だん。だん。だん。
紀平の絶叫が聞こえた瞬間、お雛は駆け出していた。
前方は木々が開け、地面が切れている。光の筋はその下に伸びていた。そこを躊躇い無く飛び降りる。一瞬の浮遊感。すぐに地面に着いた。あまり高くない。足も少し痺れただけだ。問題無い。視線を走らせる。
緑と橙が広がる地面の中心で、腕を高々と上げた腕いらず。その下、大きな南瓜に隠れるようにして、緑の毛先が見えた。涙混じりの絶叫が響く。お雛の理性が音を立てて千切れ飛んだ。
「紀平から離れろこの野郎がああぁぁぁ!!」
怒号一発。転がるように駆け、跳躍。腕いらずに飛び蹴りを叩き込む。腕いらずが衝撃で地面に倒れた。柄杓が手から離れ、橙色の水を撒き散らしながらどこかに飛んでいく。
着地のことなど考えていなかったので、お雛も一緒に地面に転がったが、すぐに立ち上がった。倒れた腕いらずの上に飛び乗りながら懐から包丁を引き抜き、振りかぶる。
だん。編み笠の中心に突き刺す。腕いらずが金切り声を上げた。引き抜く。血は赤かった。だん。別の場所に突き刺す。耳を劈く悲鳴が上がる。引き抜く。だん。突き刺す。包丁を引き抜く。腕いらずは動かない。
割れた編み笠の下は、藤蔓のようなもので覆われた丸い頭だった。ぴくぴく痙攣するそれに裂け目が三つ入り、そこから真っ赤な血がどぷどぷ溢れてきている。
背後から紀平の泣き声が聞こえる。悲痛なそれに、腸がぐつぐつ煮え返る。それでいて、頭は異様なほどに冴えていた。
先ほどから脳裏に浮かぶ一つの言葉を、お雛はするりと口に出す。
「よくも紀平泣かせたな」
血濡れた包丁を振り下ろす。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。
「……あいつ、諸々の危険無視してすっ飛んで行きやがって」
鈍い包丁の音を聞きながら、藤野は苦々しく唇を歪めた。
お雛の包丁は、退魔の呪言が刻まれたものだ。あれで切りつけるだけで退魔の力が身体に回り、怪異は動けなくなる。今の腕いらずのように。……というか、多分、あれは二回目に刺された辺りで死んでいる。よしんば息があったとしても、あそこまで滅多刺しにされてなお生きていられるほど、腕いらずは強い妖ではない。
逆を言えば、それで生きているのは相当な力を持った怪異である証左だ。今回の相手がそうでなくて良かった。でなくば今頃、地に伏していたのはお雛だったはずだ。何せあの馬鹿は、後の事は何も考えずに突撃したようなので。
目鬘の奥で目を細め、広がる南瓜畑に近寄る間も注意深く気配を探るが、腕いらず以外の気配は無い。単独犯か、と少しほっとする。別の怪異が腕いらずと組んでいたとしたら、そっちも対処しないといけないので面倒だった。
腕いらずはお雛に任せ、藤野は大股で紀平に近寄る。頭だけを残して畑に埋められている紀平は、顔から出るものを全部出しながら絶叫し続けていた。目がどこも見ていない。
今の状態で声をかけても届かないのは長年の付き合いで理解しているので、藤野はその頬を容赦なく一発張り飛ばす。絶叫が止まった。
「……っ、ぇ……?」
叩かれた痛みで我に返った紀平が、潤んだ榛色の目で藤野を捉える。
「紀平、俺だ。みーちゃんだ」
「み゛、ちゃ……っ!」
「今出してやるからなー。大人しくしてろよ」
汗でぐっしょり濡れた頭をがしがしと撫でながら、もう片手で畑……紀平から離れた所に懐から抜き出した呪符を置く。
「爆」
呪符に霊力を込めた瞬間、土が爆発した。
土砂と、引き千切られた蔓や砕けた南瓜が、轟音と共に空高く舞い上がる。一拍遅れて雨のように降り注ぐそれらを、同時に張った結界で防ぐ。
