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今日も元気だ怪異が美味い  作者: 所 花紅
海ぜりぃと迷子

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23/31

暇な昼前

 梅雨も明け、水無月も終わろうという青空の下。

 今日も今日とてお雛、紀平、藤野の三人は、白蜘蛛庵に入り浸っていた。

 一日中開いている白蜘蛛庵だが、本領は居酒屋だ。どちらかといえば夜の客が多く、早朝と昼の中間くらいの朝五つ半(午前九時)では、流石に人気が無い。お雛達三人の他は、隅で一人()を打っている老人と、朝まで飲んでいたらしく丸まって寝ている女性がいるばかりだった。


「あー……ひーまー……」


 広い座敷に大の字になり、お雛は天井を見上げて力無い声を上げる。

 暇だ。物凄く暇だ。お雛は祓い屋の他、近所の酒屋の配達人をしているが、今日は配達の仕事が無いので、する事が何も無い。

 仰向けになったまま、壁を見る。大量の品書きの他、何も貼っていない。


「いつもなら怪異祓いとか、呪具探しとかの依頼紙が貼ってあるのにー……あったら暇潰しできたのにー」


 貼っている意味が無い品書きを見上げて唇を尖らせ、畳をころころ転がる。向かう先は藤野だ。老人の近くに端座した藤野は、何かのお手本のように真っすぐ背を伸ばして正面を見ていた。

 目鬘(めかずら)の目の部分には、色付きの玻璃が入っているからよく見えないが、多分目も閉じている。


「ねー、何してんの?」

「瞑想」

「楽しい?」

「楽しくない」


 簡潔な答えに、ふーんと首をかしげる。


「じゃあなんでやってんの」

「必要だからだよ」

「あっそ。そーいえばさあ、藤野って紀平にみーちゃんって呼ばれてるじゃん」

「おう」

「なんで? ふ、じ、の、のどこに『み』があんの? どっからみーちゃんって出てきたのさ。ねーねー」


 藤野は、面倒そうに口をひん曲げた。


「俺の本名に『み』が付くんだよ。怪異に本名を知られると色々面倒だから、藤野って名を名乗ってんだ」

「え、ぼく本名でやってんだけど。えー、じゃあ名前変えた方がいい? えーっと何にしようかなあ、焼肉にんにく之介とか、煮つけ食べ代とか?」

「まともな怪異は怪異を食う奴にわざわざ近づかねえよ。あとその名前はもうあるからやめとけ、被る」

「えっ、あるの? うっそ、ねえねえ、どこの誰? どんな人? ここに来る人? その人達も焼肉と煮つけ好きなの? ここの焼肉と煮つけ美味しいもんね。ねえねえ教えてよ藤野ー!」


