いざ亀森
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亀森は、壱島から『蛇』で四半刻近くかかる。珍しく乗客の少ない『蛇』の中で、お雛はのびのびと両足を伸ばしていた。車内は畳敷きなので、座っていられるのが楽でいい。
「んで、これがその種。美味しそうな匂いがするんだけどさあ、なんの種か分かんないんだよねー。藤野分かる?」
『蛇』の壁に背を預けながら、藤野に種を渡す。『蛇』の丸窓から入る陽光に種を透かし、矯めつ眇めつした後で、藤野は首を横に振った。
「胡桃っぽく見えるが、分からん。こういう種とか花なら紀平のが詳しいんだよな。でも、あいつ今日仕事だからなあ」
「あー、紀平庭方だもんね」
投げ返された種を財布に突っ込みながら、お雛は窓に視線を向ける。
赤黒い屋根瓦の奥に堂々と聳える巨大な石段が、窓の外を流れていく。上に屋敷が三つは建てられそうな平たい石が、全部で四段。最上部からはどうどうとお湯が噴き出て、下段まで流れ落ちていた。真っ白な湯気が、入道雲のように青空へ上がっていく。
赤津国一の巨大温泉、階温泉だ。国主の住まう赤灼城は、石段の影に隠れてここから伺う事はできない。
「今日は確か、二の庭の草取りするって言ってたっけ」
「ああ。今日は暑いからな、今頃汗みずくじゃないか?」
藤野も、窓に視線を向けた。片膝を立てその上に腕を乗せるという、無駄に恰好付けた姿で。
おかげで他の乗客……主に女性がちらちら藤野を見ている。なぜこいつばかりモテるのか。むかつく。腹いせに脇腹をぐぎぎと抓り上げてから、お雛は握った拳を胸の前で振った。
「城の庭ってかーなり広いもんねー。頑張れきっぺー」
今頃、青空の下で必死に草を抜いているだろう紀平を応援する。
庭園に凝っていた先々代の国主が、自ら指揮を執って造ったというだけあり、城には一の庭、二の庭……と庭が五つ。しかも、それぞれ町一つ入るくらい広い。二の庭だけとはいえ、そこの草取りをするのだから、今頃へとへとになっているだろう。
庭園は全て一般開放されているのでお雛も時々見物に行くが、一つの庭を隅から隅まで見るだけで、午前中が潰れる。そしてお腹が空く。
紀平の本業は、そんな庭を整える庭方の一人であり、祓い屋ではない。ただ霊力がある為、術を習いに白蜘蛛庵に来ているらしい。
誰に術を習っているのか、どうして数ある場所の中から白蜘蛛庵を選んだのかは、知らないが。後で聞く。絶対に。
「そういやお雛、この種を受け取ったっていう奴はどうしたんだ。まさか、種貰ってはい終わりじゃねえだろうな」
じろ、と目鬘の奥から睨まれたので、お雛はへらりと笑って手のひらを振った。
「だいじょーぶだよ、かじり銭湯紹介したから。入ってみますって言ってたし、その内入りに行くんじゃない?」
「あー、かじり銭湯な。まあ腕いらず程度の残滓なら、あそこに浸かれば落ちるか。でもなあ、せめて銭湯まで連れてってやるくらいしろよ」
「可愛い女の子相手だったらともかく、男相手にそこまで面倒見るのやだ。いい大人なんだし、自分達で行くでしょ。っていうか、腕いらずってなに?」
聞いたことが無い名だ。
藤野が呆れ顔をした。
「せめてこの辺に出る怪異の名前と性質くらい覚えとけよ……よくそれで試験通ったな」
「二十三回落ちた」
「おぉう……」
何やら形容しがたい声を藤野が上げる。今日は奇声を上げられてばっかりだ。
「続いては亀森入口、亀森入口。お降りの方は鈴を鳴らしてお知らせくださぁーい」
妙な空気になった所で、運転手の声が天井の拡声器から落ちてきた。
亀森入口の停留所で、藤野と共に降りる。