かなり硬く埋められていたようだが、呪符で地面を根こそぎ掘り返し大穴を開けたので、引っ張り出すのは簡単だった。
「よしよし、怪我してないな。お前に怖いことした奴はもういないから、大丈夫だぞー」
藤野は畑に胡坐をかいて土まみれの身体を抱き込み、落ち着かせるようにぽんぽんと優しく背中を叩く。
しばしそうしていると、紀平の腕が藤野の背中に回った。ぎゅうと力がこもり、逞しい体躯がぶるぶる震えだす。
「み゛ーぢゃ、み゛ーぢゃん゛!」
「おー、みーちゃんだぞ。泣け泣け。怖かったもんなー」
ひぐ、と喉が鳴る音が耳元で聞こえる。次いで、ほっとしたように紀平はわんわん泣き出した。
「……しっかし、よくまあ腕いらずがこんな畑を作ったもんだ」
泣きじゃくる紀平の背を軽く叩きながら、藤野は改めて周囲を見渡す。
森の最奥にある小さな崖を下りた先に、畑はあった。やや乱雑に作られた畝が、五つくらい並んでいる。人間が畑を作っているのを、面白がって真似したのだろうか。
「見事に南瓜ばっかだな。橙色の南瓜ってのは珍しいが……、ん?」
運よく端が砕けただけで済んだ南瓜。そこに、黒い丸が二つあるのが見えた。模様ではなく、瘤のように南瓜の表皮からぽこんぽこんと飛び出していた。目玉のように、横に並んでいる。大きさ的に、『種』はこれか。
見れば、落ちている他の南瓜にも同じように、二つの瘤がぽこぽこ付いている。赤、黄、青、桃、黒、緑。どれも様々な色をしていた。
だが、藤野の琴線に引っかかったのは、それではない。自分の近くに転がっている、黒塗りの水汲み桶だ。
「……なーんか、嫌な感じがするな」
藤野は目鬘の奥で瞳を細めた。
水汲み桶は普通、木製だがこれはどうやら漆器のようだ。傷一つ無い、黒漆の桶。その側面には、南瓜の絵が繊細な筆遣いで描かれている。
一見して普通の水汲み桶に見えるが、その輪郭を覆うように、ほの暗い影が取り巻いているのが視えた。
「呪具か。……あー、どうすっかなあ。異怪に持ってくか?」
それか、白蜘蛛庵によく来る呪具愛好家に売りつけるか。
呪具の詳細は分からないが、木こり達の噂や紀平の状況から推測することはできる。この水汲み桶を使って水をかけるか何かすると、かけられたものが南瓜になるのではないか。
泣きすぎてえずく紀平の背中を撫でながら、藤野は眉間に皺を寄せた。
「……ったくお雛の奴、俺の分残さないで独り占めしやがって」
藤野だって、大事な弟分を攫われて腹に据えかねていたのだ。一発どころか五発、いや六発は入れたいと思っていたのに。
だん、だん、という音が耳に入ってくる。呆れ半分で、視線をゆるりと向けた。
「いつまでやってんだか、あいつ」
だん、だんと包丁を突き刺す音はいまだ途切れない。
だらりと伸びた黒く細い腕と、蛇の下半身はとうに動いていないというのに。腕いらずの胸辺りに馬乗りになったお雛は、包丁を突き立て続けている。
ここから見える背中は刺々しい気配に満ちており、いつもの楽しそうな雰囲気は鳴りを潜めていた。
この二ヵ月付き合って分かったのは、お雛という少年は己の食欲に異様に忠実ということだ。それは時に、見知らぬ他人を囮にして怪異をおびき寄せようとする、少々危うい思考や行動に繋がっていた。……実際、知り合ってすぐにあったのだ。そういうことが。
この間も、禍神を食う為に他人を囮にすると笑顔で宣言していたし。
「腕いらずの肉も手に入ったついでに紀平も助かって良かったー、くらいは言うと思ったんだがなあ」
今のお雛は、腕いらずの肉を手に入れる、という当初の目的を頭から吹っ飛ばしたように、ひたすら滅多刺しにしている。怒りのままに。
それが少し、藤野には意外だった。
