白蜘蛛庵での挑発
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白蜘蛛庵は日が暮れてから本番だ。
「なあ、誰か『遣らず雨の傘貸し娘』の情報持ってないかー!? 情報くれたらおでん奢るぞー!」「おでんじゃなくて牛筋の煮込み奢ってくれたら教えてあげましょうか」「食いもんじゃなくて金寄越せー!」「うわあ、旦那どうしたんですか。そんな大量の呪具持って」「ああ、今からちょっと異界の調査にな」「他人の恋より自分の恋占いたい……なぜ良い人ができないのか」「おいぃ――! 誰だっ、ここに『百乃世枝』置きっぱなしにした奴は!! 呪うつもりか相手になったるぞごらぁ!!」「ちっばれたか」
壱島に住む祓い屋や占い師、異怪の与力同心が座敷にぎっしりと座り、各々料理をつつきながら好き勝手に喋り倒している。その間を灰白色の髪を揺らしたさざれが悠々と通り、酒や料理を置いて回っていた。
「それでねえ、ぜんっぜん見つけられなかったんだよ。腕いらず」
笑う声、嘆く声、怒る声、時々呪言。寄せ鍋のようにごちゃごちゃとなった声の中。お雛と藤野、それから仕事終わりで合流した紀平は、羅丁の掛け軸近くに陣取っていた。
三人の前には、大皿に盛り付けられた天婦羅。野菜、魚、肉と種類ごとに分けられ、それぞれ串が刺してあるので食べやすい。いんげんの天婦羅を天つゆに漬けて頬張りながら、お雛は溜息を吐いた。
「日が暮れるまで頑張って探したんだけどねえ。ねー藤野」
「頑張って歩いたのは俺な。お前はずっと俺におぶさってただけだろ」
茶碗を片手に、藤野がしかめ面をする。茶碗の中には生姜飯。千切りにした生姜と米を昆布出汁で炊いた一品で、食べれば生姜の風味が口いっぱいに広がる。
「んー、生姜飯やっぱ美味しいなー。天婦羅の油がさっぱりするのが良いんだよねー。あ、んでさ、結構頑張ってみたんだよ? 腕いらず探し」
お雛も生姜飯をもぐもぐとやりながら、頬を膨らませる。
木こり達と別れた後、起伏の激しい森の中を必死になって歩き回ったのだ。藤野が。洞窟だって入ってみたのだ。藤野が。小さな崖になっている所も、滑り降りて下を確かめたのだ。藤野が。
なおこれは正当なるじゃんけんの結果なのであって、お雛が藤野をこき使ったわけではない。
「面白いくらい藤野がじゃんけん弱くってさー」
「藤野なー、昔っから弱いんだ。だから、いっつも負けんの」
大根のそぼろ餡かけを箸でつまみ、紀平が面白そうに肩を揺らして笑う。ちなみに大根は喜之から貰った奴である。
「違う、俺が弱いんじゃねえ。いいか、じゃんけんってのは神占に使われていた儀式が民間に広がったものであって、元は審神者が神託を手の形で表したのがきっかけなんだ。だから俺が七回連続で負けたのは神からのお告げで」
「はいはい、じゃんけんで負けたのがそんなに悔しいんでちゅねー」
むきになる藤野が面白くて、からかいながらけらけら笑う。箸が飛んできた。
「いでっ」
「はっ倒すぞてめえ!」
「俺とじゃんけんして負けた時は、天気が悪いせいだって言ってたな」
「きっぺー! お前はおにーちゃんの恥を晒して楽しいかー!?」
「たのひいー!」
茶々を入れた紀平の頬を引っ張る藤野の頬が真っ赤だ。面白い。頬を引っ張られながら、紀平もによによ笑っている。
ひとしきり紀平と二人して藤野をからかった後、満足したので食事に戻る。
「んーふふふ、生姜のかき揚げだー。爽やかで美味しーい。あー、んで何の話してたんだっけ。そうそう腕いらずね。種をくれる奴は結局見つからなかったんだよねー」
ちなみに、普通の腕いらずは見つけた。種をくれる方の腕いらずも見つけていれば、一石二怪で二体とも狩っていたのだが。
「あ、そういえば紀平。これがその種なんだけどさあ、何の種かな。分かる?」
文蔵から貰った種を紀平に渡す。とろりとした黄色の種をつまんで天井の明かりにすかしながら、紀平は小さく唸った。
「なんだろ。大豆みたいだけど、それにしちゃおっきいし……うーん……分かんない」
「そっか。……あーあ、今日腕いらずのはんばーぐ食べたかったなー。いや天婦羅も美味しいんだけどさあ。今はんばーぐの口だからさあ」
「んじゃ食うなよ、牛」
「やだ食べる」
茹でた兎卵の天婦羅を一口で食べて、唇を尖らせる。
とろりとした半熟の黄身が、口の中で天つゆと混じり合う。黄身の甘味とつゆのしょっぱさが合わさって、美味しい。
「他の妖も見かけたんだよ。こう、木陰でうにょーってなってるのとか、桃みたいな感じで木にぶら下がってるのとか。でも探してるのは出て来なくってさ」
天婦羅を口に運ぼうとしていた紀平が、その体勢のままでくしゃりと精悍な顔を歪めた。
「……なんで飯食ってんのに、そういう話ばっかすんだよ。馬鹿。馬鹿雛。お前嫌い」
「あー、ごめんごめん嫌いになんないで! ほら紀平、この沼蛸の天婦羅あげるから許して、ねー」