森の中心を、広い街道が真っすぐ貫いていた。絡繰獣の邪魔にならないよう、左右に並ぶ木々の枝葉は切り揃えられており、『蛇』が悠々と黄色の石畳を這って行った。
それを見送ってから、「で?」とお雛はお団子髪を揺らして首をかしげる。
「腕いらずってなに? 怨霊?」
「いや、妖」
怪異には大別して二つの種類がある。未練や恨みを呑んで死んだ魂が現世に残り、人に悪さをする怨霊。それ以外が妖。
簡単そうに思えるが、中には怨霊から妖と化す存在もいたり、そこから神と成るものもいたりして、ややこしい。試験でお雛はこれを間違いまくった。天敵だ。
試験を思い出して苦い顔をするお雛に構わず、藤野は説明を続ける。
「腕いらずは、頭全体が蔓で覆われてる。で、ずるずるっと長い身体してる。蛇みてーな癖に、両手があるから腕いらず」
まずは文蔵達が休んでいた道守のお堂を目指すべく歩きながら、お雛は笑った。
「あははっ、洒落てるねー。確かに蛇に手なんていらないもんねー」
藤野も唇を片方吊り上げ、皮肉気に笑う。
この笑みを向けられると、背がぞくぞくしてなんともたまらないのだと、白蜘蛛庵周辺に住む女性の皆々様方から大層好評らしい。
前にお雛もやってみたが、「胡散臭い」「藤様の真似は千年早い」「死にかけの狸が最後の力を振り絞って遺言を残そうとしている時の物真似」などと、散々だった。何故。
「顔ならぼくだって負けてないのに……」
「あ? なんて?」
「べーつーにー。で、その腕いらずって、出会うと種をくれる妖なの?」」
「いや? ただ腕いらずってのはどいつもこいつも好奇心旺盛で、人や別の怪異の真似をしたがるんだよ。だから、何かの真似をして種を人に渡してるのかもしれねーな」
「ふーん。腕いらずって複数いるんだ」
妖の中には、獣のように繁殖して増えるものもいる。藤野は頷いた。
「おー。群れは作らねえが、そこらにちょろちょろいるぞ。人は食わねえし弱っちいからまあ、危険は無いっちゃ無いんだが、さっき何でも真似したがるって言ったろ」
「言ったね」
ひらり、と落ちてきた葉をつまんで、口に放り込む。ちょっと苦みが強い。味の濃いのと合わせたら美味しそうだ。
「無害なもん真似るならともかく、辻斬りやら他の怪異の真似したりする時もあるから、面倒なんだよ」
「えーっと、例えば知り合いの声真似で人を迷わせる怪異の真似をして、人を迷わせたりとか?」
「そんな感じだな。あー、あれだ。タチの悪い真似ばっかするガキ」
それは大変に分かりやすい例えだった。
「成程ねー。あ、道守様のお堂みーっけ」
街道脇に、青い屋根のお堂が見えた。ぱたぱたと駆け寄る。
息を大きく吸うと、摘みたての茶のような匂いが胸いっぱいに広がった。
道守のお堂には、陽之戸大陸の道を守護する狗尾道守神が、街道を見守る為に派遣した神使が宿っている。神やその使いである神使は一様に、怪異とはまた違う上品な香りだ。
「あー……やっぱり道守様って良い匂いするー……お腹空くー……お昼食べてくればよかったー」
お堂周辺の空気を犬のように嗅いでいると、後ろ頭をすぺんと叩かれた。振り向くと、藤野が腹ぺこの犬を見るような顔をしている。
「お前、匂い嗅ぐのはいいが間違っても道守様食おうとすんなよ。涎垂れてっぞ」
どこか心配気――なお心配の対象はお雛ではなく道守様だ――に、目鬘の上に僅かに見える片眉を上げる藤野。お雛はぐいと手の甲で涎を拭った。
「だいじょーぶだいじょーぶ、食べないよお。前に食べようとしたんだけど、さざれさんに滅茶苦茶脅されたもん」
「食おうとしてんじゃねえか。……念の為聞くが、未遂だよな?」
