第12話 仕事の公平さ
採用されたのは、岩崎の案だった。
佳孝は会議の机で、自分の資料の端へ小さく線を引いた。先に使う物が決まっただけで、自分の分を全部捨てる話ではない。
分かっていたが、すぐに顔を上げるまで、少し掛かった。
「最初の三店舗では、店の担当が説明に使う分を先に整えたいです」
透花が言った。
机には、佳孝が作った一枚の図と、岩崎がまとめた質問の一覧が並んでいる。
彼の方は、売場で初めて見る人にも分かりやすい図を目指した。岩崎は、店員が繰り返し聞かれることを先に分け、返す答えを短くした。
今、窓口で困っているのは、説明する人ごとに答えが違ってしまうことだった。
「この一覧を、田辺さんと一度確かめてから出しましょう。篠原くんの図は、買う人が、どこで読むかも決めてからにしたいです」
佳孝は頷いた。
部長の声は、いつものものだった。
今日は、別の部署からも一人出席していた。
事業推進室長の橘奈都子だった。導入した後、店と社内の間で起きる困りごとを、別の仕事へ渡す役を持っている。
彼女は二つの資料を見比べ、佳孝の図の上の方を指した。
「こちら、最初に見る人を、誰にしていますか」
尋ねられ、彼は、店員と買う人の両方、と答えた。
奈都子は頷き、同じ順番でよいかをもう一度聞いた。
「店員なら、初めに取扱いの条件を知りたいかもしれません。買う方なら、自分の棚へ置けるかが先かもしれない。その一枚を、どちらから読めばよい形にしますか」
佳孝は図へ目を落とした。
両方を一度に満たそうとして、文字の位置を何度も動かした。だが、誰が最初に持つかは、曖昧なままだった。
分かりやすい一枚にしたい。その希望だけが先へ進んでいた。
「先に、使う場面を絞ります。今の導入では、店の担当向けを優先した方が、よいと思います」
自分で答えると、奈都子は頷いた。
「では、次に買う方向けを考えるとき、その図を使えそうですね。今日、全部へ広げなくてもよいので」
透花も、同じ結論だった。
自分の案が好きかどうかを聞かれていたのではない。今、必要な仕事へ合うかを見られていた。
それでも、佳孝は一瞬、残念だと思った。
先週、自分の家で笑っていた人が、今日は自分ではなく同僚の案を先に選ぶ。
そう並べて考えてしまったことに、すぐ気づいた。
家で親切にしたのは、企画を通してもらうためではなかった。
本人へ期待したつもりがなくても、二つをつなげる気持ちが、自分の中へ少しあった。
佳孝は資料から顔を上げた。
「追加で確認するのは、図を使う場所と、読む人、その二つを先にしてよいですか」
透花が頷いた。
「はい。その条件が決まれば、どこを残すかも判断しやすくなると思います。今の図を、全部作り直す前に、田辺さんへ使い方を聞いてください」
彼はメモへ書いた。
必要な質問へ戻ると、残念という気分だけで止まらずに済んだ。
奈都子は会議の終わりに、室の担当募集についても短く話した。
秋から、製品を導入した後の窓口と、社内への改善の渡し方をまとめる担当を増やす。すでに進めている体制の見直しで、近く社内へ募集の案内を出す予定だという。
必要なのは、個別の資料をきれいに作る力だけではなかった。
誰に何を確認するかを決め、返ってきたものを別の担当へ渡せること。自分で解けない問題も、止めたままにしないこと。
奈都子はその経験を見たいと話した。
「興味がある方は、募集が出たら、要件を見てください。今の担当の都合もあるので、先に気軽に移れると決める話ではありませんが」
会議へ出ていた皆が、案内の時期を書き留める。
佳孝も手帳へ一行残した。
今すぐ応募を決めたわけではない。だが、図を作った後に何をするかを考える仕事には、少し興味があった。
席へ戻ると、岩崎が採用された一覧を広げた。
「これ、出す前に、もう一回、見てくれる? 自分では、答え、全部同じ順番にしたつもりなんだけど」
佳孝は頷いた。
彼は一覧を受け取り、一つずつ読んだ。
「ここだけ、先に説明の理由が来てる。ほかは、答えが先だから」
「あ、本当だ。そこ、後で足した」
岩崎が書き直した。
逆に、佳孝の図で使った言葉も一部もらってよいかと聞かれる。短くした方が分かる箇所があった。
