いつもの朝
うえろや うえろ かぼちゃの あたま
やろか やろか みず やろか
そだーて そだて おおきく そだて
あか き あお もも くろ みどり
たねが できたら あげに いこう
いいこの みんなに あげに いこう
わるいこ わるいこ かぼちゃに しよう
わるいこ わるいこ かぼちゃに しよう
〇 ● 〇
赤津国の国都、敷基の朝は太陽が昇る前から始まる。
朝風呂を求めて宿を出る湯治客や、色町帰りで欠伸を噛み殺している遊山客。早起きし、朝市ではしゃぐ女衆や子ども達。
明るい声がまだ薄暗い空へほどけていく中――敷基は壱島、銅音町の三ツ湯長屋の三階で、お雛はかけ布団を抱きしめ、くかーっと健やかな寝息を立てていた。
「お雛、お雛!」
鳶色の髪を扇のように枕に広げ、時々口をむにむに動かしながら健やかに寝ていたお雛の耳を、どたばたと慌ただしい足音と、大声が貫いた。
だんだん、と部屋の襖が叩かれる。お雛の眉がぴくっと動いた。
「んむ……」
「お雛、おじさん今日出かけるからな!」
「ぁー……?」
重たい瞼を無理やり押し上げる。ぼやぼやとした視界に、天井を向いた自分の手のひらが映り込んだ。
「おーい、起きてるかお雛! 起きてたらちょっとだけ顔だしてくれー!」
声はまだ聞こえてくる。お雛はのろのろ寝返りを打つと、襖までずりずりと蛞蝓のように這いずっていった。
「らにぃ……?」
襖を指先で開ける。目の前にある足が喋った。
「おじさん、ちょっと今から――」
何か言っているようなのだが、右から左へ言葉が逃げていく。
霞がかった目を、ゆっくり上へ向ける。
甚平をまとった中肉中背の身体。焦げ茶の瞳に、前髪ごと後ろに撫でつけた同色の髪。柔和な顔の中で異彩を放つ、右額に斜めに走る一寸ほどの傷跡。
「らんだぁ……おじさんかぁ……」
喋る足だと思ったら、伯父の幸左だった。畳に頬を付けたまま、お雛はへらりと笑う。
「こら、ちゃんと起きろ! とにかく、俺はもう行くからな! 多分今日は帰れないと思うから、どっか行くならちゃんと戸締りしろよ、いいな!」
「ふぁー……い……」
首をむいむい動かす。「絶対だぞ、盗人とか怖いんだからな!」と言い残し、幸左は激しい足音と共に出て行く。
残されたお雛は眠気と格闘しようとしたものの、力及ばず瞬殺された。
太陽がすっかり高い位置になったころ、お雛はようやく目を覚ました。顔にだらだら落ちる髪をかき上げ、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。
「……なんでぼくここで寝てんの?」
布団から出て畳の上で。しかも、襖を開けて片手を外へ出したまま。はて、自分はそんなに寝相が悪かったっけ?
大きく欠伸をしながら立ち上がり、布団を雑に丸めて押し入れに押し込む。
「うぐぅ……身体重い……足痛いぃー……」
ぎしぎしと身体が軋みを上げて、お雛は顔をしかめた。
昨日は、ちょっと美味しそうな怪異を見つけたので藤野、紀平と共に、昼から追いかけ回していたのだ。
見た目は綺麗な毬っぽかったが、なんと奴には足が三十本あった。丸い胴体から放射状に生えた長い足が絡まることなく器用に動き、壁を垂直に登っていく姿は感動すら覚えるほど美しかった。捕まえたが。
非常に素早かったので苦労して追いかけ、捕獲した時は既に夕日が落ちていた。白蜘蛛庵で料理してもらい、舌鼓を打って家に戻ったのは夜半過ぎ。
流石のお雛も疲労困憊。帰るなり着物も脱がず、そのまま気絶するように寝てしまったのである。
ふぁーあ、と大きく欠伸をして、ふと思い出した。
「あれ、そういや幸左おじさん、出かけるとか言ってたっけ?」
幸左は瓦版記者だ。なので、しょっちゅう取材だと言って赤津国中あちこち出かけていく。その幸左に、朝起こされて何か言われたような気がする。眠気が限界だったので、記憶が曖昧だが。
着物を脱ごうとして、衿元から漂う土と汗の臭いに気づいた。むーん、とお雛は眉を寄せる。敷基中を走り回ったせいで、すっかり汚れてしまっている。
「これは洗い屋さんに出そーっと。今日は何着よっかな」
いや、先に銭湯でさっぱりしてしまおうか。
自分の身体からも着物と同じ臭いがして、あまり気分が良くない。風呂から上がった後に新しいものを着て、気分一新しよう。
よし、と決めて着物を着直す。
「そーうと決まればあっさごーはんー。あっ、おじさん用意してくれてる!」
廊下を挟んだ向かい側の部屋は、二人で食事を取る場所だ。中央の座卓には、白米に味噌汁、それに厚焼き玉子や焼き魚、葉物のおひたしなど、おかずがたっぷりと用意されていた。
その隣には、幸左の書き置き。じゃあわざわざお雛を起こす必要は無かったのではと思うが、あんまりお雛が寝ぼけているので、これは書き置きを残さねばと思ったのだろう。
『おじさんは赤沼に行ってきます。“夢虫”のお藍が出たというので、その取材です。帰りは多分三日後くらいになると思うので、留守をよろしく。お土産買ってきます。 幸左』
「ふーん、おじさん赤沼に行ったんだ」