「未遂未遂。白蜘蛛庵にさあ、羅丁様の掛け軸飾られてるじゃん。そんでさあ、『羅丁様って国守神様の神使なんだよね。どんな味がするのかなー、食べてみたいな、掛け軸食べたら羅丁様の味するのかなー』って言ったら、もーぼっこぼこ」
「ばっかお前!!」
ぎょっとした藤野に、頭を思い切りしばき倒された。
「いったぁ!?」
お雛を叩いた拍子に、藤野の目鬘がずれた。片目が陽光に晒される。
吸い込まれそうなほど美しい、藤色の瞳。外側から中心に向かって段々と濃くなっていく特徴的な色合いは、透明度の高い宝玉のよう。
「おおっ?」
「っと」
慌てた藤野が、急いで目鬘を付け直す。普通の目鬘と違い、藤野のは目の部分に色付きの玻璃が入っている。だから、初めて藤野の目の色を見た。案外綺麗だ。藤野の癖に。
「うわー、飴みたいで美味しそう! なんで隠してんの?」
「俺の事はどうでもいいんだよ! お前、羅丁様はさざれさんの檄推しだぞ!? それをお前、目の前でどんな味するとかお前!」
はあぁ、と藤野が大きく溜息を吐いて脱力した。
「…………よく生きてたなあ」
物凄くしみじみとした声だった。お雛も腕を組む。
「いやー、あの時はもう殺されるかと思った。あれでぼくはさざれさんに逆らうまいと決めた」
当時の……といっても二ヵ月前だが。あの時のさざれは本当に怖かった。笑顔なのに目はちっとも笑っておらず、銀色の瞳の中で赤橙の瞳孔が轟々と燃えていた。
壁に追い立てられて頬に片手を当てられ、
「今日は鳶の肉を食う予定は無かったのだがなあ」
と、頬にぎりぎりと爪を立てながらうっそり笑われた。『鳶』が何を指しているのか察して、即座に土下座したのは言うまでもない。
ぶんぶんと頭を振り、心寒くなる思い出を追い出す。今はそれより腕いらずだ。
「ねえ藤野、なんかこう、術でぱぱーっと探せないの? ぱーっとさあ」
お雛、紀平、藤野。三人でつるむようになってから早二ヵ月だが、術に関しては藤野が一番精通している。紀平は使える術が結界に特化しているし、お雛に至っては霊力が無いので何も使えない。
期待を込めて藤野を見ると、何やら苦虫を口に放り込んだような顔をしていた。
「あのなあ。この森に腕いらずは結構いるんだぞ。そこから手がかり無しで、目当ての一体探すのはよっぽどの術者じゃねえと無理。俺にはできねえ」
「えー? この種あるじゃん。これ使って探せないの?」
取り出した種を突きつけると、首が横に振られた。
「それは腕いらずの一部じゃなくて、あくまでそいつが差し出してきたものだろーが。貰った直後ならともかく、一日経ってんだろ? もう瘴気も散っちまってるから、術かけても探せねえよ」
怪異は、瘴気と呼ばれる気配を常にまとっている。通った道や、触った物などには瘴気がこびりつき、しばらくの間残るのだ。
ちなみに文蔵の体調不良が長引いていたのは、これにあてられたせいだろう。瘴気を浴びると体調を崩すし、人によってはしばらく寝込む。強大な怪異であれば、瘴気だけで人を死に至らしめることだってあるのだ。
藤野は肩を軽くすくめた。
「ていうかお雛、お前こそ匂いで探せねえのか」
「無理。道守様の匂いが強くて、他の匂いがぜんっぜんしない。とりあえず、お堂の奥に行ってみよーよ。腕いらずに会ったの、そっちの方だって言ってたし」
「おー。ところでお雛、目当ての腕いらず見つけたらどうする気なんだよ。種貰う気か?」
「種も貰って肉も貰う」
「押し込み強盗よりタチ悪ぃな」
懐に隠した包丁をぽんと叩いて胸を張ると、少し引いた様子の藤野にツッコまれた。
「ところで話は戻るけど藤野、なんで目隠してるの?」
「眩しがりなんだよ、ほっとけ」
「ふーん?」