彼はよいと答えた。
自分の案が一枚そのまま採用されなくても、使えるものは別の形へ入る。
岩崎も、それを自分一人で作ったことにはせず、確認した経緯を残していた。
田辺へ送る前、二人で一度、質問する役と答える役を分けて読んだ。
佳孝は初めて見る店の担当のつもりで、上から尋ねる。
岩崎は答えながら、途中で言いづらくなった所へ印を付けた。
声に出すと、目で読むだけでは気づかなかった長さがあった。
「ここ、二つに分けよう。俺、息、続かない」
岩崎が言った。
佳孝は笑い、一文を短くした。
ただきれいな資料にしたいのではなく、相手が実際に使える物へする。その途中に、自分の役目もあった。
午後、田辺から追加の返事が来た。
先に質問を分けてもらえたので、店側へ確認する内容も揃えやすいという。
佳孝は自分の図を見て、買う人が見る場所について、別に聞きたいことをまとめた。
どこへ置くか。誰が手渡すか。どの説明の後で見せるか。
一つ答えが出ると、図の上へ全部載せなくてもよい文字が見つかった。
透花へ報告すると、彼女は削った理由を聞いた。
佳孝が答えると、それなら次の版で見せてください、と返る。
採用されなかったから、もう見てもらえない話ではない。
かといって、家でコーヒーを飲む約束があるから、次は通ると決まったわけでもなかった。
彼は、確認した条件と一緒に出します、と答えた。
退勤の支度をしていると、奈都子から室の窓口を知らせる短い共有が来た。
会議へいた全員に向けたものだった。
佳孝は受け取りの返事を送り、募集の案内が出る時期だけを手帳へ写した。
自分が今、何をしたいかは、もう少し考えてよかった。
帰り道、彼はいつもコーヒーを買う店へ寄った。
家の分が少なくなっていた。来週の水曜、透花と飲む予定もある。
いつものものを一つ手に取り、今日は自分で選んだ甘い菓子も少しだけ買った。
自宅へ着くと、手帳の水曜の予定へ目が留まった。
七時半から、コーヒー。
仕事の案の採否は、そこへ書かれていない。
彼は買ってきたものを棚へ入れ、黄色いマグの横へ置いた。
会社では、理由を聞き、自分で直す。
この部屋では、同じ人と何を話したいかを、自分で選ぶ。
どちらも、相手が自分へ優しくするかどうかだけで決めたくはなかった。
佳孝は夕飯を済ませ、今日の図を家で開き直す代わりに、少しだけ散歩へ出た。
夜の店先へ、収納用品が並んでいた。急いで仕事へ戻るつもりはなかったが、箱のどこに最初の説明があるか、自然と目が向く。
誰かの返事を待つだけでなく、自分で確かめられるところもある。
彼は気づいたことを一行だけメモし、端末をしまった。
隣の棚には、小さな箱と大きな箱が、ほとんど同じ写真をつけて並んでいた。
佳孝は自分が買うつもりで、二つを比べた。
正面の写真では、どちらも同じくらいの大きさに見える。横へ回して初めて、寸法が違うと分かった。
自分の棚に入るか、先に確かめたい。
奈都子が会議で言っていたことが、その場で、初めて買う人の気持ちになった。
図へ必要な情報を全部入れたつもりでも、相手が最初に探す場所にないなら、見つけてもらえない。
彼は箱を戻し、棚から一歩離れた。
仕事の成果にするために、今から細かな観察を続ける気はなかった。ただ、今日、自分の資料が先に選ばれなかった理由が、少し具体的になった。
店を出たところで、岩崎から連絡が来た。
次の休日に行く予定の店が、混む時間を避けるなら、少し早い方がよさそうだという。
仕事の一覧とは別の、私用の連絡だった。
佳孝は予定を見て、その時刻なら行けると返した。
『今日、見直してくれて助かった』
続けて届いた一文に、彼は少し考えてから返事をした。
『最初は、ちょっと悔しかった。でも、使う人を決めたら、お前の案が先でよかったと思う』
送るまでに、少し迷った。
素直に礼だけ言えばよいところを、余計な話にしたかもしれない。
岩崎からは、短い返事が来た。
『俺も、そっちの図、見やすいと思ったよ。次、使う場所が決まったら、また見せて』
佳孝は画面を読み、歩く速さを少し落とした。
彼は、分かった、と返し、今度こそ端末を鞄へ入れた。
今夜の残りは、仕事の続きに使わず帰ることにした。




