蛇ノ巣へ
からり、と玄関の戸が開いたのは、お雛が「やだやだぼくも欲しい揚げ出し豆腐食べたいお願いお願い作ってさざれさんお願い」と必殺畳の舞を披露し「やかまし。作ってやるから大人しくせい」と根負けした山かけ揚げ出し豆腐をさざれに作ってもらい、ぺろりと食べ終えた時だった。
「おや、ギグ殿。今時分から来るとは珍しいな」
厨房からひょいと顔を出したさざれが、気の無い声を上げた。その声に、お雛は玄関に目を向ける。
「ああ。用事が幾つか重なってしまってな」
聞きやすく、落ち着いた低い声が鼓膜を震わせる。
ぬう、と玄関から入ってきたのは、長身のお雛や藤野よりも一寸|(約三センチ)ばかり背が高い男だった。やや気温が高い日だというのに、羽織と袴をきっちり着込んでいる。
短く刈った薄紫色の髪、冬の池のような薄氷色の瞳。鼻が高く、目元の彫りが深い顔立ちはお雛達と全く異なるもので、西の血が入っている事を示していた。
お雛は、ぱっと顔を輝かせて手を振った。
「ギグさん、こんにちはー!」
「あ、ほんとだギグさんだ。こんにちはー」
「こんにちは」
紀平がふにゃりと笑い、藤野が軽く頭を下げてそれぞれ挨拶をする。
さざれと言葉を交わしていたギグが、首を巡らせてお雛達を見た。表情は乏しいが、別に機嫌が悪いわけではないのは分かっている。
なので、足取りも軽やかにお雛はギグに近づいた。厚い胸板と太い手足の体躯は、近づくと壁のようだが威圧感はあまり無く、大人しい熊のように思える。
「ギグさん、お土産くーださい!」
遠慮なく両手を差し出し、にぱーっと笑う。
「相変わらずだな」
ギグが、懐から小さな包みを取り出す。きり、と歯車が回る音。お雛の手に包みを乗せる手はひやりと冷たく、黒鉄色をしていた。関節部分の小さな歯車が噛み合いながらきりきり回って、指が包みから離れていく。
お雛はその動きを、食い入るように見つめた。
「ギグさんの腕も、相変わらず恰好良いね! ぼくそれ好き!」
「そうか」
昔、事故で左肘から先と右膝から下を失ったというギグは、鉄と木で作った絡繰仕掛けの手足を付けている。どういう絡繰で動いているのか知らないが、歯車が回って手指が動くのが見ていて面白いし、何より見た目が最高に恰好良いのでお雛は好きだ。
ギグが唇の端を微かに上げて、お雛の頭を生身の右手でぽんと叩いた。
「三人で仲良く食べろ」
「はーい!」
元気に返事をして、紀平達の元に戻る。
ギグもお雛達同様、白蜘蛛庵常連の祓い屋だ。腕が良いので赤津国のあちこちに駆り出されているらしく、いつも出先から土産をお雛達に買ってきてくれるのだ。
今日のお土産はなにかな、と包みを開けてみると、甘納豆だった。一つつまんで口に放り込むと、素朴な甘さが口内に広がる。
「あー、この甘納豆美味しい。豆がふっくらしてるし、変に甘くない」
「ほんとだ、美味い。これきっと良い所の甘納豆だぞ」
「茶ぁ飲みたくなる味だな」
どれ、と腰を上げようとした藤野に、お雛はしゅびっと手を挙げた。
「ぼくの分もよろしくー」
「俺も飲みたい」
「へーへー。紀平の分だけ持ってきてやるよ」
「友人差別だ! 奉行所に訴えてやる!」
ぎゃいぎゃいと、若者三人が賑やかに騒ぐ。
ギグがほのぼのとした気分でそれを眺めていると、厨房の仕切りに頬杖を付いたさざれが声をかけてきた。
「で、お主はいつまでそこに突っ立っているつもりだ。無駄にでかい図体をしとるのだから、用が済んだら早うのけ」
