まいごのまいごの西人ちゃん
「おーまたせー!」
見知らぬ子どもを抱っこしたまま、紀平達と合流する。
軽やかに手を挙げたお雛と、その首にぎゅっと抱き着いた子どもを交互に見た紀平が、すっと榛色の目を斜めに反らした。そうして、ぽそり、呟く。
「……いつかやると思ってたんだ、俺」
「ああ、分かる。分かるぞ紀平。ついにこの日が来ちまったな」
「ちょっとぉ?」
「藤野。俺、悲しい。友達を番所に突き出す日が来るなんて。……なあ、なんとか誤魔化せないのかな」
「ああ、俺もだよ。だけどな、早い内に番所に突き出した方が罪は軽くなる。これもお雛の為なんだ。分かってくれ、紀平」
よよよ、と泣き真似をする紀平の肩を藤野が抱いて、自分もくぅっと涙を拭う。ふりをする。その口元は完全に笑っている。
そんな薄情な友人二人を、お雛はじっとりとねめつけた。
「ねえちょっと、二人共ぼくをなんだと思ってんのさ。番所に突き出されるいわれはありませんー!」
はぁ? と紀平が片眉を上げた。びしっ、と大人しく抱かれている子どもを指さす。
「このかどわかし野郎」
「ちーがーいーまーすー! ぼくはこの子のにーにですー!」
「にに! にーに!」
ぱっ、と顔を上げた子どもが、華やぐような笑みを浮かべる。そのまま、お雛の首に頬をすりつけてきた。柔らかい餅がぺっとり張り付く。
お雛はよろよろとよろめいた。壁に背中がぶつかる。
「はー……かわいい……ちいこい……ぼくがいっしょうまもる……おとうと……」
「にーに?」
そのままずるずると床に倒れたお雛の肩を、子どもが不思議そうにゆさゆさと揺する。小さい小さい手が肩を掴む感触に、「ふぐぅぅー……」と、妙な声がお雛から漏れた。
「……お雛が壊れた」
そんなお雛を、歌って踊る蠅でも見るかのような目で紀平が見下ろす。
藤野は、周囲にちらと視線を向けた。階段の影でやっているからそれほど人目には付いていないが、いつまでもこの図体を床に倒れさせておくわけにもいかない。普通に買い物を楽しみに来たお客様達の迷惑だ。
はあ、と溜息を吐いて、お雛の膝辺りを爪先でつつく。
「おい、こらお雛。起きろ。んで説明しろ。何がどうしてお前がその子のにーになんだよ。お前一人っ子だろ」
「んぷ?」
両手で顔を覆ったまま沈没しているお雛に変わり、子どもが藤野達を振り返った。
ぐいーっと大きく首を仰け反らせ、こちらを見上げてこようとするので、藤野は慌てて片膝を付いて目線を近づける。
「紀平、お前もちょっとしゃがめ」
「なんで?」
紀平は立ったまま、きょとんと首をかしげた。
「小さい子は頭重いんだよ。俺達見上げようとして、均衡崩して倒れたら怪我するだろ」
不思議そうに見下ろしてくる幼馴染に、藤野は説明する。
「そんなもんか」
「そんなもんだよ。お前もちびの時、兄ちゃん姉ちゃんがしゃがんでくれてただろ」
少し考えた後、思い出したのか紀平は「ああー」と納得したような声を上げた。そのまま、ちょこんとその場にしゃがみ込む。
ちなみに藤野は兄姉弟妹、ついでに甥姪がわっさりいるので、小さい子の世話は慣れている。お雛はまだ倒れたままだ。
「う、う?」
大きい頭と頭上のひよこをふらふら揺らしながら、子どもが藤野と紀平を交互に見やる。しばらくそうした後、不意に子どもが藤野に向かって右手を伸ばした。
かがんだことで肩口から滑り落ち、前に垂れた藤野の癖の強い髪を、ぎゅっと握る。そして、満面の笑みで叫んだ。
「にーに!」
「ん? 俺もにーになのか?」
「にーに!」
「えっ、俺も?」
びちっ、と左手で顔を指さされた紀平が、自分を指さして首をかしげる。子どもが大きく頷いた。
「にーに、にーに、にーに!」
お雛、藤野、紀平を順繰りに指さし、ふんすっと胸を張った。赤紫色の瞳が、なんだか満足したように輝いている。
「うーん……? この子、自分より年上は全員『にーに』なのか?」
それとも、本物の「にーに」が藤野達と同じくらいの年だから「にーに」と呼ぶのか。
そんな事を考えていた藤野の耳に、素っ頓狂な叫びが突き刺さった。
