37.水嵐
―――しかし、それを川向うから、潜んでみている、二人があった。
「んー、どうする、晴夏センセ?ヤバいよアレ。助けに行かなきゃ」
「待ってって紅葉さん。アレ私達が行っても変わりゃしない。相手がさらに手数増やすだけだよ」
月守晴夏と、暁烏紅葉であった。
晴夏の幻術でうまく目くらましをして、気づかれないように、土手の叢の中に潜んでいるのである。
月守晴夏は、明日の準備を終えて下校中に。
そして暁烏紅葉は、買い出しの最中に。
その気配に気が付いて、慌ててやってきて、この現場に出くわしたのであった。
二人とも既知である。晴夏は星嶺学園の先生で、『さんらいず』の常連であったから、紅葉とは既に顔馴染みが長かった。共闘するに躊躇いは無い。
晴夏は風船ガムを膨らましながら、きついアイラインを引いた眼で若女将を見た。
「…紅葉さん。紅葉さんが幾ら烈風の術者だからって、あの水人形全部相手に出来る?もう百近くになってるよアレ」
「…キリないといっても、でも」
「あの二人には悪いけどギリギリまで耐えて貰う」
晴夏は冷静な眼をしていた。
「あの式神、多分自分でトドメ刺そうとすると思うわ。余り気が長いようにも見えないから、ある程度で多分トドメを刺しにかかる。でもそこで絶対油断する」
「…」
「そこで紅葉さん背後から強襲。一撃トビキリ喰らわせて。それでも多分アイツは死なない。油断してない可能性もある。けど私達はまだ気づかれてない。一撃食らわすチャンスはある。でもともかく、相手の腕か足、どれか一本、殺って。それは最低限」
晴夏の言葉に、紅葉は首を傾げる。
だが晴夏は続けた。
「そこで私がとっておきを仕込む。とにかく相手を狼狽させること。慌てさせること。それが肝要。それが重要。それだけ出来れば倒せる」
「…信じていいのね?」
「そうするしか、ないっしょ」
他にテがないのなら、と晴夏は言い。
紅葉は少しの逡巡の後、黒髪を翻して頷いた。
紅葉は、晴夏と共闘するのは歓迎だが、しかし初めてでもあった。
その考えは読めない。
しかし何かの策があるのなら―――それを信じられるだけの関係は今まで築いている。それが、あのお嬢様の取り持った縁である。
水嵐が行動を起こした。
消耗した二人―――未だに包囲されている二人に向けて、両手を突き出したのである。
狡猾なことに、足元は水場のまま。―――いつでも回復出来る立地を確保している。
「トドメだァ!爆ぜろ!水旋槍!!!」
腕が先程のように、爆裂した。
ただし今度は片手ではなく両腕。
その爆ぜた両腕が巨大な水の槍―――ドリルとなり、高速射出される、かと思ったその瞬間。
水嵐は、頭上に舞う、一つの気配に気がついた。
ハッと目を上げたそこには、一つの優麗な影があった。
既に群青の空を上にして、黒い翼が舞っている。
山伏姿に、刀を差して、黒き翼が二対。手には巨大な葉団扇を手にした、長い黒髪も麗しい一人の女性。
「…新手かァ!!!」
「遅い!!!!!!!」
頭上から、暁烏紅葉は、その葉団扇を、渾身の力で振り落とした。
先程から溜めに溜めていた一撃であった。
凄まじい風の一撃が、頭上から水嵐を襲った。
だが―――紅葉は、その直撃を、放たれた瞬間の、両腕の槍にロックオンしていた。本体直撃からは少し逸れるが―――満身創痍の二人をこれ以上傷つけられない。已むを得ない。コレで決めたかった本音もあったが―――ここは友を信じるしかない紅葉であった。
凄まじい台風のような一撃が、河原を襲う。
流石は天狗の烈風であった。
放たれた水の槍を二本とも瞬時に消し飛ばした。
横殴りの風は水嵐の顔面と両足も砕く。胴の周囲の水の塊が微かに残るだけ。
しかし、紅葉はその時見た。
吹き飛ばされた水の塊の中心に、何かがある。
「―――なるほど、アレが核って訳ね…」
アレを消さねば決着はつかない。