赤沼は、敷基から少し離れた所にある町だ。『蛇』を使っても、片道二刻|(約四時間)はかかるから、きっと幸左はまだ『蛇』の中だろう。ちなみに“夢虫”のお藍とは、最近赤津国で話題の一人働きの女盗人である。
「お土産買ってきてくれるんならいいや。さっさとご飯食べて、銭湯行こーっと」
書き置きを放り出して朝食をかっ込む。温め直すのは面倒なのでそのまま。すっかり冷めていたが、十分美味しかった。特に卵焼きが。
幸左の作る卵焼きは、牛乳と砂糖が入った甘いものだ。この辺は出汁巻きが主なので、甘い卵焼きは珍しい。お雛はどっちも好きだが、僅差で甘い方が勝つ。
あっという間に完食し、財布と新しい着物を引っ掴んで長屋を出る。皿の片付けは帰ってからだ。
お雛と幸左が住むのは四階建ての割長屋で、一階五部屋。それが共用井戸と厠を挟むようにして、二つある。外階段を軽やかに下りると、向かい長屋の二階に住んでいる喜之が、井戸端で大根を洗っていた。
日焼けした額に滲んだ汗を手の甲で拭う喜之に、近づいて声をかける。
「喜之おばさんおはよー!」
「あら雛坊、もうおはようの時間じゃないわよ。朝四つ|(十時)よ、朝四つ。もしかして、今起きたの?」
「まあね。昨日疲れちゃってさー。おばさんこそ、お昼の支度には早くない? てか、多くない?」
喜之の横には泥だらけの大根の山。ひーふーみーと数えてみたが、十本超えた所でやめた。とにかく沢山だ。
小袖の袖をからげて大根を洗いながら、喜之は「それがねえ」と苦笑する。
「さっき実家から、春大根がたんと送られてきたのさ。あたしと旦那じゃ食べきれないから、みんなに配ろうと思ってね。雛坊も食べるだろ?」
「もっちろん、ぼく何でも食べるよ! 喜之おばさんとこの春大根美味しいから、特に好き」
「嬉しいこと言ってくれるけど、一部屋一本ずつだからね」
「分かってるよお」
「後で部屋の前に置いとくからね。どっか行くんだろ? 引き留めて悪かったね」
「最初に挨拶したのぼくの方だし、気にしないで。じゃあねー! お風呂行ってきまーす!」
大根洗いに戻る喜之に手を振って、お雛は長屋の木戸を開けて外に出た。
近所には銭湯も温泉も沢山ある。陽之戸大陸一の湯治国の名は伊達ではないのだ。
今日選んだのは近所の『葦ノ湯』。温泉宿だが、宿泊客以外も温泉に入ることができる。しかも、赤津の民であることを示す木札を出せば、遊山客より安い値段で入れる。お雛のお気に入りの一つだ。
「ふはぁー……」
少し熱い湯が気持ち良い。残っていた疲れが取れていくようだ。時間帯が良かったのか、客もほとんどいない。広い湯船の中で長い手足を遠慮なく伸ばし、お雛は湯船の縁に頭を乗せる。
葦ノ湯は天井一面が玻璃張りになっていて、見上げれば空が見える。湯気の向こうから明るい陽光が差し込んで、ちゃぷちゃぷ揺れるお湯が白く光っていた。
それが、水で洗われた真っ白な春大根を思い起こさせ、お雛の腹がぐうと鳴る。もうお腹が空いた。
「今日のお昼、なに食べよっかなー」
湯の中で足をぱたぱたさせながら、うーんと悩む。
白蜘蛛庵で食べることは決めている。後は何にするかだ。
「今日あったかいし、冷たい蕎麦とかでもいいなあ。あーそだ、喜之おばさんの大根持ってって、なんか作ってもらおーっと」
そういえば、近所に新しく西極料理の店が出ていた。白蜘蛛庵でお昼を食べた後、そこに寄ってもう一度お昼を食べるのもいい。はんばーぐが食べたい。でみぐらすそーすというのが美味しかったから、またあれにしたい。
じゅわっと溢れる肉汁を思い出し、口内に唾液を溢れさせていたお雛の耳に、ふと声が飛び込んできた。
「そういやよ、文蔵の奴は大丈夫かね。一昨日より具合悪くなってるだろ、絶対。医者に診せた方がいいよなあ」
「ああ、それなんだがよ。あいつ昨日どうも、怪異かなんかに会ったらしいんだわ。それできっと、具合が悪化したんだと思うぜ」
「それ、本当かよ。いつだ?」
怪異。ご飯の話題。
顔を動かし声の出所を見る。お雛の位置から二人分ほど空けた所で若い男が二人、湯に浸かりながら何やら話していた。尻を動かし、ちょっと近づく。話し声がはっきり聞こえた。
「ほら、あいつ昨日、森で野糞垂れに行ったろ? そん時らしいぞ」
「おらぁ聞いてねえぞ。なんでお前にだけ言ったんだよ」
「お前が丁度、もっかい温泉に入りに行った時だったからなあ」
「ちぇ。俺にも話してくれりゃあいいのに、友達甲斐の無い奴だぜ」
お雛は更に近づいた。空間が一人分縮まる。男達は話に夢中になっている。
「まあ確かに、戻ってきた時に顔色悪かったよなあ、あいつ」
「な。しかもな、しかもだぞ……なんかあいつ、その怪異に種かなんか貰ったって言ってたんだよ」
「種ぇ? なんで種なんか貰うんだよ」
更に更に近づく。空間が半人分になった。
「知らねえよ。ただ、あいつがまだ具合悪いのは、その種の仕業じゃないかって、俺は考えてるんだ」
「ねえ! その話、ぼくもっと聞きたいな! 詳しく教えてよ!」
「うわっ!?」「おぉぅ!?」
わんっ、と反響した大声と、いつの間にかぴったりくっついていたお雛に、驚いた男二人がすっ転ぶ。湯船に小さな水柱が二つ立った。