煩わしそうに炎色の瞳孔をちりちり爆ぜさせるさざれの顔を見て、ギグは口を開いた。
「実は少し悩んでいる」
「ほう」
「用事が幾つか重なっていると言っただろう。その中でも急ぎのものが二つほどあってな」
「ほう」
「手伝ってほしい」
「断る。昼の仕込みがまだ終わっておらんのよ」
すげない返事に、ギグは「そうか」と小さく呟いた。正直、断られるのは予想していたので、そこまでがっかりはしない。手伝ってくれる方が珍しいのだ。
「そうだ。さざれ、土産の金平糖だ」
さざれに土産を渡していないことをふと思い出し、懐から包みを取り出す。渡すと、さざれは片眉を上げた。
「賄賂など貰うても、やつがれは行かんぞ」
「俺の気持ちだ、賄賂じゃない」
「さよか」
細い指先の上でくるりと包みを回し、さざれは形良い顎を軽くしゃくった。
「人手が欲しいなら、ほれ」
そちらの方に視線を流せば、車座になって甘納豆を食べているお雛と紀平、そこに茶を持ってきた藤野の姿がある。
「あの暇そうな三匹に使いを頼めい。邪魔でかなわん」
〇 ● 〇
「蛇ノ巣って、人が多いんだよなあ」
『蛇』から降りて、紀平がげんなりと肩を落とした。
敷基名所の一つになっているだけあり、蛇ノ巣を訪れる遊山客は多い。敷基民もよく遊びに来る為、本日も蛇ノ巣は人でごった返していた。
敷基中を這い回る全ての『蛇』の始発点が、都中央に存在する蛇ノ巣だ。敷基には、絡繰獣『蛇』が通る広小路が各所に張り巡らされている。
『蛇』の横っ腹には、それぞれ巡る停留所が書かれているのだが、間違った『蛇』に乗ってしまい目当ての場所とは程遠い所で降ろされる――というのは、お上りさんあるあるだ。
蛇ノ巣停留所の奥には、四階から五階建ての建物が十棟ほど密集して建っており、建物内には着物屋や簪屋、香屋、銭湯、はたまた甘味処や料亭など、様々な店が入っている。一日どころか、二、三日ぶっ続けで遊べるほど、店の数は多い。
そんな蛇ノ巣に、お雛達はやって来ていた。
紀平が、精悍な顔をくしゃりとさせる。
「良いもの売ってるし、面白いんだけど、人が多いのがなあ……」
賑やかな声と、足音。それと建物の傍に出ている屋台の美味そうな香りに、芸人の高らかな歌声。派手な着物。
五感いっぱいに飛び込んでくるもの全てが楽しそうで、美味しそうで、お雛は蛇ノ巣に来るといつもわくわくする。
「美味しい奴いっぱい売ってるから、ぼくはよく来るけどね。紀平は人込み嫌い?」
「嫌い。疲れる」
ぷ、と膨らむ頬が幼子のようで、指でつんっとつつく。すかさず叩き落とされた。
「やめろ、馬鹿。歯ぁ折るぞ」
「報復がひどすぎない?」
「ひどくない」
わちゃついていると、後ろからぐいと背を押された。振り向くと、藤野が呆れた表情を浮かべて、お雛と紀平の背を押している。
「ほら、遊ぶのは後にしろ。先にお使い済ませなきゃいけねーだろ。あと、停留所の前で溜まるな。邪魔んなる」
「分かったー」
「藤野は頭かっちかちだねー。いいじゃん、ちょっとくらいゆっくりしたって。『蛇』の中ぎゅうぎゅう詰めで座れなかったんだしさー」
後ろから押す力に従って歩きながら、藤野を顧みる。目鬘奥にある瞳が、きゅっと細められたのが微かに見えた。
「阿呆。俺達はお使いしてるんだからなるべく早く届ける方がいいんだよ。あんまり遅くなると先方にも失礼だろうが。ほら早く行くぞ、足動かせ」
「もー、ちゃんと歩くから押さないでよ。ぼくの長い足が絡まってこけちゃうでしょー!」