 藤野は、ますます口をひん曲げた。


「……あー、もう、うるせー。瞑想の邪魔だ。あっち行ってろ。しっし」

「なんだよー、いけず」


 しっしと手を振られ、お雛は舌打ちした。邪険に扱われた腹いせに藤野の膝頭を蹴ってから、腕の力だけでずりずりと畳を這う。次に向かうのは紀平だ。


「きっぺー、何読んでんの?」


 壁にもたれ、足を投げ出して本を読んでいた紀平は、膝の辺りに這いずってきたお雛をちらりと見下ろした。


「禁じられた巫女姫。こないだ出た新刊」

「あー、ぼくがお金出した奴?」

「そ」

「面白い?」


 紀平は大きく頷いた。


「序盤からな、前々回に出てきた巫女姫の一人が闇堕ちして、敵の手先になって出てきた」


 ほほう、とお雛は目を光らせた。そういう展開は面白いから好きだ。


「ぼく、巫女姫は芝居でいくつか見たことあるけど、小説は読んでないんだよね。最初っから読もうと思うと長いじゃん」

「まあな。一年ごとに別の物語になるから、俺はあんまり長いって感じないけど。全部読めって言われたら、確かに長いかも」

「今、どんくらい出てるんだっけ。巫女姫」

「え? うーんと……」


 紀平は一度本から視線を外し、天井を睨んだ。


「一年に上中下巻が出て、それで一本だろ。で、今年はまだ上巻が出たばっかだから……八百九十七冊」

「はっぴゃくきゅうじゅうななさつ!?」


 数字の衝撃に、お雛は思わずがばりと起き上がった。紀平は平然とした顔で、八百九十七冊、と繰り返す。


「今年、巫女姫が始まって三百年記念なんだよ。巫女姫専門の芝居一座も、いっちゃん最初の巫女姫の話を芝居でやるんだって」

「へぇー」


 ぼふっ、と畳に仰向けに倒れ込み、お雛は感嘆の息を吐いた。


「三百年かあ、凄いねー。三百年前って言ったら確か、まだ陽之戸が統一されてた時だよね」


 くり、と瞑想している藤野に視線を向ける。


「ねー藤野、そうだよね」

「そーだな」


 瞑想を諦めたのか、藤野が大きな溜息を吐いて姿勢を崩した。

 今でこそ、陽之戸大陸には一都二十四国が存在しているが。かつては貴墨国(きすみのくに)という国が、陽之戸を六百年もの間統一していた。その間、災害や怪異事件はあれど戦は無く、安穏とした時代であったという。

 (もっと)も、繁栄はいずれ潰える。二百年前に陽之戸大陸大将軍、椿ヶ原(つばきがはら)家が諸々の事情あって断絶してから、世は再び天下統一を目指す国々によって、戦乱の時代へと陥った。

 幸い、お雛が生まれてから近隣諸国で大きな戦は起こっておらず、平和に過ごせているが。

 それはともかく。

 寝転がったまま本を下から覗き込むと、読みやすい文字がつらつらと並んでいた。


「流石に書いてる人は変わってるんだよね?」

「多分な。名前は全部、丞丞(じょうじょう)で統一されてるけど」

「貴墨の統一が終わった辺りって、かなり大きい戦が多かったらしいじゃん。なのに途切れず続いてたんだから、凄いなー」


 藤野が近くにやってきて、胡坐をかきながら紀平の本を指さした。


「まあ、貴墨国といえば本だからな。当時から巫女姫は人気だったらしいし、そこは何としても守り切ったんだろ。嘘か本当か分からねえが、忍を戦で働かせるより先に、大量の本やら木版持たせて安全な場所まで避難させたっていう話もあるぜ」

「へえー」

「そのおかげで、今俺が巫女姫読めてるから、当時の人には感謝だな」


 もっちりした頬に笑みを浮かべて、紀平がそう締める。

 それは確かにそうだ。巫女姫しかり、美味しい米や野菜の栽培方法しかり、美味しい料理しかり。かつての人々が戦火から様々なものを守ったおかげで、現在に至るまで残っているものは多い。ありがとう昔の人達。

 お雛が珍しく過去に思いを馳せていると、「これ」と厨房の方から声がした。


「寝転がるのなら、もちっと隅におれ。邪魔よ、邪魔」


 寝転がったまま視線を向けると、厨房から出てきたさざれが呆れ顔を作っている。手には小鉢。そこから美味そうな匂いが漂ってきて、お雛は腹筋の力だけで飛び起きた。


「さざれさん、それなに!? 新しい料理? ぼくにくれるの? 嬉しいなー、ちょうど小腹空いてたんだあ! 油の匂いがするー! 揚げ物!?」

「なわけなかろ」

「ええー!? なんでぇ、ぼく小腹空いたよー!」

「知らん」


 にべもなかった。がっくりと肩を落とす。

 座敷に上がってきたさざれが、お雛達の横を通り過ぎて掛け軸へ向かった。

 長さ約五尺八寸(約百七十五センチ)はある、白蜘蛛庵名物、羅丁(らてい)の掛け軸だ。なぜ名物かといえば、玄関正面の壁にででんと飾られている為に、入った瞬間否が応でも目に入るのと、何よりもう一つ。

