料理を待つ時間もまた楽しい
〇 ● 〇
「さざれさぁーん! お肉持ってきたから、はんばーぐ作って!」
すぱーんと白蜘蛛庵の戸を開け、お雛は大声を上げる。
夜の賑わいの中、その声はよく通った。客の半分が、一斉にお雛達の方に顔を向ける。「うるせーぞ! 静かに飲ませろ!」「おうおう、子どもは元気だなあ」「なんだあ、きー坊はまた引っ付き虫になってんのか」と、声が飛ぶ中、人の隙間を縫って皿を運んでいるさざれを見つけ、お雛はもう一度息を吸い込んだ。
「さーざれさーん、はんばーぐー! 腕いらずのはんばーぐ! 作ってー!」
「やかまし。そう何度も言わんでも聞こえとるわ」
うるさそうに炎色の瞳孔をゆらりと揺らしたさざれが、すたすたと近づいてくる。お雛、紀平、藤野と順繰りに見た後、ついと片手を差し出した。
「肉を持っとるのは藤野か? ほれ、はよう寄こせ。やつがれは忙しいのだ」
「っす」
短く頷いて、藤野が肉の入った風呂敷包みをその手に乗せる。お雛は、その場でたんたんと足踏みした。
「早くね、早く! ぼく、もうお腹ぺっこぺこだよ! あのお弁当だけじゃぜんっぜん足りなかったの! ご飯もお味噌汁も大盛りで、あと小鉢も付けてね! 種もいっぱい持ってきたから、揚げて塩振って! ね!!」
「あい分かった。分かったから、静かにせい。作らんぞ」
「んむっ」
お雛はぴたりと口を閉じた。足踏みも止めて直立不動。顔をきりっとさせてさざれを見下ろす。
それに満足そうに一つ頷いたさざれが、ゆるりと藤野に目を向ける。
「で、お主らは?」
「あ、俺と紀平は普通のはんばーぐで」
さざれは鷹揚に頷いた。「座って待っとれ」と、ころり笑って告げてから、厨房に向かう。
「三つとも、でみぐらすそーすでお願いね!」
「お雛、あっちが空いてるぞ」
揺れる灰白色の髪からそそくさと視線を逸らし、藤野が座敷の一点を指さした。だいぶ混み合っているが、確かに階段辺りはまだ空いている箇所がある。
「あいよー。……ほら紀平、行くよ。自分で歩ける?」
無言。首にしがみ付く両腕の力が強くなった。
「もー、しょうがないなあ」
お雛は笑って、紀平を抱え直した。
紀平はお雛の正面からしがみ付き、肩口に顔をうずめていた。身体にがっちり絡んだ両手両足からは、何があっても絶対に離れないという、固い意志をひしひしと感じる。なお、紀平は自分の筋力だけでしがみついているので、実はそこまで苦ではない。
背の高いお雛が、逞しい体躯の紀平を抱っこして練り歩くというのは、傍から見ればだいぶ面白い眺めだろう。実際、白蜘蛛庵に来るまでに結構な人に笑われた。
藤野が用意してくれた座布団に、ぼすっと座る。紀平はしがみついたまま離れない。それは別に良いのだが、脇腹の辺りを締め付ける力が強く、ちょっと苦しい。
丸まった背中を撫でると、少しだけ力が緩んだ。
「ねー、紀平。そんなに怖かったの? 奉行所で言われたこと」
さっきより締め付ける力が強くなった。
「ぐぇっ」
「そりゃそうだろ。もうちょっとであなた南瓜になる所でしたねいやー危なかったですねあっはっは、って面と向かって言われりゃなあ」
『好きに飲め』と書かれた鉄瓶から茶を汲んで来た藤野が、お雛に湯呑を渡しながら肩をすくめた。
「ほら紀平、お前も飲め。冷たいお茶だぞー」
お雛の肩口に埋まった頭はぴくりとも動かない。ただ、身体はもうぶるぶる震えてないので、恐怖の頂点は過ぎているのだろう。今は余韻が通り過ぎるのを待っている、という感じだ。
はんばーぐが来れば、紀平も落ち着くことだろう。美味しいものを食べれば、誰だって元気になるのである。
「あーあ、あの桶欲しかったなあ。ちょっと食べてみたかったし、売ればきっと良い値段だったのにー」
くぴり、とお茶を飲みながら、お雛は唇を尖らせた。
腕いらずが使っていた黒漆の水汲み桶は、異怪奉行所に預けてきた。
二人がかりで宥めてようやく落ち着いた紀平が、女鹿が急に南瓜になった事、自分も水をかけられそうになった事を話した後。藤野は腕を組み、難しい顔で荒れた南瓜畑を見下ろしたのだ。
――つまり、ここの南瓜はみんなこの呪具でやられた犠牲者の可能性があるってことか。
南瓜畑には、ざっと見ただけでも四十個ほどの南瓜が生っていた。
それが全部、水をかけられた生物で。腕いらずは少なくとも、五十年は前からいるという事を鑑みると、人、動物問わず犠牲者はかなりの数になるのではというのが、藤野の考えだった。
――そこまで規模が大きけりゃあ、異怪に一報入れといた方がいいだろ。
――えー? いいじゃん、放っておけば。元凶はいなくなったんだからさあ。
――ばーか。この呪具を腕いらずが偶然手に入れたのか、誰かに渡されたかで、また色々調査の必要が出てくるんだよ。ちったあ先の事も考えろ、食欲優先馬鹿。
――は? 二回も馬鹿って言った? は? 喧嘩売ってる?
