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鬼上司が、俺の家では甘えん坊になる  作者: 雨宮 弦


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12/18

第12話 仕事の公平さ

 採用されたのは、岩崎の案だった。

 佳孝は会議の机で、自分の資料の端へ小さく線を引いた。先に使う物が決まっただけで、自分の分を全部捨てる話ではない。

 分かっていたが、すぐに顔を上げるまで、少し掛かった。


「最初の三店舗では、店の担当が説明に使う分を先に整えたいです」


 透花が言った。

 机には、佳孝が作った一枚の図と、岩崎がまとめた質問の一覧が並んでいる。

 彼の方は、売場で初めて見る人にも分かりやすい図を目指した。岩崎は、店員が繰り返し聞かれることを先に分け、返す答えを短くした。

 今、窓口で困っているのは、説明する人ごとに答えが違ってしまうことだった。


「この一覧を、田辺さんと一度確かめてから出しましょう。篠原くんの図は、買う人が、どこで読むかも決めてからにしたいです」


 佳孝は頷いた。

 部長の声は、いつものものだった。


 今日は、別の部署からも一人出席していた。

 事業推進室長の橘奈都子(たちばななつこ)だった。導入した後、店と社内の間で起きる困りごとを、別の仕事へ渡す役を持っている。

 彼女は二つの資料を見比べ、佳孝の図の上の方を指した。


「こちら、最初に見る人を、誰にしていますか」


 尋ねられ、彼は、店員と買う人の両方、と答えた。

 奈都子は頷き、同じ順番でよいかをもう一度聞いた。


「店員なら、初めに取扱いの条件を知りたいかもしれません。買う方なら、自分の棚へ置けるかが先かもしれない。その一枚を、どちらから読めばよい形にしますか」


 佳孝は図へ目を落とした。

 両方を一度に満たそうとして、文字の位置を何度も動かした。だが、誰が最初に持つかは、曖昧なままだった。

 分かりやすい一枚にしたい。その希望だけが先へ進んでいた。


「先に、使う場面を絞ります。今の導入では、店の担当向けを優先した方が、よいと思います」


 自分で答えると、奈都子は頷いた。


「では、次に買う方向けを考えるとき、その図を使えそうですね。今日、全部へ広げなくてもよいので」


 透花も、同じ結論だった。

 自分の案が好きかどうかを聞かれていたのではない。今、必要な仕事へ合うかを見られていた。


 それでも、佳孝は一瞬、残念だと思った。

 先週、自分の家で笑っていた人が、今日は自分ではなく同僚の案を先に選ぶ。

 そう並べて考えてしまったことに、すぐ気づいた。

 家で親切にしたのは、企画を通してもらうためではなかった。

 本人へ期待したつもりがなくても、二つをつなげる気持ちが、自分の中へ少しあった。


 佳孝は資料から顔を上げた。


「追加で確認するのは、図を使う場所と、読む人、その二つを先にしてよいですか」


 透花が頷いた。


「はい。その条件が決まれば、どこを残すかも判断しやすくなると思います。今の図を、全部作り直す前に、田辺さんへ使い方を聞いてください」


 彼はメモへ書いた。

 必要な質問へ戻ると、残念という気分だけで止まらずに済んだ。


 奈都子は会議の終わりに、室の担当募集についても短く話した。

 秋から、製品を導入した後の窓口と、社内への改善の渡し方をまとめる担当を増やす。すでに進めている体制の見直しで、近く社内へ募集の案内を出す予定だという。

 必要なのは、個別の資料をきれいに作る力だけではなかった。

 誰に何を確認するかを決め、返ってきたものを別の担当へ渡せること。自分で解けない問題も、止めたままにしないこと。

 奈都子はその経験を見たいと話した。


「興味がある方は、募集が出たら、要件を見てください。今の担当の都合もあるので、先に気軽に移れると決める話ではありませんが」


 会議へ出ていた皆が、案内の時期を書き留める。

 佳孝も手帳へ一行残した。

 今すぐ応募を決めたわけではない。だが、図を作った後に何をするかを考える仕事には、少し興味があった。


 席へ戻ると、岩崎が採用された一覧を広げた。


「これ、出す前に、もう一回、見てくれる? 自分では、答え、全部同じ順番にしたつもりなんだけど」


 佳孝は頷いた。

 彼は一覧を受け取り、一つずつ読んだ。


「ここだけ、先に説明の理由が来てる。ほかは、答えが先だから」


「あ、本当だ。そこ、後で足した」


 岩崎が書き直した。