「ふーん、お前の足って絡まるのか。三つ編みみたいに? ふーん」
くふくふと、紀平が肩を揺らして笑う。何を想像しているのか分かったので、お雛はそのもっちりほっぺたを抓り上げてやった。
「きっぺー! そんなにぼくが無様に転ぶとこ見たいの!?」
「見たい。見せろ。ころべ」
「ほらお前らいい加減にしろ。おひねり飛んできてるぞ、ったくもう」
新しい辻芸と勘違いされたようで、いくつか飛んできたおひねりを藤野がぶつぶつ言いながら拾い、そのまま自分の懐に納めている。なんだかんだでちゃっかりしている奴だ。おひねりは後で均等に分けよう。自分と紀平のおかげで貰えたんだから。
そんな事を考えながら、お雛は眼前にそびえる建物の群れを見上げた。
十ある建物は、それぞれ一ノ巣、二ノ巣……と名前が付いている。各建物は適切な距離を保って建てられているが、あちこちに渡り廊下があり建物から建物へ行き来できるようになっている。
上から見ると亀甲模様のようになるよう建築されているらしい。お雛は見たことが無いから、本当にそうなのか分からないけど。
「えーっと、ギグさんの言ってたお店って、五ノ巣だよね。よーし、早く行こーう!」
早速、五ノ巣に向かおうとしたお雛の襟首を、無造作に藤野が掴んだ。
「ぐぇっ」
「お前、話聞いてなかっただろ。四ノ巣だよ、四ノ巣」
「あれっ?」
五ノ巣には西極料理店も幾つかあるし、食べ物を売る店が多い。だからそこだと思ったのに。
「そうだったっけ、紀平」
お雛はきょとんと首をかしげて紀平を見るが、お前は本当に馬鹿だなあと言うような目で見られた。何故。
「お前は本当に馬鹿だなあ」
「目で言ってんだからわざわざ口で言うことないじゃん! もー、紀平の意地悪」
ぶにぶにと頬を両側から揉みながら、お雛は唇を尖らせる。
「四ノ巣の三階に今日開店した『瑠璃虎屋』っていう店。そこで、海ぜりぃって菓子を買ってきてほしいって話だったろ」
「そうそう、海ぜりぃ! そっちは覚えてたよ!」
そうだそうだ、四ノ巣だった。思い出した思い出した。
海ぜりぃ、という聞いたことのない美味そうな菓子の名前に、他の情報全てがぶっ飛んでいた。
――本当は、俺が行ければ良かったんだがな。別の甘味屋が新しい味の饅頭を出すというので、それを買って来てほしいと頼まれているんだ。『瑠璃虎屋』の方は、お前達に任せる。
そう言ったギグが渡してくれた巾着には、縦二寸、横一寸ほどの木札が入っている。
まだ新しいそれには『いの三』という文字が焼き付けられていて、これを店の者に渡せば並ばずに買う事ができるらしい。行列ができるような人気店で最近、流行っている手法だ。
「なあ藤野、ぜりぃ届けるのって今日中で良かったよな」
「おう。早いに越した事はねーけどな」
「そーだ。お金余ったらさあ、ぼく達も海ぜりぃ買おうよ。今日出たばっかのお店ってことは、絶対しばらく混むし。こういうのを絶好のちゃんすって言うんだって、幸左おじさん言ってたよ!」
「そだなー。俺も海ぜりぃ気になってたんだ」
「ギグさん、多めに金入れてくれてたからな。三人分買うくらいの金はあるだろ」
巾着には、木札の他に金が入っていた。それも、海ぜりぃを買う分にしては少々多いくらいの。「駄賃だ」と言っていた。太っ腹だ。
人波に混ざって四ノ巣と看板が掲げられた建物に入り、広い階段を上がりながらお雛はうきうきと声を弾ませる。頭頂部のお団子髪が、機嫌の良さを表すように揺れた。




