【第44話】神の成れの果て
赤い槍が、イシュタルの体を貫いた。
確かな手応えだった。
神すら穿ったはずの一撃。
だが──
「ひええ。このままでは……」
イシュタルが呟く。
一瞬だけ、苦しげに顔を歪めた。
次の瞬間。
「なんちゃって」
笑った。
爆ぜる。
トラヴィスの体が、跡形もなく砕け散った。
血も肉も残らない。完全な消滅だった。
「人間ごときのおままごとで、私をどうこうできるわけないでしょうが」
退屈そうに髪を払う。
「まあ、ちょっと驚いたから褒めてあげるけど」
余裕だった。
完全に。
だが。
次の瞬間。
「……ア、レ……?」
イシュタルの動きが止まる。
わずかに表情が歪んだ。
その声は──イシュタルのものではない。
「本当に鈍いな、神というものは」
低い声。
体の内側から響く。
「……あんたが俺を殺すことによって、乗り移ることができるんだよ」
カイルの目が見開かれた。
イシュタルが、自分の体を押さえる。
「……なにを……」
声が揺れる。
初めてだった。
今まで一度も見せなかった、はっきりした動揺。
その瞬間。
視線が、カイルへ向く。
「今がチャンスだぞ、カイル」
トラヴィスの声。
カイルは歯を食いしばった。
「ああ……わかってる」
一歩、踏み出す。
「ごめんな、イシュタル」
腕輪が光る。
虚無が、開く。
空間が黒く裂けた。
すべてを呑み込む穴。
イシュタルの体が、そこへ引き込まれていく。
「ふざけ──」
その声は途中で途切れた。
完全に、消える。
静寂。
カイルはその場に膝をついた。
呼吸が荒い。
視界が揺れる。
腕輪を使った反動が、じわじわと全身を蝕んでいく。
だが。
黒い塊が、そこに残っていた。
蠢く。
脈動する。
そして次の瞬間、それは形を変えた。
巨大な影。
翼。
牙。
黒いドラゴンだった。
咆哮が響き、空間がびりびりと震える。
「やっぱ全部は無理か……」
虚無に呑み込めたのは、あくまで大半だけだ。
腕輪の力にも、カイルの体にも限界がある。
神の残滓を根こそぎ消すには、届かなかった。
カイルは苦笑する。
だが、もう体が動かない。
力が抜けていく。
意識まで遠のいていく。
ドラゴンが迫る。
「ここで、終わりか……」
その時だった。
「──忘れてもらっては困る」
声が響く。
ドラゴンの前に、人影が立った。
エミル。
その後ろに、リリィ、クレイン、セレナ。
「僕たちもいるんだ」
エミルが剣を構える。
ドラゴンが爪を振るう。
受け止める。
だが、弾き飛ばされた。
「しかし……倒せんのか、こんなやつ」
クレインが舌打ちし、薬や爆弾をありったけ投げつける。
リリィとセレナが魔法を展開した。
「このままじゃヤバいですよ、エミル様!」
炎。
氷。
雷。
だが、ほとんど効いていない。
ドラゴンが突進する。
地面が抉れる。
エミルが踏みとどまる。
押される。
歯を食いしばる。
このままでは──
その時。
ドラゴンの横っ面に、火球が叩き込まれた。
巨体が、わずかに揺れる。
意識がそちらへ逸れた。
「役立たずのままで終わる気はないわよ」
リズが言った。
さらに。
ふっと、体が軽くなる。
痛みが引く。
力が戻る。
いや──それ以上だ。
内側から、何かが湧き上がってくる。
振り向く。
そこに立っていたのは、銀髪の少女。
ユイだった。
「そのまま、行ってください」
静かな声。
エミルが頷く。
「……ああ」
一歩、踏み出す。
ドラゴンが咆哮する。
迫ってくる。
だが。
今なら見える。
隙が。
「終わりだ」
エミルが剣を振るう。
一閃。
黒い体が切り裂かれる。
ドラゴンの咆哮が、そこで断ち切られた。
巨体が崩れる。
霧のように、消えていく。
静寂。
誰もすぐには動かなかった。
ただ、その場に張りつめた沈黙だけが残る。
セレナが、ぽつりと呟いた。
「トラヴィス……いや」
目を閉じる。
「神の成れの果て、か……」
誰にともなく落ちたその言葉は、
静かに消えていった。




