【第41話】ルナの声
気付けば、見覚えのある神殿に立っていた。
白い石柱。高い天井。
天窓から差し込む光が、磨き上げられた床に長い影を落としている。
冷たい空気が肺に入る。
石の匂いが、かすかに鼻を刺した。
──イシュタリア神殿。
ゼノは、ゆっくりと息を吐く。白い吐息が、すぐに溶けた。
「……ルナか」
祭壇の前に、少女が立っている。
長い髪。穏やかな笑み。
何も変わっていないかのような、あの顔で。
「久しぶりね、ゼノ」
「俺を殺すつもりか」
ルナは肩をすくめた。
「怖いこと言わないで? 私はもう少しで、完全に意識がなくなってしまうのよ」
寂しげな声音。
だが、否定しきれない妙な“真実味”があった。
「イシュタルさまに頼んで、ゼノと一緒にいさせてもらうことにしたの」
「そうか」
短い返答。
それ以上、言葉は続かない。
「ねえ、ゼノ」
ルナが一歩近づく。
「イシュタルさまに、もう一度忠誠を誓いましょう? 今までのことは、特別に水に流していただけるわ」
ゼノは、槍を構えた。
「なあ、ルナ」
静かに告げる。
「俺の名前、ゼノじゃないんだ」
次の瞬間。
槍が一直線に突き出された。
空気を裂く鋭撃。
──だが。
ルナの姿が、揺れた。
信じられないほど軽い動きで、横へ逸れる。
「だっ、だって敵の人たちにゼノって名乗ってたじゃない!」
「あれはお前がつけた名前だ」
吐き捨てる。
「イシュタル」
その一言で、空気が変わった。
ルナの表情が、わずかに歪む。
「チッ」
舌打ち。
「モブの名前なんて、いちいち覚えてられるかっての」
次の瞬間。
ルナの姿が霧のように消えた。
残ったのは、静まり返った神殿と――
くすくすと響く笑い声だけ。
「第2ラウンド開始」
声が告げる。
「頑張って生き残ってね」
空気が震えた。
床が軋む。
殺気が、一直線に走る。
──直後。
目の前に、再びルナが現れる。
だが今度は。
手に、剣を持っていた。
「お前が剣を使うとは、珍しいな」
答えはない。
ただ、剣が振り下ろされた。
ギィン!!
槍で受け止める。
重い。
ゼノの眉が、わずかに動く。
(速い……)
二撃、三撃。
剣。魔法。間合い。
流れるような連携。
まるで、熟練の戦士。
(違う)
ゼノの思考が、わずかに揺れる。
イシュタルは、もっと雑だ。
力任せで、押し潰す戦い方。
だがこれは。
無駄がない。整っている。
まるで――
(別人……?)
火球が飛ぶ。
横へ転がる。
槍を突く。
剣で弾かれる。
蹴りが来る。
神殿の床を滑りながら、ゼノは舌を噛んだ。
「くっ……」
息が荒くなる。
押されている。
確実に。
そのとき。
ルナが、腕を差し出した。
そこにあったのは――腕輪。
「……なんのつもりだ?」
答えはない。
再び斬撃。
防ぐので精一杯だ。
追い詰められていく。
柱。
壁。
逃げ場が消える。
背中が、冷たい石壁に触れた。
そして。
ルナが、もう一度、腕輪を差し出す。
まるで――取れと言っているように。
「受け取れということか?」
罠かもしれない。
イシュタルの策なら、叩き落とすべきだ。
だが。
ゼノの手は、止まらなかった。
腕輪を掴む。
その瞬間。
『やっと気づいたか、バカ』
思考が止まる。
この声。
間違えるはずがない。
「……ルナ?」
『ずっとヒント出してたのになー』
懐かしい声だった。
遠くにあったはずのそれが、
今はすぐ隣で響いている。
ゼノは無意識に腕輪をはめた。
その瞬間。
目の前の“ルナ”の動きが止まる。
──違う。
止まったのは、相手じゃない。
見え方が、変わった。
ゼノはゆっくり息を吐く。
構え。
動き。
呼吸。
全部。
覚えがある。
「ルナじゃなかったのか」
ゆっくりと顔を上げる。
「万能勇者」
目の前の人物が、わずかに口元を歪めた。
「やっと気づいたか」
そこに立っていたのは――
レイだった。