 掛け軸の前に置かれた祭壇に、さざれが持って来た小鉢をことんと置いた。

 祭壇は小ぶりだが品の良い黒檀(こくたん)。置かれた小鉢の隣には、水の入った透明な丸い器があり、桔梗が水中に沈んでゆらゆら揺れている。


「昼までに時間がありますゆえ、腹塞ぎにどうぞ。こちら、良い豆腐が手に入りましたので揚げ出し豆腐にいたしました。餡は普通でも良いかと思ったのですが、今日は趣向を変えて山かけにいたしましたよ。お気に召したなら良いのですが」


 掛け軸内で悪鬼を踏みしめている羅丁は、当然ながら何の反応も無い。しかし、どことなく呆れたような雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。

 ちょこんと正座したまま声音を弾ませるさざれを見ながら、お雛達はひそひそと言葉を交わした。


「ほんと、さざれさんって羅丁様大好きだよな。俺、ここに通って二年くらいになるけどな、三食おやつ祭壇に置くの欠かしてないんだぞ」

「いいなー、ぼくもあんな感じに上げ膳下げ膳してほしい。毎日違う料理なんでしょ?」

「うん。でもって、ずーっと羅丁様に話しかけてる。長い時には一刻くらい」

「……まあ、白蜘蛛庵の名物だからなあ。さざれさんの羅丁様推し」


 そう言った藤野が、またさざれの背中を見る。尻尾があればきっと、残像が見えるくらいに振られているのではないだろうか。そう思ってしまうほど、細い背中からは誰が見ても分かるほど嬉しそうな気配がだだ漏れていた。

 いつもは店でどんな揉め事……封印した怪異が逃げたり呪具が暴走したり盗人が押しかけてきても泰然自若とし、皮肉気な態度を崩さないのに。


「もう少し暑くなったら、氷菓子を御用意いたしましょう。もう梅雨も終わりましたので、今からは暑くなりますからなあ。あっ、それとも凍らせた果物を砕いたものにしましょうか。水饅頭や葛切りなんかもご用意できますよ」


 声だって、いつもの人を小馬鹿にしたものとは打って変わり、大福の上から蜂蜜と砂糖と水飴をどっちゃりまぶしたように甘ったるい。

 一体なにが琴線に触れているのか分からないが、さざれは羅丁を激推ししているのである。それはもう、人気役者を追っかける娘達の如く。

 ちなみに羅丁は、一度寝ると数百年は起きない赤津国の国守神が、自分が寝ている間に国を見守るようにと創り出した神使の一柱だ。武の羅丁、(まもり)甲喜(こうき)病祓(やまいばらい)穐足(あきたる)。この三柱が国守神に代わり、赤津国を守護している。


 羅丁は、顔の前に『羅』と書かれた面布を垂らした一面四臂(いちめんよんぴ)の猛々しい姿で、その四つの腕にはそれぞれ武器を持ち、国に悪しき影あればそれを振って打ち払う。……だから通常、怪異は羅丁像から漏れ出る覇気を感じただけで、泡を食って逃げ出すのである。そう。逃げるのだ。怪異は。普通。

 さざれを見る。相変わらず、涎が出るほど美味そうな匂いをぷんぷん漂わせている。ころりと寝返りを打ってうつ伏せになり、お雛は紀平と藤野ににじり寄った。


「ねえねえ。さざれさんってさあ、怪異じゃん?」


 二人が無言で頷く。


「怪異なのにさあ、羅丁様大好きすぎるよね。なんでだろ。二人共知ってる?」

「知らん。聞いたこと無いな」

「俺も聞いたことない。あれかな。羅丁様に昔、助けてもらったとかでそれを恩に感じてるとか? だってさ、自分の店に祭壇作ってるし」

「あー、それ一番ありそー」


 怪異が裸足で逃げ出す神使を激推しし、祭壇まで作っている怪異。それでいいのか。何か間違っている気がする。

 お雛達の胡乱な視線をすっぱりきっぱり黙殺し、さざれはとろとろに蕩けた声音で掛け軸に語り続けていた。

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