木こりの話
ざくざくざく、と土を踏む音。
「いやー、ぼくちょっと森舐めてたかも」
「おうそうだな」
「せめて普通の袴履いてくればよかったかなー。足袋も履いてこなかったし」
「おうそうだな」
「あ、そっちの方にあるの獣道じゃない? というわけで藤野四号、あっち行って」
「いや降りろ!」
肩を叩いて横にある獣道を指さすと、怒鳴られた。ばかりでなく、身体を揺すってお雛を振り落とそうとするので、負けじと手足を蛸のように絡みつかせて抵抗する。
「やめろ苦しいんだよ!」
「藤野がぼくを落とそうとするのが悪いんだよ! だってこんなに虫多いとは思わなかったんだもん!」
「森に入る前に気づけよ!」
藤野の背中に張り付いたまま、ぎゃあすかやり合う。
一歩進めば蟻の行列が前を横切り、二歩進めば座頭虫が肩に張り付き、三歩進めば百足が足を這い上がってくる。……亀森の中は、非常に虫が多かった。梅雨の合間の晴れに、奴らも浮足立っているのか。
虫自体は別に苦手ではないが、こうも多ければ閉口する。のでお雛は早々に歩くことを止め、藤野におぶさっていた。ちなみに藤野は支えてくれないので自力で。友達甲斐のない奴だ。
「つうか、一号から三号はどうした」
「え、気になるとこそこ?」
「気になるだろうが」
「藤野って妙なところ気にするよね。別に意味無いよー、ノリで言ってるだけだし」
寄ってくる羽虫を手で追い払い、お雛は空気の匂いを嗅ぐ。森の中はむせ返るほどの草と土の匂いで、怪異の匂いが紛れてしまっている。
「うーん……そこのウロの中から甘い匂いがするんだけど、なんかいる?」
「いるいる。名前も無いような弱くてちっちぇー奴」
「ふーん。それ捕まえてぶら下げてたら腕いらず釣れないかなあ。釣りみたいにさあ」
「無理だろ。腕いらずは肉食わねえから」
「ねえ、藤野も探してよ。さっきから一生懸命探してんの、ぼくだけじゃん」
「俺になんの利点も無いのにお前に付き合ってるだけで十分だろーが。つか重い降りろ」
「やだ。虫踏みたくない。気持ち悪いし、あと足場悪いから歩きたくない。こけそう」
「こいつ……」
あれこれくっちゃべりながら、獣道を進む。藤野が、顔にかかる蜘蛛の巣を鬱陶しそうに払いのける。
道の上には左右から枝葉が覆い被さっているので、街道より幾分か薄暗くひんやりとしている。藤野が歩く度、好き放題伸びている草が着物やお雛の足に当たって、がさがさ音を立てた。驚いた野鼠が、ちょろりと前を横切る。
すんすんと鼻を動かし、匂いを嗅ぐ。相変わらず森の匂いが濃いが、それに美味そうな香りが絡まっていた。ん? とお雛は瞬きを一つ。すんすん、ともう一度鼻を動かす。怪異ではない。この匂いは。
「ねー藤野、この奥からお米の匂いがするんだけど」
「あ? ……あー、じゃあ木こりか炭焼きか、猟師辺りだろ。この辺が仕事場なんじゃねえか」
ぐううう、と腹が豪快に鳴った。怪異も良い匂いだが、炊いた米の匂いはまた別格だ。嗅ぐだけで、口の中に唾液があふれて止まらない。
「じゃあさー、ちょっと行ってみようよ。もしかしたら腕いらずのこと知ってるかもよ!」
肩を揺すりながら提案すると、暗緑色の癖毛を揺らして藤野が振り返った。じとっとした目でねめつけられる。
「別に行ってもいいが、真面目に仕事してる奴から昼飯奪うなよ」
「失敬な。一口分けてもらうだけだよ」
「握り飯丸ごと一つを一口と言う奴が何言ってんだ」
そう言いつつも、藤野は奥に進んでいく。ほどなくして、ぽかっと丸い空間が現れた。
木こり達が休憩所として均した場所のようで、草が刈られ大き目の石が外周に点々と置かれている。中心では六人ほどの木こりが車座になり、昼飯を食べていた。素朴なおにぎりとお茶がなんとも美味そうだ。
「ありゃ、なんだべ。道に迷ったか?」
一番年嵩の木こりが、お雛達に声をかけてくる。その声につられて、他の木こり達も顔を上げた。
「こんなとこまで来たって、なあんもねえぞ」「逢引かぁ? やめなやめな、この辺にゃあ虫が多いぞ」「そうそう。野次馬ならぬ野次虫な」
からかい混じりに投げかけられる声に、お雛は笑って手を振った。
「逢引じゃないよー。ぼく藤野とは恋人じゃないしさー」
お雛の口から流れた少年らしい低い声に、木こり達が揃って目をぱちくりとさせる。
「おめえさん、お嬢ちゃんかと思ったが坊ちゃんかい」
「そだよー。よく間違われるんだよね。ま、ぼくってとっても可愛いからね、しょーがないよね!」
藤野の背から降りて横に並びながら、お雛は腕を組んでにまりと笑う。
顔だけならそばかすの散った愛らしい美少女顔なので、よく背の高い少女に間違われるのだ。木こり達も、お雛の顔と身体を何度も見比べて「はあー」とか「ほへえ」とか妙な声を漏らしている。何人かは着物を見て目を引ん剥いている。
