36.嵐
跡部璃絵は、メイに付き添われて、まだ市内にいた。
普段なら真っ先に帰ってきているところであるが、今日は少し違う。
買い物に来ているのである。
画材や衣料品といった買い物が中心であった。
普段引きこもり気味の璃絵に対しての、咲月からの御褒美でもあった。
もっとも、璃絵は修業したい気分でもあるのだが、衣類が足りないとか画材が足りないとか、その上に師から言われた買い物もあるので、出ているのである。
『今の状態では、いつ襲われてもおかしくないのでは?』
外出の前、そうメイは問いかけたが、
「それにやられないように修業してたんでしょう?今日まで」
というのが主の返事であった。
僅かな期間ではあるが、璃絵にとっては充実した修業の日々であったことは疑いなかった。
―――本意ではないにせよ、道術の腕もめきめきと伸びた。
というより、師の教え方は、今までの誰よりも―――家の家庭教師なんかよりも何倍も面白かった。
間違いなく、先生だと璃絵は思っている。
そんな璃絵は、しこたま買い物であった。
お使いもあるし、衣料品もあるが、その他もある。
璃絵が買い物の最後に入っていったのは、いわゆる書店併設の、今時流行らない中古CDショップであった。
メイがきょろきょろと並ぶCDを見て、何が何やらといった顔をしているのと対照的に、璃絵の目的は一つでしかなかった。
璃絵も中古CDショップに入った経験などろくにないし、ついでにCDなんかを買うなんて人生初めてですらあったが―――今回は明確な目的があった。
璃絵が向かったのは、一昔前のアイドルのCDが並んだ棚であった。
最早ファングッズでしかないようなシロモノたち。
握手券商法で一時期悪名高かった、さるアイドルグループのCDである。
握手券とイベントがなくなった今、それは不良在庫と化し、店頭に数年間、埃をかぶっているのもザラ―――そんなCDであった。
場所によってはほとんど廃棄されているともいう。
それのうち、璃絵は数枚を抜き出し、またその足で、アニソンコーナーにも足を踏み入れ―――しかしお目当てのものはなかったらしくすぐに出て来た。
そして、アイドルのCD数枚を会計すると、サッサと中古屋を後にしてしまう。
メイが自動扉をくぐりながら、「アイドルなんてお好きだったんですね」と言うと、璃絵は首を横に振った。
「違う…」
「違う?」
「アイドルは好きじゃない」
興味もない、と璃絵はバッサリ。いよいよメイは首を傾げる。
しかし先程の璃絵は明確に目的があったようにしか見えなかった。
今手に提げている袋の中のCDは、全部アイドルのCDである。
「…じゃあ何でCDを?」
「このアイドルのCD」
「?」
「全員、同じ子がセンターなの、分かる?」
既にメイに対し敬語でもない璃絵は、そう言って、メイにCDを手渡してみた。
メイはいつぞやの河川敷―――今は夕闇が迫っている―――そこを歩きながら、そのCDのジャケットを見た。
まだ明るいから、それは良く見えた。
「…センターの人?が一緒とかは分かりますが。一枚はその人のソロですか?」
そう言って、メイはその人物の名前を読み上げた。
「中山弥生…」
「そう、中山弥生」
「…?その人が?」
首を傾げるメイ。
だが璃絵はとびっきり冷たい眼だった。メイはいよいよ首を傾げる。何か呆れられることをしたのかと思うが心当たりもなく。
だが璃絵は、あっさり。
「…見覚えないの?」
「見覚え?」
「ジャケット良く見て」
土手の街灯の下で立ち止まる。ソロのCDのジャケットをメイは良く見た。
一人の少女が大写しになっている。
黒髪を大きなリボンでサイドテールにしている。桜色の羽織を羽織って、マイクを手に笑顔である。闊達そうな、碧の色を帯びた瞳。色白の肌。
不思議と人を惹きつける、不敵で自信にあふれた笑み…。
その不敵な笑みに、メイは―――何故か見覚えがある気がした。
璃絵は言った。
「…そのCDは10年前のもの。たぶん、中山弥生最後のソロCD」
「…?」
「今は、髪を茶色にしてる」
茶髪。
メイの脳内で、CDのジャケットが加工処理される。茶髪に。そして少し大人びた顔に。不敵な笑顔がさらに自信に溢れたものになる。どこかで見たような顔になる。
どこかで…。
どこかで…?
