わるいこ、わるいこ
「紀平!」
悲鳴の方に向かい、走る。でこぼことした地面に足を取られ、均衡を崩した身体が木にぶつかった。頬や服がざらついた木肌に擦れるが、無視。顔に張り付いた蜘蛛の巣をそのままに、お雛は周囲を見渡した。
耳の辺りで激しく鼓動が鳴る。どこだ。どこに行った。紀平は。腕いらずは。
「紀平! いたら返事して、紀平!」
「…………!」
静かな森に似つかわしくない悲痛な声が、右側から聞こえた。振り向く。深い茂みと木々の奥。茶色の編み笠、長い身体。それに担ぎ上げられた白い頭頂部。いた。
「そっちかあ!」
怒号を飛ばし、地面を蹴ろうとした瞬間。背後から襟首を引っ張られた。
「待て阿呆!」
「ぐえっ」
たたらを踏んで振り向くと、肩を上下させた藤野がお雛の襟首を引っ掴んでいる。お雛は目を尖らせ、それを振り払った。急いで腕いらず達がいた方に目を向けるが、既に編み笠も紀平の髪も見えない。
「闇雲に走り回るな、馬鹿雛」
藤野の声は、嫌になるほど落ち着いていた。それが逆に、お雛の気持ちを逆撫でする。なんでこいつは、こんなに落ち着いていられるんだ。紀平が妖に攫われたのに。
「お前まで迷子になったら、探すのがめんど――」
慌てた様子も見せず説教を始める藤野の胸倉を、お雛は掴んだ。力任せに引き寄せると、整った顔がわずかに歪む。
「なんで止めたのさ、折角見つけたのに」
我ながら驚くほど、低く冷たい声が喉から流れた。
目鬘奥にある藤色の瞳を睨みつけるが、藤野は怯む素振りも見せずに言い返す。
「地の利は向こうにある。お前が闇雲に追いかけた所で、追いつけるわけねーだろ。迷うか、怪我するかがオチだ」
「ふーん。じゃどうする気? ぼくを止めた結果ー、紀平達を見失ってー、でも問題無く紀平を見つけれるような、さぞ優秀な方法が藤野の頭にはあるんだろうねー?」
お雛の嫌味を、藤野は鼻で笑い飛ばした。
「当たり前だろ。その優秀な方法を実行してやるから、離せ」
腕を軽く叩かれ、渋々離す。皺になった衿元を直す様を、お雛は腕を組んで睨んだ。
紀平は怖がりだから、一人怪異に攫われてどれほど怖い思いをしているか。だから早く探しに行きたいのに、何を落ち着いてるんだ。
――ぼくより付き合い長い癖に。ほんとに心配してんの、こいつ。
いらいらと貧乏ゆすりをしていると、藤野の手に四角いものが握られているのに気が付いた。
「あれ、それ」
「紀平のかめらだ。腕いらずに攫われた時に落としたんだろうな。こっちには好都合だ」
「はあ?」
お雛は片眉を上げた。言っている意味が分からない。
説明しろと目で訴えるが、藤野は手のひらに乗せたかめらに札を貼り付けている。お雛は肩を軽く殴りつけた。
「なんだよ」
「説明してよ。何してんの」
「人探しの術だよ。持ち物があれば、それに術かけて居場所を探せる」
「それ、種にかければ良かったんじゃないの」
「昨日言ったろ。あれはただの種で、腕いらずの持ち物じゃねえ。探せねえよ」
札を貼りつけたかめらに手をかざし、藤野が呪言を唱える。すぐに、札とかめらが白く光った。細い筋のように光が空を裂いた。
光の筋は先ほど腕いらずと紀平がいた方にぐんと伸び、更に奥へと続いている。
「あっちだな、行くぞ」
弁当の入った風呂敷包みをその場に置いた藤野が、かめら片手に光の筋を辿り出す。それを追いかけ、お雛は横に並んだ。
先ほどより少し早足ではあるが、藤野は全く焦った様子を見せない。今やるべき事だけを、淡々と行っている。
お雛は、顔色一つ変えていない頬に視線を向けた。
「ちょっと藤野。さっきから落ち着いてあれこれしてるけどさあ、紀平が心配じゃないの」
「ははは」
全く感情のこもっていない笑い声を、藤野が上げた。
