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鬼上司が、俺の家では甘えん坊になる  作者: 雨宮 弦


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18/19

第18話 上司として叱る

「篠原くん。この時刻は、誰が確定したものですか」


 透花の指が、佳孝の送った文の上で止まった。

 八月初め、会議室には岩崎と田辺もいた。店へ新しい説明資料を渡す日を決めるための打合せだった。

 佳孝は自分の控えを見た。

 火曜の午後。その時刻には、まだ、先方の担当の返事が付いていなかった。


「候補として、こちらで考えていた分です」


「送った文では、その日で進めてほしいと読めます」


 透花は静かに言った。

 佳孝は頷いた。相手が動き始める前に、条件を揃えるつもりだった。だが、送信した文に、確認中という言葉がない。

 田辺はその返事を見て、先方へ予定を伝える準備をしていた。


「すみません。俺が、先に確定したように伝えました。訂正します」


 佳孝は言った。

 透花は、お願いします、と返す。


「相手がまだ動いていないかも、確認してください。日を変えるだけで済むかどうかは、こちらだけでは分からないので」


 彼はメモを取った。

 会議室の空気は、少し固かった。

 透花は声を荒げなかったが、分かったでしょうと軽く終える顔でもない。いつ、どの返事を確かめるかまで、佳孝の言葉を待った。


「まず、田辺さんから、先方へどこまで伝わっているか確認します。その後、未確定の条件を揃えて、候補を出し直します」


 彼が答えると、透花は頷いた。


「今日中に分かったところを共有してください。まだ返事が来なければ、そこも、待っている状態で残してください」


 その次に、会議は別の確認へ移った。

 佳孝は自分の紙を見ながら、何でこうなったかを考えた。

 早く日を決めて先へ進めたかった。田辺の返事も、近い時刻でよいと言っているように読んだ。

 そして、最後は部長へ伝えれば、調整してもらえるかもしれないと、どこかで思っていた。

 そこに、私的な近さを混ぜたつもりはなかった。

 だが、言えば何とかしてもらえる相手として、先に頼ろうとしたのは自分だった。


 会議を出ると、田辺がすぐに窓口へ確認すると話した。

 佳孝も席へ戻り、今までの文を上から並べた。

 どこまでは候補で、どこから自分が決まったように書いたかが、見比べるとはっきり分かる。


「まだ、担当の手配は、始めていないそうです」


 田辺から返事が来た。

 佳孝は一度息を吐いたが、そこで終わりにはできなかった。先方にも、予定を確認し直す手間を増やした。

 自分が未確定の時刻を確定と読める文で出したことを、田辺へ改めて謝った。

 田辺は、先方の午後には別の作業も入る予定だと説明した。紙を届けるだけなら預かれても、その場で説明を聞ける担当がいるかは、まだ分からないという。


「渡したら終わりではなく、使い方まで確認する予定でしたよね」


 田辺に聞かれ、佳孝は頷いた。資料が完成する日と、相手が説明を聞ける日を、同じ一つの時刻へまとめて考えていた。

 彼は手元の表を二つへ分けた。先に社内で揃えるものと、相手の返事を受けてから決めるもの。

 届いたかどうかだけで終えると、その先で使う人の都合が抜ける。今回、自分が引き取った仕事には、そこまでが含まれていた。

 佳孝は田辺へ確認し直した内容を読み上げ、違うところがないかを確かめた。


「次に出す候補は、確認が揃った分だけにします。まだ空いているか分からないところは、別に書きます」


 彼が話すと、田辺は、そちらでお願いしますと答えた。

 相手も今日は、自分の担当へ戻っていかなければならない。佳孝は言い訳を長く付けず、いま直す内容だけを残した。


 岩崎が隣で、次の文を一度見ようかと声を掛けた。

 佳孝は頷き、できたところを渡す。

 岩崎は読んで、候補の日は分かるが、どの条件を待っているかを上へ置いた方がよいと言った。


「相手、全部読む前に、時刻だけ見そうだから」


「そうだな。俺も、それで、先に進めたし」


 二人で順番を直した。

 佳孝は自分の画面の横へ、小さな付箋を一枚貼る。

 確定、の前に疑問符を付けた。自分が見るためのものだった。

 岩崎がそれを見て、相手へ送るときは外せよと言う。


「分かってる。俺が見る用」


「そのまま写す日もあるから」


 佳孝は苦笑した。

 まだ今日は、全部気楽に笑える気分ではなかった。だが、同僚が普通に次の仕事を一緒に見てくれることには、少し救われた。


 午後、必要な返事が一つ揃った。

 残りは翌日になる。佳孝はその状態を透花へ共有した。送った場所も、いつもの業務の経路だった。

 私用の画面へ、すみませんとだけ送り、彼女に受け止めてもらう話ではない。

 誰へ何を確認し、次にいつ戻るかを、仕事として書いた。

 前の文を黙って消さず、訂正した箇所が分かる形で残した。


 透花は確認し、短く返した。


「内容を見ました。残りの返事は、明日、共有してください。今夜中に返してもらおうと、先方へ急がせる必要はありません」


 佳孝は頷いた。

 相手の夜まで使って自分の間違いを消そうとしない。それも、今日の自分が止めることの一つだった。


 退勤の時刻が来た。

 彼は画面を閉じた後も、しばらく席へいた。先日の噂を聞いたから、透花は今日は余計に厳しかったのだろうかと、一瞬考える。

 だが、自分が送った文をもう一度見れば、相手が何を指摘したかは分かる。

 本人の仕事の判断へ、こちらの不安を勝手に乗せようとしていた。

 佳孝は付箋の文字を見て、鞄を持った。


 廊下で透花と会った。

 彼女は次の日の連絡を一つ終えたところらしく、手元の紙を鞄へしまっていた。

 佳孝が頭を下げると、透花も返した。


「今日は、確認を増やしてしまいました。残り、明日、揃えます」


 彼は仕事の声で言った。

 透花は頷き、返事が来たらでよいと答えた。


「今日、どこで止まっているかは分かりました。次は、相手が動く前に、条件を分けましょう」


 それだけだった。

 彼女は別の社員へ呼ばれ、顔を向けた。佳孝も先に帰る。

 叱られたから、私的な関係まで全部失ったと考えるには、今日、自分がしたことは具体的すぎた。

 まず、自分の担当を直して戻す。そこを飛ばしたくはなかった。


 帰宅すると、隣の扉が開いた。

 透花も少し後から戻ったらしい。玄関へ荷物を置き、もう一つの袋を取りに出てきたところだった。

 彼女が佳孝を見つけ、こんばんは、と言った。

 会社の廊下より、少し柔らかい声だった。


「こんばんは。今日は、暑かったですね」


 彼が返すと、透花は頷いた。


「ええ。帰りに、冷たいものを買ってしまったわ」


 袋の上から、小さな容器が一つ見えた。

 佳孝は、これから食べる物だろうと思い、何かを頼まれたように立ち止まらなかった。

 彼女も、今日の仕事の話をその場へ続けなかった。


「では、また、明日」


 透花が言った。

 佳孝も、はい、と返した。互いの扉が、それぞれ閉まる。


 部屋へ入り、彼は一度、食卓の椅子へ座った。

 同じ人に、会議では具体的な不備を指摘され、玄関では暑かったと話した。

 佳孝は夕飯の支度を始めた。今夜直せない仕事は、明日、会社で続ける。

 冷蔵庫から出した一人分の皿を置き、明日の最初の確認だけを、自分の手帳へ書いた。

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