【第09話】トトラド草
トトラド村から逃げ出した一行は、山を下った先にある街──キーリカへとたどり着いた。
大陸でも有数の規模を誇る都市だ。夕暮れの灯りが石畳を橙に染め、露店からは焼き肉の香ばしい匂いが流れてくる。
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、あまりに平和だった。
宿屋に二部屋を取り、そのうちの一室に全員が集まる。
「お前ら……なんか、知ってただろ?」
開口一番、レイが低く言った。視線は鋭いまま、ユイとカイルを射抜く。
あの村で感じた違和感が、まだ胸の奥に残っている。
「知らねぇよ。あんな村、俺だって初耳だ」
カイルは肩をすくめたが、その軽さはどこかぎこちない。
「ユイ、お前は?」
「私も……同じです」
「嘘をつくな」
短く、断じる。
「俺は行き先を誰にも話していない。なのに、なぜ知っていた?」
「レイ様の行き先を占っただけです。そこに何があるかまでは──」
「都合のいい占いだな」
空気が張り詰める。
「やめなさいよ!」
リズが割って入った。
「ユイちゃんの魔法があったから、あそこから逃げられたんでしょ!」
「その魔法も怪しい」
レイは視線を外さない。
「あの規模、子供一人で扱えるものじゃない。熟練の魔術師が十人いても難しいレベルだ」
「……無我夢中で」
ユイは小さく言う。視線がわずかに揺れた。
「私にも、よくわからないんです」
「ユイちゃんばっか責めないでよ! そもそもあんたが──」
「俺一人なら問題なかった」
即答だった。
「だから“ついてくるな”と言ったんだ」
その言葉が、部屋の温度を一段下げる。
──違う。
カイルは無意識に歯を食いしばった。
本当はわかっている。
“今のレイ”ではなく、“昔のレイ”の話だ。
あの力があれば、逃げる必要すらなかった。
村ごと、まとめて消し飛ばせたはずだ。
だが──
(……俺は)
何もできなかった。
「それで?」
リズが腕を組む。
「怪しい奴ら、二人とも逃がしてるじゃない。まさか村人いじめて遊んでたわけ?」
「……お前らが足を引っ張らなければ、一人はやれていた」
レイの声は淡々としている。だが、そこに迷いはない。
「魔王教だか何だか知らないが──」
「魔王教? 面白そうな話をしてるね、君たち」
不意に、声が割り込んだ。
全員が振り返る。
戸口に、一人の男が立っていた。
眼鏡に、黄土色の髪。帽子を被った、どこか学者めいた風貌。
まるで、最初からそこにいたかのような自然さだった。
「なんだ貴様。盗み聞きか? ……刺客か?」
レイの手が、迷いなく剣に伸びる。
「この安宿で防音もかけずに騒いでたら、そりゃ聞こえるよ」
男は肩をすくめた。
「周りに誰もいないからって、油断しちゃいけない」
「チッ……」
「よかったら、もう少し詳しく聞かせてくれないかい? 力になれるかもしれない」
「怪しいなぁ……」
カイルがぼやく。
「まあまあ。じゃあ、こっちから話そうか」
男は勝手に椅子に腰を下ろし、続けた。
「君たち、“トトラド草”って知ってる?」
「ハイランド高原の薬草よね。あの村でも育ててたわ」
リズが答える。
「そう。それが何に使われるかは?」
「麻薬みたいなもんだろ? 昔、それを広めようとした組織を潰したことがある」
「……あんたにそんなことできるわけないでしょ」
即座にリズが切る。
「単体なら軽い眠気を誘う程度。せいぜい眠剤だね」
「あれぇ?」
カイルが間の抜けた声を出す。
「で、それがどうした」
レイが促す。
「その草に、魔法を組み合わせるとね」
男は少しだけ声を落とした。
「厄介な効果が出る。意識を飛ばして、まるごと操れる。煎じて香にすれば──オンオフも自由自在だ」
「は?」
空気が凍る。
さっきまで漂っていた肉の匂いが、やけに遠く感じた。
「つまり……あの村の人たちは」
「魔王教の実験だろうね」
あっさりと、言い切る。
「洗脳と操りのテスト。あれはその段階だ」
「よく知ってんな」
カイルが警戒を強める。
「……トトラド草には、ちょっとした因縁があってね」
「ちょっと?」
ユイが首をかしげる。ほんのわずか、表情に影が差す。
「怪しいな。斬るか」
レイが剣を抜きかける。
「ま、待て待て待て!!」
カイルが慌てて止めた。
「その効果に最初に気づいたのは、僕ともう一人」
男は続ける。
「そいつが魔王教に売り込んだ。今じゃ、どこの村にも間者がいるって噂さ」
「じゃあ……あんたがその間者?」
「正確には“魔王教の司祭”ってことになってる」
さらりと言った。
「肩書だけだけどね。目くらましにはなる」
レイの指先が、強く柄を握る。
「やはり斬る」
「だから待てって!!」
カイルが叫ぶ。
「……目的は?」
レイが問う。
「んー……」
男は少しだけ考え、笑った。
「そいつに一泡吹かせたい、ってところかな。軽い嫉妬だよ」
その目だけが、笑っていなかった。
温度のない視線が、一瞬だけ空気を刺す。
「ノーランっていうんだ」
男は軽く手を挙げた。
「よかったら、仲間にしてくれないか」
「あらあらまあまあ」
「強引だなぁ……」
カイルとユイが同時に呟く。
「旅は道連れって言うだろ?」
ノーランはにやりと笑った。
「お互い助け合おうじゃないか」
「……勝手にしろ」
レイは興味を失ったように視線を逸らす。
こうして、やたら軽い学者肌の男──ノーランが、なし崩し的に一行へ加わった。