「昼飯中に悪いな。ちょっとだけ聞きたいことがあるんだよ。それさえ聞きゃあ、すぐ退散する」
「ついでに、おにぎり一口くだむぐっ」
藤野に手のひらで口を塞がれた。勢いが良すぎてぱあんと良い音がする。
「むぐむご」
「黙ってろ大食い妖。……なあ、あんたらここを仕事場にしてんなら、種を渡してくる腕いらずについて知らねえか?」
森にできた小さな空間に、藤野の言葉が凛と響いた。木こり達が、顔を見合わせた。
「ああー、あいつか」「なんだ、あんたら肝試しかなんかかい?」「ほーお、あいつも有名になったもんだなあ」「んでも、すぐ見つけれるかねえ」
お雛はおやと思う。木こり達の声音が軽い。まるで、珍しい動物を見に来たのか尋ねているような口ぶりだ。藤野も、戸惑う様にこめかみをかいている。
「あー……なんだ、知ってるのか?」
「おう。知っとるで、まあこっち来て座り」
手招きされ、藤野と共に木こり達の間に座る。藤野は胡坐を、お雛が足を投げ出して座ると、一番に声をかけてきた年嵩の木こりが、代表して口を開いた。
「ありゃあ、もうずっと前からこの辺で種を渡しとる奴よ」
「ずっと前ってのは、いつからだ」
「さあ……わいのおじじが子どもの頃にはもういたっちゅうから、五十年は昔からおるだろうなあ」
藤野の言葉に、年嵩の木こりが指折り数えながら答える。
「ずいぶんと昔からいるんだな」
「この辺で仕事する奴の間じゃあ、有名よ。だから、この森で腕いらずに種を渡されたら、必ず受け取れって言われとる」
「じゃあ、みんな種を持ってるの?」
お雛の問いに、木こり達はそれぞれ頷いた。
「種を受け取れば、あいつはなぁーんもしねえで去ってくんだ。ほれ」
隣に座る木こりが腰に下げた煙草入れから種を出したので、見せてもらう。文蔵が貰ったのは黄色だったが、その木こりが持っていたのは薄茶色だった。
「おっきさは同じだけど、色が違うんだ。なんでずっと持ってるの? 試しに埋めてみたりしなかったの?」
「妖の渡してくる種なんざ、怖くて埋められるかい。ただこの種を持ってりゃ、あいつは話しかけてこないんだよ。多分だが、種をあげた奴にゃ、もう用が無いってことなんだろうよ」
種を返しながら聞くと、そんな答えが返ってきた。
つまり種を持っていなければ、また声をかけられて種を貰えるのか。なら種を持たずに何度も話しかけ、ある程度集めた後にまとめて炒ってもらうのもありか。
「塩が美味しそうだなあ……」
「やめとけ嬢ちゃんみてえな坊ちゃん。食った奴の話は聞かねえが、絶対ロクなことになんねえぞ」
「だいじょーぶ、ぼくお腹強いから! 生まれてこの方、お腹壊したことないんだよ!」
「そういう問題じゃあないと思うがね?」
隣の木こりが、首の後ろを擦りながら胡乱気な目を向ける。お雛はむき出しの腹をぽんと叩いて自慢する。そのやり取りを丸無視した藤野が、真面目腐った顔で年嵩の木こりに問いかけた。
「ってことは、受け取らなかった奴はどうなるんだ」
「連れてかれるのよ」
何てことの無いように、年嵩の木こりが答えた。
「連れてかれる。どこにだ」
「分からん。ただ、種を受け取らんかったら『わるいこ』と言われて連れてかれる。そして二度と帰ってこれん。ずっとそう言い伝えられとる」
「へー、実際連れてかれた人っているの?」
お雛のこの問いに、木こり達は首を横に振ったり、肩をすくめたりした。
「爺ちゃんの、知り合いの知り合いが連れてかれたとか聞いたな」「むかーし、誰かが連れてかれた、とか……?」「うーん……?」
「つまり、ここ最近被害は無いんだな」
「おん。種さえ受け取れば、なぁんもせんからな」
回避方法が確立されているから、上手いこと共生している。
案外、そういう話はよくある。怪異の中には、何の力も無くただひっそり存在しているものも多く、一々祓っていてはキリが無い。野生の獣と同じで、落としどころがあれば放っておくものだ。――と、前に白蜘蛛庵で聞いた。
「だからまあ、探してもいいが絶対に種は受け取るんだぞ」
「分かったよー。で、おじさん達、その腕いらずは大体、森のどの辺りに出るの?」
「さあなあ。亀森の中にしか出ねえとは知ってるが、どの辺かってのはなあ。ただまあ、歌いながら出てくるから、すぐ分かるんよ」
「歌?」
年嵩の木こりが頷いて、酒焼け声で歌いだす。かさついた唇から、童歌のような節回しの歌が流れてきた。
「いいこにかぼちゃのたねあげよ、わるいこわるいこ、かぼちゃにしよ、って感じでな。――だから、わいらの間じゃあ、連れてかれた奴は南瓜畑にでも埋められちまうんじゃねえか、って話よ」