しかし先程が直撃していればまだしも、少し逸れたからアソコまで消し飛ばすことは出来なかった。
そしてソレが残っていれば―――奴は復活する。
浅瀬に落ちたコアが、立ちどころに水を吸う。
数秒後には、むくりむくりと風を纏った、人の形が盛り上がってくる。
宙に舞う紅葉の眼下に、その水の形が徐々に盛り上がり、そして顔面が凶悪な笑みを形作っていた。
「…やるじゃあねえか、天狗」
「…」
紅葉は息を呑む。
改めて葉団扇を構える。
まだ全く戦えるが、しかし、今となっては策もない。ただ今は友を信じるだけ…。
それでも不敵な笑みを作ろうとした紅葉。
「なかなかのモンだったぜ、だが…」
だがそう言いかけた水嵐の後ろで声がした。
「いや、もう勝負はついた」
紅葉はあっけに取られて、水嵐越しにその背後を見た。
魔法の絨毯―――そうとしか形容のしようがないものに乗って、月守晴夏がやってきていた。
シルクハットをかぶって、肩の上には白い鳩。手品師のような服装である。それが晴夏の正式な霊装なのであろうが、紅葉は初めて見た。戦う機会なぞないから当然であったが。
いよいよ道化師という言葉が似合う異能者であった。
絨毯の上にあぐらを掻きながら、晴夏は悠然と、
「勝負はついたよ。ひとまず帰って、ついでにお嬢様にも話しようか」
「なんでや!?コイツピンピンしとるで!?」
「何で関西弁なのさ」
晴夏思わず苦笑。水嵐がその目を吊り上げた。
「てめえ、馬鹿にしてんのか…?」
「してないよ。見せてみせましょか、私の手品を」
不敵な笑み。
水嵐はいよいよな笑みで、
「いいだろう、見せてみやがれ」
「はいよ」
晴夏が指を鳴らした。
瞬間、水嵐の身体が爆裂した。
あっけなかった。
紅葉どころか、土手から見ている璃絵やメイにもさっぱり経緯が分からない。
しかし、水嵐の身体は砕け散った。
風は空気に溶け、水の身体は川に混じる。メイと璃絵を包囲していた無数の偽物も、瞬時に水たまりとなって、土の中に沈んでいった。
紅葉は河原に降り立ちながら、いよいよ呆然とした顔をしていた。
「…なんでや」
「策は見事ハマったね」
「いや、何しよったん晴夏センセ」
「だから何で関西弁」
苦笑する晴夏。ふよふよ浮いている魔法の絨毯の上で、似合わない妖艶な笑顔を浮かべてみせていた。
濃いアイラインとルージュなのだが、童顔なのでどうもアンバランスで奇妙な印象なのである。
消耗した様子の璃絵とメイもやってくる。メイは既に角が引っ込んでいた。河原でスカートを持ち上げて挨拶をする。
「助かりました月守先生、それに紅葉さん。醜態の中お助け頂いて感謝しかありません」
「ちょっと怒られそうだねメイさん」
「まっこと」
メイの苦笑。璃絵が呆然として先生を眺めていた。
「…月守先生…」
「ああ、コレ私の霊装ね。まあ適当においおい異能者やってるからよろしくね璃絵ちゃん。あと、授業中寝てても注意しないから大丈夫だよ」
お嬢様の特訓大変だろうからね、と風船ガムを膨らませる晴夏。
紅葉が葉団扇を振り回しながら、
「そうそう。どうやったのさ晴夏センセー。私も、アイツのコアブッ飛ばさなきゃいけないのは分かったけど」
「このうち、コアをぶっ飛ばせる火力があるのはメイさんだけだね」
晴夏はそう言った。
「でもメイさんはそれが出来なかった。出来る状況じゃなかった。奴本体に手だし出来るのはこちらの二人だけど紅葉さんはギリギリ怪しい」
「…」
「まあでも紅葉さんの火力でも、怪しかったし…」
晴夏は冷静であった。
「…なら、まあ、相手を利用するだけだと思っただけ」
「相手を利用?」
「奴は水を吸い上げて回復する。自分の身体をね」
晴夏は言った。
「不意打ちで身体をかなり持っていかれれば、相手は必ず狼狽して即回復する。最後までこの浅瀬から離れなかったのもその証明。相手は自分を必ず回復出来るトコロに置いておきたかった」
「…」