「落ち着いて見えるだけだ」
薄暗い森の中を真っすぐ貫く光の標を睨む藤野の身体から、陽炎のように殺気が立ち上る。ぴりりとお雛の肌がひりついた。
「ふーん」
への字に曲がっていたお雛の口角が、少し上がった。
なんだ、ちゃんと怒っているんじゃないか。
「藤野は薄情な奴だから、友達付き合いやめろって説得するところだったよ」
「うるさい。走らず急ぐぞ」
「分かってるって」
光を通さない闇色の瞳をぎらつかせ、お雛は地面を強く蹴った。
〇 ● 〇
うえろや うえろ かぼちゃの あたま
やろか やろか みず やろか
そだーて そだて おおきく そだて
あか き あお もも くろ みどり
たねが できたら あげに いこう
いいこの みんなに あげに いこう
わるいこ わるいこ かぼちゃに しよう
わるいこ わるいこ かぼちゃに しよう
〇 ● 〇
むせ返るような土と草の臭いで、紀平の意識は急覚醒した。
「う、ぅ……?」
ぱちりと目を開ける。ぼうっとした視界に、緑と橙の塊が飛び込んできた。
何度か瞬きを繰り返して目の焦点を合わせ、ようやくそれが大きな葉と地面を這う長い蔓、ころりと丸い橙色の南瓜だと分かった。
「なんで……?」
やけに南瓜の距離が近い。すぐ真ん前だ。南瓜と添い寝でもしなければ、こんな目線の先にあるわけが――と考えて、身体が動かない事に気が付いた。顎下に冷たい土の感触。
紀平は頭だけを出した状態で、土に垂直に埋められていた。
全身がかぁーっと熱くなり、毛穴という毛穴からどっと汗が噴き出た。なのに頬から首の辺りに鳥肌が立ち、寒気がする。
「なんで、やだっ、これ、なんで」
土の中で紀平の身体は、両腕を身体の脇にぴったりと当て、足も閉じた体勢にされていた。土は硬くて、指先すら動かすことができない。
首も埋められているから、喉が圧迫されて息苦しい。どうして、なんで。目だけを必死に左右に動かして、なんとか今の状況を理解しようとする。
どうやら、まだ森の中のようだ。視線を上げると背の高い木々の枝葉が見えた。どこからか鳥の暢気な鳴き声がする。
自分のすぐ前の地面は一段低くなっていて、正面の南瓜がある場所は盛り上がっていた。それが左右に、長く伸びている。
畝だ、と直感的に思った。
これは畝だ。自分は畝に南瓜と一緒に埋められている。つまりここは南瓜畑か。その証拠に正面と左右には、とろりと柔らかい橙色をした南瓜と、蛇のように地面を這う蔦。そして鹿の首。
「え……っ」
思わず、声が出る。紀平の右斜め前。橙色の南瓜が並ぶ中、角の無い女鹿の首が畝の上に。まるでこれも南瓜なのだと言わんばかりに、あった。
ここからは後頭部しか見えない。生首を置いているのかと思ったが、違う。毛並がゆっくり動いている。生きている。耳を動かしたり鼻を鳴らすこともなく、ただ埋まっている。寝ているのか、鳴き暴れる気力も無いのかは、分からない。
どうして、自分も鹿もこんな所に――と、ようやくその疑問が紀平の頭に湧いた時、歌声が聞こえた。
「うえろや、うえろ、かぼちゃの、あたま」
性別の分からぬ木霊のような声。ずるずると、地面を這う音。振動。
ひュぐっ、と紀平の喉が変な音を立てた。
思い出した。お雛と藤野の喧嘩を笑っていたら、怖い気配がしたから逃げたのだ。だけど、すぐに捕まって、「わるいこ」と言われて、悲鳴を上げた。そこから覚えていない。気が付いたらここにいた。
恐怖が一気にぶり返して、土の中で身体がぶるぶると震え出す。
「やろか、やろか、みず、やろか」
ずるずる。ぴしゃんっ。ずるずる。ぴしゃんっ。音がする。太い縄を引きずるような音と、水を撒くような音。
離れた場所に、腕いらずの姿が見えた。