「えっ、ちょっと! ぼくがにーになんじゃなかったの!?」
お雛だ。子どもが紀平と藤野を「にーに」と呼んだのを聞いていたのか、がばりと身を起こして叫んだ。両腕を伸ばして子どもを胸の中に抱え込み、ぐりぐりと己の額を子どもの後頭部にすり付ける。
「ねえ、ぼくがにーにだって言ってくれたじゃん! あれ嘘だったの!? 本当は誰でも良かったっていうの!? 君は誰彼構わずにーにって言う子じゃないはずでしょ!?」
「んぷ、にーぃにゃ、にーぃ」
「ぼくだけが君のにーになんだよ! 二人をにーにって呼ばないで!」
「うぷやーい」
子どもをぎゅうぎゅう抱きしめ、半泣きで叫ぶお雛。顔が物凄く必死だ。
それに対し、腹に回る腕を両手でぺちぺち叩きつつ、何やら訳知り顔で謎の相槌を打つ子ども。年齢不相応の大人の余裕が伺える。
「なんか、女に捨てられそうになって必死に縋ってる男みたいだなー。面白い」
きゃっきゃと笑った紀平が、かめらを取り出した。子どもに縋りつくお雛に向け、しゃったーを切る。パシャパシャと良い音が鳴った。
「……」
藤野はなんだか頭痛がしてきた頭を押さえた。拳でぐりぐりとこめかみを揉む。
ただのお使いのはずだったのに、どうしてこうなるのか。そして、どうしてこういう時に収拾を付ける役目が自分に回ってきてしまうのか。
「今すぐここに『俺は何でも収拾を付けなくては気が済まないんだ。さあ俺に全部話してくれ!』が決め台詞の収拾付け太郎とか来ねえかな……」
目鬘の奥で思わず遠い目をする藤野。
しかし他力本願したところで助けは結局訪れてくれず。ひとまず叫んでいるお雛を黙らせようと、拳を握り込んだ。
藤野の拳でごつんとやられて正気に戻されたお雛は、二人にかくかくしかじかと今までの流れを説明した。子どもはお雛の膝に大人しく収まり、自分の指をちぷちぷしゃぶっている。
ちなみに通行の邪魔にならないよう、場所は移動した。
今いるのは外に面した大きな窓際の縁台で、お雛とその膝の上に座る子ども、右隣りに紀平。真向かいの縁台には藤野という配置になっている。
子どもの頭上で揺れるひよこを眺めながら、お雛は話を結んだ。
「……でね、この子がぼくを『にーに』って呼んだわけ」
「成程、事情は分かった」
真向かいの藤野が、腕を組んで一つ頷く。じろ、と目鬘の奥からお雛を睨んだ。
「で、なんでそのまんま連れてきたんだ。蛇番に預けて来いよ。この子の兄ちゃんだって、今頃探してるぞ」
それは確かに尤もな意見だが、お雛にだって言い分はある。
唇を尖らせ、子どもの頬を両側からふよふよと揉む。染み一つ無いすべすべとした頬は、つきたての餅のように非常に柔らかい。指を突き立てれば、どこまでも沈んでいきそうだ。非常に気持ち良い。
「ぼくだってね、一応そこは考えて蛇番の詰め所を覗いたんだよ」
窓の外からの景色をかめらで撮っていた紀平が、こちらを振り返った。
「へー、お雛の癖に偉いな。お雛の癖に」
「うっさいよ紀平。……で、詰め所に預けようと思ったんだけど、ばたばたしててさー」
「ばたばた?」
「そ。なんかー、五か所くらいの教え処がこう、一緒になってね? 蛇ノ巣に来たこと無い子達を連れて遊びに行くー、っていう催しをやったんだって。そしたら」
藤野が、頭痛をこらえるように額に手を当てた。
「……全員、興奮して駆け回り迷子になった、か?」
「お、藤野あったりー! 十五、六人くらいの子が一斉に迷子になったから、蛇番みーんなばたついててさー。じゃあぼくが預かろうかなーって」
ふにふにと子どもの頬を揉みながら、へらりと笑った。
「それに、この子生粋の西人だし。見ればすぐ分かると思うんだよねー。西人ってそんなにいないじゃん?」
「にー?」
「そー。西人ー」
ちぷちぷ指をしゃぶる子どもの顔立ちは、ギグのように彫りが深く、人形のように繊細な顔立ちをしている。
ただ、ギグは西の面影を滲ませながらも、目元や口の辺りに陽之戸の民と分かる色がある。反面、子どもはその特徴がどこにも無い。