最近見たような気がする、と思った瞬間、メイはあっと息を呑んで、
「えっ、あっ、えッッ!?えッッ!?!?!?」
気付いてしまった。
とんでもない事実に気が付いてしまったのであった。
その顔で璃絵を見ると、璃絵はこくんと頷いた。
「10年前」
「じゅ、10年前!?コレってもしかして10年前の、そのっ…!?!?」
「この頃から割と有名だった。お茶の間でも」
「え、ええッッ?!?!」
何せ興味のない自分でさえ、その名を知っていたのだ、と璃絵は思う。
まあどちらかというと、アイドルとしてより、名の売れている陰陽師としてだが。
だがメイさんは、妖怪なこともあって、サッパリ知らなかったのだろう。無理もないこととはいえ…。
だから今まで知らなかった。
璃絵はCDを仕舞いながら、
「…今回買って来た。私、先生のファンだから」
もっとも、先日まで全く早花咲月が、―――中山弥生だとは知らなかった、気づけなかったという意味では自分も同じだったが、口には出さなかった。が、メイはそれどころではなさそうであった。
しかし、跡部の次女くらいになれば、そう、知っているのだ。
「(…氷川花月…中山弥生…そして、早花咲月)」
全て同一人物である。
陰陽師氷川流最後の生き残り。
破壊神、音無霧夜の愛弟子。
卓越した破壊力で知られた、炎を得意とするアイドル陰陽師―――。
そして、数年前、裏世界に最大規模の災厄を撒き散らした、凄絶なる絶技の持ち主―――。
「(…私が小さい頃には、既にもう名前は知られていた…)」
もっとも、最近、失踪しているという噂であった。
その噂は聞いていた。
だが、こんな形で、出逢えることになろうとは、思ってもみず。
しかも、あの絵を描いていた人物とは欠片にも思わず―――。
魅了された後で、初めて知った、その技量。
かつて裏世界を震え上がらせた、中山弥生の名に相応しい技の持ち主―――。
璃絵は目を見開いた。
「メイさん、驚くのはひとまず後」
「へ?」
「殺気」
璃絵が言うや早いか、川の中から水柱が立った。
爆発音とともに、その水柱の中から、人影が出現し、凄まじい速さで近づいてきていた。
土手をその影が駆け上る。
それは、人間の形をしてはいたが、人間ではなかった。
霊気の集合体―――。
「水霊!」
メイが叫んだ。
既に璃絵は霊装を展開している。土剋水。咲月謹製の黒袍を羽織った璃絵は、黒檀の杖を人影に振り向けて、
「土装柔闘式」
そう唱えるや、一瞬で土手の土が盛り上がった。
しかし、礫ではない。
泥となって盛り上がったのであった。
泥となって盛り上がった土の壁が、触手のような太い鞭状に形状を変化させ、敵に襲い掛かる。
敵は、形容するのではれば、人の形をした、水の塊であった。
人一人か、それより少し体積の大きい、水の塊。
それが、人の形を取り、一直線に二人に襲い掛かってきたのである。
璃絵の作りだした土の壁と触手がそれを迎え撃つ。
水の塊は指先を閃かせた。それだけで両手の五本の指が伸びて、鋭利な爪となる。
「ケッ」と声が笑った。
「五水閃爪!」
凄まじい斬撃の速さで、触手を打ち払うが、しかしそれだけであった。突破することは出来ず、土手の下に間合いを保って水の影は笑みを浮かべる。
そう、その水の影には表情があった。
水のあるところ、ないトコロで表情が分かるのである。
メイは気づいた。
この影は水だけではない。
「…水霊かと思いきや、風の装甲まで被せているのですね」
「土剋水だけじゃどうも難しい相手」
璃絵は平然とそう言った。知っているようであった。落ち着いた表情―――軽蔑しているかのような視線を相手に向けていた。
「何の用?水嵐」
「ケッ、そりゃあよう、お嬢様を連れて戻るように言われているからでよ!」
それから影はクカカと笑った。
「だが殺すなとは言われてねえ!」
「…とんでもない相手のようですね璃絵さん」
「父さんの式神。昔からガラが悪かった…」
だが、璃絵は思っている。
―――水嵐を持ち出してくるとは、余程のことだ。
この式神は、主筋にあたる玉川本家から貸し出された式神―――黒鎧王をモデルとして、父が創り上げた式神である。
