【第42話】顕現
神殿の奥。
壊れかけた祭壇の前に、椅子がひとつだけ置かれていた。
そこにルナが足を組んで座っている。
──いや。
中身は、ルナではない。
イシュタルだ。
「あーあ」
ルナの顔のまま、大きく伸びをする。
「結構複雑な洗脳かけたのに、すぐ破られちゃった」
つまらなさそうに天井を見上げる。
亀裂だらけの石天井から、細かな粉がぱらぱらと落ちていた。
「ほんと、つまんないー」
ゼノは槍を構えたまま、睨みつける。
その横で、レイが剣を肩に乗せた。
力の抜けた姿勢。しかし視線だけは鋭く、微動だにしない。
「てかレイお兄様」
イシュタルがにやりと笑う。
「やっぱり洗脳、効いてなかったな?」
「まあな」
レイは肩をすくめる。
「最初の方は効いてたがな」
「くっそー」
ルナの顔が、露骨に歪む。
「やたらカイムに都合よく進むと思ったら」
そして、ふとゼノを見る。
「てかゼノ?」
首をかしげた。
「あんたのほんとの名前って何なの?」
ゼノは、間を置かず答える。
「ゼノだよ」
一瞬、静寂。
次の瞬間。
「ブラフか!」
イシュタルが地団太を踏んだ。
「くっそー! 心読むの縛るんじゃなかった!」
拳を振り回す。
完全に子供の癇癪だった。
神の威厳など、どこにもない。
だがその視線が、ふとゼノの腕に止まる。
「てかその腕輪、何なの?」
『あんたがやったんでしょ』
「そうだっけ?」
イシュタルは首をひねる。
「まあいいや」
にやりと笑う。
「というわけで」
表情が、すっと冷えた。
「死ね!」
空気が歪んだ。
ルナの体から、魔力が噴き出す。
床の石が軋み、祭壇に亀裂が走る。
「来るぞ」
ゼノが低く言う。
──次の瞬間。
イシュタルの姿が消えた。
レイの背後に、出現。
槍が振り下ろされる。
ギィン!!
レイが受け止めた。
衝撃で床が割れる。
「速えな」
レイが笑う。
「あたし神よ? あなたより偉いの!」
『調子に乗って!』
イシュタルが槍をひねる。
衝撃。
レイが後方へ滑る。
その隙を突いて。
雷撃。
ゼノが槍で弾く。
青白い火花が散った。
「厄介だな」
「そう? まだ遊んでるだけだけど?」
イシュタルが指を鳴らす。
空中に魔法陣が展開され、火球が十数個浮かび上がる。
「死ね」
一斉に放たれる。
レイが斬り払う。
ゼノが身を翻す。
爆発。
柱が崩れ、視界が煙に包まれる。
その中から──
蹴り。
「ぐっ……!」
ゼノの脇腹に直撃。
吹き飛ばされる。
「弱い弱い!」
イシュタルが笑う。
「そんなもんで神に勝てると思ってるの?」
雷が走る。
床が裂ける。
レイが踏み込む。
剣が閃く。
イシュタルが受ける。
火花。
衝撃。
弾かれる刃。
そこへ。
ゼノの槍。
イシュタルが身体をひねる──が、間に合わない。
頬が裂けた。
「……へえ」
イシュタルが笑う。
「やるじゃん」
魔力が膨れ上がる。
神殿の空気が震え、砂がふわりと浮いた。
「でも」
目が光る。
巨大な魔法陣が、神殿全体を覆う。
レイの目が細くなる。
『ゼノ』
「わかってる」
二人が同時に動いた。
レイが斬り込む。
イシュタルが受ける。
その一瞬の隙に。
ゼノの槍が、背後から突き出される。
肩を貫いた。
イシュタルがよろめく。
レイの剣が、首元へ。
だが──
レイの動きが、止まる。
ゼノが叫ぶ。
「このまま倒していいんだな、ルナ!」
腕輪が光る。
『お願い!』
ルナの声。
『やっちゃって!』
レイが息を吐く。
「悪いな!」
剣が振り下ろされる。
ゼノの槍が突き刺さる。
鈍い音が、神殿に響いた。
ルナの体が、ぐらりと揺れる。
「ぐえー」
イシュタルが笑った。
「なんつって」
その体が崩れる。
煙のように。
輪郭がほどけて、消えていく。
──消えた。
神殿に、静寂が落ちる。
崩れた柱の破片が転がる音だけが、やけに長く響いた。
レイが息を吐く。
「……終わったか」
「いや」
声。
二人が振り向く。
柱の影から、男が歩いてくる。
白衣。
バルドルだった。
「お前らはバカだ」
静かに笑う。
「イシュタル様の顕現の」
ゆっくり天井を見上げる。
「最後の一押しをしてしまった」
レイが眉をひそめる。
「どういうことだ」
バルドルは楽しげに答える。
「イシュタル様が神の体を得るには」
一拍、間を置いた。
「人間の体を──捨てねばならん」
レイの目が細くなる。
「……なるほど」
剣を肩に乗せ直す。
「俺たちが倒したことで、それをきっかけに顕現するってわけか」
バルドルが笑う。
「お前は知っていたんじゃないのか、ゼノ」
ゼノは答えない。
ただ、黙って立っている。
「まあいい」
バルドルが肩をすくめた。
「どうせ」
そのとき。
神殿の天井が、低く軋んだ。
空気が重くなる。
石の粉が、静かに降り始める。
「すべて終わるからな」