ぷい、とそっぽを向かれたので、お雛は慌てて手にしていた串を紀平の皿に置く。まだ顔がこっちを向かないので、もう一つ。まだ顔は向かない。更にもう一つ。もう一つ。取り皿に天婦羅の小さな山ができる。
「もうしないから、ね。もう怖い話しないから許して!」
「……ほんとに? 本当にしないか?」
「しないしない。だから機嫌直して」
「ん」
毛先だけ緑の白髪を揺らし、紀平がこちらを向く。お雛と、自分の皿にちんまり盛られた天婦羅山を見て、満足そうに一つ頷いた。お許しが出た。ほっと息を吐く。
先っぽがくるっと丸まった沼蛸の天婦羅を一口食べた紀平の頬が、ふにっと緩んだ。思わず手を伸ばし、頬をもちりと揉む。すぐさま引っ叩かれた。
「大福みたいですべすべ可愛いのに……」
「可愛くない。食ってる時に触んな」
「まあまあ。――紀平もお疲れさん。庭広いから、草むしり大変だったろ」
「ん」
正面の藤野に、紀平がこっくりと頷いた。
「全員でやったんだけど夕方までかかったから、疲れた。もう俺、腰痛い」
顔をしかめて、拳でとんとんと腰の辺りを叩く。
「これ食ったら銭湯行く」
「ぼくも疲れたから、一緒に行こうよ。藤野も来る?」
「俺は用事あるから二人で行けよ。俺は敵娼と約束があるんでな」
手酌で注いだ酒を呷ってから、藤野は立ち上がった。玄関に向かって軽く手を挙げたので、お雛は自然とその先を追う。
白蜘蛛庵の玄関で、派手な着物の青年が藤野に向かって手を振っている。にやにやと、楽しそうに笑う顔がここからでもよく見えた。見知った顔だ。お雛はそこまで親しくはないが、藤野の悪友だ。
お雛は、藤野を上目遣いでねめつける。
「はー、また紹吾と遊郭? いいよねーモテ男は引く手数多でさぁ」
遊郭といえば、綺麗なお姉さんが乱れ咲く夢の場所。行きたい。こっちだって年頃の十五歳。成人しているのだ。興味があるどころではない。
紀平も、藤野と紹吾を何度か見比べて、頬を膨らませた。
「なあ、なんで俺も連れてってくれないんだよ。俺も行きたい」
「俺より年食ってねえガキは、大人しく風呂入って寝な。明日の集合は朝四つ|(十時)くらいに白蜘蛛庵でいいだろ。じゃあな」
唇を片方吊り上げて笑った藤野がひらりと手を振り、紹吾と連れ立って颯爽と去っていく。
広い背中で揺れる暗緑色の髪を睨んで、ちっとお雛は舌打ちした。お雛達を置いて、めくるめく夢の世界に行きやがって。許さん。
「ねー紀平、後であいつが風呂入った後で褌に唐辛子味噌塗ったくって恥かかせてやろうよ」
据わった目で提案すると、紀平が目をくりっと動かして小首をかしげた。
「お雛ってわりと陰湿なとこあるよな」
「陰湿じゃありませんー。ぼくはただ、一人だけ楽しいとこ行ってる藤野に報復しよーと思ってるだけですー」
「そゆとこ。あ、そうだ」
詫び天婦羅を食べきった紀平が、「なあ」とお雛の肩を掴んで軽くゆする。小さい子のようなちょっと可愛い仕草に、藤野への苛々があっという間に吹っ飛んだ。自然と口に笑みが浮かぶ。
「なーに、紀平?」
「俺、明日行かないからな。お前らだけで行けよ」
「えー、一緒に行こうよ! ぼく、種いっぱい欲しいし蛇いらずの肉も欲しいもん。紀平も手伝ってよ、はんばーぐにしてもらう予定なんだよねー」
ぶんぶんっ、と紀平は激しく首を横に振った。
「やだ、絶対行かない! 俺は明日本買いに行くんだ! なんでわざわざ怖い目に合う必要があるんだよ、絶対行かない!」
お雛を睨む紀平の榛色の目に、段々と涙が溜まってきている。ふーん、とお雛は腕を組み、にやにやと笑いながら顎を撫でた。
「……なんだよ、その間抜け面」
「えー、そうやっていつも紀平は怪異から逃げてるよねーって」
「はぁ?」
紀平の眉が吊り上がった。たちまち、目尻の涙が引っ込む。喧嘩売ってんのか、と威嚇する姿に、お雛はしめしめと笑う。よし乗って来た。
「怖い怖いって泣くのは可愛くていいんだけどさあ、まだ会ってもない奴にさえ怯えてすぐ逃げ腰になるのって、どうかなーって思って」
「ぐ……」
紀平が、顔をしかめて小さく唸る。
「それってさぁ」
お雛は笑いながら、勿体ぶって伝家の宝刀を抜いた。
「かなり恰好悪くない?」
「ああ!? よし喧嘩売ってんだな、買うぞ牛!!」
怒りで顔を真っ赤にした紀平が立ち上がる。歯をむき出して怒鳴る顔を見上げて、お雛は笑いながら肩をすくめた。
「別に喧嘩売ってないでしょ。紀平が逃げるの恰好悪いなーって正直な感想を言ってるだけで」
「逃げねえよ!」
「じゃあさあ、明日来るでしょ? 紀平、逃げないんだもんね」
「行く!」
よし言質。
勢い込んで頷く紀平に、お雛はにんまり笑う。
「はい決まり。じゃあ、明日白蜘蛛庵に集合ね」
指を立ててそう言うと、紀平が「あっ」と小さく叫んだ。表情を染め上げていた怒りの色が、たちまち引いていく。代わりに、やってしまったという後悔の表情が浮かび上がってきた。
「おや、まあ。相変わらずちょろい子よなあ、お主は」
近くを通ったさざれが、ころりと笑った。