しかし、行儀のよいプロトタイプに比べ、無茶して作ったためか、水嵐は作った主でさえ手の施しようがない式神となってしまった。
だが戦闘能力は高く、裏世界の戦闘能力が欠けていた当時の跡部にとっては、貴重な戦力であることも事実であったのだ。
結果、そのまま増長して今に至る。
昔から危なっかしい奴ではあった。
しかし今は更にひどくなったような気配。
璃絵が杖を向ける先で、水嵐はその口を大きく開いて哄笑した。
「ケケケケッ、お嬢様も見ねえうちに、随分と生意気なツラしやがるようになりやがってなあ!」
「…主筋のお嬢様に向ける言葉ではありませんね」
「そんなこた知るかい」
クヒヒヒ、と式神、水嵐は笑った。
璃絵は思う。
こいつが出てきたということは―――相当、実家は本気だ。
一度風馬が退けられたことで、恐らく両親の頭に血が上ったのだろう。あとは焦りだ。容易に想像が出来る。主筋である本家玉川の前で大見栄を切ってしまったのだ、後戻りがきかない。その上に姉による交渉も、風馬による拉致も失敗した―――三度目の正直。
相当に戦力を投入してきているだろう。
―――何故私にこいつをぶつけたのが疑問だけれども。
自分を本当に殺しかねないコイツを私にぶつけてきたのがしこたま疑問だが、しかしそれを考えている余裕もなかった。もしかしたら向こうもそんな余裕はなかったのかも知れない。
水嵐は笑う。
「オレが仕えるのは本当に強い奴にだけだ!弱けりゃあオレの下だ!たとえお嬢様だろうが何だろうが変わりゃあしねえ!弱肉強食、それがこの世の理だろうが!」
愉快そうな笑みであった。その凶悪な両手の水の爪を折り曲げながら、
「なあ、分かっているだろうが!そこのメイドもなあ!」
「まあ、私もお仕えしているのは、御強い方ですから」
「だろうなあ…?」
ニヤリと水嵐は笑う。
「…貴様も妖怪の類…。そしてその態度からするに、弱っちい奴に仕えている訳でもなさそうだ」
「左様」
メイド、メイの唇に浮かぶのは、ふてぶてしくも不敵な笑み。
まるで主の生き写しであるかのようなその笑みであった。
「私の主様は、一歩たりとも動かず、技も使うことすらなく、私を退け式神にした御方。私にすらその腕の並を測ることは出来ません…」
「…ケッ、大層自慢げじゃねえかよ?」
「自慢ですので」
「気に喰わねえなあ?」
そう言う水嵐の前で、メイはすっとその白い長手袋を外した。
その手袋が濡れた土手の草の上に落ち、その両手の色がみるみるうちに変化してゆく。
紅の、肉のような、骨格のようなもの。その腕が紅の霊力を帯び、仄かな燐光を放ち始める。
その顔にも変化が表れ始める。
璃絵が息を呑んだ。
額から、二本の角が、もこりもこりと生えてきていたのである。
袋角と見えたそれは立ちどころに盛り上がり、皮膚を突き破り、黒曜石のように輝く鋭角を露わにした。
水嵐もそれを見ていたが、笑みが引っ込んでいた。
「…貴様…まさか」
「左様でございます。容赦は致しませんよ?」
「メイさん、メイさんは…」
「その通り…」
メイは、紅に染まった瞳で静かに頷いた。
「私、鬼でございます」
文字通りの鬼であった。
日本古来の妖怪―――酒呑童子に代表される、異民族、まつろわぬ民の代名詞。
怪力無双、大の酒豪、嘘を吐かぬ、そのようなテンプレで表現される日本最強クラスの妖怪。
鬼であった。
水嵐が、燐火のような息を吐いた。
「…元人間の、怨念が凝って、鬼となった奴じゃあ、なさそうだな」
「私は元人間ですらなく、元々鬼というモノです。生まれながらの鬼神…長らく星ヶ嶺にお世話になっておりますが、私を退けた強者は我が主が初めてでありました」
「強え奴をブッ倒してえとは思っていたが、まさか鬼と出逢えるとはなあ」
「さて、私鬼と璃絵さんと二人がかりです。気張ってくださいね」
「上等だア!!」
開戦した。
水嵐とメイの行動は同時であった。
水嵐がその指を閃かせると、無数の水の刃が出現して弾幕を作り上げる。詠唱も呪もなしで、相当無茶な術式と見えたが、それが可能な式神なのだろう。
並の異能者がやれば身体を壊す。
「水閃刃・百本!!!」
実に宙に浮かぶ水のナイフが百。
それが一気に、土手の上の二人目掛けて襲い掛かる。