「一見無敵のように見えるけれど、まあ、それでも紅葉さんみたいな火力があればかなりのダメージを与えることは出来る―――」
そうすれば相手は回復する、と晴夏は言った。
「しかしその回復のスキに、―――私はこっそり爆弾を仕込んだ」
「爆弾?」
紅葉の言葉に、晴夏は懐から一枚のトランプを抜き出した。
「私の異能の一つ。爆弾トランプ。こいつにまあ水気をある程度仕込んで、幻惑の術もかけて誤魔化して、川に流しておいた。案の定、回復する時に、吸い込んでくれた」
「…」
「私は手品師だからね、誤魔化すのはお手の物って訳よ」
ニヤリと晴夏は笑った。
「それでも気づかれる危険があったから、相手を狼狽させる必要があった。だから相手の油断をついて、とびっきりの一撃を紅葉さんにお願いした。そうすれば相手は慌てて回復する。そうすれば私のトランプに気づかれにくくなる。案の定最後まで気づかれなかった…」
「…だから、一瞬でケリがついたって訳ね」
「そゆこと紅葉さん。最後はコアと密着して爆破した」
―――決着であった。
「はああ」と紅葉が月を見上げて疲れたような溜息だった。
「疲れっちゃったなーもー。晴夏センセー話してくれないんだもん」
「いいじゃない減るモンじゃないし、手品のタネ明かしは最後にねってネ」
そう言って晴夏が悪戯っぽいウインクをした直後、
「なるほど、そういうことだったかよ…」
そう、聞き覚えのある一つの声が、河原に聞こえたのであった。
各自がバッと視線を散らせるが、晴夏だけが悠々としていた。
小石の散る河原の中を指さして、
「そこそこ、そこらへんにいる。薄暗がりの石の河原なせいで分かりにくいけど、そこらへん」
「ケッ、気づいてやがってタネ明かしかよ…」
「だってそのザマじゃ回復なんて出来ないでしょもう」
「ま、その通りだ…」
水嵐の声であった。
璃絵がそちらに歩み寄る。河原の石に混じって、微かな霊力の光を散らせる岩の欠片があった。ほんの小指の先ほどの小ささであったが、そこには確かに意志が宿っていた。
表情は当然分からない。相変わらずふてぶてしい口調であったが、声は少し掠れていた。
璃絵は少し意外そうな顔をしていた。
「…命乞いをするようなタイプじゃないと思ってたけど、悔しがりもしないの?」
「悔しいさア」
「…」
「だが別に負け惜しみを言う気もねえよ、お嬢様」
声は殊勝であった。
「確かに俺は強え奴をブッ倒したかった。事実、もう少しで鬼をブッ倒せた。いいトコロだった。天狗だってそこの手品師だって、上手く闘えりゃあ、負けはしなかった…そう思う気持ちがねえといやあ、嘘になるだろうさ」
「水嵐は、強かった」
「ああ、だが、負けたろう?」
俺は負けた、と水嵐は言った。キッパリとした断言だった。
「俺は負けたんだ。勝てたはずなら勝てたんだ。負けたってコトは勝てるハズがなかったってこった。それだけだ」
「案外殊勝なのですね」
「負け惜しみを言って強くなれるか」
メイの言葉に、そんなのはただの逃げだ、と水嵐は言い切った。
「俺が弱かったから、マヌケだったから負けたんだ。力では勝っていたかも知れねえ。有利なフィールドにも引きずり込んだ。俺の有利に持っていった。だが油断した。それゆえにな。足元を持っていかれた。あそこで天狗の不意打ちを喰らった時はどうかと思ったが、しかしトドメとはいかなかった。残念だなあ…と貴様らに言おうと思った矢先にコレだ。俺の慢心が貴様らに勝ちを許した」
「…もう一度、とかも言わないんだね、水嵐は」
「もう一度が許される世界じゃねえこた、お嬢様も今は知っていると思うが?」
甘い世界じゃねえんだぜ、と水嵐は言った。ケケケケ、と笑った。
「俺をブッ倒したなんてこた前座だし、二人がかりでも大苦戦じゃ、この先の魑魅魍魎も思いやられるが、それでも今回は俺の負けだ。強い奴が勝つんじゃねえ。勝った奴が強えんだ。お嬢様の方が強かった。だから俺は負けた。それだけだ」
