ぜりぃとにーに
「それにしても海ぜりぃ、ってさあ、凄い面白い響きだよねー。どんなお菓子なんだろ、たーのしみー!」
「俺、ぜりぃは前に食べたことあるぞ。兄ちゃんと姉ちゃんが買って来てくれたー」
「へー、どんな感じだったの? ぼく、まだぜりぃ食べたことなくってさあ」
にへっと顔を緩ませる紀平に、お雛は首をかしげた。
ぜりぃは、西極大陸から伝わった料理で、甘い菓子だというのは知っている。ただ、近所にある西極料理屋には売っていない為、お雛は食べられず悔しい思いをしていたのだ。
紀平は、思い出すように視線を上に向ける。
「うーんとな、ぷるぷるしてる。水饅頭とか、葛切りっぽいんだ」
「ほほう」
「でも、水饅頭ほどもっちりしてなくて、軽い感じ。で、口の中でとろっと蕩ける。俺が食べたのは桃味で、食べる前から桃の良い香りがしてたぞ」
「ほほうほほう」
「ぜりぃは透明で、中に四角く切った桃が二つ入ってたんだ」
「へえー。ぜりぃも桃味だったのに、中に本物の桃も入ってたんだ」
「そう。んで、桃は何かに漬けられてたみたいで、普通のより甘くて柔らかかったんだ。あれ美味かったなー」
「……」
「……お雛、お前感想聞いただけで涎出すなよ。いや出してもいいけどせめて耐えろ。どばっと出てるぞ。みっともねえ」
「はっ。ついうっかり」
藤野が差し出してきた懐紙で、顎を濡らす唾液を拭く。
本をよく読んでいるだけあって、紀平の言葉は分かりやすく、まだ見ぬぜりぃへの想像をかきたてるものだった。おかげで、唾液が後から後から止まらない。
どぱどぱ流れる涎を一生懸命拭くお雛の横を、なんだこの人と言いたげな顔で娘達が通り過ぎていく。
いつもは「あっおねーさん達ってどこ行くの? 良かったらぼく達と甘味処行かない?」と声をかける所だが、今のお雛は海ぜりぃに心奪われている為、周囲に目が行っていない。うっとりとした顔で、溜息を吐いた。
「はーぁ、楽しみー。普通のぜりぃも美味しそうだけど、そこに海が付くんでしょ? どんな感じなんだろ。青いのかな。透明なのかな。何味なのかな。ね、ね!」
「案外しょっぱいとか? ほら、海って付くし」
「それはただの煮凝りじゃねえのか?」
「あ、そっか。うーん、じゃあ魚の形の羊羹が入ってるとか」
「あー、それ美味しそう。さっすが紀平、おしゃれー」
「羊羹じゃなくて、寒天かもな。色付きの寒天」
「あ、そっちも美味しそう! 藤野もおっしゃれー」
うーん、と眉をひそめて悩む紀平も、唇の片側を吊り上げて笑う藤野も、なんだかんだで海ぜりぃが楽しみなようだ。心なしか、うきうきとしている。
階段を上がって三階に着く。階段からすぐの所に、小間物屋があるのを見つけて、お雛は「あっ」と声を上げた。
「どした、お雛」
「忘れてたー! 昨日おじさんにさあ、爪楊枝買ってきてくれって頼まれてたんだよね」
言って、お雛は階段を上がる帯のような人波からぴょいと外れ、小間物屋へ足を踏み出した。紀平と藤野に向かい、手を振る。
「先行ってて! 忘れちゃいそうだから、買ってから行くー!」
「おう。どうせ札があればすぐに買えるし、瑠璃虎屋の近くで待ってる」
「遅かったら先にぜりぃ食べてるからなー」
「すぐ行くから絶対待ってて! もし先に食べてたら紀平のほっぺた砂糖醤油で食べるからね!」
びしっと紀平の頬を指さし大音声で宣言。紀平が頬を押さえ、ぴゃっと藤野の影に隠れた。
「俺のほっぺ食われる……」
「よしよし、おにーちゃんの後ろ隠れとけ。暴食妖から守ってやるからなー」
などとちょっとしたじゃれ合いの後で、紀平達は階段を上がっていく。残されたお雛は小走りで小間物屋に飛び込むと、爪楊枝を探した。
蛇ノ巣にある店は、どの店も強気なお値段が多いが、ここはお雛がよく行く小間物屋と同様の値段だった。
すぐに見つけた爪楊枝も、なんちゃら山にしか生えない木を使ったものだとか、有名職人が一本一本手作りしたものだとか、特別なものではなく、普通の爪楊枝だ。
「ありがとうございました」