メイは息を吸い、すでに腕を振りかぶっていた。璃絵も杖を掲げて呪を唱え始めている。
メイの動きの方が早かった。自然な連携だった。
迫る弾幕に向けて、メイは一撃、その腕を振りかぶっていた。
凄まじい烈風が巻き起こった。
巨大な見えない拳が、目の前の土手の上を蹂躙した―――そうとしか形容しようのない、巨大な圧力が生まれた。
見えない拳が、迫る水の弾幕百を立ちどころに霧消させる。水のナイフはことごとく蹴散らされ、夕闇の中に無数の雫となって消えて、細かい霧になって落ちた。
璃絵の詠唱が完成する。
璃絵の前に浮かんでいるのは、一つの土の槍であった。
しかし太い。
丸太くらいはあろう。
その先端は杭のように尖り―――そして回転していた。
ドリルであった。
そのドリルが、凄まじい速度で打ち出され、水の弾幕がかき消された水嵐に突っ込んだのである。
狙いは正確であった。
水嵐は思わぬ高速射出の一撃に反応が間に合わなかった。ギリギリ身をよじるのが精一杯であった。だがそれが限界。
飛んでいくドリルの槍が、水嵐の右半分の身体を丸まる吹き飛ばした。
水の塊を風で覆った身体は―――土のドリルに穿たれ、半分を消し飛ばす。
空気と雫となった身体を見ながらも、しかし当の水嵐本人は、「ケケッ」と笑みを浮かべていた。
「上等だア…」
水嵐は、僅かに残った右足と左足で飛びずさりながら、驚くことに、その左腕を突き出した。
「爆ぜよッッ!!!」
その左腕が砕けた。
そしてなんとその左腕は砕けて巨大な水の槍となった。しかも回転している―――先程の璃絵の技を、そっくりに真似たのであった。
しかも水だけではない、カマイタチが如きに風圧を纏った、風と水の回転槍。
それが高速射出されて二人に襲い掛かったのである。
璃絵は反応が追いつかなかった。
防御も間に合わない。
間に合ったのはメイである。
その怪力で、真正面からその槍を受け止めた。回転する風水の刃に掌の肉が持ってゆかれる。血飛沫。
しかしメイは力任せに、その水の槍を―――両手の握力で、砕いてみせた。
風が溶け、水が落ちて土手を濡らす。
一方で飛びずさった水嵐は、河原に着地していた。
その両腕が、河原の水を吸い上げて、たちどころに修復されてゆく。
メイが冷や汗であった。
「…なるほど、だから水場なのですね」
「おうともよお、ここなら幾らでもてめえらの相手が出来らあ」
水嵐はその両腕を修復し終えると、ニヤリと二人を見上げて睨む。璃絵がメイを見上げる。メイがこくりと頷く。
水嵐はその意図を汲み取った。
「水場の無いトコロへ行こうたって、させねえぜ!」
その瞬間、河原や川そのものから、無数の水柱が上がった。
空中に幾つもの、水の影が舞っていた。
その数、二十は下らないであろう。
水嵐そっくりの姿形をしたそれらは、水柱に合わせて跳ね上がると、土手やらその下の道路やらに、ずらりと並ぶ。二人を包囲するように。
「水場ならばこんなコトも出来んだア!!」
本体の掛け声に合わせるようにして、無数の水嵐が一気に間合いを詰めて襲い掛かってくる。
『死ねぇえ!!』
―――ココまで清々しい殺意も久々だとメイは思うが、―――絶体絶命なのは変わりなかった。
璃絵の結界が辛うじて間に合う。メイは三方からやってきた三人を拳の連打で吹き飛ばした。弱い。が―――相手は次々と増えていた。
璃絵も同じであった。
メイと背中合わせになり、結界で相手を喰い止めつつ、破られた瞬間に、用意していた術全てで迎え撃った。
雷砲や土の槍でたちどころに土人形―――否、水人形が吹き飛ぶ。
一度に三体四体を吹き飛ばすが、しかし相手は無尽蔵であった。
川の水を使っているのである。
璃絵は言う。
「川の水か、相手本体の息の根を止めないと…!」
「分かっていますが…!」
しかし相手は圧倒的手数。
お嬢様なら苦はないのだろうが、とメイは思うがしかし自分の両手は二本。
璃絵も広範囲の術で吹き飛ばすも、水人形は欠片でも残っていれば再生する。
苦戦を続ける二人に、水嵐は哄笑であった。
「ケケケッ、まさに手も足も出ねえとはこのことだなあ!!」
それにこたえる余裕もないのが二人であった。ジリ貧に追い込まれてゆく。