藤野が手を伸ばし、ひょいと子どもの片手をつまんだ。手首に何も無いことを確認して、「あー」と暗緑色の髪を引っかき回す。
「保護印は無えのか。あった方が楽だったんだがなあ」
西人とは、ここから遥か西方にあると言われる西極大陸に住む人々を示す。
彼らの大陸は遠すぎるが故に交流は全く無いのだが、十数年に一度、西から人や見た事無い品物が流れ着くことがある。
赤津国では西人は保護され、陽之戸の言葉や文化に関しての教育を受ける。それが終われば、他の民同様に市井で暮らすことが可能となるのだ。
教育期間中は西の間という施設で寝泊まりし、手首に保護印と呼ばれる印を刻まれるので、それと分かる。だが子どもにはそれが無い。
「でも、情報は残ってるんでしょ? 聞けば教えてくれるんじゃない?」
「赤津で保護されたんならな。別の国に流れ着いた後にここに来たってんなら、分からねえよ」
「あ、そっかあ」
名案だと思ったのになあ、と肩を落とすお雛。
ひとしきり写真を撮って満足したのか、紀平が会話に加わってきた。
「なあ、お雛。そういえばこのちび、名前はなんてんだ?」
「あ、そういえば聞いてなかったや」
紀平の頬をもちりながら、お雛は子どもに尋ねる。ちなみに紀平の頬も柔らかいものの、子どもと違って張りがある。
あっちが餅ならこっちは大福だ。どっちもお雛は大好物である。
「やめろ、もちもちすんな」
「なんでさ、いいじゃん。可愛いんだし。ねえねえ、お名前はなんてーの?」
「う?」
子どもは、指をちぷちぷしゃぶりながらお雛をくりっと見上げた。それから藤野、紀平にも視線を向ける。
「う゛ぃー!」
どん、と胸を叩いて、子どもが声を上げる。お雛達は、顔を見合わせた。
「びーぃ? びーぃって言った? 今」
「え、違うだろ。多分、びー……びぃ……? か?」
「うーう。う゛ぃー!」
舌が絡まりそうな単語をお雛と紀平が必死に反復していると、子どもがひよこを揺らして首を横に振った。もう一度、同じ言葉を高らかに告げる。
「う゛ぃー、う゛ぃー!」
「びぃー……う゛ぃー……」
目鬘の上に見える眉をしかめ、藤野がぶつぶつと呟く。何度か口の中で単語を転がした後で、ぱん、と手を叩いた。
「ヴィー。ヴィーって言うのか?」
「う! う゛ぃー!」
そう、その通り! と言いたげに、子ども――ヴィーがぶんぶん首を縦に振った。
おお、とお雛と紀平は惜しみない拍手を送る。
「すごいなー、藤野。よく分かったなー」
「よっ、流石は藤野! 凄い! 天才! 秀才!」
「雑な褒め方止めろ。嬉しくねえ。あと天才って褒めた後になんで一段下げるんだよ。そこは天才で終わらせとけよ」
「藤野こまかーい」
けらけらと笑うお雛の袖が、くいくい引っ張られた。見下ろすと、ヴィーが何かを言いたそうに、赤紫色の瞳でじっと見上げている。
「なーに、ヴィーちゃん。どしたの?」
「にーに! ぷやーの! うーの! ぴゃーい!」
ヴィーが、自分の腹の前に回ったお雛の腕を両手で叩く。お雛、紀平、藤野の顔を何度も見上げ、ぺちぺちと叩き続ける。
「にーに! うー! ぷやい! にーに! やいやい」
「……なんか、めっちゃ主張してくるな。どしたんだ」
紀平が、ヴィーの顔を覗き込んだ。白皙の頬を真っ赤に染め、ぺーんぺーんとお雛の腕を叩きながら、言葉とも言えない言葉で何事かを訴え続けている。
「にーに! ちゃいの!」
「ちゃいの?」
「う!」
頷くヴィーの腹から、きゅるるる、と音が鳴った。つられたお雛の腹も、ぐごるるるる、と物凄い音を立てる。
「あっ、もしかしてお腹空いた?」
お雛が聞くと、ヴィーはぶんぶんと大きく頭を振った。ようやく分かったか、と言いたげに、ふんっと鼻息を吐き出す。
「……とりあえず、飯にするか。海ぜりぃも買わねえとだし」
「あ、そうだった。海ぜりぃ買わないとな。お使いお使い」
「それはともかくさあ、ぼく何食べよっかなー。どっこも美味しそうなんだよねー! ヴィーちゃんは何食べる? にーにが奢ったげるよ!」
「うーち!」
ひとまず、話はお昼を食べてからだ。




