でも分かるくらい、言葉に棘が混じっていた。


「ほぉう。店の名も知らずに入ってきたのか? ここが一見お断りの店でなくて良かったなぁ、小鼠よ。でなければ今頃、表に叩き出されていたぞ」


 ころころと、また男が笑う。

 震えるしかできない小鼠が、何を必死に威嚇しているのやら。

 きゅっ、と細まった男の視線がそう言っているようで、陸生の頭にかっと血が上った。


「この……っ」

()()()


 生意気な若造を怒鳴りつけようとした瞬間、静かな声が間に割って入った。さざれと呼ばれた銀の男が、声の方向を振り向く。

 食事を終えた大柄な男が、こちらに顔を向けていた。片手が上がり、ちょいちょい手招きをする。さざれが露骨に顔をしかめた。渋々と言った様子で、腰を上げて男の方に向かう。

 ひそひそと会話が始まる。思わず耳をすませてみると、客の話をきちんと聞いてやれ、という言葉が聞こえた。


「ふん。小童(こわっぱ)の癖に生意気な」


 大柄な男に向け吐いた悪態が、はっきりと陸生に届く。

 軽く肩をすくめてそれをやり過ごした男が、さざれの頭に軽く手刀を落とした。勘定を済ませ、ゆっくりとした足取りで店を出ていくのを、さざれが苦虫を噛み潰したような顔で見送る。


「……さて、小鼠」


 陸生の元に戻ってきたさざれの唇には、艶めいた笑みが戻っていた。


「確かお主、祓い屋を紹介しろと駆け込んできたなあ」


 ようやく、本題に入ってくれるらしい。

 内心の不満を押し殺して、陸生は頷いた。


「……ええ。聞いたんですよ、絵師の宝楽さんから。ここの店主は、良い祓い屋を紹介してくれると。あなたがそうじゃないんですか」


 挑みかかるように睨むと、ひょいとさざれは肩を竦めた。

 ちっとも堪えた様子が無いのが、腹立たしい。ち、と思わず口の中で舌打ちが漏れた。


「確かに、やつがれは白蜘蛛庵の店主よ。だがな小鼠、ここはただの溜まり場よ」


 甘酒のようにとろりとした声が、歌うように告げる。


「この近辺の連中が、情報交換呪具の売買に依頼の押し付け合い、手伝い要請愚痴の言い合い打ち上げ賭博に呪詛対決、その他諸々の為に集まるのが、ここよ」


 話が違う。


「じ、じゃあどうしろっていうんですか! こっちは急いでいるんですよ! 今すぐ祓い屋に頼まないと、どうなるか分からないっていうのに!!」


 さざれは陸生の切羽詰まった様子に動じることなく、瞳を細めた。冷たい銀色の瞳の中、ゆらゆらと揺れる炎のような瞳孔が不気味だ。


「ならば異怪へ。ここに来るまでに、祓い屋の看板を出している所を幾つも見たろう。異怪が嫌ならそちらに行けい。先も言ったがここはあくまでただの溜まり場。祓い屋専用の口入れ屋ではないのだ」

「はぁ!? 祓い屋が集まる飲み屋なんだから、今すぐ誰か紹介することくらいできるだろ! 宝楽さんには紹介したのに、俺に紹介できないってのはどういうことだ!」


 外面を取り繕うことを忘れ、腰を浮かせて陸夫は怒鳴った。つい先ほどのあれが脳裏をよぎり、落ち着いたはずの震えがぶり返す。


「ああ、あの(わっぱ)は放っておけば、その日にでも憑り殺されそうであったからなあ。おまけに本人の過失も無く逆恨みときた。それを見殺すのは、流石に寝覚めが悪かろう?」


 さざれが身体をぐうと前に倒し、下から陸生の顔を覗き込んだ。年若く見えるのに、老成した雰囲気のある顔が、嫣然(えんぜん)と笑う。


「その点、お主はまだまだ余裕がありそうだ。放っておいてもすぐには死ぬまいて。命あるうちに、ゆるりと己の気に入る祓い屋を探せばよかろうよ」

「なんっ……!」

「それとも、か弱い小鼠一匹では、見知らぬ場所に行くことすら怖くて怖くてたまらんか」


 どれどれ仕様がない、とさざれは含み笑いを浮かべる。


「やつがれが手を繋いで連れて行ってやろうなあ。ほら、手をお出し」


 こちらを馬鹿にしきった口調に、陸生の中の何かが切れた。


「もういいっ! こんな所に来たのが間違いだった!」


 怒鳴り、立ち上がり、さざれを突き飛ばそうとしたが、座ったままするりと身を(かわ)される。ぎり、と唇を噛み締めた。馬鹿にしやがってと、どす黒い怒りが腹の底で煮え滾る。

 もういい、別の祓い屋を探す。こんな男を頼ろうとしたのが間違っていた。

 草履をつっかけ、外に飛び出そうとした時。


「さっざれさーん! こーんにちはー! なんかお昼作ってー!」


 夏を先取りしたような元気一杯な声が、外から飛び込んできた。

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