「そだーて、そだて、おおきく、そだて」
ひゅ、ひゅ、と紀平の喉が鳴る。見開いた目から涙が馬鹿みたいに零れた。
「あか、き、あお、もも、くろ、みどり」
墨を塗ったように真っ黒な腕が動いて、ぴしゃんっと水の音がする。縄のように、腕が柄杓に巻き付いているのがここからでも見えた。右から左へゆっくりと動きながら、柄杓で南瓜に水をかけている。
水やりをしているのだ。まるで普通の人間のように。
それがたまらなく怖くて、紀平は、喉から上がってくる絶叫を必死に噛み殺した。「ひっ……ふ……!」と噛み殺し損ねた声が微かに漏れる。
声を出さなければ、もしかしたら気づかれないかもしれない。……腕いらずが紀平を埋めたのだから、その前提はそもそも間違っている。そんな当たり前のことも思い浮かばないくらい、紀平の頭は回っていなかった。
「たねが、できたら、あげに、いこう」
畝の端まで行った腕いらずが、そのまま次の畝の前に立った。今度は左から右へ、ゆっくり動きながら柄杓で水をかけ始める。
恐怖に慄く脳味噌が、逃げろと身体に指令を出し続ける。しかし土に締め上げられた身体は動かず、指の間を蚯蚓が這う感触だけが伝わる。
「いいこの、みんなに、あげに、いこう」
女鹿の前で、腕いらずが止まった。
腕と同じ黒い桶を右に。左に古ぼけた柄杓を持っているのが、涙で歪んだ視界に映った。胴体に対して異常に細い腕をぐねぐねと伸ばし、柄杓を女鹿の頭上まで持ち上げる。
南瓜を溶かしたような橙色の水が、女鹿にぴしゃんっとかけられた。
両耳の間にある頭頂が、ぼこんっと大きく膨らんだ。
きゅうぅ、と女鹿から苦し気な悲鳴が上がった。顔の左右が、ぼこんっぼこんっと膨らむ。ぎゅう、と捻り潰されるような声。ぼこんっ、ぼこんっと女鹿の顔のあちこちが膨らんで、膨らんだ所からどんどん橙色に染まっていって。
あっという間に、南瓜になった。
「わるいこ、わるいこ、かぼちゃに、しよう」
絶叫が喉から迸った。声をできるだけ殺して気づかれないようにしよう、という決意が脆くも崩れ、首を振り指先を滅茶苦茶に暴れさせる。跳ねた土が口に入って、唾液と一緒に周囲に飛び散った。
嫌だ。嫌だ。次は自分だ。なんとかしないと。逃げないと。術をなにか。使わないと。身を守らないと。結界を張ればきっと、助かる。でもなにも頭に浮かばない。
――お主は怖い怖いと思うと、そればかりで頭が一杯になってしまうからなあ。いざという時に術を発動できるよう、骨の髄まで刻んでおかんとなあ。
呪言の一節も思い出せない。霊力も練り上げられない。
さざれの炎のように揺らめく瞳孔と、ころころと笑い混じりの言葉だけが、空っぽになった頭をぐるぐる回る。
「わるいこ、わるいこ、かぼちゃに、しよう」
音が止まった。目の前に、太い蛇の胴体。黒塗りの桶。古ぼけた柄杓。
蛇や蛙独特の生臭さが津波のように押し寄せてきて、紀平は吐いた。
吐瀉物が腕いらずにかかったが、気にした様子も無く、柄杓が持ち上げられる。関節が無いかのように、腕がぐねぐねと小刻みに上へと伸びていく。
橙色の水滴が紀平の鼻を掠めて、地面をぽつんと湿らせた。
腕いらずの背後に、先ほどまで女鹿だったまん丸い南瓜が見える。自分もああなるのだ。頭に水をかけられて。
ぶわぶわと、全身に鳥肌が立った。顔をぐしゃぐしゃにして、紀平は泣き叫ぶ。
怖い。助けて。誰か。嫌だ。死にたくない。怖い。兄ちゃん姉ちゃん、助けて。怖い。みーちゃん助けて。お雛、助けて。怖い。怖い。誰か。嫌だ。嫌だ。怖い。
「紀平から離れろこの野郎がああぁぁぁ!!」
今にも、頭上で柄杓が傾けられそうになった瞬間。
横合いから凄まじい勢いで走ってきたお雛が、腕いらずの身体を飛び蹴りで吹き飛ばした。