だが考えれば、紀平が攫われた直後からお雛は怒っていた。どうやら友人を慮れる良心はあるらしい。友人を餌に怪異を釣る事に罪悪感が無いような奴だったら、ちょっと付き合い方を考え直す所だった。
友人をわざと危険な目に合わせる可能性がある奴を、近くに置く気は無い。
そんな事を考えながら、お雛の背中に声をかける。
「おーい、お雛。その辺でやめとけ。お前、はんばーぐにするんだろ、それ。あんまり滅多刺しにすると、肉がまずくなるぞ。あと、紀平に顔見せてやれ。お前の顔も見たら、もうちょい落ち着くだろうし」
「ん?」
振り返ったお雛の顔は血まみれだった。
「やっぱり見せるな。あっち向いてろ。こっち来るときは背中側に頭向けてから来い」
「なにそれひっどい! 紅顔の美少年捕まえて何を言う!」
「あー、まあ紅顔だな。血で。お前今、牛の踊り食いしたって言っても納得するような顔してっからな」
「えー?」
お雛は首をかしげた。そうだろうか。そこまで血だらけだろうかと、頬を拳でこするとぬるりと滑った。血だらけだった。額に張り付いた前髪から落ちた血が、鼻梁を伝い落ちていく。
下を見ると、土と腕いらずの合い挽き肉ができあがっていた。うわー、とお雛は頬を引きつらせる。
我ながら、よくここまでやったものだ。
腕いらずの首から上は、完全に原形をとどめていない。怒りに任せて包丁を突き立てまくったのは覚えているが、こんなになっていたとは。
「いやー、えー、まあほら、はんばーぐにするから、結果おーらいってことで」
「お前は土まみれの肉食うってか。つうか、おーらいってなんだよ」
「幸左おじさんがよく言ってるんだよね。結果おーらい。なんか、まあいいんじゃない? みたいな意味らしいよ」
藤野が片眉を上げた。
「なんじゃそりゃ」
「さあ。おじさん、変な言葉色々知ってるからねー」
落ち着くと、鼻を突く金臭さや首元に伝う血が気持ち悪い。
お雛は顔をしかめて、顔を拭けるものを探す。しかし、何も無い。手拭は懐に入れていたが、それも返り血で駄目になっている。
仕方無く、腕いらずが着ていたぼろっちい着物を剥ぎ取った。それで顔や首回り、包丁を拭いた。たちまち着物が血に染まる。
「うえっ、くっさぁ……なんか蚯蚓が腐った臭いがするー……」
今度はその臭いが気になったが、少なくとも血糊は取れた。と、思う。
えぐえぐとしゃくり上げる紀平の頭を撫でながら、藤野が呆れた顔をした。
「お前、生き血を顔面になすりつけて生贄の儀式する系村の住人みたいになってるぞ」
「ちぇっ。川があればなあー」
「亀森に川は無いからな。外湯で我慢しろ」
「むー」
唇を尖らせて、お雛は着ていた着物も脱いだ。前部分は血まみれだが、背中の方は綺麗だったので、そちらでもう一度顔を拭いた。
「ふー、少しさっぱり」
着物を放り投げ、お雛は上半身裸でぐるりと首を回す。藤野達の方へぱたぱたと駆け寄った。
「きっぺー、だいじょーぶ? 怖かったねー」
紀平はしゃくり上げながら、藤野にぎっちりと抱き着いていた。目からはまだ涙がこぼれている。真っ赤になった目と頬が痛々しい。
お雛を見上げる紀平の頬を、指でむにっとつまむ。
「早く外湯入ろうねー。そんで白蜘蛛庵帰って、一緒にはんばーぐ食べようね」
無言のまま、首がこくこく縦に振られる。よし、とお雛は拳を握った。少しは元気が出てきたみたいだ。
「じゃあ、さくっとお肉切っちゃうね。腕のとこと、尻尾の辺りにしようかなー」
頭はお雛がぐちゃぐちゃにしたから、無事で食べ応えがありそうなのはその辺だ。
「分かってるだろうが、俺と紀平は腕いらずの肉食わねえからな。自分の分だけにしとけよ」
早速、と包丁を腕の付け根に当てるお雛の背に、藤野の声がかかる。分かってるよぉ、とお雛は軽く返事をして、包丁を振るった。