代金を払い、丁寧に礼をする小僧から爪楊枝を受け取り、階段へ向かう。そんなに時間は経っていないから、二人共四階に着いたばかりだろう。
階段へ一歩、足をかけた瞬間だった。
「にーに!」
聞き慣れない甲高い声と共に、ぐいっと袴の裾を引っ張られた。
「へっ?」
ぐりっ、と首を後ろに向ける。正面にはさっきの小間物屋。人はいない。
「にーに!」
また、袴の裾を引っ張られる。目線を下げる。いた。
「……えーっと……?」
お雛の袴の裾をぎゅっと握っている、小さな小さな子ども。よちよち歩きがようやく終わったばかりくらいで、まだ二、三歳だろうか。大きな赤紫色の目と、ふくふくっとした真っ赤なほっぺた。男の子か女の子かは分からないが、なんとも愛らしい子どもだ。
頭巾の付いた、上下一体の変わった着物を着ている。帯は付けておらず、袖も足回りも手足に添うものになっていた。お雛が今まで見た事が無い形式の着物だ。まん丸のお腹とお尻がよく目立っている。
頭巾の上にはひよこの人形が縫い付けられていて、子どもの動きに合わせてぴょんぴょん揺れていた。
「ににー!」
「あー、えーっと……とりあえずこっちね」
お雛はひとまず、邪魔にならないよう階段からどいた。人の通らない隅へ向かう。袴の裾をぎっちり握った子どもも、一緒に付いてきた。
にぱにぱと、ご機嫌に笑いながらお雛を見上げて、「にーに!」と呼ぶ。六尺近くあるお雛を小さい子どもが見上げているので、首が直角に曲がってしまっている。
大きな頭がそのまま後ろに倒れてしまいそうだ。お雛は、しゃがみ込んで子どもと目線を近づけた。
「あのー……ぼく、にーにって名前じゃなくて、お雛って名前なんだけど」
「んぷ?」
「だからね、人違いじゃないかなーって思うんだけど」
「ちー?」
ことん、と小首がかしげられる。可愛い。
「んとね、だから、ぼくはお雛っていう名前でー」
「にーに! にに、にーに!」
紅葉のような小さな手が、お雛の膝頭をぺちぺち叩く。叩きながら「にーに」と繰り返す。にーにとは何ぞやと疑問が湧いたが、すぐに長屋の小さい子が自分の兄を「にーに」と呼んでいた光景が、脳裏に閃いた。
「にーにって、お兄ちゃんってこと?」
「うーぷっ!」
そう! と言いたげに、首がこくこく振られる。そうして、子どもはお雛の左足に抱き着いてきた。蕩けた餅みたいに、べったりくっついてくる。熱い。
「にーに!」
「あのね、ぼくは君のお兄ちゃんじゃないよ。っていうか、君もしかしなくても……」
お雛は、きょろりと周囲を見渡した。
小間物屋に入っていく老夫婦。小間物屋の奥に連なる店へと小走りで向かう娘達。階段を上る親子連れ。……誰も彼もが、楽しそうだ。小さい子どもがいなくなったと、慌てて探している様子の人はいない。
右を見て、左を見て、ついでに階段も見て、切羽詰まった様子が無い人達ばかりなのを確認して。うん、とお雛は頷いた。
分かった。迷子だ。
「……えーっと、こういう場合ってどこ連れてけばいいのかな。蛇番?」
蛇ノ巣は、複雑な構造をしている為に老若男女問わず、迷子がそれはそれは多い。そういった迷子や、店内の揉め事を解決する蛇番が、巣の中には常駐している。要するに町にある番所だ。
そこに連れていけばいいか、とお雛は考える。ぺっとりくっついていた子どもの両脇に手を入れ、抱き上げた。
頭のひよこを揺らして、子どもがきょとんと首をかたむける。
「うぷ?」
「お兄ちゃんに会わせてくれるよう、蛇番に頼んであげるから。一緒いこ?」
「にーに!」
むぎゅっ。と、短い両腕がお雛の首に回った。頬がぺっとりと押し付けられ、ふよふよとした柔らかい感触がそこにある。
安心しきった様子で、ぎゅうとお雛にしがみつく。とこんとこん、とゆっくりした子どもの心音が伝わってきた。
「……」
「にーに」
へにゃぁ、と子どもが笑い、お雛を見上げる。
お雛は、深く息を吸った。
そして。
「ぼくがにーにだよおぉぉぉぉ…………!」
蚊の鳴くようなか細い声を上げて、その場に膝からくずおれた。