 逆に、佳孝の図で使った言葉も一部もらってよいかと聞かれる。短くした方が分かる箇所があった。

 彼はよいと答えた。

 自分の案が一枚そのまま採用されなくても、使えるものは別の形へ入る。

 岩崎も、それを自分一人で作ったことにはせず、確認した経緯を残していた。


 田辺へ送る前、二人で一度、質問する役と答える役を分けて読んだ。

 佳孝は初めて見る店の担当のつもりで、上から尋ねる。

 岩崎は答えながら、途中で言いづらくなった所へ印を付けた。

 声に出すと、目で読むだけでは気づかなかった長さがあった。


「ここ、二つに分けよう。俺、息、続かない」


 岩崎が言った。

 佳孝は笑い、一文を短くした。

 ただきれいな資料にしたいのではなく、相手が実際に使える物へする。その途中に、自分の役目もあった。


 午後、田辺から追加の返事が来た。

 先に質問を分けてもらえたので、店側へ確認する内容も揃えやすいという。

 佳孝は自分の図を見て、買う人が見る場所について、別に聞きたいことをまとめた。

 どこへ置くか。誰が手渡すか。どの説明の後で見せるか。

 一つ答えが出ると、図の上へ全部載せなくてもよい文字が見つかった。


 透花へ報告すると、彼女は削った理由を聞いた。

 佳孝が答えると、それなら次の版で見せてください、と返る。

 採用されなかったから、もう見てもらえない話ではない。

 かといって、家でコーヒーを飲む約束があるから、次は通ると決まったわけでもなかった。

 彼は、確認した条件と一緒に出します、と答えた。


 退勤の支度をしていると、奈都子から室の窓口を知らせる短い共有が来た。

 会議へいた全員に向けたものだった。

 佳孝は受け取りの返事を送り、募集の案内が出る時期だけを手帳へ写した。

 自分が今、何をしたいかは、もう少し考えてよかった。


 帰り道、彼はいつもコーヒーを買う店へ寄った。

 家の分が少なくなっていた。来週の水曜、透花と飲む予定もある。

 いつものものを一つ手に取り、今日は自分で選んだ甘い菓子も少しだけ買った。


 自宅へ着くと、手帳の水曜の予定へ目が留まった。

 七時半から、コーヒー。

 仕事の案の採否は、そこへ書かれていない。

 彼は買ってきたものを棚へ入れ、黄色いマグの横へ置いた。


 会社では、理由を聞き、自分で直す。

 この部屋では、同じ人と何を話したいかを、自分で選ぶ。

 どちらも、相手が自分へ優しくするかどうかだけで決めたくはなかった。


 佳孝は夕飯を済ませ、今日の図を家で開き直す代わりに、少しだけ散歩へ出た。

 夜の店先へ、収納用品が並んでいた。急いで仕事へ戻るつもりはなかったが、箱のどこに最初の説明があるか、自然と目が向く。

 誰かの返事を待つだけでなく、自分で確かめられるところもある。

 彼は気づいたことを一行だけメモし、端末をしまった。

 隣の棚には、小さな箱と大きな箱が、ほとんど同じ写真をつけて並んでいた。

 佳孝は自分が買うつもりで、二つを比べた。

 正面の写真では、どちらも同じくらいの大きさに見える。横へ回して初めて、寸法が違うと分かった。

 自分の棚に入るか、先に確かめたい。

 奈都子が会議で言っていたことが、その場で、初めて買う人の気持ちになった。

 図へ必要な情報を全部入れたつもりでも、相手が最初に探す場所にないなら、見つけてもらえない。

 彼は箱を戻し、棚から一歩離れた。

 仕事の成果にするために、今から細かな観察を続ける気はなかった。ただ、今日、自分の資料が先に選ばれなかった理由が、少し具体的になった。

 店を出たところで、岩崎から連絡が来た。

 次の休日に行く予定の店が、混む時間を避けるなら、少し早い方がよさそうだという。

 仕事の一覧とは別の、私用の連絡だった。

 佳孝は予定を見て、その時刻なら行けると返した。


『今日、見直してくれて助かった』


 続けて届いた一文に、彼は少し考えてから返事をした。


『最初は、ちょっと悔しかった。でも、使う人を決めたら、お前の案が先でよかったと思う』


 送るまでに、少し迷った。

 素直に礼だけ言えばよいところを、余計な話にしたかもしれない。

 岩崎からは、短い返事が来た。


『俺も、そっちの図、見やすいと思ったよ。次、使う場所が決まったら、また見せて』


 佳孝は画面を読み、歩く速さを少し落とした。

 彼は、分かった、と返し、今度こそ端末を鞄へ入れた。

 今夜の残りは、仕事の続きに使わず帰ることにした。

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