――俺、風呂入りたい……。
と、ひと悶着あったものの腕いらずの肉を風呂敷に包み、外湯――敷基の外にある無料の無人温泉だ――で血や土汚れをさっぱり落とし、遅めの弁当を食べた後、異怪奉行所にこれこれこういうことがあり、呪具があったと、報告したのである。
諸々の事を思い出して、お雛はうんざりと口を曲げる。
「でもさあ、夜までかかるとは思わなかったんだけど。疲れたよー」
「……ん」
お雛の肩口に顔をうずめたまま、紀平もこっくんと頷く。
昼過ぎに行ったはずなのに、奉行所を出た時には月が空に上がっていた。
あの水汲み桶は、やはり呪具……つまり呪いの道具だったらしい。あれに汲んだ水を生物にかけることにより、桶の側面に描かれた実になるのだとか。いくつか種類があるらしく、他にも瓜だったり苺だったりが確認されているらしい。
呪具を売る怪異から水汲み桶を買ったか、拾ったかしたのではないか、というのが異怪奉行所の見解だった。
まあそこら辺は、なんちゃって祓い屋であるお雛の範疇ではないので、深く突っ込んで聞いてはいない。そういう調査は本業の人がやればいいのだ。あくまでお雛は、美味しい怪異を食べたいだけなので。
ぐう、と腹が鳴って、お雛は顔をしかめた。白蜘蛛庵の中は色々な美味しい匂いが漂っているから、空腹が刺激される。おやつも食べていないので、一段と腹ぺこのお雛にはきつい。
「なんかさー、奉行所じゃお茶は出たけどお菓子は出なかったのがさー。人が一生懸命説明してんだから、饅頭くらいは出してほしかったよ」
思わず愚痴ると、藤野が立てた片膝に顎を乗せて苦虫を噛んだ顔をした。
「説明したのはほとんど俺で、お前らはうんうん頷いてただけだろーが」
「俺が説明するからお前らは大人しくしてろ、って言ったの藤野じゃん。ねー」
「ん」
藤野が明後日の方向に目を反らし、わざとらしく音を立てて茶を啜った。
によによと、お雛は笑みを浮かべた。からかうネタ発見。
「自分で静かにしてろって言ったのに、後で文句言うんだー。ふーん。おっとなっげなーぁい」
「大人げないぞー」
ようやく顔を上げた紀平も、口にからかうような笑みを浮かべて藤野の肩をつっついた。やり取りを聞いていたら、混ざりたくなったらしい。元気が出てきたようで何より。
「おーとなーげなーい」「おとなげなーい」
「あーあー、うるせーうるせー。あーほら料理来たぞ」
虫でも払うかのように手を振った藤野が、厨房の方に視線を向ける。
「あっ、はんばーぐ来た!」
お雛の頭が一瞬で食欲に塗り替えられた。
さざれが大皿を持ってこちらにやって来るのを見つけ、諸手を上げてきゃあきゃあと黄色い声を出す。気分は、花道を通って花形役者が近づいてくる時のあれだ。
「……牛」
お雛の肩に頬を乗せ、喜色満面の顔を見上げた紀平が、ぼそ、と呟いた。