「…私の方が…」
「お嬢様よ、ソコの天狗も手品師もお嬢様が危ねえってんでスッ飛んできたんだろうが?」
水嵐は嘲笑するようでもあったが、どこか激励するような口調でもあった―――そう、皆には聞こえていた。
「ならそりゃあ、俺を倒せるような味方を呼んだお嬢様の方が強えってコトだ」
「…水嵐」
「俺にはそれはない。ツレも皆ブッ殺してきちまったからなあ」
邪魔だったからな、と水嵐。
メイが頷いた。
「…単独行動が不自然だと思っていましたが、やはりですか」
「跡部の主人は俺を抑えておきたかったみてえだが、アイツらうざったくてよ、弱っちいクセしやがって俺を舐めくさりやがる」
「…だから倒したという訳ね、水嵐」
「おうさ、そうともさア」
水嵐は、お嬢様の言葉を肯定する。
「弱いから俺を倒すことも、抑えることも出来やしねえんだろうが。だからそれを証明してやったのさあ」
「…」
「…ま、そんなトコだ。お喋りが過ぎたな。霊力も食い過ぎた」
ケケケ、と式神は相変わらず笑っていたが、その声は小さくなりつつあった。限界が近いらしかった。
璃絵は、黒檀の杖の先を、石の欠片に向けた。「おう」と声が応じた。
「…さっさと仕留めやがれ。お嬢様。俺を仕留めたとなりゃあ、主も姉貴も、お嬢様を認めもしようさア。何せ主でさえ抑えが利かなかった俺を…」
しかし、言葉が終わらないうちに、璃絵は呪を唱えた。
杖の先で、小さな光が輝いた。
もこり、もこり、と水の塊が膨らんでくる。
やがてそれは、河原の水を吸い上げ、璃絵や皆の見知った、一つの形―――人型を形作った。目と口の分かる、人型の水の塊―――。
水嵐の姿であった。
ただ、先程と微妙な違いが、メイにも晴夏にも紅葉にも分かっている。
先程までの凶暴な霊力の尖りはない。微妙に制限がかかっている―――というか、恐らく回復も出来ていないのだろう。多分核が損傷したままなので、以前の力が戻らないのだ。
ただ、今は璃絵の霊力を与えられて、即時ひとまずの回復をしたに過ぎないが、一度また吹き飛ばされてしまえば、今度は再生もままならないだろう。
手負いとはいえ、璃絵やメイ、それにほぼ無傷の晴夏や紅葉を相手に出来る状態ではない。
だがそれでも表情の分かるようになった水嵐は、凶暴な瞳で、己の令嬢を見つめていた。
「…いいのかお嬢様よ。この世界で情けは自らを亡ぼすぜ」
「いい。私がそう決めた」
「何故?」
「…私が、一人で、いつか水嵐を倒してみようと思ったから」
その言葉に、水嵐は「ケケケケッ」ととびきりの哄笑を放ってみせた。だがそれは馬鹿にするようであって、そうでないような気配もするような―――三人はそれを微笑を浮かべてただ見つめているばかりだった。
「いいのかお嬢様よ!?」
「だから水嵐も修業してきて。跡部との繋がりも、次女たる私が、今、切った。貴方は今から、野良」
「いいだろうお嬢様よ!いつか俺の手でブッ殺してやらあ!」
「上等…」
握りこぶしを作って咆えた水嵐に、璃絵も杖を向けてそう返す。
水嵐は河原に沈みゆきながら、最後に―――『かつて』仕えていた家の令嬢に目を向けた。
「…情けを受けた恩だ。その約定、守ってやる。後悔すんじゃねえぞ」
「また、いつか」
「咆え面かくなよ、ベソッかき」
「…余計なお世話」
「ケケケケ…」
笑いながら、その水の身体が川に沈んでゆく。
それを、ただ、四人は静かに見守っている。
紅葉が大きく伸びをした。仄かな笑顔が顔にはある。メイがしれっとした顔で、晴夏と紅葉に目をやった。
「さて、お二人は、今日はお屋敷に来られますか?」
「咲月がいいっていうなら少しご休憩したい」
「お嬢様の貞操を守るために是非」
メイの問いかけにそんな二人。メイは苦笑して、早速懐から紙を取り出し、便りとなる紙飛行機を折って空に飛ばしたのだった―――。




